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進行ー6

「これ…先生の部屋の鍵です。院長から預かってました。五階の一号室です。海の見える角部屋ですよ!それから、向こうから送られてきた先生の荷物、部屋に入れときましたから。当面必要そうなものも、ザックリですが揃えておきました。僕が選んだので気に入って貰えるかどうかは分かりませんが…何かありましたら何時でも言って下さい。これ、僕の携帯番号です。」


 自身のマンションの駐車場に車を停め、エントランスまで来ると、孝太はそう言って一枚のメモを差し出した。


「何から何まで色々と悪かったな!助かったよ!ありがとう!」


 大野の大きな声がエントランスに響き渡る。


「それじゃあ…先生、僕は此処で…」


 孝太は大野にそう伝えると階段に向かう。彼の部屋は二階にある為、いちいちエレベーターは使わないのだ。


 501号室…大野は渡された鍵を使い部屋に足を踏み入れた。向こうから病院宛に送ったいくつかの荷物がリビングに雑然と置かれていた。部屋は、リビングの他にダイニングキッチンと書斎に寝室そして客室がある…客室は物置部屋になりそうだ。さらに、トイレに広々とした洗面所を有した風呂が完備されていた。リビングにはソファーとテーブルとテレビ、キッチンには一通りの電化製品と簡単なキッチン用品に食器、そして四人がけのダイニングテーブル…もっとも大野が使用するのは飲み物を冷やす冷蔵庫と湯を沸かすやかんに電子レンジくらいだろうが…書斎にはどっしりとしたライティングデスク、寝室にはダブルベットに清潔な寝具まで揃えられている。バスルームにアメニティも揃っており、今日から快適に生活が出来そうだ。紛争地域での生活に比べたら天国のようだと思った。


 大野が瑠唯を紛争地域の医療機関に従事させようと思ったのは、ちょっとした思いつきであった。


 高山から事情を聞かされ、研修が終わり次第アメリカに行かせたいと言われた。それを引き受け瑠唯を呼び寄せた。

 アメリカで六年ぶりに再会した彼女は驚くほど憔悴していた。そして綺麗になった。幼かった瑠唯がすっかり大人の女性になり、母親に似たその面差しは見惚れるほどに美しかった。しかし…あの頃の屈託のない笑顔はすっかり消え失せ、両親の葬儀の際でさえも悲しみの中に何か意思の通った力強さを思わせた瞳の輝きはまるでなくしていた。

 まずいと思った。このままでは、瑠唯は潰れてしまう…医師としての未来も希望も、持てないままに…

 一ヶ月程指導を続けて、大野は驚嘆する。なににつけても呑み込みが早い、判断も速くて的確だ…カンも、思い切りもいいがその割に慎重なところもある…そして何より手の指が長くてほっそりしており、その手も大きからず小さからず…その上飛び抜けて器用だ。まさに外科医になるべくして生まれてきたような逸材だ。育てたいと思った。ある意味奢った考え方でもあるが…自分の手で育ててみたいと思った。大切に育て、多くの経験を積ませれば、間違いなく一流の外科医になる。

 それからの大野は正に鬼と化した。朝から晩まで臨床を重ねさせ時には日に五件もの手術を執刀させた。あちこちの教授やら医師やらに頭を下げ、科を選ばず数多くの臨床を積ませる。子供の風邪から感染症、老人の腰痛から認知症に至るまで…それこそありとあらゆる臨床を…外科に関してはちょっとした裂傷から交通事故の重症患者、癌のオペも、胃、腸、肝臓、膵臓、腎臓等の内臓から脳腫瘍…その他、心臓、血管、関節等に至るまで…この歳で、これ程の手術件数をこなすのは異例の事だろう。

 それでも瑠唯は、覚悟と自信を取り戻さない。絶望と諦めを映し出す瞳に輝きは戻らなかった。


 ある日、友人のふとした言葉から紛争地域の医療現状を知る。

薬も用具も食料さえもままならない、過酷な現場。助かる命も救えない現実…場合によっては医療従事者でさえ命を落としかねない。


 そこに立たせてみようと思った。

 医師は神ではない。誰も彼もを救うこと等、どんなに長けた医師であろうと決して出来ないのだ。

その事を、この過酷な現場に立たせて思い知らせてみようと思った。賭けだった。

結果、瑠唯は自身の死の恐怖に直面する事になる。その経験が彼女にとって、良かったのか悪かったのかは未だ分からない。とにかく今は、疲れ切った彼女を日本に返し、高山の元で休ませようと思ったのだ。


 それにしても…先程空港で山川を見たときの瑠唯の反応は少し異常だった。最初、自分を見てフラッシュバックしたのかと思ったのだが…今思うとあの時、瑠唯は自分を見ていなかった。山川を見ていたのだと思う。何があるのだろうか?少し話しをした限りでは、山川は好感の持てる男だった。医師として確固たる信念も持っているように思える。人当たりもいい。

 瑠唯に対する想い入れも相当なものだ。あんな男になら、彼女を託してもよいのではないか…そんなふうにさえ思えた。だが、高山の言うように今は未だ分からない。瑠唯自身の気持ちも重要だ。当分の間は注意深く見守るしかなさそうだ…


 そんな事を考えるうちに、いつの間にか大野は意識を手放していた。







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