蟷螂
僕はビルの合間を縫うような路地裏に隠れていた。ここは表通りの煌々としたネオンが差し込んで、仄暗い。
大通りには大きな繁華街がある。
一見、非常に煌びやかな街だ。しかし実際は愛憎入り混じり、毎日何処かで人が死んでいそうな街だ。
──つまり、これからやる僕の行為はこの街ではなんらありふれたものである。
手には縄を握っている。少し震えている。
僕はなるべくひ弱そうで独りの奴をと、通りを見渡した。
目に止まったのは細身で酔っ払った男性。あまり顔は見ないようにしていたのでよくわからない。ただ、服装から察するにサラリーマンだろう。
彼はビルの隙間の近くへと幸運にも千鳥足でやってくる。
僕は彼がこちらに最大限近づくランデブーポイントを今か今かと待つ。
手を押さえて、息を殺して待つ。
サラリーマンは不規則に革靴で歩道を打ち鳴らしている。
そのボリュームが最大になった時、サラリーマンの首に縄を掛け、こちらに引き摺り込む。
僕は踏みつけながら、縄を力の限り引っ張る。
何分こうしていれば殺せるのかは調査不足だった。しかし、そのうち動かなくなるだろうからそれで十分だろうと自己解決した。
この時、僕の口角は少し、上がっていたような気がする。
縄はギシギシと擦れる音を奏でる。サラリーマンの彼はジタバタと暴れて抵抗したが、僕はそれを必死に押さえつける。
何分経ったかはわからないが、しばらくすると彼はぴくりとも動かなくなった。──絶命したのだ。
*
僕は死体を引きずってビルの隙間を歩く。
排気ダクトから垂れ流される淀んだ空気、それで満たされているここはあまりに息苦しい。
トボトボと右折。路地裏は表通りから遠のくほどに昏くなっていく。近くの明かりといえば非常口の緑の電灯だけだ。
死体が壁に引っかからないように左折。そして僕は足早に直進した。僕の好きな人が待っているからだ。
「こんばんは、灯郎。こんな私のためにご苦労だったね」
彼女は澄んだ声でそう言った。
僕の目に映る可憐な少女、名を鎌刈切夜という。
「切夜さんのためですから」
僕は手がまだ震えているのを尻目に強がった。弱さを見せたくなかったからだ。しかし、彼女は僕の手を取り
「灯郎、強がりは良くないよ。人間の本性は弱さだからね。自分に嘘は吐いちゃダメさ。もう二人も同種を殺したんだ、心が痛むのは当然だよ」
と囁いた。
銀髪が月光に照らされて艶かしく輝いている。
彼女はそう告げたあと、僕が運んできた死体の方へ歩き出す。
僕は彼女の残り香、金木犀を嗅いでいた。
「ここらで食事を取ろうと思う。恥ずかしいから私の方は見ないでくれよ」
チャーミングな微笑を浮かべながら彼女は言った。
しばらくすると僕の背後から、くちゃくちゃ、ばりばりと生々しい咀嚼音がした。
僕は彼女の喜ぶ顔を思い浮かべて、胸がホクホクした。
そして、音が止むと彼女は僕に振り向く許可を与え
「あの男、なかなか美味しかったよ。やっぱり灯郎はセンスあるなあ」
と前屈みになって言った。口周りは少し朱かった。それもまた愛おしい。
「切夜さん、口元」
僕がそういうと彼女は驚いて唇に人差し指を当て、ようやくそれに気づいた。そして鏡をポケットから取り出してティッシュで液体を拭き取った。
身なりを整えると吸血鬼の彼女は目を細めた。
*
少し時は遡る。彼女と僕が出会ったのは二日前だった。
僕が深夜の大通りを散歩しているときのことだ。
住んでいるのは人工島だからというのもあるがその日は風がとても強かった。
風で街路樹が騒めき、規則的に並んだ街灯が揺れる。
僕は永遠に続くような一本道をかつかつと進む。
真っ暗闇をしばらく進むと、黄色い光に照らされている少女が朱い血溜まりの上にうずくまっていた。
髪は乱れて朱く汚れ、脇腹からは血がとくとくと流れ出ていた。
それでも黄色い光に照らされている彼女の姿は儚く美しかった。
