デッドエンド?
悟達を乗せたシボレーは、目的地の奈弥文の別荘まであと一時間ほどの処まで来ていた。
奈弥文は車をすぐには停めようとはしなかった。
周囲に人の気配がない場所……逃げまどう人々も、それを追うゾンビもいない場所を探していたのだ。
やがて、一行を乗せたシボレーは人気のない山道バイパスに差しかかった。
「よし、この辺でいいか……」
上がり坂の急なカーブを曲がりながら、奈弥文は自らに言い聞かせるように呟き――。
その直後に、全く予期せぬ急停止を強いられた。
悟は息を呑んだ。
後ろで母の短い悲鳴が聞こえる。
カーブを抜けた先に、車が溢れかえっていたのだ。
そして、前方数台先の車や、血で真っ赤になった路上に群がっている化け物達……。
二車線、登坂車線、路肩を抜けて緑の茂みや樹木に突っ込んでいる車もあった。
見ると、急停止したとおぼしき観光バスが、まるで道路を封鎖するかの如く、行く手を塞いでいる……。
無い。
通り抜ける隙間は全くなかった。
「くそ!」
毒づきながら、奈弥文は車を猛スピードでバックさせ、方向転換しようとハンドルを切ろうとした。
しかし激しいクラクションが後方から聞こえ――
すさまじい衝撃が悟達を襲った。
シボレーはカーブを曲がってきた後方車両と衝突し、停止させられた。
大きな音に反応したのか、前方の車に群がっていたゾンビどもが一斉にこちらを振り返った。
様々なゾンビがいた。
男、女、老人、そして子供……。
どの車からか鳴り響くクラクションに、息切れのしないうめき声……亡者の叫びが重なる。
あるものは白目か濁りきった魚のよう目……あるいは、引きちぎられたかして、ただの空洞となっている黒い眼窩を向けながら――。
ゾンビ達は咆哮をあげ、シボレーに向かって襲いかかってきた。
「ああああ、くそくそくそ! なんでッ」
奈弥文はわめきながらも素早くギアをバックに入れ、アクセルを踏みつける。
幸いなことに後方の車両はすさまじいスピードでバックしていったので、後ろにスペースはあった。
方向転換しようと再び何とか動き出したシボレーだが、側面とフロントに数十という数のゾンビの群れが殺到する。
ゾンビ達は車体を叩き、揺さぶる。
フロントの上によじ登ろうとする奴もいた。
もはや後部座席の悟の両親は声も出ない。
健吾は窓からできるだけ身を離し、伊津子を守るように身を寄せている。
伊津子はといえばもはや外を見ようとはせず、背中を丸めて頭を抱えていた。
「ウワッ」
一番恐怖の矢面にさらされたのは、悟だ。
ゾンビ達は手で激しく窓を叩いてきた。
助手席のサイドウィンドウは血や唾液、吐瀉物……とにかくゾンビから垂れ流れ、まき散らされる体液で赤色や黄色に汚く染まった。
窓一枚越しにフロントとサイドにゾンビ達が肉薄する。
歯をむき出しにして、悟にかみつこうとする。
何体かのゾンビは、方向転換中のシボレーの下敷きになる。
ガクガクと車体が揺れる。
肉や骨が折れたり潰れる音が下から聞こえる。
昨日までは生きていたであろう人体に車体が乗り上げる震動……。
Uターンしきれないのでシボレーはもう一度バックした。
眼前には血と海が広がっていた。
体が捻れ、潰された状態で、まだ活動しているゾンビの姿もあった。
それらを踏みつけながらゾンビ達は前進しようとするシボレーに再度押し寄せた。
悟を凝視しながら窓を叩いていた長身の女のゾンビを、後方のゾンビ達が窓に押しつける。
すさまじい力がかかり、窓に頬をぴったりとくっつけられた女のゾンビの顔が正視できないほどに醜く変形した。
それでも女ゾンビは窓を叩き続け、悟に襲いかかろうと、歯をむき出しにしている。
ピシリ。
サイドウィンドウにヒビが入った。
さっきからシボレーの動きが微妙だ。
「奈弥兄さん! なにしてんの!」
「くっそッ、タイヤが滑る! 悟、逃げろ!」
「どこへッ? どうやってッ?」
「後ろ! 助手席やばい! 後ろへ行け!」
悟は急いでシートベルトを外そうとした。
しかし――ふるえる手が留め具を外すボタンを押した直後、ウィンドウ・ガラスが割れる音がした。
振り返ると、女ゾンビが割れた助手席窓から身を乗り出していた。
悟はシャツの襟首と肩を掴まれた。
引っ張られ、ゾンビの血泡にまみれた口が間近に迫ってきた――。
(ああ、もう)
悟はなにやらフワッとした眠気にも似た感覚に襲われていた。
窓の外へと引っ張られながら、悟は心の中で、今日の自分の行動を反芻していた。
(コンビニでは肝心なところで転けるし、今度はシートベルト外した瞬間に、窓ガラス割れて外に引っ張られて)
すでに感触がある。
のど元に食らいついているゾンビ……。
右腕に別の感触もある。
おそらく奈弥文か両親だろう。
掴み、引っ張ってくれている――。
うめき声、クラクションの音、家族の悲鳴と怒号。
眼球だけを動かし、外を見る。
周囲のものすべてが二重に見える。
全ての音が消えた。噛みつかれている感覚もなくなった。
そして、ピントが合わさるように、世界が一つに見えた。
すべて、見えるものは灰色。
モノトーンだった。
直後、悟の頭の中は真っ白になった。