19杯目 美観地区を散策しよう
夕方になると、アスファルトを照りつけていた日光も少しだけ威力を弱めてくれる。川沿いの柳の真下にあった影も、少しだけ伸びていた。
「由理子おばさん、一人にして大丈夫かな」
「鍵は掛けていきますし、もしあやかしが侵入したとしても、母に触れればさすがに父が飛んできますよ」
そう言い、紫遠は店の戸を施錠した。梨々花は東京から持ってきた白いレース飾りのかわいらしい日傘を広げ、真昼よりは西の空に傾きかけている太陽をちらと見た。
そういえば、真夏だというのに夜彦にしても小春姫にしても、あまり暑がっている様子はなかった。あやかしの国には四季がないのか、それとも紫遠のように暑さ寒さに強いのか。
「それじゃあ、行きましょうか」
「うん。蕎麦屋は晩ご飯だから、それまでに行きたいところがあるの?」
「はい。……梨々花さんは、ソフトクリームは好きですか?」
「え? うん、味にもよるけど大体は好き」
「それはよかったです。……では、調査に協力してください」
「調査?」
橋の中程で紫遠が立ち止まり、倉敷側を挟んで立ち並ぶ町屋を眺めた。
二人の下方ではちょうど、菅笠を被り赤いはっぴを着た船頭が竿を操り、緑色の水面を天領丸が観光客を乗せてゆっくりと川を下ってきていた。紫遠が言うには、結婚式のためにあの舟を貸し切ることもできるという。
「……ずっとやりたいと思っていたことがあるのです。しかし、一人でやる勇気はなく――梨々花さんには申し訳ないのですが、協力してください」
「う、うん? 何を?」
「ソフトクリーム屋巡りです」
紫遠ははっきりと言い、斜め掛けバッグから折りたたんだ地図を引っ張り出した。観光客向けの美観地区紹介マップであるそれには数カ所、赤い丸が書き込まれている。
「パフェ専門店を経営する身として、同じ商業区域に軒を並べる同業者の提供する菓子の味を確認したいと思っていました。しかし……店の人間は僕にとっても顔見知りばかりなので、行きづらかったのです」
「……ああ、それでよその人間である私を案内しているっていう体を装うのね?」
「す、すみません。あの、代金は僕が払いますので」
「気にしなくていいよ。私も、いろんなアイスを食べたいって思ってたし!」
いったいどのような「調査」の手伝いをさせられるのかと思いきや、「おいしいもの」調査だった。
梨々花は微笑み、紫遠が持つ地図を覗き込んで赤丸の数を数えた。
「……けっこうあるね」
「はい。さすがに全部を回るのは難しいと思うので、僕がとりわけ気になっていたところと梨々花さんの希望をすりあわせて、複数のソフトクリームを食べて回ろうと思います。よろしいですか?」
「うん、もちろん!」
梨々花は元気よく答えたのだった。
夕暮れ時になっても、美観地区はにぎやかだ。むしろ、日が傾いて少しだけ気温が低くなったからか、昼間よりも人通りは多い気がする。
「あ、見て。ここ、雑貨屋さんかな?」
紫遠と並んで歩いていた梨々花が立ち止まって声を上げると、紫遠も足を止めて店の看板を見る。
「ちょっと寄ってもいい?」
「もちろんです。僕も入りましょうか」
ガラスのドアを開けると、店内のあちこちから響く風鈴の音が心地よい。店内はエアコンが効いているので涼しい上、扇風機も回している。売り物の風鈴は全て扇風機の前にぶら下がっているので、風鈴ごとに微妙に違う音が華やかな音色を奏でていた。
店内はそれほど広くない。ちりめんで作られたお手玉や招き猫のぬいぐるみ、縞模様の美しい備前焼の湯飲みや陶器の皿、ナスやキュウリなどを模した箸置きなどの食器類などが並んでいた。
「あっ、マスキングテープがいっぱい!」
「倉敷市内に工場があるんです。ご存じでしたか?」
「そうそう、高校の頃に工場見学ツアーに申し込んだんだけど、ぜーんぜんだめだったっけ……」
色とりどりのマスキングテープがお行儀よく並んでいる様は、夢の満ちた宝石箱のよう。値段表示を見たところ、スタンダードな単色のものは比較的安めで、模様やラメが入ると若干高くなる。中には特殊な紙質なのか、表面がぼこぼことした和紙で作られたものもあり、長さの割にかなり割高だ。他にも、猫柄のものや岡山の名産品が並んだデザインのもの、なんと竹定規柄のものもあった。目盛りも正確なので、貼ることで物差しの役割も果たせるという。
その隣のテーブルは、倉敷帆布の特集をしているようだ。トートバッグ、ポーチ、エプロンなどがディスプレイされ、「繊維の町・児島」コーナーには藍、柿渋、どんぐりなどで染められた衣類が並んでいた。
「これ、きれいね」
梨々花が手に取ったのは、清流を連想させるような淡い水色の布。染色する際に紐で縛ったり板で挟んだりすることで布の染色具合を調節することで様々な模様を描くことができるのだが、これにはさざ波のような模様が施されていた。
「これは……マフラーですか?」
「ストールね。涼しげだし、色も好きだなぁ」
「梨々花さんは青色が好きなのですか?」
「……うん。青や緑が好きだな」
『何その色? 女ならもっときれいな色の服を着ろよ』
脳裏をよぎるのは、あきれたような男の声。
その声を振り払うようにふるふると首を横に振った後、梨々花はストールをもとあった場所に戻した。
「あれ、買わないのですか?」
「うん。気に入ったけど、今はいいや。目的地は別のところだしね」
