春・麗らかな日々 三
続き
「ぐぁぁぁー!! 腹立つこの野郎、明らか分かってたでしょう!? 分かっていながらそんな発言ばっかりしてたんでしょ!!」
耳まで真っ赤にしながら、というより既にその眦には少しだけ涙が光っている。
「ふっ、当然だろ?」
見下しながらキザったらしい笑顔を浮かべつつ少女の額を指で弾く。
「!!!!!!! ことごとく腹立つわねこの野郎、何なのよ!? どうしてここに居るの、あたしを爆笑しに来たの? そうなの!?」
慌てすぎているせいか自分で何を言っているかわからなくなっているのだろう、涙をボロボロ流しながら少年の腕を雑巾絞りのように握りしめている。
変色を始めているので普通にヤバい。
「はいはい、悪かったよ。素直に謝るからその腕を離してくれ」
まるで子供をあやすように諭す少年に冗談じゃないほどの怒りを覚えたが優先順位はどうして少年がここに居るか、その方が先だったらしい。
「で、どうしてここにいるの?」
「自転車の鍵を探してたらお前が見えたんだよ、全くどうして一人で帰ろうとしている。彼氏を呼べって言ったろうが」
痛いところを突かれた、という表情を浮かべた少女を見てなにかあると感じたのか、少しだけ口調を優しくして再び話し掛ける。
「…………呼ぶくらいはしたのか?」
無言で頷くが、何も話そうとしないらしく携帯の画面にメールが表示されているだけ。少年は一読し、保健室に連れてきたように背中に少女をおぶった。
「馬鹿が、俺に頼ったらどうなんだ? お前の喧嘩相手はそこまで弱いのか」
素直におぶられている状態の少女は少年が気づかないことを知って首を横に振った。
「ちゃんと病院行けよ、変に治そうとすると一生残る痛みになるぞ」
「……うん……ありがとう」
しおらしくお礼を言った少女に対して少年の発言は非常に冷たく、しかし普段通りの言葉を投げかける。
「キモ」
「ぶっ飛ばすわよてめぇ!! なんなの珍しく素直にお礼を言ったってのに」
なんて喧嘩腰になっていたら少年の少しだけ長い茶髪、少女の鼻をくすぐる。
その髪からは少しだけ畳の香りがした、降ろしたばかりの真新しい畳の匂いは誰でも嗅いだ覚えがあるだろう。
「気持ち悪いものをキモいと言って何が悪い、俺はおべっかなんぞ使うつもりは無い」
まぁ、その香りの持ち主は畳のように相手に安らぎを与えるような人では無いけど。
一人の人物を除けば。
「はぁ、あーなんかクレープ食べたいからクレープおごって。スペシャルマカロニで良いから」
「なんだその……いかにもウケ狙いですよ的なネーミング」
スペシャルマカロニとは、ベシャメルソースとマカロニをクレープの皮で包んで上部をバーナーで炙ったもの、以外とグラタンみたいでおいしいそうな。
「いや、だったら素直にグラタン食えよ」
地の文に対してのツッコミは無しだよ土宮くん。
「いや、あんた誰と喋ってるの?」
「良いから、だいたいクレープなんて買わないでそのまま直行で帰るんだよ。ちゃんと荷台に乗るんだぞ」
とか言いながら勝手に乗せている時点で強引さが伺える。というか二人乗りは一応禁止されているのだけどこういう場合くらいは関係各社もスルーしてくれるだろう。
少年は少女の家を知らない、当然だろう。親しくも無いクラスメイトの自宅なんて知っているほうが怪しいんだ、とはいってもその理論を使うと少女が少年の自宅を調べあげた上で春休み中喧嘩を売ってきたのはおかしくなって来る。
その疑問には完全にスルーを決め込んでいる少年だから少女には何も聞かない。
「次はどっちだ」
「その路地裏通って」
等と専ら少女にオペレーターを任せて少年は漕ぐ事とハンドル操作に力を込めている。
二人が自転車で誰かの横を横切る際、周りから『あら満ちゃんお帰り、運転手は彼氏?』などという問いばかり聞かれてしまう、その都度少年は『ただの喧嘩相手です』とクールに言い放っていた。
「あんたもうちょっと愛想よくしたらどうなの? さっきみたいな言い方だと、嫌われるわよ」
「あーはいはい、そうですね嫌われますねー。無駄口叩いてないでちゃんと案内しろ」
少女は行儀悪くチッと舌打ちして掴んでいる少年の肩、その手にかける力を強くした。
「なんだよ」
「そこ右」
少年は少し動かしづらい腰を左右に捻って柔軟をしている、サドルから少し腰を浮かした状態だから少女の体が軽くぶれたが更に強く少年の肩を掴むことによって体制を整えた。
既に爪が肩の肉に食い込むくらい強く握られていて少年はほんの少し顔をしかめる。
当然のように痛みを訴えていることに気がついているはずなのだろうけど、それでも少女は掴む手の力を弱めることは決してしない。これはある意味で喧嘩の延長みたいなものだ、だからこそ少年も文句を最低限にしか言わない。
それから二十分程度自転車を漕いでようやく少女の家に着いた。
途中とんでもない登り坂があったがそれは間違いなく通らなくても行けそうだったので少女の意趣返しだろう。
「取り合えず明日も迎えに来てやっから、その後は自分で考えろよ。あと必ず病院に行け、これは絶対だ」
「はいはい、分かったからこれ飲んでさっさと帰りなさい」
本当に分かってんのかよ、とボヤキつつも少年は手渡された湯呑みに入っている熱すぎるお茶を一口で飲み干した。
「絶対帰ってる最中に喉熱くなるよ」
「だったら少しは気遣ってくれ」
胸を摩りながら一言文句を言って少年は来た道を逆走して行った。
少年の姿が完全に見えなくなった所で、少女が誰にも聞こえないくらい小さな言葉でつぶやいた。
「ありがとう、咲月」
本人は気がついていないだろう、たとえ気がついていても本人は決して認めない。
冬河満はお礼を言った時だけ、綺麗な笑顔になった事を。
来た道を逆走中に首をバキバキと鳴らしていると、ついさっき話し掛けてきた人がまた言葉をかけてきた。なんの用だと少し身構えてしまったけどただ単に少女の事を心配していただけらしい。
心配してくれる人がいる時点で彼女はなんら問題無いだろう。そう感じた少年だが一つだけ気になっている事がある、本当に彼氏は彼氏としての役割を果たしているのかって問題だ。
確かに少年も簡単な怪我なら甘えるなと一言返信して終わるだろう。
続く