phase4
診察を受けるときにいつも足を開くが、今回、違うのは「お産のため」だということ。
片足ずつを固定する足の置き場があって、そこに足を入れるとき、からだが思うように動かなくてびっくりした。
動かないでくのぼう状態だった。助産婦の介助で入れた。
「子宮口が……八センチ。くらい、開いていますね」
「八センチですか!? うわぁ……」嘘みたいだ。
この二週間、診察されるたびに子宮口が開いていない開いていない開いていないと呪文のように言われていたのに。……ということは。
いよいよだ。
分娩であの体勢、そして「いきんでください」と指令がくだる。――押さえまくっていた過去五日間を考えれば神展開だった。
そして医師が出て行く(他のお産も立て込んでいるらしく)。
心細くなったところを、助産婦が声をかけてくれた。「いきむって分かります?」
「いえ分かりません」
「いたーいのが来たときにぐうっとお腹に力を入れるの。息を吸ってふぅーと息を吐きながらぐぅーっ、とね。ひ、ひ、ふぅ~、のほうがやりやすいかしら」
「あはい」
「力入れるとき、ハンドルをぐぅーっと掴むの」
「体操の懸垂みたいな感じですか」
「そうそう」
更に助産婦さんは説明を続けた。名を亀田トメという(分娩室に入ったときに丁寧に名乗ってくださった。しかし姑となることを運命づけられたかのネーミングだ)。
――陣痛の波がここから三分に一回間隔になる。ぎゅう~とお腹から少しずつ押し出して行くことで赤ちゃんが下に徐々に押し出される――わたしは知らなかったがこれが『いきむ』ことなのだ。
初産だと二時間ほどかかる、つまり四十回くらいはいきむということ。――絶望的なデータだ。
痛みの波が来る合間はトメさんと雑談をする余裕も出てきた。
「今日、沢山出産があったんですね」
「そうなのよ! おんなじ日に四人もお産が重なってねェ~。あ鈴木さんで五人目。……ひとりで待っていて、心細かったでしょう。ごめんなさいねえ」
「あいえ」丁寧に頭を下げられた。「あきた、きた」
「息を吸ってぇ~」
「ひ、ひ、ふぅ~~」
痛いのが来る。
ふぅ~のタイミングでものすごく力を使い、吐き出す。ハンドルを掴みながら腕を上にあげ、同時に、両足をめいっぱい蹴りだす。おなか全体に力を込める。
「ふぅ~」息を二回吐けそうだ。どうせ『いきむ』のならワンブレスじゃなくてツーブレス入れたい。
『いきむ』回数を出来るだけ少なくしたい。となると、二回いきんだほうが楽だと思った。
「そう、そう、上手、……ああもう一回いきむの。ふぅ~」
トメさんが気づいてわたしに合わせてくれる。「ふぅ~、……あらー、初めてなのにじょぉーずぅー。さーさ、いきんだらしっかり休んでねぇ」
二の腕と、内腿と腹筋と、……とんでもなく筋力を消費した。
出産が登山並みに辛いというのをいましがた理解した。体力・精神力ともにものすごく消耗する。
――『いきむ』のを十七回続けたころだろうか、医師が再びやって来る。この頃にはトメさんと雑談する余裕もなくなってきて、いきむとやすむのインターバル。――このとき医師がなにをするかと言うと、指を突っ込んで産道をかき回す。赤ちゃんが出てきやすいようにしてくれるのだ。
当然、痛い。
あまりの痛みに絶望的な気分にもなる。
誰かこの痛み代わってくれよと現実逃避したくなるのだが痛みが現実に呼び戻す。
トメさんとこの石川先生は上手に励ましてくれた。上手いこと褒めまくって気分を乗せてくれたし、声のトーンや言葉のチョイスが、なんというか、わたしと非常に相性が良かった。それがすごく幸いだった。――振り返るとすごく幸せなお産ができたと思う。
声をかけられなかったが、さりげに会陰切開や麻酔を打たれたりなどしたよう。
「あほらもうすこし。あと一、二回で行けそうだね。……よし。手伝ってあげよう」
腕まくりでもしそうな石川先生の調子。
腕まくりではなく、わたしのお腹の上のほうを両腕で押さえこみ、体重を思い切りかけた。
――そして、痛みの渦が再びやって来た。「ひ、ひ、」
がこん、とハンドルの音が鳴る。『いきむ』体勢を作り再び引っ張る。
出せるちからを全て引き絞って押し出した。
すると、
ずるん、と股のあいだから生温かいものが出る感じがあった。
「あほら、いきまないいきまない、力抜いてぇー」
ずるん、と頭が出て、続いて、からだが出てくる感じがあった。――ここをさっきのようにいきんでは、赤ちゃんの頭が変形しかねないので気をつけて、とトメさんから説明を受けていた。
――20時25分。
誕生。
赤ちゃんの泣き声も聞こえた。生まれた途端に赤ちゃんは泣けるんだなと妙に感動と納得をした。――へその緒を通して酸素を補給していたのが、生まれて初めて、肺から息を吸う。――これを、生まれて一秒足らずで出来るんだから、人間の生命力はすごいものだと思う。
「首にへその緒が巻き付いていたんだねー」
「え、本当ですか」
「うん。二重に巻き付いていたよ。赤ちゃんもお母さんも頑張ったんだねー」
「頑張ったわねーお疲れさま」
「……はい」
……幸せな疲労感。
赤ちゃんとへその緒がつながったフシギな感覚。
これは、体験したひとにしか分からないものだろう。
その後の処置は結構時間がかかった。
裂けたところを『縫われる』のはそれなりに痛かった。肉に針や糸の通るなんとも言えない感覚。大仕事に比べれば小規模な痛みだが。――出産のときもだが、わたしはびびりなので、なるべく見ないように、目を閉じるかうえを見るかしていた。
ほとんどを目を閉じて過ごした。
妊婦は出産すれば一息つけるが、石川先生とトメさんは忙しそうにしていた。縫合処理。後片付け。赤ちゃんの検査。――幸い、子どもは異常なし。耳も聞こえてるようだった。
「ほうら。赤ちゃん抱きましょうか、お母さん」
血みどろの赤ちゃんを抱くと、胸の奥からじわっとあたたかい感情が流れ来た。
トメさんがうちの夫を呼びに行く。
それから、おっぱいをあげた。生まれて間もないのにちゃんと乳首に吸い付く。飲む。
夫の、我が子を可愛がる姿にも感動した。産着にくるまれた子を、愛おしそうに抱っこする。わたしの手を握り、お疲れさま、と言ってくれた。
――そういうゆったりした時間を過ごしているうちに、遅れて疲れがやってきた。
寒くもないのに歯の根が合わずかちかち奥歯が鳴る。内ももが笑った。全身に、恐ろしいくらいの筋肉疲労を感じつつも、――
深呼吸をし、目を閉じて休んだ。




