婚約破棄されたので死のうとした
「エイミー・オーディット、貴様との婚約を破棄する!」
王立学園の卒業パーティーでたくさんの人々が集まったダンスホールにヨハン王子の声が響き渡る。
その横には勝ち誇った笑みを浮かべている男爵令嬢アメリアが立っていた。
私はその言葉を慎んで受け入れ会場を辞すと、その足で学園にある時計台へ向かい、塔の一番上から――――飛び降りた。
目が覚めると、知らない部屋のベッドに寝かされていた。
「ここはどこ……?」
「俺の部屋だ」
独り言のつもりで呟いた言葉に返事が返ってきて驚いて声のしたほうを見ると、ベッド横に男性が立っていた。漆黒の髪に銀色の瞳をしたその人は見なりからして騎士だろうか?
その大柄な男性は真顔で私を見下ろすと、低く響く声で唸るように問いかけてきた。
「なぜ飛び降りた?」
「さあ……。全てがどうでもよくなってしまって」
「そうか」
「どうして私は生きているのでしょうか?」
「俺が受け止めたからだ」
「受け止めた……って」
そんなこと可能なの。
そう思ったけれど問いかけしなかった。ただ、私は死ねなかったんだなと思った。
きっと明日には婚約破棄したことが周知され、私はまた誰かと婚約を結ぶことになるだろう。
貴族に生まれたものとして、政略結婚の駒になることに不満はない。でもなんだかひどく空しかった。
「また死ぬつもりか」
名前も知らない男が静かな声で訊いてくる。
「生きてる意味がないんです」
「わかった。それなら……俺がお前の生きる意味になろう」
その言葉を信じたわけではなかった。
しかし、実家の侯爵家に戻ってわずか三日後。
あの男性から、縁談の申し込みがあったのだった。
◇ ◇ ◇
「ロックハート公爵から縁談が来ている」
婚約を申し込む書簡が届いた日、父に呼び出された私はあの男性の名前をそこで初めて知ることになった。
国中にその名が知れ渡るほどの大物だったことにしばらく呆然としてしまう。
確かに彼の屋敷は広かったし、王都の中心に位置していた。高位貴族だろうと予想してはいたが、まさか公爵だったとは。
「ロックハート公爵と言えば、隣国との戦争を指揮するため長く国境に行かれており、我が国を勝利へと導いた偉大なお方だ。その活躍から、王女様の降嫁を許されたという噂もあったが、いったいなぜ……」
父も困惑しているようだった。長く戦場に行かれていたロックハート公爵と、ヨハン王子の婚約者であった私に接点など思い当たらないのだろう。まさか死のうとしたところを受け止められたなんて言えるはずもない。
「とにかく、これ以上ないほどの良縁だ。エイミー、わかっているな?」
「はい、お父様」
私に与えられた選択肢は一つだけだった。
こうしてそれから約一ヶ月後。私はついに十八年間過ごした生家を去り、私を殺してくれなかった男の妻になったのだった。
「改めて挨拶させてもらう。アベル・ロックハートだ。アベルと呼んでくれ」
「はい、アベル様。私はエイミー・オーディットと申します」
「今日から夫婦なのだから同じ名字だろう。俺もエイミーと呼んでも構わないだろうか」
「はい、ぜひ」
ロックハート公爵と言えば、敵に容赦なく、非常に残忍な性格で、その恐ろしさから戦場の鬼神という異名をつけられていたという。
しかし挨拶をした彼は、確かに迫力のある体格と顔をしているが、そんな残酷な人には見えなかった。それどころか、「何か必要なものがあればなんでも言うといい」と私を気にかけてくれる素振りさえあった。
それから夫婦として一緒に過ごしてもその印象は変わらない。彼との結婚生活は予想に反して穏やかに過ぎていった。彼は私のことをわかりやすいほど大切にしてくれ、そして夜寝室で二人きりになると必ず、「まだ死にたいか?」と問いかけてきた。私がそれに対して「少しだけ」と言う。
そんなやりとりを飽きもせずに何回も続けていたある日、王宮から建国記念パーティーの招待状が届いた。
「無理して出なくてもいい。それだけの力が我が家にはあるのだから」
「いいえ。行きます」
あくまで私のことを慮ってくれるアベルに私は微笑みながら自分の意志を伝えた。思えば、結婚してから夜会などの社交には全く関わっていない。それがアベルの思いやりゆえであることに、結婚してから短くない時間を彼と共に過ごした私は気づいていた。
建国記念パーティー当日、アベルの瞳にあわせて神秘的な銀色の刺繍が施されたドレスを着た私を見て、彼は「美しいな」と微笑んだ。
そう言うアベルこそ、美しい紺色に染め上げられた布地に、銀の星が煌めくような正装を身に纏い、いつも以上にその美丈夫さが目立っていた。
