五
中学校から高校まで私立の女子校に通い、ほとんど父親が帰ってこない家でおもに母親と姉と暮らしてきた実夏さんにとって男性のいる大学のキャンパスは少し息苦しいものがあった。しかし中学高校の時に通った塾にも男の子はいたし、女子校にだって男性の先生はいた。だから男性の前でも大丈夫という根拠の無い自信と少しの不安、そして胸おどるような期待を心のポケットにしまって実夏さんは大学生活に立ち向かおうとしていた。
しかし、サークルの新歓時期のごたごたを消極的に乗り切ってしまい、どこのサークルにも所属しなかった実夏さんは、心のどこかで寂しさを感じていた。もともと人付き合いに積極的になれない実夏さんはどこの授業でも友だちを作ることに失敗していた。何が悪いというわけではない。小さな失敗がどうしようもない歯車の回転に乗っかってしまい、偶然に悪い噛み合わせをしてしまっただけなのだ。
そんな状況で、ただ大学に通い、帰りは駅前の商店街で独りでご飯を食べて家に帰るという味気ない日々を実夏さんは繰り返していた。そして四週間がたったある英語の授業、退屈な授業が終わって席を立とうとした時に、目の前に男性が立った。その顔をちらりとだけ見て、実夏さんは恐怖を覚えた。思わず顔を伏せてしまった。その目線の先に、男性は紙片をすべりこませた。
何かが書かれていた。実夏さんはそこに書かれているものを読み取ろうとした。何やらメールアドレスらしきものが書いてあった。
「それは僕のアドレスです、あとでいいからメールをください」
実夏さんの頭にカッカッと血がのぼった。体中の汗腺が開くのを感じた。とりあえずその場から立ち去りたかった。早くその男性が立ち去ることを念じた。そのことを繰り返し繰り返し念じ続けると、その念が効いたのか、男性は目の前から立ち退いてくれた。ざわめく周囲から男性の気配が消えると実夏さんはすっと立ち上がり、足早に去った。教室から出たときに、あ、あの紙を持っておけば良かったと思ったけれど、もうどうしようもなかった。あの席に戻ることなんてできやしなかった。
大学の授業が終わるとその日のうちに実夏さんはケータイショップに向かった。そして店員のわけのわからない説明を聞き流すと
「一番使いやすくてかわいいのをください」
と店員に頼んだ。そして生まれて初めて実夏さんは自分のケータイとメールアドレスを持ったのだった。そして実夏さんは陽気なステップを踏んで家路につきながら、ぜったいに最初はあの男性のアドレスを登録するんだ、と激しく鼓動する小さな胸で誓った。
翌週、実夏さんが英語の教室に入ると、先週の男性が天井をながめていた。天井の模様でも眺めているのかしらんおもしろい人と思って、その男性の隣に立った。そしてガチガチと歯の根が合わないあごを食いしばり、右手の人差し指でその男性の肩を叩いた。
男性がぱっちりと目を見開いて実夏さんのことを見やる。そして
「あ、あの、その」
とわけのわからないことをつぶやいている。先週の勇気はどこにいってしまったんだろうと実夏さんは不安に思った。しかし先週のこの男性の勇気にお返しをするように
「メールアドレスを教えてください」
とか細い声で言った。しかし返事はすぐには来なかった。男性は目をぱちくりさせている。この男性は頭が悪いのかしら、とがっかりしかけた。そして実夏さんはいらいらとしてきた。
「私のアドレスを知りたいんじゃないの?早く教えなさいよ」
そう言うと男性はあわてた様子でリュックの中からケータイを取り出した。そしてメールアドレスを液晶画面に表示させた。
「こ、これです」
「ちょっと待ってて」
何どもってんのこの人?と思いつつ実夏さんはそのメールアドレスを見た。どこかで見たことのある文字列だった。あたりまえか。実夏さんは慣れない手つきでそのメールアドレスを送信メール作成画面のアドレス欄に打ち込んでいった。すると男性が
「どうして、アドレスを聞こうと思ったんですか。先週はことわったのに」
