荒廃したこの世界で捧げる少女の餞
衝動的に書いてみたかった。魔法少女要素なんて一つもないです…
崩れかけた雑居ビルが並ぶかつて「街」であった場所は、雲の隙間からのぞく鮮やかな赤色に染まる向こうとは対照的に暗い影を落としている。潰れかけたコテージの屋根にヒダの入ったスカートをはためかせて長髪の少女が仁王立ちする。少女の見据える先から届く光のせいで頭部は赤茶けて見えるが、それが本来の色でないことは少女の周囲を飛び交うカラスを見てわかる。黄昏色に染まる彼らは一面の絶望色に立ち向かう一つの目印でもあるようだった。
ギャア、と一羽が鳴いた。思い思いに声を上げ始めたカラス達に気づいた少女がふと振り返り、風でなびく横髪を耳にかけながら笑みを浮かべる。視線を逸らすことなく口を開き、何事かを呟く。
俺に読唇術なんてできないけれど、本当は笑みを浮かべたかなんて逆光で見えやしなかったけれど、俺の知っている彼女ならこう言っただろう。
「絶対に負けてなんてやらない」。
朽ちかけた建物がまるで魔物のように聳えたち、他に誰一人として生存者がいないとしても、蹂躙された世界の為、踏み躙られた“誇り”の為に彼女は戦う。戦うことが己の使命だと認識している、かつて『魔法少女』と呼ばれていた彼女だから。
彼女が手を差し伸べている。たとえ届く距離ではないとしても、「彼女に選ばれた従者」は嬉々としてその期待に応える。その為の道がどれほど血塗られようと、肉塊と化した同種を踏み潰そうと、彼女が望む世界を手に入れるその手助けができるならば。
それに……「人」の為に戦い「人」に利用され裏切られた彼女の気持ちを理解できない奴らなど滅んで正解だ。だからこそ今度の所業は許されない。穏便に済まそうとした彼女の温情に気づかず、更に追い討ちをかけた平和ボケした世界など、彼女に優しくない世界など、いらないのだ。
頭を垂れていた俺の髪をふわっと撫でたのは彼女だ。考え事している間にわざわざ移動してきたらしい彼女は、屈んで俺の視線と合わせると両手で頰を挟んで俺の目を覗き込む。夜目の利く俺には、彼女の瞳が僅かな光を取り込んで揺らめているのがわかる。
「先輩、私のせいで辛い思いをさせてしまってごめんなさい」
美しく澄んだ声が俺の心に染み渡り、俺のことを思い謝罪する彼女に感激した。どこまでも心優しいあの頃から変わらない。
「先輩は家族思いで、隣の家に住んでいただけの私にもその深い愛情を向けてくださっていました。人との関わりが苦手な私に寄り添うように、少しずつ距離を縮めていってくださいましたね。その時から、先輩は私にとって大事な人でした」
「そんな時に私は魔法少女としての責務を課せられ、立ち塞がる問題に悩んだり、取り乱したりすることもあった……先輩が受け止めてくれたから、一緒に悩んでくれたから乗り越えることができました」
「そして世界が私を捨てた時、私はあなたを道連れにと願ってしまいました。そのせいであなたが人として生きられなくなってもいいと思ってしまったのです」
俺のざらついた頰を少女の指が撫でる。少女の言うように、俺はおぞましい化け物になった。家族にも、恋人にも罵倒され追い出されるほどに。
「この気持ちが何なのか、今でもわかりません。それでも私はあなたと共に世界を相手にできたことを嬉しく思います。後ろにあなたがいてくれたから、私は安心して前へ進むことができたのです。そうしてやっと、願いが叶いそうなことに私の心は穏やかになりつつあります。やっと暖かな日差しのもとを歩けると思うと……私は、先輩に感謝してもしきれない」
少女の頬を伝う涙を、俺はボコボコになった指で肌を傷つけないよう拭う。仄かに開いた唇に惹かれて顔を寄せれば、そっと目を閉じた少女は甘んじてそれを受け入れた。
「これが私からの餞です」
少女の言葉が理解できなかった。愛おしい少女を撫でようとした手は突如襲った鋭い痛みの走る腹へと向かう。生温かい液体が染み出し、深々と突き刺さったそれに心当たりのあった俺は瞠目した。
それは彼女が魔法少女時代にラスボスを倒す為に使った聖剣だった。あれはあのラスボスと共に永久に地下に眠ったと思っていた。
「あなたの外見が醜くなってしまったのは、この世界の汚れを吸い込んだからなのです。先輩、ごめんなさい。私はあなたが世界の為に犠牲になるのを見ていることしかできなかった。魔法を失った私には、世界の汚れを全部吸い込んであなたもろとも消してしまうしか残された道はなかったんです。安心してください、すぐに私も後を追いますから」
後半はほとんど頭に入ってこなかった。けれど彼女の「後を追う」という言葉に「それはダメだ」と返したかった。
彼女の為に俺が犠牲になるくらいなんてことはない。これで世界が平穏になり、彼女の願いが叶うなら安いものだ。
全ての汚れを払った後の俺のいない世界は、果たして彼女にとって優しい世界になるのだろうか。
きっとそうなるのだろう。彼女がそう信じているのだから。
すっかり陽の落ちた街だった場所で、一人の少女が佇む。
かつて魔法少女だった彼女は、周囲を飛び交うカラスの中から一羽を選び口を開く。
「魔王様に伝えてちょうだい。“全ての人間は滅びました。魔法少女<オルカ>の乗っ取りに成功、その騎士も処分済み”って」
魔法少女だった頃とは違うルビーの瞳が暗闇の中光る。
了承するように、カラスが一羽鳴いた。