13 つつしみを
菖蒲は宝珠にならって薄衣を被り、誰のものか分からない大きな靴を拝借して庭へと降りた。
お菓子を探してキョロキョロと見回していると突然視界が明るくなる。
振り向くと、菖蒲より頭一つ背の高い異国の男の子が剣を手に立っていた。
剣の柄には薄衣が引っ掛っている。
瞳は赤茶色なのに髪は猩々緋のように赤く、肩にかかる長さの髪を一つに纏めている少年は、不機嫌そうに見下ろしてくる。
「おい、お前」
乱暴な言い方に驚いて、光翠語だと気づくのが遅れる。
「ひうっ!」
優しく接っしてくれる殿方しか知らない菖蒲は怖くなって涙が滲むと、慌てたように薄衣を被せられた。
「いきなり泣くなよ。何もしてないだろ」
その言い方にまたも涙が溢れてボロボロと泣きはじめると、舌打ちが聞こえてきて思わず顔をあげた。
頬に何かが当たり、すぐに唇を押し付けられたと分かると涙も止まる。
父以外にされたことはなく、もしかして泣き止むおまじないかな?などと検討違いな事を考えていると
「女はすぐ泣くから苦手だ。面倒だから質問にだけ答えろ」
勝ち気な瞳にまたも見下ろされて、菖蒲は思わずはいと返事をした。
「よし、なら質問だ。お前はどうして布を被る?それとアイリスを知っているか?」
あいりす、アイリスーーそれは菖蒲の名前を父の国の言葉にしたときの音だった。
ポカンとしていると、いきなり少年の頭に拳が飛来する。
鈍い音と共に頭を抱えてうずくまる少年の襟首を掴んで軽々と持ち上げる、祖父より素早い動きで殴った異国の殿方に、菖蒲は物語に出てきた騎士というものを思い出した。
菖蒲の倍近く背がありそうなその大男は、菖蒲には聞き取れないほどの早口で異国の言葉を話している。
おそらく何か怒っているのだろう、今度は少年の方が涙目だ。
この方こそ祖父の言っていた親善試合に出られる騎士様ではないだろうか。
大男が突然向きを変えて膝を折ると、菖蒲の小さな手をとりその甲に口づけた。
「息子が失礼をしたね」
菖蒲は顔から火を吹くのではというほど赤くして、久しぶりに大きな声をあげたのだった。
なかなか戻らない菖蒲が心配な宝珠は、なんとか姫達のお相手から抜け出して探しまわっていた。
ちょうど渡り廊下から菖蒲らしき姿が庭にいることを確認すると、異国の少年が菖蒲に口づけているのが見えた。
あまりの事に驚いてしまったがなんとか助けに行かなければとまごつくうちに、今度は大人の男が膝まづいて菖蒲の手を取っている。
菖蒲の絶叫は神殿の敷地の外にまで響き渡たるほどだった。
間に合わなかったことに責任を感じつつも、菖蒲の迂闊さに宝珠は少し不機嫌となる。
視線が集まるなか、宝珠は菖蒲の手を引っ張り神殿の中へと急いだ。
適当な部屋に入ると、まずは落ち着かせようと顔を隠している薄衣をめくる。
茫然自失となった菖蒲は、うわ言のように大丈夫だとか気にしていないと繰り返す。
そのうち、混乱してきた菖蒲は
「どうして会ってくれなかったの」
と詰め寄ったかと思うと
「宝珠は女の子の衣装だとお姫様だわ、可愛いすぎる」
などと抱きついて、文に書いてあった礼儀作法や姫らしい振る舞いをすっかり忘れているようだった。
気が立っていた宝珠ははじめて菖蒲に対し声を荒げる。
「女の子の衣装はあやめちゃんのために着たんです。苦労して会いに来たのに、君ってひとは僕を置いて部屋を出てしまうし、異国の客人には顔を見られて破廉恥なことを許すし、もっと慎みを持った方がいいんじゃないですか?」
それは菖蒲には改心の一撃ともいえる衝撃となった。