2 翠子の任命
都ではどこも新年を祝う祝賀のなかにあって、この屋敷はまるで葬儀でもあるかのような沈みようだったーー
「よもや菖蒲が、姫巫女の選定に選ばれるとはのう」
そう悲嘆に暮れる祖父は、この屋敷の主であり橘家当主で名を綱。
宮中では近衛左将軍と左大臣を兼任する剛の者。
線の細い祖母の常葉はただただ咽び泣くばかり。
「11番目の翠子なら神殿に入るまで順番は遠いし大丈夫よ。 死なずにすむかもしれないのだもの泣かないで」
そう祖父母を慰め、お達しの書状を抱き抱えながら顔が笑むのをなんとか堪える。
大事に育ててくれた祖父母には悪いけれど、祖母が先帝の妹姫で良かったと思う菖蒲は、今年9歳になる左大臣の孫姫である。
この光翠国では13歳から16歳が婚姻適齢期とされ、18歳で未婚の女性は立派な行き遅れとして白い目で見られる。
唯一の例外は姫宮という特別な位にある者のみ。
祖父母も両親も大恋愛の末に16歳で婚姻しているけれど、自分の婚姻となると想像が出来ない。
母は異国出身の父と婚姻したけれど、父は仕事の都合で同じ国に長くは留まらない。
母もまた宮中の奥宮で帝にお仕えし、住み込みで身の回りの世話をする尚侍というお勤めの為に離れて暮らしている。
両親とも1年に1度は会えるものの、普段は文でのやり取りのみ。
産後で弱り療養していた頃の母とはいつも一緒に過ごしていたらしいけれど、物心付く頃には母の体調は回復し宮中へ行ってしまった。
寂しくて泣いてばかりの私はすぐに熱を出す弱い子供で、そのことがあってか祖父母からは溺愛されている。
今では寝込むことも減り、友達も出来て毎日が楽しくて仕方がない。
祖父の影響で女の子らしい和歌や琴や刺繍などよりも外で動きまわることが大好きになったけれど、母は教育に厳しくてお叱りや勉学を指示する文ばかり送ってくる。
娘の夫はこの国の出世株の殿方をと決めてるようで、初潮を迎えればすぐにでも縁談の話を持ってきそうだ。
私にはどこかの殿方に恋することも、婚姻し屋敷の部屋から出られない生活も、慎ましく淑やかに過ごすことも堪えられそうにない。
婚姻を先延ばしにできるなら、姫巫女という役目でもすがりたい気持ちだった。
たとえ母上が帝に直訴し取り下げを願い出たとしても、お祖父様が刀を手に神殿へ乗り込んでも
「私はこの任命を受け入れるわ」
ハッキリと宣言すると、背後で嘆息する乳母の小栗の気配を感じたが、私の中では譲れない決定となっていた。
姫巫女の次代様として神殿に入る日まで、翠子には生活の自由が与えられている。
罪を犯さず、純血を守れば何をしていようと自由なのである。
私は友達をたくさん作りたいし、屋敷の外を自由に出歩きたい。
絵巻物の物語にあるような風景も見たいし、冒険もやりたいわ。
祖父が体を丈夫にするからと教えてくれた剣術や馬術だって、本当はもっと上手くなりたい。
菖蒲は一気に自由を手に入れた気がしていた。