梨々花は言い、店内を一度ぐるっと回ってから紫遠を伴い店を出た。
「寄り道してごめん。まずはどこのお店に行く?」
「……」
「紫遠さん?」
なぜか先ほどの店をじっと見ていた紫遠だが、梨々花に呼ばれるとはっと振り返った。
「……あ、すみません。えーっと、最初のお店はですね――」
まず一件目。
「思ったより黄色くないですね」
「私、蜂蜜ソフトって言ったら上からどろーっと蜂蜜を掛けるのかと思ってた」
「そうなればかなり濃厚でしょうが、これくらいなら甘過ぎなくてちょうどいいですね」
店の前の長いすに座って蜂蜜味のソフトクリームを食べる二人。名前を聞いただけだとどろっとした印象があったのだが、甘すぎず濃すぎず爽やかな味わいだ。
「……そういえば、蜂蜜をトッピングに注文するお客様、いるよね?」
「ああ、白鷺のあやかしの雪代さんですね。彼女は何にでも蜂蜜を掛けたがるのです」
あやかしについて話をするときは、周りの者に聞こえないよう互いの距離を詰めて声も小さくしていた。
二件目。
「青い」
「どちらかというと水色ですね」
「ソフトよソフト、どうしておまえはこんなに青いの?」
「それは、児島がデニムの生産が盛んだからです、お姫様」
「まさかデニムの味?」
「そこの看板に、ブルーベリーとラムネ味だと書いていますよ」
「そりゃそうか」
ご当地アイスとは、どうしてこうも不思議な色やデザインをしているのだろうか。色彩学的には、青は食欲減退・鎮静効果があるはずだが。
「ここにはないだろうけど、県内にはカキフライをぶっ刺したアイスがあるんだよ」
「あ、それテレビで見ました。インパクトがすごいですよね。梨々花さんは食べたことが?」
「いや、カキが苦手なんで」
「なるほど。……あ、おいしいですね」
「本当。どっちかというとラムネ味が強いかな」
「あっさりしていますね」
そうして三件目。
「あ、これ同じようなのを市内でも見たことがある!」
「カップがワッフルコーンになっているので溶けても染みにくくなっていますね」
「白桃アイス……おいしい」
「香料ではなくて、ちゃんと白桃の果汁やピューレを使っているのが分かるのがいいですね」
三件目ではあるが、まだまだ梨々花の胃も舌も元気だ。店の前のベンチに腰掛け、ワッフルコーンを飾る包装紙を外す。
「おや、もう紙を外してしまうのですか?」
「うん、私は先に外しておく派」
「食べにくいから、ですか?」
「……いや、その、ね。子どもの頃、こういうタイプのソフトを食べてたら、コーンと一緒に紙まで食べていたことがあって……」
「……くっ」
「あ、笑ったな!」
このっ、と隣に座る紫遠の脇腹を軽く小突くが、細い割に彼の体はびくともしない。さすがは男の子、そして強力なあやかしの子である。
単純にソフトクリームの味を楽しんでいる梨々花と違い、紫遠は難しい顔で食べかけのソフトクリームを見つめている。「調査」と言っているだけあり、自分の店で提供するものとの味比べをしているのだろう。
梨々花は先に包装紙を外してしまっているので、コーンの先端から溶けたソフトクリームが垂れる前に完食してしまった。
だが、紫遠は考えながら食べているからだろうか。夕方になったとはいえ気温が高い中アイスは次第に溶け、頑丈なワッフルコーンの先端に染み出してきて――
「あっ、垂れてる!」
「え? ……あっ!」
梨々花が指摘したときには既に遅し。先端から垂れたソフトクリームが紫遠の膝に滴ってしまっていた。
「ああ、もう。ほら、ささっと食べて」
梨々花はバッグからティッシュを出し、紫遠のズボンにぽんぽんと押し当てた。擦ると染みが広がってしまうのだ。
「これくらいなら、洗えば落ちるはず。念のため、この部分だけは洗剤で念入りに洗っておくのよ」
「あ……はい、すみません、梨々花さん」
「気にしないで。……それにしても」
急いで紫遠がソフトクリームの残りを食べ、店員に挨拶をしてから店を出た後、梨々花はふっと笑った。
「さっきの紫遠さん、かわいかったかも」
「……はい?」
「いや、いつもは私よりずっと大人びているのに、紫遠さんも焦ったりするんだなぁ、と思って」
「かわいい」と言われた紫遠は最初怪訝そうな顔をしていたが、次なる梨々花の言葉を聞いて目を瞬かせ、ふと視線を逸らした。
「……僕だって人間ですから、焦ることもありますよ」
「……えっ」
「僕のことをかわいい、なんて言ったのは梨々花さんが初めてです。……自分でも自分の変化に驚いています」
「……私、余計なことをした?」
「そうじゃありません」
柳の木の下で、紫遠が立ち止まる。
どこかでツクツクホーシが鳴いている声が、妙にはっきりと聞こえた。
風が吹き、枝垂れ柳と紫遠の長い髪、そして梨々花の日傘に付いたレース飾りをなびかせていく。
「……紫遠さん?」
「……。……そろそろ、夕暮れ時ですね」
腕時計に視線を落とし、紫遠が呟く。
「僕のお薦めの蕎麦屋は、ここからちょっと歩いた先にあるのです。ひとまず三件巡れたことですし、お腹をすかせるためにも歩いて店に向かいましょう」
「……うん」
紫遠がきびすを返す。梨々花もそれ以上余計なことは言わず、彼の半歩後ろを歩く。
アスファルトの道に伸びる二人分の影は、西の空に沈みつつある太陽のせいか、まるで寄り添っているかのように映っていた。
蜂蜜ソフトとデニムソフト、おいしかったです