とマヌケなことを尋ねてきた。本当にどうしようもなくマヌケな質問で、そのマヌケさがまた実夏さんをいらいらさせた。だから意地悪なことを言ってみたくなった。
「先週はいきなり声をかけられて恐かったから逃げただけよ。変質者かと思ったわ。それでよくよく考えたらそのままにしていたらいつか粘着質のあなたにつけねらわれて殺されるかもしれないと思って、今日こうやってアドレスを聞いたってわけ。悪い?」
我ながらひどいことを言ったものだと思った。
「大丈夫ですよ。僕は人を殺したりなんかしません」
ああ、やっぱりこの人はマヌケだ。冗談なのに。
「何言っているの?冗談にきまってるじゃない。私の名前は鳴門実夏。漢字はあとでメールに書いておくから」
「あ、僕の名前は森永駿介です。」
シュンスケをどの漢字で書いたらいいのかわからなかった。
「その漢字もメールで書いておいてね」
「はい」
そうやって話しながら一生懸命に実夏さんはおじさんのアドレスと電話番号を自分のケータイにたたき込んだ。入力が終わるとケータイをつき返し
「じゃあ、あとでメール送るから」
とわざとぶっきらぼうに言うとくるっとまわって自分の席にもどった。
「あ、はい」
という男性のマヌケな声を背中で聞いた。
授業が終わると実夏さんはやはり足早に去った。そして家に帰るとベッドに自分の身を横たえた。そして激しく後悔した。なんでもっと可愛い言い方ができなかったんだろうと自分で自分を責めた。そして自責の念にかられながら男性にメールを送った。それが実夏さんが他人に送った最初のメールだった。
いつのまにか実夏さんは森永と名乗る男性に食事に誘われていた。男性と食事に行く、そんな初体験の幸福感に実夏さんは酔いしれていた。
「何が食べたい?」
という質問に実夏さんは悩んでいた。実夏さんが答えた料理を森永さんが嫌いだった場合のことを心配していたからだ。嫌いな料理を食べに行った森永さんが自分まで嫌いになってしまったらどうしよう。そんなことを心配していた。そのため実夏さんは
「なんでもいい」
と答えた。そして当日、時刻表でちゃんと電車の時間を調べて、指定された待ち合わせ場所に到着しようとした。でも乗り継ぎやなんやかんやで余計に時間がかかってしまい、結局待ち合わせ時間に遅刻してしまった。しかし校門にちゃんと森永さんの姿があって安心した。そして実夏さんは森永さんにつれられるがままについていった。そしておしゃべりをした。意外と話せる男性であることに驚いた。そしていつのまにか商店街に入ろうとしていた。実夏さんは尋ねてみた。
「今日はどこで食べるんですか?」
すると森永さんは笑顔で答えた。
「つけめんでおいしいくきくき亭ってところだよ」
実夏さんは悩んだ。男性はデートに女の子をつけめん屋につれていくのだろうか?だんだん森永さんにとって自分という存在がどんな意味を持っているのか、疑わしくなった。このさわやかな青年は鳴門美香という存在を単なるクラスメイトぐらいにしか思っていないのかしら、どうなのかしら?そして二人はつけめん屋に入っていった。小汚いけれど悪くない店だった。
「この店はみそつけめんがおいしいんだよ」
というので実夏さんは森永さんの注文したのと同じものを注文した。何を注文したのかはすぐに忘れた。実夏さんは悩み事にとらわれているために目の前の森永さんと話す余裕がなかった。森永さんも何も話しかけてこなかった。みそつけめんが来た。実夏さんはひたすらに黙って麺をすすった。そしてずっと悩み続けていた。悩みの答えはすぐ目の前で麺をつゆに浸しているのに、独りで悩み続けていた。そんな実夏さんに森永さんは話しかけてくる。能天気な人だと思った。
「おいしいね」
「…」
「麺によくからむね」
「…」
「けっこう味がこいかも」
「…」
二人とも食べ終わった。それでも実夏さんはうつむいてじっとしていた。森永さんは伝票を手に取り、実夏さんに言った。
「じゃあ別々に払おうか」
