「愛する君が他の男に抱かれてるところが見たいんだ!」と婚約者は言った
「おはようジョゼット! 今日も可愛いね!」
「きゃっ!?」
聖ニャッポリート貴族学園のとある朝。
私の婚約者であり、我が国の王太子殿下でもあらせられるセレスタン殿下が、今日も私の顔を見るなり、ギュッと抱きつかれてきた。
「で、殿下、またこんなところで……。どうかお控えください……」
登校している周りの生徒たちが、生暖かい目で私たちを見ている。
「えー、なんでだよ。僕たちは婚約者同士なんだから、何の問題もないだろ? むしろ僕たちが愛を育む過程を、みんなにも見せてあげないと!」
セレスタン殿下は私の肩を抱きながら、周りにブンブン手を振ってアピールしている。
もう、殿下はいつもこうなんですから。
私は目立つのはあまり得意ではないので、できればお手柔らかにお願いしたいのですが……。
「殿下、いくら婚約者同士とはいえ、節度のある付き合いをお願いいたします」
と、そこへ、隣を歩いていたガエル義兄様が、メガネをクイと上げながら苦言を呈した。
「はいはい、生徒会長のお兄様は今日もお厳しいですね」
やれやれとでも言いたげな顔をしながら、渋々私から離れるセレスタン殿下。
「私が生徒会長であることは関係ありません。殿下にはもっと、王太子として国民の模範となる生活を心掛けていただきたいと申しているだけです」
ガエル義兄様が、またメガネをクイと上げる。
「わかった、わかったって。心掛けます、心掛けますよ」
「殿下、少しお時間よろしいでしょうか?」
と、今度は体育教師のマクシム先生が、殿下に声を掛けてこられた。
クマみたいなガタイのマクシム先生が目の前に立つと、そこはかとない威圧感がある。
「ああ、例の件ですよね? もちろん」
例の件?
殿下とマクシム先生は意味ありげな視線を交わすと、二人で校舎の中に消えて行った――。
「……ふふ」
「……!」
だが去り際、マクシム先生がチラリと私のことを見てきた。
この瞬間、何故か私の背中を寒気が走った。
「まったく、セレスタン殿下にも、もっと王太子としての自覚を持っていただかないとな」
ガエル義兄様がメガネをクイと上げながら、溜め息をつく。
「ええ、そうですね」
そんなガエル義兄様の横顔を、ぼんやりと眺める私。
私はガエル義兄様と初めて会った、あの日に思いを馳せた――。
あれは私が、10歳の時――。
「私が今日から君の兄になる、ガエルだ。よろしくね」
「……!」
親の再婚で、私に義理の兄が出来た。
ガエル義兄様の歳は私の一つ上だったのだけれど、メガネの奥で理知的に光る瞳は、とても11歳には見えない、大人びたものだった。
一人っ子だった私には、初めて出来た兄という存在が、とても頼もしく見えた。
「よ、よろしくお願いしますガエル義兄様。ジョゼットです。あの、これ、どうぞ」
「……! これは」
私は庭で摘んだ、一輪のパンジーを差し出す。
「あの、プレゼントです。あ、でも、いらなかったら捨てて構いませんので」
「……いや、大事にするよ。ありがとう、ジョゼット」
「っ! ど、どういたしまして!」
ガエル義兄様は、まるで天に輝く太陽みたいに、眩しい笑顔を浮かべた。
――そう、まさにこの時から、ガエル義兄様は私にとっての太陽だったのだ。
「ん? 何だジョゼット? 私の顔に、何かついているか?」
「い、いえ!? 何でもありません」
「……そうか」
慌てて目を逸らす。
危ない危ない。
ガエル義兄様との出会いに思いを馳せていたら、ボーっとしていたようだわ。
今の私はセレスタン殿下の婚約者なんだから、もっとしっかりしなきゃ。
――こうして私の何気ない日常は、今後も続くものだと、この時の私は思っていた。
「ジョゼット、ちょっと一緒に来てもらえるかな?」
「? はい」
その日の放課後。
セレスタン殿下からそう言われた私は、おずおずと殿下の後を追った。
「どこに向かわれているんですか?」
「フフ、行けばわかるよ」
「……はあ」
玩具屋さんに向かう途中の子どもみたいな顔をしている殿下に、何故か背筋が寒くなった。
「さあ、着いた。ここだよ」
そうして私たちがやって来たのは、もう今は使われていない、旧校舎だった。
殿下はその中の一室の扉を、躊躇なく開けて入って行かれる。
私も恐る恐る、殿下に続く。
「あの、殿下、こんなところに何の用が?」
「やあ、待ちくたびれましたよ」
「――!」
が、そこにはマクシム先生が、薄汚れた床に胡坐をかいて座っていた。
な、何故ここにマクシム先生が……!?
