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12杯目 にぎやかな青年

 夜の倉敷美観地区。本日の天候は、晴れ。

 街頭の明かりが漆黒の水面に映り込んでおり、現世うつしよから隠世かくりよへ繋がる扉があるかのように思われる。


 梨々花が「たかはし洋菓子店」でのバイトを始めて、早十日。あやかし相手の接客にもだいぶ慣れてきた頃である。

 常連だという夜彦紳士は三日に一度は訪れ、梨々花ともたわいのない話をしてくれた。小春姫とはあれっきり音沙汰がないので梨々花は心配していたのだが、由理子おばさん曰く「あの方については、便りがないのがよい便りなのよ」とのことだ。恋人とよりを戻したのか、それとも新しい恋人を見つけたのか。梨々花も気になるが、何にしてもうまくいっているのならば一安心である。


 常連客の大半は梨々花を物珍しそうにしながらも、「由理子さんの親戚なら」といった感じでとらえてくれたようだ。










「……おい、俺たちが見える人間が来たって本当か?」


 やや乱暴に開けられた店の引き戸。奥の方の席で、かすみ草のあやかしだという小柄なあやかし四人連れの注文を取っていた梨々花は、大きな音にぎょっと振り返った。


 のれんを鬱陶しそうに払いのけて入ってきたのは、ぴんぴん撥ねた真っ赤な髪に金色の目という、まさにファンタジーなカラーリングをしている青年だった。髪とほぼ同色の着物はかなり着崩しており、たくましい胸元が半分露わになっていた。


「……おねえさん、あれ、ニホンザルのあやかしなの」


 荒々しく椅子に座った客に呆然としていた梨々花に、かすみ草のあやかしたちが囁いた。彼らは大人も子どもも同じような見た目で身長が梨々花の膝くらいまでしかなく、声も小さいのだ。


「けっこうらんぼうなの。くちがわるいの」

「わるいやつじゃないの。でも、えらそーなの」

「おねえさんも、きをつけるの」

「分かりました。ありがとうございます、皆様」


 ふわふわと耳に心地よい声色で注意を促してくれたあやかしたちに礼を述べ、梨々花は数度深呼吸して気持ちを落ち着けた後、笑顔を浮かべて例の赤髪の青年のもとに向かった。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」

「あんたが噂の女?」


 どうやら話を聞いていないようだ。

 彼は梨々花を見ると常人より大きめの口の端を引きつらせて笑い、じろじろと無遠慮に眺めてきた。


「……ふーん、おまえ、由理子さんと同じでただの人間だな」

「はい、私の父が由理子おばさんのいとこにあたります」

「なるほど。……ああ、注文だったか」


 どうやら話を聞いてはいたようだ。

 彼はメニューを手に取り、フルーツパフェの写真をとんとんと指で示した。


「これ一つ。それと、限界まで薄めたオレンジジュース」

「限界まで薄めた……ですね」

「由理子さんに言えば通じるはずだ」


 彼はそう言うとテーブルに頬杖をつき、足をぶらぶらさせた。よく見ると、臀部から赤いしっぽが覗いている。黒い羽根を見せてくれた夜彦や鱗の肌を持つ小春姫もそうだが、動物のあやかしたちは人間の姿を取っていても、体のどこかに動物の名残があるようだ。