それで実夏さんの悩みは解消された。そうだ、目の前のこの男性は自分のことを好きでもないのだ。ただのクラスメイトだと思って、こんなつけめん屋につれてきただけなんだ。自分に魅力なんて感じないし、かわいいとも思っていないんだ。実夏さんの視界はせまばった。実夏さんは立ち上がると足早にカウンターへ行き会計をすませて店を出た。そして森永さんが会計をすませている間に小走りで曲がり角に入った。そして回り道をしながら駅に向かった。途中でメールが鳴ったけれどすぐに削除した。実夏さんにメールを送れるのは世界中で一人しかいない。実夏さんは独りで家に帰った。なんだかバカにされたみたいでとても悲しかった。
次の英語の授業に実夏さんは出席した。なにもあんな男のことでせっかく授業料を払った授業を欠席することなんてないのだ。実夏さんの横に人の気配がした。実夏さんはパラパラと教科書をめくり、せわしない動きを続けて聞かないようにした。
「あれからどうしたの」
男の声がした。実夏さんは答えなかった。その男はずっと実夏さんの隣に突っ立っていた。体の右横に熱い視線を感じた。それでも実夏さんはずっと教科書を見たり何やらノートに書いたりしておじさんのことを無視し続けた。先生が入ってきた。その先生は女子大生の横でいつまでも突っ立っている男子学生を見ると注意した。
「ほら、君。早く座りなさい」
男は去って言った。ばかみたい、と実夏さんはつぶやいた。それからずっと、同じ英語の授業をとっていたけれど実夏さんと森永さんは一言も口をきかなかった。実夏さんが遠巻きに見かけるたびに森永さんの顔色がだんだんと悪くなっていることに気づいた。それでも実夏さんは森永さんを無視し続けた。
夏休みになって、実夏さんはありきたりな休暇を過ごした。母親と東北をまわったほかは家でのんびり読書などを楽しんだり高校時代の気のおけない友人たちと街にくり出て遊んだりした。高校時代となんら変わりのない平凡で退屈な夏季休暇だった。
秋になり、授業が始まった。秋から実夏さんは新しい授業を登録していた。それは一回ごとに役所や企業で働いている人たちの話を聞いていくという授業で、大学側が学生の働く意欲を喚起しようとしたのか、単に企業とつながりを持っておきたいと意図したのかは誰にもわからない。そういった大学側の意図なんてお構いもせずに、実夏さんは単に好奇心からその授業をとることにしていた。最初の授業は内務省の役人だった。鼻がキリリと高く、意志の強そうな感じがした。ときどき鼻の横を左手の人差し指でかく癖があった。実夏さんはその話の中でスライドに映し出された「わが国の人口整理計画」に興味を持った。それは確かにスライドに映されていたのだが、そのお役人さんは時間が無いからとそれをすっ飛ばしてしまったのだ。その魅力的な文字列にたまらなく気になってしまった実夏さんは授業が終わると扉に直行する学生をすりぬけて教壇の前に立った。そして後片付けをするお役人さんに質問をした。
「あの、すみません」
「はい?なんでしょう」
「質問があるのですが」
「はい、いいですよ」
気さくな人だった。
「人口整理計画について聞きたいんですが」
するとお役人さんは左手の指で鼻の横をかいた。ジッと実夏さんの顔を見ている。実夏さんは背中に何か寒気のようなものが走るのを感じた。長い間合いの後でお役人さんは話し出した。
「そうですか。それはここでは話せません。もし連絡先を教えてくれれば、後でメールで送ります」
実夏さんはケータイのメールアドレスをお役人が差し出した紙に書いて突き返した。お役人さんはそれが何か大切なものであるかのように指と指の間にはさんで受け取るとポケットにしまった。
「では、今日中に連絡を入れます」
そのお役人さんは工藤と名乗った。
その日、実夏さんのケータイに入ったメールは人口整理計画について、ではなくデートのお誘いだった。
「やはりメールでは書けません。ぜひ、直接喫茶店などで会って話したのですが」
