3.電報
4月に入って、こちらはとりあえず普通に仕事をこなしていたが、しばらくして労働局長の助言・指導が不調に終わったとの連絡が入り、いよいよ次の手を考えないといけなくなった。正直に言って、この会社で長く続けるつもりもなかったし、素直に次の仕事を探すのも選択肢ではあったが、自分の中では、1ヵ月後にクビにするにもかかわらず、最後の1ヵ月の給料を下げることが何より納得がいかなかった。
4月下旬、その月の自分の作業と引き継ぎ資料の作成をあらかた終わらせてから、残りの日は強引に有休を取って(それまでは会社は退職者にもほとんど有休を取らせなかった)今後に向けての準備に当てることに。まずは霞ヶ関にある弁護士会館に出向いて相談してみることにした。
一応、その時点で訴訟を起こすことも視野に入れていたが、最初は、費用もかかるので本人裁判で行こうと思っていた。しかし、弁護士の人が言うには、労働裁判は特殊なので、自分でやるのは得策じゃない、もし訴訟を考えているのなら弁護士を紹介する(規定で法律相談を受けた弁護士はその案件を受けられないそうだ)とのことだったので、早速紹介してもらった。
ちょうど、紹介してもらった弁護士事務所は当時住んでいた場所の近くだったので、それから何度も自転車で通うことになるのだが、その弁護士さんに会って再び事情を説明し、じゃあやりましょう、ということになり、長いようで短いその年の夏が始まったのである。
4月29日、M社宛に、解雇は無効であり自分はまだM社の社員であること、5月1日以降も出社する意思があること、出社を拒否した場合は訴えを起こす用意があることを明示した書面を内容証明郵便で送付した。果たしてどんな反応をするかと思っていたら、翌30日、自宅に会社から電報が届いた。電報には、
「出社に及ばず。」
その一言だけが書いてあった。