陳腐な言い回しだが、掌にはらりと降ってきた雪の結晶のような印象を受けた。
僕は彼女を心配せずにいられなかった。どんな容姿をしていても、助けに走ったはずだ。
風は向かい風だった。
木々のざわめきは一層増していき、落ち葉やシケモクが宙を舞う。僕はそれらを振り切って、ひたすらに逆らう。
「だ、大丈夫ですか……?」
僕はゴシック調のレースワンピースを着た少女に問う
「君には…………これが……大丈夫に見えるのかい……?」
ひどく弱りきった、震えるような声で言う。僕は無言で彼女を抱き抱えた。
手には生暖かい液体の感覚と金木犀の香り、そして肉体の軽さを感じていた。
「とりあえず救急車呼びますね。あっでも、警察呼んだ方がいいのか? あれ……?」
僕が混乱しながらもスマートフォンを取り出したところで、手首を掴まれた。
それは人間離れした、言うなれば縦型動画で流れてくるプレス機のような強さだった。
「呼ばなくて……いい。私は吸血鬼だ。それを……呼ぶ前に…………吸血鬼狩り《ヴァンパイア・ハンター》を……逆退治するのが先だ……」
この人はもしや頭も打ったのか。僕は電話アプリを開いた。すると、彼女は握った手首にじんわりと爪を立てる。
「……君、今嘘だと思ったでしょ。悪いけど嘘じゃないから。あと5秒もしたら……長身の大きな十字架を付けた男がやって……くる、そいつが吸血鬼狩り」
彼女は言い終えると吐血した。
しかしそんなことはもろともせずに真紅の双眸をまっすぐ向けてくる。その目には一切の濁りはなかった。
瞬間、暗闇の中から言った通りの男が飛んできた。
男はツヤのある純白の修道服を着て、切先が四角い西洋剣を持っていた。
「あの剣は……処刑人の剣。銀の刀身で吸血鬼を……滅する。まあ、彼らにとっては……かなりトラディショナルな武器さ。」
彼女は僕に向けて説明を始める。まさか、彼女は僕に戦えなんて言うんじゃあるまいな。僕は不安になる。
「おいおい、吸血鬼。少年を誑かそうったって無駄だぜ、もうろくに自己再生できてないじゃあねえか。それじゃあもう助からない。少年を喰らったところで治療できない傷。つまり、お前は詰みだ」
彼女は僕に耳打ちした後こう言った。
「確かに……そうかもしれないな……。少年、彼の元へ行きなさい」
僕は頷き、吸血鬼狩りの方へ近づく。
彼女はうつ伏せになって伸びている。
「物分かりが良くて結構。さて、祈りを捧げるのは殺してからでいいな。命を差し出した以上、最低限楽に殺してやるよ」
彼は首のあたりを目掛けて剣を振るった。
頸のあたりに刀身が入ったところで、彼女は余力を全て使い首の肉を再生し、刀身を固定した。
僕は刀身の側面目掛けて蹴りを入れた。すると刀身は折れ、柄の部分が宙でくるりくるりと舞っている。
「このガキッ!」
吸血鬼狩りは僕を数発殴り、そして刺さった刀身を手袋をした手で持って彼女の首を掻き切ろうとしている。
その隙に飛んでいった柄側を回収した。そして、彼へと走った。手は震えていた。追い風が背中を押す、木々のざわめきは最高潮に達していた。
そして僕は無我夢中で、折れた刃先で彼を後ろから一突きした。そして悶える彼の上に跨り喉笛を掻き切った。
「……ありがとう」
彼女はひどく弱りきった声で言った。そうして、死体をこちらに持ってくるように手招きされたので、僕はそれを引きずって渡した。
「……私の食事風景は見なくてもいいんだぞ」
「僕には責任がある」
「……そりゃご高潔なことで」
そういうと彼女は吸血鬼狩りの首筋に歯を立て、血を啜る。そして表情を緩めた。
今までの張り詰めた顔から、甘いスイーツでも味わうかのような恍惚とした表情に変わった。その姿ははとても妖艶で今でも鮮明に思い出せる。
血を吸い尽くすと、カラカラに乾いた肉体をバリバリと干物を食べるように食していく。
僕は目の前で起こる食人行為に吐きそうになったが、同時に優雅さ、美しさも感じていた。