森永さんのぼやけた顔が頭をよぎった。でももうあれ以来連絡は無かった。だから森永さんに義理をつくす必要は無い、そう思った。そして実夏さんは
「わかりました。お会いしましょう」
と返信した。
週末、実夏さんは待ち合わせ時間の二十分後に大きな駅の喫茶店にやって来た。工藤さんはそれでもコーヒーをすすりながら待っていた。二十分間も工藤さんが待っていることに実夏さんは驚いた。
「喫茶店だから何時間待っていても苦痛にならない」
と工藤さんは言った。それから近くにあるホテルに入った。実夏さんは抵抗があったけれど結局、用意された部屋に入ってしまった。
工藤さんは実夏さんに服を脱ぐように要求した。実夏さんは言われるがままに、服を脱いだ。実夏さんが肌着だけになったときに、工藤さんは力任せに実夏さんを押し倒した。実夏さんの眼から涙がこぼれそうになった。それにはかまわず、工藤さんは行為を続けた。一時間後、まるで一枚のちゃんとした書類を完成させるように、工藤さんは仕事を終えた。実夏さんの抜け殻だけがベッドの上に残された。それは一連の完遂した作業だった。
こうして実夏さんは工藤さんの公的な愛人となり、人口整理計画の全貌を知った。
それから一週間に一度だけ実夏さんは工藤さんと会った。会うたびに違うホテルの違う一室で実夏さんは裸になり、全てを工藤さんに委ねた。口も耳も手も足も、肝臓や腎臓さえも、実夏さんは全ての器官を工藤さんに侵された。実夏さんの肉体で工藤さんに侵されていない器官はひとつも残されていなかった。ただ実夏さんの精神だけが工藤さんから自由だった。そして別れるときに必ず、工藤さんはお小遣いと称して実夏さんに一万円札を五枚渡した。一ヶ月で実夏さんは二十万円を工藤さんからもらった。二十万円の代わりに一ヶ月のうちの四日だけ、実夏さんの肉体は工藤さんのものになった。
自分の上で蠢く工藤さんを感じながら、実夏さんはこれでも良いんだ、と思った。子供ができないように工藤さんは注意してくれるし、傷が残らないように優しくしてくれる。それにお金だってもらえる。一女子学生には高額すぎる報酬だ。「若さへの代償だ」と工藤さんは言っていた。実夏さんは、自分が若くなければいったい何万円しかもらえなかったのだろうと思った。具体的な数字は思いつかなかった。長く重苦しい震えの後で工藤さんの動きは止まり、ただの肉塊となった。老いかけて腐りかけた肉塊。自分の体の隅々まで自分を侵す、醜い肉塊。
十月、十一月、十二月、一月、二月、三月と実夏さんはホテルで工藤さんからお金をもらった。両親には塾講のバイトをしていると嘘をついた。大学のキャンパスと英語の授業で、実夏さんは森永さんとすれちがったけれど、実夏さんはとても森永さんと話すことはおろか、顔を合わせることもできなかった。未だに大学に友だちのいない実夏さんにとって森永さんは大学と自分とをつなぐ架け橋になるはずだった。しかし、その架け橋はもう壊れかけつつある。実夏さんの体はここには存在せず、もうこの世界には存在せず、ただ心だけがキャンパスを漂っていた。誰かと話すための口も、誰かの声を聞くための耳も、もう実夏さんのものではなかった。
三月、裸になって工藤さんに抱かれた。作業が終わり、工藤さんはシャワーをあびていた。実夏さんは裸のまま、仰向けになっていた。寒さに震えて、足先から、手の先から感覚が無くなっていくのを感じた。
「冷えるね」
とタバコに火をつけながらシャワー室から出てきた工藤さんは言った。タバコの煙は嫌だと言っているのに工藤さんは聞いてくれやしない。
「実夏さんは冷え性だったっけ?」
「わからない」
だんだん、感覚や血の気は腕や脚から退いていって自分が凝り固まっていくのを感じた。物体、いや自分が道具になったような気がした。道具、そう、実夏さんは道具だった。工藤さんの性欲のもやもやを解消するための道具であり、内務省の人口整理計画の道具だった。その道具としての報酬が一ヶ月二十万円だった。