まさか、今朝殿下とマクシム先生が言っていた例の件というのは、このこと……!?
この瞬間、私の中で危険信号が、けたたましく鳴り響いた――。
一刻も早く、この場から離れなきゃ――!
「あの、私、用事を思い出しましたので、これで失礼します!」
「おっと、そんなつれないこと言わないでくれよ、ジョゼット」
「っ!」
が、セレスタン殿下に退路を塞がれてしまった。
……クッ。
「へへへ、本当にイイんですよね、殿下?」
「ええ、もちろんです。どうかお願いします」
「きゃっ!?」
その時だった。
マクシム先生に強引に腕を掴まれ、その場に押し倒されてしまった。
圧倒的な体格差があるマクシム先生に覆い被され、あまりの恐怖に奥歯がガタガタと震える。
「ジョゼット、お前が入学してきた時から、ずっとお前とこうすることを夢に見てたんだよぉ」
「ヒッ……!!」
ハァハァと血に飢えた肉食獣みたいな顔を近付けられ、嫌悪感で吐き気がした。
「で、殿下ッ!! どういうことなんですかこれはッ!? 私のことを、愛してると仰ってくれてたじゃないですかッ!?」
「ああ、もちろんだよジョゼット……。僕はこの世の誰よりも、君のことを愛している……」
じゃ、じゃあ、どうして……!?
セレスタン殿下は、まるで神の降臨を目にした敬虔な信者の如く、恍惚とした表情を浮かべている。
ま、まさか――!
「あぁ……、ジョゼットが他の男に抱かれようとしてる……。僕の愛するジョゼットが、他の男に滅茶苦茶にされてるうううぅぅぅ……」
殿下はダラダラと、涎を垂らしている。
――聞いたことがある。
世の中には、自分の愛する女性が他の男に抱かれているシチュエーションに、異常に興奮する男性もいる、と……。
……まさか、セレスタン殿下がそうだったなんて……!!
「へへへ、この通り、殿下とは合意の上だから、心配すんなよ」
「い、嫌ッ!! 放してッ!! 放してえええッ!!!」
私は合意してないんだから、勝手に二人だけで進めないでよッ!
