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13杯目 早朝の来訪者

 今日もいい天気だ。

 いつもより少しだけ早く目が覚めた梨々花は服を着替え、一階の洗面所で顔を洗った。


 早朝からクマゼミがやかましく自己主張している。一週間程度の命を謳歌する彼らの生き様は見事だとは思うが、できたら道路の真ん中でころりとお亡くなりにならないでほしい。何度その乾燥した体を踏んづけてしまったことだろうか。


 梨々花が「たかはし洋菓子店」でバイトを始めて、約二週間。

 今日は、由理子おばさんの夫が迎えに来る日だ。


 廊下のカレンダーには、八月二十三日――今日から二十八日まで、赤い線が引かれている。この期間、由理子おばさんは夫に連れられてあやかしの国を訪問する。つまりその間、梨々花と紫遠だけで店のやりくりをしなければならないのだ。


「……そういえば、就活」


 何気なくカレンダーをめくった梨々花は、九月末頃の日付を見てはあっとため息をついた。


 梨々花が通う私立大学は、九月二十日頃から後期の授業が始まる。卒業のための単位はほとんど取れているので卒業することはできそうだが、問題はその後だ。


「……仕事、あるかなぁ」


 実は、岡山に帰省してからも企業からのメールが届いていたのだ。もちろんすべて、「お祈り」である。もはやショックを通り越して笑いたくなってくる。


 この時期まで内定先が見つからなければ、最悪一年目正社員の道は諦めなければならないかもしれない。ニートになるつもりはないので、臨時採用だろうと何だろうと仕事は確保するつもりではあるが。


「……おはようございます、梨々花さん。難しい顔をして、どうされましたか?」


 とんとんと階段を下りる音がしたため、梨々花は眉間に刻まれた皺をほぐしてそちらを見やった。

 下りてきたのは、紫遠。これから顔を洗うところなのか、さらさらの銀髪は少しだけ寝癖が付いている。


「おはよう、紫遠さん。……ちょっと、就活のことを考えていて」

「ああ、確かに梨々花さんはそういう時期ですよね」

「……その、紫遠さんは高校卒業の時、就職とかどんな風に考えてた?」


 そっと尋ねてみると、紫遠は梨々花の隣に立って同じようにカレンダーを覗き込んだ。カレンダーは梨々花より小柄な由理子おばさんの身長に合わせているため、紫遠の場合は身を屈めることになっていた。


「僕は高校在学中から卒業後、母の店を手伝うつもりでした。調理科に進学したのも調理師免許を取ったのもそのためです」

「……でも、バイトならともかく調理し免許を取っているなら正規の調理師にもなれたんじゃないの? 他のお店に就職するとかは、考えなかったの?」

「全く考えていなかったわけではないです。でも、昼間だけでなく夜にあやかし向けの店を経営している母を助けたという思いが一番でしたね。在学中から僕もバイトとして手伝ってはいたのですが、やはり免許を持っているのと持っていないのとでは違いますから」

「そうなんだ……」

「梨々花さんは何か、これからしたいこととかはないのですか?」


 紫遠に尋ねられ、梨々花はうつむいてしまう。


 母を助けるため、調理師免許を取った紫遠。

 対する梨々花は、自分がやりたいことも特になく、だらだらと大学生生活を送っていた。

 そのツケがお祈りメールこれだろうか。


「……ない。ないのが、自分でも情けない」

「ないのならば、これから探せばいいじゃないですか」

「見つかるのかな……」

「見つかりますよ、きっと」


 大きな手のひらが肩に添えられると同時にそう耳元で囁かれ、梨々花の背筋がぞくっとしびれる。


 前々から思っていたが、紫遠は距離が近い。恋愛に奥手でクールな感じがする割に、梨々花の肩や背中によく触れてくる。その手つきに全くの嫌らしさがないので梨々花もスルーしていた。もしかすると、あやかしは人間よりもスキンシップが激しかったりするのかもしれない、と思って。


