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1.プロローグ

 あの年の夏は、いつもの夏とは違う夏だった。基本的に自分は、争いごとは苦手なタイプだと思っているので、そんな経験をするとは思っていなかったのだが、この時の経験が、その後の自分に及ぼした影響は小さくないと思う。もうあれから4年以上が過ぎた。すでに記憶があいまいなところもあるのだが、これ以上忘れないうちに、覚えてる範囲でこの時のことを書きとめておこうと思う。


 2002年6月、当時大阪で派遣社員でプログラマーをしていた自分は、何気なく求人サイトを見ていて、興味のありそうな仕事にいくつか応募してみたところ、東京のあるWebコンテンツ制作会社(ここではM社とする)から、面接に来てほしいと連絡を受けた。交通費はかかるけど、ついでにちょっと遊んでくればいいかと気軽な気持ちで面接に出向いたら、なぜかあっさり内定をもらってしまい、早速来月から来てほしいと言われた。


 まあ正社員だし、条件も悪くないし、一度地元じゃないところで仕事してみたかったので、急いで部屋を見つけ、引越しの準備をして、東京にやってきたのは2002年6月30日のこと。W杯の決勝戦をテレビでやっていたのを憶えている。


 早速翌日から仕事。面接のときはそんなに気にはならなかったが、経営陣はかなり癖のある人たちで、会社では怒号が飛ぶのも珍しくなかった。それでも自分が怒鳴られてるわけではないし、こっちはやることをやっていればいいかと思いつつ、普通に仕事を続けていた。


 ここで先に、M社の構成について簡単に説明しておく。会社は、大手プロバイダを中心に有料のWebコンテンツを提供するのが主な業務内容で、経営陣のトップは会長、その下に社長がいて、他に会長の妻を含む非常勤の取締役が2人。もともとは役員の一人が起こした小さな会社に、関係していた他業種の同じ会社で上司と部下だった会長と社長が脱サラして経営者として参加したベンチャー企業だったが、実質的には会長のワンマン経営だった。


 とりあえず最初の2ヶ月は試用期間ということで、当時は法的な知識もなかったので、社会保険に加入されていないのもそのためだと思っていたが、2ヶ月経っても加入してくれる様子はなかった。それでも仕事自体は面白かったし、一緒に仕事をしていた人たちとも仲良くやってたので、自分はそれなりに仕事をこなしていた。


 しかし、その年の秋頃から仕事が忙しくなってきて、それとともに会社の雰囲気も悪くなってきたような気がしていた。そして、年が明けてからはそれがますますひどくなってきて、何人かは会社を去っていった。会社の人たちと飲みに行った席などでも、自然と会社の愚痴や批判が口をついて出るようになっていた。

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