3 哀しみ
初代姫巫女はこの国の最初の帝の娘で、火を吹く山を鎮めるための柱となり、三代目の帝の姉姫は荒ぶる水の神を鎮めるために花嫁として捧げられた。
以来、帝の血筋から娘達が捧げられ続け、幾多の危機を乗り越えてきたのだ。
翠子の選定を受け入れる事は、帝の血を引く娘の義務であり誉れである。
国のため、民のため、力を尽くして身を尽くす事は当たり前のことなのだ。
しかし現実はそうもいかない、普通は選ばれないよう手をまわしたりするもので、初潮を迎えるまでは気が抜けない。
今上帝から三代前までの帝の血筋である初潮前の娘は芽子と呼ばれ、戸籍は神祇府である神殿の管理下となる。
産まれてすぐの娘を婚姻させて選定から逃れるという事も昔はままあることだったが、厄災が続けばそれだけ帝の血筋から娘が減っていく。
速やかに選定できる数を確保するべく、今では初潮を迎える前の婚姻は禁じられていた。
芽子の中から次代の姫巫女となる翠子が集められるようになると幾度も娘を差し出すことになった貴族からは反発が出始めた。
そこで、皇族以外の貴族の家では翠子を輩出すると向こう30年は選定を免除されるという規則が出来た。
幸か不幸か橘家では過去に翠子を輩出したことがない。
先帝の妹である当時皇女であった常葉が左大臣の妻として橘綱に降嫁し、子が産まれて初めて橘家に帝の血が流れたからである。
先帝の姪に当たる菖蒲の母が産まれた頃は、天災も無く翠子選定もほとんど無い時代で運良く選ばれる事も無かった。
しかしその娘となると、血筋としてはいささか薄いという点を考慮しても、三代前という基準を満たしているので不足した翠子を補うには仕方のない状況となっている。
祖母は泣きながら菖蒲の手を取ると、祖母の姉の話を語りだした。
38年前、祖母の姉は18歳になる頃に姫巫女として命を捧げられたのだという。
10歳で翠子となり17歳で神殿に入るまで、幼い祖母を可愛がってくれた優しい姉に昼な夕なと祖母はついてまわったそうだ。
姫巫女として役目を全うした姉の死は、祖母が11歳となった頃。
祖母にはあまりに辛い事で、その哀しみを忘れられず孫を姫巫女にしたくないのだという。
祖母のお気に入りの松重の袿の袖は涙をぬぐった為かぐっしょりと濡れて色が濃くなっていた。
たおやかで、いつも優しい笑みを浮かべる祖母は49歳となった今も少女めいた姿をしていたが、今は悲哀が包んで哀れである。
菖蒲はここで初めて翠子の選定が家族を傷つけ哀しませる事だと気づいたのだった。
これからの楽しい事で頭を一杯にしていたことが途端に恥ずかしくいたたまれない。
「……ごめんなさい」
そう小さく絞り出すことしかできない。
翠子として選ばれたからには断りようもない、今さらどうしようもないが何を浮かれていたのかと落ち込むしかなかった。