12 恥じらい
桜も満開、絢爛たる春の宴
都のはずれにある神殿の風光明媚な庭を借りて催されたその宴は、異国からの使節を歓迎するためのもので、桜の花を楽しめるようしつらえてある。
桜の木々の奥には大きな池があり、舟遊びに興じる者や、酒を注いだ盃をに小川に浮かべて池に流れ着く前に和歌を読み飲み干すという遊びをしている。
菖蒲はというと、未婚の乙女達は殿方の前に出るものではないと神殿の庭が見下ろせる一角に押し込められていた。
御簾越しに桜や池が眺められるものの、久しぶりの外出に喜んでいた菖蒲にとっては納得がいかない。
「私も外で花見がしたかったわ、異国の方を間近で見る機会なんてそうそうないんですもの」
意外にも同調してくれたのは中納言家の雛菊で、それを嗜めたのは大納言家の撫子だった。
「今日はあくまで歓迎の宴よ。異国の方だけでなく、公達も多く集まっているの。それとも殿方に顔を見られてもよいの?」
菖蒲はひとり、顔を見られることの何がいけなのかと思いはしたが口には出さなかった。
すると知り合ったばかりの内大臣家の八の姫、葛葉が顔を両手で覆う
「困るわ、顔を見られたら縁談がこなくなるもの」
顔を見られたら縁談が来なくなる……菖蒲は頭の中に書き込んだ。
中納言家の雛菊が優しく微笑みながら気の弱い葛葉の肩を撫で。
「そんなこと分からないわ、もしかしたら見初められるかもしれないもの」
そんな可能性だってあるわよね。
雛菊は物語が大好きで少し夢みがちな性格、故に恋愛には楽天的だ。
「そうかしら?はしたない姫だと軽蔑されるかもしれなくってよ」
高飛車にいい放ったのは太政大臣家の一の姫の瑠璃様だ。
この遊びの会の中でも1番身分も高く、年長の12歳にして、美貌も頭の良さも1番だろうとされている才色兼備。
いづれは帝か東宮の元へ入内するのではと噂されている事もあって、皆で様を付けて呼ぶようにしている。
菖蒲はこの少し高飛車な姫が苦手だった。
「瑠璃姫様のお顔なら、殿方もこぞって見たいと思うでしょうね」
「それなら恋の病にかかる殿方で都中が溢れてしまいますわ」
出た!瑠璃姫の子分達、結果的に他の姫に縁談は来ないとでも言いたいのか。
菖蒲の心はげんなりと嫌な気分だ。
葛葉がヨロヨロと意気消沈するのを見て、菖蒲はポロっと
「普通の殿方はどういった女性を好むのかしら?乳母からは淑やかであれと言われるけれど……」
言ってるうちに、しまったと思うが言葉は取り戻せない。
「それはつまり、ハッキリと物言う私は淑やかには程遠いと、殿方には好まれないということかしら?」
菖蒲は瑠璃姫を敵に回してしまったようだ。
そこまで言ってはいないが、自覚はあったのかと関心させられる。
何かあると助けてくれる撫子が、扇を口元に当ててにこやかに
「まぁ瑠璃様、それは違いますわ。菖蒲様は快活な方だから淑やかにと言われるのでしょう。それに普通の殿方では瑠璃様のような凛とした方にはそぐわないと思いますの」
いまだに快活が褒め言葉でないことに気づかない菖蒲は、瑠璃様の怒りが収まったことに内心ホッとする。
普通の殿方ではなく、高貴な公達でなければ太政大臣家に釣り合わない。
淑やかにせずとも高位の殿方と結ばれるであろうことは明白だ。
大納言家の姫に持ち上げられたのでは瑠璃も居心地が悪い。
そして、左大臣家とはいえ孫でしかない異国人を父に持つ菖蒲に対して「様」を付ける事に瑠璃は疑問を感じた。
「撫子殿はずいぶんと菖蒲殿を尊重しているのね。親友なのかしら?」
撫子は朗らかかに笑ってみせると
「まさか親友だなんて。菖蒲様の母君に睨まれては我が家から入内する折りに色々と……」
瑠璃もまたなるほどと理解したようだった。
「母上がなにか?」
菖蒲はよく分かってはいないが、菖蒲の母紅葉は宮中にて官職を賜っており、尚侍として働いている。
「でも菖蒲様は面白い方だから、親友になれたらとは思っていてよ」
にっこりと笑む撫子に、菖蒲は思わず抱きついた。
「女の子でそんな風に言ってもらえたのは初めてよ。ありがとう撫子」
つい呼び捨てにする非礼を犯した菖蒲に気にした風もなく
「あらまぁ、はしたなくてよ」
と撫子が涼しい顔であしらっていると
「随分と楽しそうですね」
いつの間に居たのだろうか、御簾の向こうに薄衣を頭から被った姫が声をかけた。
顔は見えなくても、菖蒲にはすぐに誰か分かって声を弾ませる。
「宝珠!」
すると他の姫達がざわめいた。
ほら、例の君じゃない?でも女の子の衣装よ。
「あやめちゃん、宝珠です。久しぶりになってしまいましたね、お招きありがとう」
御簾の外の廊下に座ると薄衣を外す。
話題の可愛いらしい男の子の登場に、驚きや黄色の声をあげるなか、瑠璃だけは驚いたように目を見開いていた。
「姫君方には初めてお目にかかります。僕はまだ子供ですが恥じらう乙女心も尊重したいですし、どうでしょうか。どうかここにいるのは姫ということで、御簾越しにまぜて頂けますか?」
さすがに顔が見える御簾のなかへ入るのは不躾すぎるだろうからと遠慮すると、人差し指を口元に当て見えないはずの御簾の先に居る瑠璃の方へと微笑む。
顔を見られたら云々の話は聞かれていたようだ。
「そうですね、今日は春風とでもお呼びくださいね」
中納言家の葛葉は顔を赤らめると
「春風の姫君、お声だけなら」
蚊の鳴くような声で受け入れるのだった。
菖蒲はその光景にあの恋愛の物語を思い出す。
もし私が宝珠と婚約をしていたとして、主人公は葛葉だろうかと。
「私って、悪役令嬢かしら」
ポツリと小さく呟いた声は、姫君達の声に書き消された。
それからは春風の姫君に話題が集まり、いつの間にか菓子や甘酒が足りなくなっていることに気づいた菖蒲は、お菓子を追加しようとそっと部屋を抜け出す。
これではみんなが帰るまで宝珠とゆっくりおしゃべりもできない。
側に控えているはずの女房達もどうやら花見にでも行ってしまったらしく、お菓子を貰うためには宴の賑わっている方が良さそうだと庭へと足を向けた。