「つーかよぉ、あんた年いくつ? いつもどこに住んでんの?」


 注文内容を調理場に伝えてホールに戻ってくると、すかさず例の青年が梨々花を捕まえて聞いてきた。


「……年は二十二歳で、東京住みです」

「トオキョウな。つーかこの見た目で二十二歳とか、まじ人間って年取るの早ぇなぁ」

「あやかしの皆様は長生きですね」

「そうだな。ちなみに俺、何歳に見える?」


 何とも答えに困る質問をするお客様だ。

 梨々花はカウンターに身を乗り出し、青年をじっと見つめてみた。髪や目の色、大きな口や尻尾はともかく、見た目だと紫遠と同じ年頃に見える。


「……その、私はあやかしの年齢に明るくないので人間換算になりますが、だいたい十八歳くらいかと」

「ぶはっ! 俺が十八歳ぃ!? まじウケる、あんたおもろいな」


 あっひゃっひゃっひゃ、と腹を抱えて笑う青年に、梨々花の口の端が引きつった。


「俺ぁもう四百歳は超えてるぜ」

「よんひゃ――江戸時代ですね……」

「エドゥ時代が何か知らねぇが、俺はあやかしのなかでは若い方だ。で、あんた名前なんて言うんだっけ?」

「梨々花です」

「梨々花だな。なぁ、この後時間があるなら――」

「……季節のフルーツパフェと激薄オレンジジュースのお客様ー」


 尋ねようとした梨々花だが、背後から柔らかい声が掛かった。

 カウンターを挟んで赤髪の青年と話をしていた梨々花の体のすぐ脇から腕が伸び、青年の前にパフェと、ほとんど水なのではと思われるような薄いオレンジジュースが置かれる。

 ふわりと漂うのは、みずみずしい桃の香り。


「お客様、当店の店員を独占しないでください」

「……おー、来たな、生意気なガキめ」


 顔を上げた青年がニヤリと強気な笑みを浮かべる。彼の視線は、梨々花の斜め後ろに立っている紫遠に注がれていた。


「別にいいだろ、ちょっと話をするくらい」

「よくありません。彼女を困らせないでください」

「困ってないだろ。なぁ、梨々花?」

「……」


 すごく困っています。

 それを言うわけにもいかないのでちらっと紫遠を見て助けを求めると、彼はふっと微笑んで梨々花の肩を叩いた。


「すみません、梨々花さん。彼はニホンザルのあやかしで千秋ちあきと言います。僕が相手をしますので、梨々花さんは仕事をお願いします」

「あ、はい……」


 助かった。

 紫遠に感謝しつつ、梨々花はその場を離れた。カウンターにはかすみ草のあやかしたちが注文していたパフェが、寂しそうに梨々花の訪れを待っている。


「……つーかよぉ、いつの間にこの店で人間の女の子を雇うようになったんだ? ずっとおまえと由理子さんだけで回してきたんだろ?」

「つい先日からです。学校が休みの間だけ、うちで働いてくれることになりました」


 少し離れたところでの紫遠と千秋のやり取りがよく聞こえてきた。他の客は声の小さいかすみ草たちしかいないし、店は狭いし千秋の声は大きいしで、意識しなくても聞こえるのだ。


「そうかい。俺ぁてっきりおまえにも春が来たのかと思ったな」

「寝言は寝てからおっしゃってください」


 どうやら彼らは客と店員という間柄を抜きにして、普通に親しいようだ。見た目年齢ならば同じ年頃にも見えるからだろう。









 その後、かすみ草の客たちがお会計を済ませて店を出て行く。どうやらかすみ草の中の子どもが梨々花とおしゃべりしたいらしく、「おそとまで、おみおくりして」と梨々花にお願いしていた。


「すみません、紫遠さん。ちょっと外までお見送りしてきていいですか」


 戸口の前で振り返った梨々花に問われ、紫遠は笑顔でうなずく。


「もちろんです。客はここにいるニホンザル君だけですし」

「キャンキャンうるせぇな。引っ掻くぞ」

「というわけで、ごゆっくり」

「ふふ……ありがとうございます。ちょっと行ってきます」


 紫遠と千秋のやり取りにぷっと噴き出した後、梨々花はかすみ草の家族と一緒に店を出て行った。自分の膝ほどの身長のあやかしにつきまとわれる梨々花の姿は、見ていてほんのりと胸が温かくなった。


 戸が閉まった瞬間、千秋はにやっと口の端を大きく釣り上げて紫遠を眺めてきた。


「……なあ、紫遠。おまえ、本当にあの子のことをどうも思っていないのか?」


 千秋に尋ねられた紫遠は目を細め、やれやれとばかりに肩を落とした。


「……おっしゃる意味が分かりませんね。彼女は母が雇った従業員で僕のはとこ。今月に入って出会ったばかりですよ」

「そうかい。おまえがオギャア言ってる頃から面倒見ている千秋お兄さんの目には、狂いがないと思ったんだがなぁ」

「ご冗談を」

「ああ、目を閉じればおしめをしてハイハイするおまえの姿が目に浮かぶようだぜぇ」

「忘れてください、今すぐに」

「一生かけてネタにしてやるから忘れるもんか。……それにしても、あの子を雇ったのはもうじき由理子さんが国に行くからだろ?」


 急に真面目な声色になった千秋を、紫遠は濃紺の目を細めて見つめた。


「……察しがいいですね。その通りです」

「今は由理子さんがいるし、いざとなったらいつでもおまえの親父が飛んでこられる状況だから、とやかく言う輩もいねぇだろうが――」


 千秋の言わんとすることを察し、紫遠は目を伏せた。

 紫遠だって、分かっている。そしてきっと、由理子も分かっているはずだ。


「……僕も母も覚悟はしています。ただ、期間限定従業員の身である梨々花さんにだけは、火の粉を降りかからせるわけにはいかない」

「……おまえ、なんだかんだ言って梨々花のこと好きなんじゃねぇの?」


 千秋が三白眼で言ったため、紫遠は数秒答えに窮した。だがすぐにもとの柔らかい微笑みを浮かべ、店の戸を見つめる。


「……僕には、まだそういった感情がよく分かりません。でも、梨々花さんを守りたいと思っているのは確かです」

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