「あんま暴れんなよ、ウザってえな」
「っ!?」
強引に上着を破かれた――。
「きゃああああ!!! 誰かぁ!! 誰か助けてえッ!!」
誰か――。
誰か――。
「無駄だよ。いくら叫んだって、こんなとこ、誰も来ねぇよ」
「ハァ、ハァ……!! ジョゼットが……!! 僕のジョゼットが……!!!」
――ガエル義兄様。
「――私の妹から離れろ」
「ぶべらッ!?」
「――!!」
その時だった。
何者かがマクシム先生の顔面に思い切り蹴りを喰らわせ、マクシム先生は錐揉み回転しながら壁に激突し、ピクリとも動かなくなった。
「――ガ、ガエル義兄様……!!」
「遅くなってすまなかったな、ジョゼット」
そこにいたのは、他でもないガエル義兄様だった。
ガエル義兄様は自分の上着を脱ぎ、そっと私にかけてくれた。
嗚呼、本物だ……。
本物のガエル義兄様だ……。
私の目から、ボロボロと大粒の涙が零れる。
「どうしてガエル義兄様が、ここに……?」
「お前が殿下と二人で、旧校舎の方向に向かうのを偶然見掛けたからな。胸騒ぎがしたので、様子を見にきたんだ」
「そ、そうだったんですね」
嗚呼、やはりガエル義兄様は、私の太陽です……。
「クッ! なんでだよッ!? なんで僕たちの愛を邪魔するんだよ、ガエルウウウ!!!」
「「――!!!」」
半狂乱になったセレスタン殿下が、ガエル義兄様の胸に、何かを突き刺した――。
――見れば、ガエル義兄様の心臓に、ナイフが突き刺さっていた。
「きゃ、きゃあああああああ!!!! ガエル義兄様ああああああ!!!!」
「――フンッ」
「ひでぶッ!?」
だが、ガエル義兄様は涼しい顔で、セレスタン殿下の顔面を思い切り殴った。
殿下は錐揉み回転しながら壁に激突し、マクシム先生と並んで、壁のオブジェと化したのである――。
「義兄様!? 大丈夫ですか!?」
「ああ、心配ない。――これが、私を守ってくれた」
「――!」
ガエル義兄様のシャツの胸ポケットから、樹脂で固められた、一輪のパンジーが現れた。
そのパンジーが盾となり、殿下の凶刃からガエル義兄様を守ったのだ。
ま、まさかこのパンジーは……!!
「あの日言っただろ? 大事にするって」
そんな……!
ガエル義兄様はずっとこうして、私がプレゼントしたパンジーを、肌身離さず持っていてくださったのですか……!
「ガ、ガエル義兄様ああああ……!!」
感極まった私は、ガエル義兄様の胸でワンワンと泣いた。
ガエル義兄様はそんな私の頭を、いつまでも無言で撫でてくれたのだった――。
こうしてセレスタン殿下とマクシム先生は、それぞれ殺人未遂と強姦未遂で逮捕された。
当然ながら、マクシム先生は懲戒免職となった。
そして、王太子の犯罪による逮捕という、前代未聞の事態を重く見た王家は、セレスタン殿下を廃嫡のうえ、生涯幽閉処分とした。
私と殿下の婚約も白紙となり、晴れて私は自由の身となったのである――。
「……ハァ」
今日は学園が休みなので、私は自宅の東屋で一人、お茶を飲んでいた。
今でも、マクシム先生に襲われた時のことを思い出すと、震えが止まらなくなる。
ガエル義兄様には、いくら感謝してもし足りないわ。
「ジョゼット」
「……!」
その時だった。
ガエル義兄様がメガネをクイと上げながら、声を掛けてきた。
心なしか、ソワソワしているようにも見える。
「何か御用ですか、ガエル義兄様?」
私は立ち上がり、ガエル義兄様と向き合う。
「ああ、先ほど父さんに許可を貰ってきた」
許可?
何の……?
「――ジョゼットに、プロポーズをする許可を、だ」
「――!!」
う、嘘……!!
ガエル義兄様が……私に……!
「ジョゼット、私はずっと前から、妹ではなく、一人の女性として、ジョゼットを愛していたんだ」
「に、義兄様……」
私の視界が、水の膜で歪む。
「私だったら、絶対にジョゼットを幸せにしてみせる。――だから私の、妻になってはもらえないだろうか?」
ガエル義兄様は縋るような瞳で私の目を見詰めながら、左手を差し出された。
――この瞬間、私の中で、何かが決壊した。
「――はい、喜んで。私もガエル義兄様のことを、お慕いしております」
私はガエル義兄様の左手に、自らの右手を重ねたのだった。
「――! ありがとう、ジョゼット。愛してるよ」
「ええ、私もです、ガエル義兄様」
「……これからは、ガエルと呼んでほしいな」
「……! か、考えておきます」
ど、どうしても、まだ慣れないので……!
――こんな私たちの遣り取りを、庭に咲くパンジーだけが、無言で見ていた。
拙作、『戦争から帰って来た婚約者が愛人を連れていた』がコミックグロウル様より2026年3月6日に発売された『選ばれなかった令嬢には、本命の彼が待っています!アンソロジーコミック』に収録されています。
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