15 母に会う
久しぶりの母親との対面に、菖蒲は作法通り指をついて挨拶をする。
「お久しぶりです母上」
お元気でしたかと問う前に扇が菖蒲の頭を打つ。
「母上ではなく尚侍!ここは宮中です、親子であっても官職名で呼ぶこと」
さっそく叱責が飛ぶ。
母上だって先ほど夏房殿と名前で呼んでいたのに理不尽だわ。
「お変わりなく、尚侍様」
菖蒲は言い直すと、頭を上げる。
「翠子の任、ご苦労でしたね。今回のことは神殿内部の不祥事ですから他言はしないように。それから褒美の縁談の件ですが」
菖蒲はついに来たかと身を強ばらせる。
「あなた、なぜまだ初潮が来ないのかしら」
なぜと聞かれても、むしろ来ない方が嬉しいのだけれど……
「あなたちゃんと食べているの?」
母に顔を両手で包まれて菖蒲は困惑した。
「顔は華やかではないけれどそこそこの美人なのに、美しいうちに結婚しないとダメよ。まずは磨くことからよ」
それから勉強の成果を確認するためにと母による口頭試験と、琴の腕前を確認され、ダメ出しをしつくされ、他の家の姫たちとの遊びの会への出入りを厳命されたのだった。
疲れきった菖蒲は、それでも気になっていた縁談の相手とは誰なのかを思いきって聞いてみることにした。
「あら、菖蒲でも気になるのですね」
そう菖蒲も年頃ねと笑いながら
「近衛中将の冬継様、権大納言家の三男で、人気のある貴公子です。先ほど会った夏房殿の孫にあたるのですよ」
誰よそれは。
菖蒲は相手が宝珠ではなかったことに驚き、思わず気になっていたことを全て聞いておくことにした。
「あの、以前……宝珠の母君に会うようにと言われましたがあれは?」
すると母の顔が険しくなり
「今から話すことは他言してはなりません」
菖蒲は黙って頷き、身を乗り出すようにして続きを待った。
「宝珠殿の母君は、翠子に選ばれながら生きて姫巫女の任まで全うした姫宮でいらっしゃるのです」
翠子のうちに20歳を迎えたのではなく、姫巫女のときに20歳となって任を解かれたということだ。
それはとても珍しい事で、とても運の良いことである。
「先帝から縁談を賜り降嫁なされ姫宮の位は返上されましたが、今でも高貴な方として扱われているのですよ。しかし、甥子が神殿で神官となると、翠子であった今上帝の末の妹君と駆け落ちしてしまったのです」
その話をしてあなたに一役買ってもらおうと思っていたのですがと、母は困ったように笑い
「あなたは翠子を受け入れたと聞いて、その必要もないと判断したのです」
菖蒲は脱力した。
宝珠との見合いなのかと振り回された事は黙っていよう、しかし帝の妹と駆け落ち?
菖蒲は驚いて声を上げかけた。
「驚くのも仕方のないこと。滅多にない不祥事ですし、妹君のことも帝はそれはそれは心配なされて」
母は扇を口元に当てるとため息をついて
「翠子が一人欠ければ選定があるでしょう?そうなればなぜ翠子が減ったのかも知られてしまう心配もあって、混乱を避けるためにも書類上埋めておく必要があったのです」
まあ納得はできたけれど、もっと早く聞いておけば良かったと菖蒲は反省するのだった。
しかし、ここで疑問がでる。
その翠子は純潔なのだろうか?
それでは翠子は一人足りないままなのでは?
菖蒲の顔を見て考えている事が分かった母は続けた。
「帝の妹君は子を成していたのです。女の子でしたから親の身代わりに翠子となる事が決まりました」
そして、神官の方も重い罰が下るだろうと。
なんとも後味の悪い結末で、聞きたくなかったと菖蒲は青ざめる。
しかし、これだけは言っておかなければと菖蒲は意を決して顔を上げた。
「それで母……尚司様、私の縁談は」
お断りできないのかと言う前に睨まれては、さすがに言い出せなくなってしまう。
「先方には待って頂いているのですよ。あなたが初潮を迎えたら裳儀を行い正式な婚約をするのです」
裳儀とは女の子が大人になったことを示す儀式である。
菖蒲は初潮が来ないことを強く願ったのだった。