「アベルもとても似合っているわ」
「ありがとう。君の瞳の色だ」
そう、紺色は私の瞳の色だ。互いに相手の色を身に纏うなんて浮かれた恋人たちのようで、なんだか気恥ずかしいような気もしたけれど、アベルにエスコートされながら王宮へと向かう馬車に乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
「ロックハート公爵ご夫妻、ご入場です」
王宮使用人の声にあわせて扉が開かれると、途端に煌びやかな世界が現れる。しばらく社交界から離れていたので、シャンデリアの光をとても眩く感じた。
「なんだか緊張するわ」
「そうか? いつも通りでいい」
ホールをアベルにエスコートされて歩きながら、そんな会話をしあう。そういえば、学園時代に仲良くしていたご令嬢方はいらっしゃるだろうかと周りを見渡そうとした瞬間だった。
「は? なんでアベル様がここにいるの?」
それほど大きい声ではなかったかもしれないが、聞き覚えのある声に馴染み深い名前を呼ばれたのでやけに耳の奥に響いた。
どうやらその声はアベルにも聞こえていたらしく、一緒に声のしたほうを振り返る。
するとそこには、かつての婚約者であるヨハン王子、そしていつかと同じようにその腕にぴったりとくっついているアメリア嬢がいた。
二人とも、呆然とした様子でこちらを見ている。
アベルはアメリア嬢と知り合いだったのだろうか、と目線をやると、彼はその意味に気づいたように私に首を振った。
その間に我に返ったらしいアメリア嬢が、ものすごい表情をしながらこちらに向かってきて叫ぶ。
「なんであんたがアベル様と一緒にいるのよ! 全員攻略し終わったのに隠しルートのイベントがなかなか起こらないと思ったら、あんたが邪魔してたのね!!」
アメリア嬢の言っていることが全く理解できず、固まる私をよそに、彼女は「アベル様が一番の推しなのに」や「私がヒロインのはずでしょ!」などと支離滅裂な言葉を発する。
どうすればいいのかわからず困惑していると、急に大きな手に耳を塞がれた。
「俺に任せてくれ」
アベルは私をかばうように一歩前に出ると、いまだにヒステリックに喚き散らしているアメリア嬢に向かって「うるさいな」と低く響く凄んだ声を出す。
アメリア嬢はビクッとすると、すぐに言葉を止めた。
「先ほどから好き勝手に喚き散らして。エイミーはロックハート公爵である私の妻だ。これ以上の侮辱は許さない」
「で、でもアベル様! あなたは本当は私と結ばれる予定で……」
「一体何を言っているんだ? 私とお前は初対面だろう。そもそも、名前を呼ぶ許可もしていない。私が愛するのは、妻であるエイミーだけだ」
「そんなっ! アベル様は、その女に騙されているんです!」
「よほど牢屋に放り込まれたいようだな」
アベルが片手を上げて合図すると、彼の部下である騎士団の隊員たちがアメリア嬢を取り囲んだ。
アメリア嬢の両脇を騎士が固め、その場に跪かせる。
と、そこでようやく状況を理解したのか、ヨハン王子が慌てたように駆け寄ってくる。
「おい、乱暴するんじゃない! アメリアは私の愛する人なんだぞ!!」
「おや……ヨハン王子ではありませんか。失礼、もう王子ではないのでしたね。女性にうつつを抜かして地位を剥奪されたと聞きましたが」
「は!? ヨハン、本当なの!? そんなこと一言も言ってなかったじゃない」
「ほ、ほんとうだ。でも、愛し合う私たちには身分など関係ないだろう?」
「はあ? 王子様じゃないあんたになんの価値があるって言うのよ! それに、そもそもあんたなんてアベル様と出会うための踏み台でしかないのに!!」
アメリア嬢の容赦ない言葉に、すでに王子ではなくなったというヨハン様ががっくりと項垂れる。
アメリア嬢はその後もアベルに向かって何かを叫びながら、騎士たちに連行されていった。
一時騒然となった舞踏会は国王陛下の一言でなんとか平穏を取り戻し、何事もなかったかのように再開する。
アベルが私に手を伸ばし、「一曲どうだ?」と誘ってくる。私はにっこりと微笑みながら「喜んで」とその手を取った。
ダンスホールの中心、シャンデリアに照らされながらアベルとダンスを踊る。彼はターンをした私を受け止めると、いつものように「まだ死にたいか?」と柔らかい表情で問いかけてきた。私も彼に微笑みを返すと迷わず、「いいえ」と答える。その答えにアベルは心から幸せそうに笑ったのだった。
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