発熱ー2
瑠唯は同僚とのコミュニケーションがあまり得意ではない。
患者さんとのコミュニケーションは治療の一環でもあるのでそれなりにこなせるのだが…元々自分の気持ちを相手に伝える事が不得意で、想いは飲み込む癖がある彼女は、先輩医師や看護師、事務のスタッフに至るまで、自分から話かけて打ち解けるのがとにかく苦手なのである。
立場的にも色々と微妙だった。
院長の学生時代の親友…それが父親、大河原忠仁であることまでは未だ知られていないが…の娘で何かと優遇されているだとか…実際にはそんな事もないのだが…院内で、独身女性医師、看護師、果ては入院患者に至るまで絶大なる人気を誇るREのエリート医師、長谷川孝太の学生時代の後輩…元カノと言うのは未だバレていない…だとか…勤務初日のERでの処置が素晴らしく室長の上原に絶賛されているとか、極めつけは…アメリカで大野の指導を受けていたとか…実際にはボコボコにしごかれていただけだったのだが…その事もあり外科部長の加藤…専攻が脳外である…に可愛がられているだとか…
容姿もいけない…人並み以上のスタイルにすっぴんでも目を引く目鼻立ち、アラサーにも関わらず大学生に間違われる程の童顔だ。年下には馬鹿にされがち、同年代の者には妬まれがち。
そんな訳で、目下の所、院内での瑠唯は天井近くまで浮き上がっている。甚だ居心地の悪い筵の上にいる彼女に何の屈託も遠慮もなく話しかけてきては何かと絡みついてくるのは、小児科に入院している子どもたちと院内清掃のおばちゃん達。
何故、院内清掃のおばちゃん達と親しいのかというと…
院内にある職員専用の食堂…その一角に西側の窓に面した席がある。二人掛けのソファーがテーブルを挟んで対面しており、隣接の席とは背の高い観葉植物で隔絶されていて、何となく人の寄り付かない個室の様相を呈する。
さらに部屋のごく隅にある為、照明も空調も届きにくく薄暗い上西日が当たり夏暑くて冬寒い誰もが避ける席なのだ。この場所を見つけた時、瑠唯はまさに自分の為にある場所ではないかと思った。以来瑠唯は休憩時間の殆どを此処で過ごす。医局などが居心地の悪い彼女にとって自室以外の唯一気の休まる逃げ場なのである。
その場所の脇に掃除用具を置く部屋に通じるドアがある。その為時折、清掃のおばちゃん達が行き交うのだ。始めのうちは挨拶を交わす程度だったのだが、ある時瑠唯が入院患者から無理やり渡された…本来、入院患者からの頂き物などは原則禁止されているのだが…お萩を食べていると…
「あらぁ美味しそうなの食べれるじゃない」…と声をかけられた。
瑠唯は透かさず
「あの…よかったら皆さんで召し上がって下さい!」とお萩を差し出した。
何しろ半端ない数なのだ。多分、他の医師や看護師の分も考慮されての事だとは思うのだが、元々こういった差し入れは禁止されてる上、こっそりお裾分けするような親しい同僚等はいないのである。そこで仕方なく、この場所で取り敢えずひとつ摘んでいたのだが…残りをどうしようかと思案していた所、まさに天の助けであった。
「あらーいいんですか?なんか催促しちゃったみたいで…」
そう遠慮がちに答えるおばちゃん…
「そんな事ないです!患者さんからの頂き物で…本当はこういうのいけないんですけど…どうしてもって仰って…断り切れなくて…でもこんな沢山で…貰って頂けると助かります!」
必死に言い募る瑠唯に
「先生達や看護師さん達に差し上げたらいいのにー」
「ああ…でも…本当は差し入れとか禁止だから…怒られそうで…だから!内緒で…内緒で貰って下さい!お願いします!」
するとおばちゃんはにっこり笑って
「じゃあ遠慮なく…後で皆で頂きます。あっ!皆にも口止めしとくから安心してね!」と言って貰ってくれた。
それからその場所に瑠唯がいると、この間のお萩のお礼と言って、お菓子をくれたり、「お昼にでも食べて」と手作りのお惣菜をくれたり、時にはペットボトルのお茶をくれてしばらくお喋りしていったり…そうこうしているうちに、今ではまるで近所の世話焼きなおばちゃんか、親戚のおばさん達の様な付き合いとなってしまっている。