「梨々花さんなら、きっと大丈夫です」

「……そうかな」

「そうです。だからそんな辛そうな顔を――」


 言葉の途中で、紫遠がはっと息をのむ音がした。

 つられて梨々花もおもむろに顔を上げ――


「……朝っぱらから廊下で何をしているのだ、紫遠」


 廊下に立つ銀髪の男性の姿を目にし、硬直したのだった。












紫月しづき! 待ってたわ!」

「ただいま、ユリ」


 場所は、「たかはし洋菓子店」一階のホール。

 梨々花と紫遠の目の前で、銀髪の美男子と由理子おばさんが抱き合っていた。


「国主様も、ユリと会えることを楽しみにしているとのことだ」

「よかった……やっと紫月の国に行けるのね!」

「ああ」


 そうして紫月と呼ばれた銀髪の男性は梨々花を見、濃紺の目を細めた。


「……君がユリの言っていたリリだな。今回は我々の事情に君を巻き込んでしまい、すまなかった」

「い、いえ。私も楽しく仕事をしているので全然です! えっと……紫月さん、でいいですか?」

「うむ」


 堂々と答える紫月は、紫遠よりもさらに純度の高い銀髪を背中に垂らしており、さらに人間離れした美貌を誇っていた。


 彼は、オオカミのあやかし。由理子おばさんの幻の夫で、紫遠の父親である。

 紫遠の美貌から予想はしていたが、紫月は息子を越えるほどの容姿だった。そろそろ梨々花の目もチカチカしてきた頃である。ちなみに彼の頭部には、ふさふさの白い耳が生えていた。ケモ耳である。思わず隣に立つ紫遠を見たが、彼の側頭部は人間の耳が付いていた。


「私はこれから人間界の時間で六日間、ユリと共にあやかしの国に行ってくる」


 紫月はそう言い、薄暗い店内を見回した。


「……相変わらず、雰囲気のよい店だ。だが……紫遠のことが心配ではあるな」


 えっ、と隣に座る紫遠を見ると、彼はいつになく厳しい表情で父親を見つめていた。


「紫遠は私とユリの間に生まれた――あやかしと人間の子だ。この髪の色は人間界ではユリの色に変わるため不自由なく暮らせているようだが、あやかしの中ではそうもいかないのだ」

「紫遠をよく思わない方がいるということですか?」

「そうだ」


 紫月が重々しくうなずくと、その隣に座る由理子おばさんも目を伏せた。


「……それに、あやかしの中には紫月があたしと結婚したことを快く思わない者もおるんよ。今回あやかしの国主様との面会が取り付けられたのも、紫月の努力のおかげ。普通なら簡単に許可が下りることじゃないの」

「……そうだったのですか」


 梨々花はそれまでとは全く違う思いで、親子三人を順に見つめた。


 あやかしと結婚し、ハーフの子を産んだ由理子おばさん。

 持ち前の明るさでシングルマザーという立場でも強くたくましく生きてきていると思っていたが、彼女や夫の紫月にも、悩みがある。


 人間とあやかしの関係は、すべてのあやかしに受け入れられるものではないのだろう。あやかしたちの姿が見えない分、まだ人間相手の方がましなのかもしれない。


 ふと、右手がきゅっと握られた。顔を上げると、梨々花の右手を握る紫遠が真っ直ぐな目で見つめてきていた。


「しかし、もしそうなったとしても絶対にあなたを傷つけさせたりはしません」

「紫遠さん……」

「これは、僕たち家族の問題です。……梨々花さんは、従業員としてこれまで通りの対応をお願いします。何かあればすぐに僕が駆けつけますので、重く捉えないでくださいね」


 ――僕たち家族の問題。


 そこに、梨々花は含まれない。

 当然だ。梨々花は父方の親戚というだけで、彼らの家族ではないのだ。


 ――だが。


「……私は、紫遠さんにも傷ついてほしくないのに」


 ぽつんと零した本音に、紫遠の左手が驚いたように震える。


「……梨々花さんが思っている以上に、僕は強いですよ? あまり好きではないけれど、運動も得意ですし」

「そういう問題じゃないの。でも……ううん、何でもない」


 これ以上、紫遠の両親の前で個人的な話をするのはよそう。この六日間二人きりだから、時間はいくらでもあるのだから。


 ――二人きり。


 しばらく梨々花たちの様子を見守っていた紫月だが、彼は濃紺の目を二人の手元に向けると、ため息をついた。


「……そろそろリリの手を離してやれ、紫遠。おまえの馬鹿力で華奢な人間の手を握り潰すつもりか」

「え? ……あっ! す、すみません、梨々花さん!」


 自分がぎちぎちと梨々花の手を握りしめていることに気づいた紫遠が、ぱっと手を離す。彼に強く握られていた梨々花の手もそうだが、紫遠の顔も赤い。彼は色白である分、赤面したらわかりやすいみたいだ。


「と、とにかく父さんと母さんは、気を付けて国に行ってきてよ」

「もちろんよ。紫遠こそ、リリちゃんと一緒に店を頼むよ」


 由理子おばさんもようやく微笑んでくれた。

まさかの○○耳

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