実夏さんは大学二年生になった。二年生になっても公的な愛人関係は続いた。四月十五日の午前零時になった瞬間に森永さんからメールが来た。開いてみるとお誕生日おめでとう、と書かれていた。何か心のまわりで凝り固まっていた滓が少しずつ溶けてほどけていくのを感じた。実夏さんは一週間、今の自分が森永さんと向き合えるかどうかについて悩みに悩んで返信をした。
「ありがとうございます。今度つけめんをおごってください」
そして森永さんと実夏さんはつけめんを食べに行った。実夏さんは前食べたところで良いと思っていたけれど、森永さんは違う店に案内した。店に入る前と店に入ってから二人はずっと話していた。実夏さんは森永さんの良い所を見つけた。それは一緒にいるととても安心させてくれる所だった。食べ終わると森永さんは伝票をつかんだ。
「まとめて払うよ」
実夏さんは森永さんに払わせるのは悪いと思った。そして財布に手をかけたけれど、その手は震えて止まってしまった。こんなお金で二人の食事代を払うことなんてできない。実夏さんはうなずいた。
「あ、はい」
森永さんがにっこりと笑うのを見た。実夏さんは店の外で待っていた。支払いをすませて店から出てきた森永さんはじっと実夏さんのことを見つめている。
「どうしたの?」
と実夏さんは不思議そうに小首をかしげて言った。
「いいや、なんでもない」
そう、森永さんは答えた。その日はそれだけで、二人は家路についた。実夏さんは幸せでいっぱいだった。人間でいられる喜びを森永さんと知った。
実夏さんはもっと森永さんと会いたかったけれど、工藤さんの愛人であると言う事情がそれを妨げた。実夏さんは工藤さんに森永さんのことを告げた。工藤さんは露骨に嫌な顔をした。
「その男の子と実夏がどういう関係になろうが私はかまわない。でも私がいいと言うまでその男の子と食べに行ったり遊びに行ってはならない」
「結婚?」
工藤さんの言った内容よりも、その中のあまりに唐突すぎる言葉に実夏さんは首をかしげた。
「そう、実夏はその男の子と結婚しなさい」
まるで預言のように工藤さんは告げた。悪くない、と実夏さんは思った。
「はい。でも結婚するのになぜ会っちゃいけないんですか?」
「あまり男の子と会いすぎると、そのうち飽きられるぞ。」
森永さんはそんな人じゃない、という確信があったけれど実夏さんはその言葉に従った。
森永さんと実夏さんはまるで遠い世界にいる恋人のようにメールで愛を紡いだ。森永さんから度々デートの誘いがあったけれど、実夏さんは全て用事があるからと断った。とても心苦しかった。それでも森永さんの自分への重いが途切れないように優しさを込めて返事を返した。
そして、週に一度、実夏さんは工藤さんの道具となった。森永さんに会いたい気持ちはあったけれど、道具となった自分が森永さんにどんな顔をさげて会いにいけばいいのか分からなかったのだ。会えないまでもメールでつながってさえいれば、地球のどこに二人がいようとかまわない気がした。
大学四年生になった。実夏さんの就職はすでに工藤さんのコネで内務省に決まっていた。森永さんはなかなか決らなかったようだった。そして夏が過ぎて、卒業間近の二月になった。実夏さんは森永さんにつけめん屋に呼ばれた。工藤さんは会ってもいいと許可を出した。森永さんは結婚しようと言った。体の奥底から喜びがわきあがった。
そして実夏さんは卒業し、工藤さんの公的な愛人から解放されて森永さんの妻になった。しかし愛人から解放されるときに工藤さんは条件をつけた。
「片親が●の子供は●の可能性が強い、だから子供のためを思えば○の遺伝子と○の遺伝子をかけあわせた方がよい。そうすれば絶対に○印の子供が産まれる」
と言われて、最後は、工藤さんは避妊をしなかった。実夏さんは抵抗したけれど、力で組み伏せられた。
あとで、工藤さんが嘘を言っていたことを、実夏さんは知った。
工藤さんの嘘は、実夏さんだけが知っている。




