第六章 啓示
遅くなってすいません。第六章です。
あれから一体どのくらいの時間が過ぎただろう。明かりの消えた部屋に、窓から月光が差し込んでいる。すでに夜となっていた。
「ぐすっ……、えぐっ……、ひっく……」
部屋の中では、アリスの咽び泣く声だけが木霊している。彼女の瞳から涙が頬を伝って床に零れ、紅い絨毯にシミを作っていく。励ましてくれる人なんて、いない。
魔理沙はあの後、何をしたのだろうか。少しくらいは私の事を考えてくれただろうか? それとも、今日の事なんて無かったのかのように、フランやパチュリー達と楽しく過ごしたのだろうか。さまざまな妄想が頭を巡ったが、真実を知る術などあるわけもなく、ただただ涙を流し続けるしかなかった。
いつも楽しそうに働く人形達は、冷たい作り物の眼で、棚の上から彼女を見下していた。心がない彼女達は悲しみを知らない。それは、ある意味では幸せなことだ。アリスの様に、絶望に打ちひしがれずに済むのだから……。
「…………?」
さらに時間が過ぎ、丑三つ時になった頃、突然、ドアが音もなく開いた。一瞬疑問に感じたが、今の彼女にそんな他愛もないことを気にしているほどの余裕はなく、ただ相も変わらず項垂れているままだ。それほどまでに彼女の心は摩耗している。もう、涙も枯れた。
――結局失敗したわね。哀れな子。
耳を通さずに頭に入り込んでくる嘲る様な声。この感覚には覚えがある。
「またあんたか……」
ゆっくりと顔を上げ、光を失った瞳でそちらを見る。そこにはつい先日出会ったばかりの人影。
――久しぶりね、自我。
「……まだたいして経ってないじゃないの、無意識」
無意識の自分が、再び目の前に姿を現した。アリスの感情的に泣き腫らした赤い顔とは対称的に、白く冷たい笑みを皮肉る様に浮かべている。
「……何しに来たのよ」
その彼女の態度が気にくわず、糾弾するように声を荒げた。
「そもそも、なんでここに居るのよ」
――さぁ、なんででしょうね?
こちらに近付きながら、クスクスと意地悪に笑う。足音が全くせず、まるで幽霊の様だ。
質問に答える意志がないと悟り、溜め息を大きくついて諦めた。自分と同一人物だというのに、相手が何を考えているのか全くわからないことが、アリスには不満だった。
そもそも、彼女の無意識がここにいるは何故だろうか。この前の一件では、古明地こいしの能力で無意識の世界に落とされたことによって出会ったのだが、今回は彼女と接触していない。
「……まぁいいわ」
しばらく疑問に考えを巡らせたが、そんな些細なこと、アリスにはどうでもよくなった。傍目から見たら、彼女が一人で呟いているだけかもしれない。しかし、無意識と対話できるのは、ある意味救いでもあった。
――で、フラれたみたいね。
「…………」
遠慮なく傷口に触れられ、再び口を閉ざした。できることなら消し去ってしまいたい事実だ。部屋に沈黙が戻り、時計のカチカチという無機質な音だけが鳴り続けている。
「……ええ、そうよ!! フラれたわよ!! 根本的なところから否定されたわ!!」
溜まりかねた想いが、心の箍を外し、枯れたと思われていた涙とともに、まるで呪詛の様に吐き出された。
しかし、その彼女の姿を見ても、無意識は眉一つ動かさず。
――私も哀しいわ。想い人に拒絶されたんだもの。
などと言うので、余計にアリスを苛立たせた。
「何をわかった風に口を利いているのよ!! どうせ私のことを馬鹿にしたいだけでしょ!! 私の気持ちなん……」
アリスの唇に無意識の人指し指が触れ、喧しい怒号を断った。その表情はさっきと打って変わった、優しげな微笑みで。
――わかるわよ。私は貴女なんだから。
「…………」
そう、彼女はどこまで行ってもアリス自身なのだ。だから、考えている事や感情は読まれて、もとい、共有されているのだ。
「私は……、どうしたら……。魔理沙に……」
アリスは自分の悩みを吐露した。彼女には自分のすべき行為を見つけることが、闇の中で小さなコインを探すことよりも困難に感じられたからだ。
それを聞いた無意識は、再び歪んだ笑みに戻った。そして彼女に優しく抱き着き。
――そんなの決まっているでしょう?
と囁いた。次に何と言われるか、アリスにはなんとなく予測できた。
そして皮肉にも予感は的中する。
――私だけを見る様にすればいい。力ずくでね?
その言葉は天使の導きか、悪魔の囁きか。ともかく、アリスにとって魔理沙を独占できることは切なる願いなのだ。……それはある意味邪望とも云える。
「……つまり、どうしろと?」
――もうわかっているでしょう? 今だって考えているくせに。
返ってきた答えに思わず息を飲んだ。自分の中に渦巻いている邪な目論見を実行するのは許されざることだと理解しているから、それしか手段が無いという事実を受け入れられなかった。
「私に……、あいつらを……」
――ええ。
アリスからは無意識の表情は見えない。しかし、きっと笑っているだろうと感じた。
「でも……」
――じゃあ、魔理沙のことはどうでもいいのね?
「…………」
言葉を飲んだ。彼女にはただ指をくわえて見ているか、計画を実行に移すかの二者択一しか残されていないのだ。どちらも、苦痛を強いる答え。
「……覚悟を決めたわ」
だったら、こちらを選ぶしかない。
アリスは自分を抱擁している無意識を優しく振りほどき、ゆっくりとたちあがって、強い意志の光が籠った瞳で無意識をまっすぐに見つめる。
大きく息を吸ってから、決意を表明するために口を開いた。
「私は……」
「魔理沙を、力ずくでも私のものにする。そのためなら、あいつらだって消してやる」
そこにもう、迷いはなかった。
――ふ、ふふ……。そう……! その言葉が聞きたかったのよ……!
無意識はこの世のものとは思えないほど醜悪な笑みを浮かべ、それをアリスは目を逸らさずに見ていた。これがもう一人の自分なのかと思うと、彼女はうんざりした。
――それじゃあ、期待しているわ。うふ、うふふふふふ……。また明日……、じゃあね。
手を振りながらの別れ言葉を聞くとほぼ同時に、アリスの視界に黒いノイズが浸食し始め、最終的に真っ暗な闇となった。
「な、なに……!?」
本能的に嫌な予感がし、必死にもがく――。
「――っ!? はぁ……、はぁ……。」
不意に暗闇が消えた。あたりを見渡すが、さっきまでとなにも変わらない自分の部屋。いや、一つだけ違う。窓から光が差し込み、部屋を明るく照らしていた。朝だ。
「夢だったのかしら……?」
いつの間にか横になっていたベッドの上から起き上がり呟いた。実際、現実とは思えない出来事だった。
「どうせなら、昨日のことも夢だったらよかったのに……」
しかし、すでに人形はなくなっていた。当たり前だ。魔理沙が持っていったのだから。
「……ま、どっちでもいいわ。やることが変わるわけじゃないし。うふふ……」
そう呟いたアリスの表情は、先ほどの無意識とよく似ていた。
そういえば、いつの間にやら15,000PVおよび3,000ユニークを突破していたようです。ありがとうございます。これからも拙作をよろしくお願いします。