食後、彼女は首に刺さった刀身を勢いよく抜き、道路に投げ捨てる。
「君、名前は?」
「僕は…斧野灯郎」
「いい名前だね、親に感謝しな。私は鎌刈切夜」
そういうと彼女は僕の方に歩み寄った。
「実を言うとね、私まだ本調子じゃないんだ。あと二人くらい食べれば戻ると思うんだけど。」
彼女は明るくそう言った。
「はあ」
「だから、灯郎には手伝ってほしい。私が復調するためにあと二人、殺してほしいんだ」
彼女はさらにこちらに近づき、指を絡める。
「な、なんで僕がそんなことを……」
僕は動揺を隠せなかった。
しばらく、僕は木々のざわめきを聴いていた。
「もちろんタダでとは言わない。やってくれたら、君と番になろう。私も君のことが好きだ」
彼女はそういうと唇を重ねてきた。それだけではなく、ゆっくりと口の中に舌を入れてくる。
しばらく僕は彼女にされるがままになってしまった。
*
「随分と身体の調子は良くなったよ。もしかしたら三人目はいらないかもね」
彼女は手を開いたり閉じたりする。続けて
「ねえ、灯郎。ご褒美欲しくない?」
彼女はそういうと僕に口付けをする。今度は普通に接吻オンリーだ。
「灯郎何歳だっけ」
「中二です」
彼女は顎に手を当ててうんうん唸っていたが、どうやら答えを見つけたらしく
「肉体年齢的には二歳差くらいなら大丈夫よね」
彼女は笑って言った。
「灯郎って今彼女いるの」
彼女は揶揄うように訊いた。
突然のことだったので僕は素っ頓狂な声を上げて
「い、いませんよ! 今も昔も!」
「ふーん、そりゃ良かった」
彼女は半目で僕を見つめながら僕の手を引いて走り出す。
「お姉様が卒業させたげる」
甘い口調で言った。
*
桃色の光が妖艶に輝いている。
僕はベッドの上で寝転びながら天井を見つめていた。することがなくなってしまったのだ。こういうときってシミを数えるんだっけか?
閑話休題、僕はラブホテルにいる。切夜さんに連れて行かれたのだ。
本当に手取り足取り教えられた。
半分くらいされるがまま言われるがままだった。しかし楽しかった、それなりに切夜さんを悦ばせることができたと思う。
「ねえ……灯郎?えっちしたらお腹すいちゃった」
横から切夜さんが僕の輪郭をなぞる。
そしてそのまま、僕の上に馬乗りになった。
腹の上に温かいものが垂れてくるのを感じた。
切夜さんの身体はライトに照らされて艶やかに輝いている。さっきまで僕の腕の中にあった身体。
僕はどこかでわかっていた。いつか文字通りに食べられてしまうのではないかと。
踊らされているだけなのだと。
少なくとも人間である僕にはそう思えた。
だけど僕は彼女の身体の温もりを、柔らかさを感じたかった。
…………どんなに頭でわかっていても好きだから。
あまり気持ちの良い話ではないが、僕はこの状況で興奮した。
生殖本能というやつだろうか。僕はそのままに彼女と一つとなった。
彼女はそんなことは気にせず、むしろ悦ぶように僕の首筋へと口を近づける。そして歯を立てる。
僕はすこし痛みを感じた。だがあまり気にならなかった。
彼女なりの優しさなのか、とても愛おしそうに僕の血を吸っている。
金木犀の香りに包まれながら、意識が遠のいていくのと快楽を感じた。
脳裏に浮かぶ文字は死。でも怖くなかった。何も恐れちゃいない。僕は彼女に今この瞬間、きっと愛されているのだから。
頭の中に流れる走馬灯は今までのことだ。僕は自分で思っていたより彼女が好きなのだと自覚させられた。出逢って二日の僕たちだけど、きっと永遠よりも濃い時間だったと確信できる。
そして、僕の生涯で最期に聞いた言葉はこれだった。
「愛してるよ、灯郎」
言葉の真意を確かめる手段は僕にはなかった。
お読みいただき、ありがとうございました!
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