08 招かれざる客②
「全然違います。この店の主人であり私の師でもある魔女の二つ名は闇滅です。残念でしたね」
少女はムッとした表情で、ぶっきらぼうに騎士へと言い放つ。
魔女フレリアがありし日に少女に語って聞かせていたが、少女の大師匠にあたる“永遠の大魔女エターナリア”より貰った二つ名は、闇滅であるそうだ。
──闇滅の魔女、フレリア・アーレンティール。
それがジュジュの師匠である魔女の、魔女としての正式な名である。
エターナリアがフレリアの天啓に、はたしていかなる可能性を見出し、また何を願ってその名を送ったのかは弟子の弟子には到底知る由もないが、弟子の立場から言わせて貰うのならば、何となく強そうなその語感が羨ましく思えるのであった。
「そ、そうですか……残念です。いや、もしかしたらここに住まう魔女さまが俺たちの探している魔女さまなのかなって……。大変失礼な発言をしてしまいました」
少年騎士クラッズは急に不機嫌になり突き放した物言いをする少女へ、困惑と共に謝罪の言葉を述べる。
「探している魔女さま……ですか?」
「ええ。実は俺たち、とある方の命令でその魔女さまを探してて」
「なるほど、そうだったんですね。偉大なる大魔女、ねぇ」
どうやら聞けば探しものとやらは物品の類ではなく、“偉大なる大魔女”とやらの大層な二つ名を冠した魔女であったらしい。
一体どれほど優れた能力や特別な天啓を有していれば、師匠からそんなご立派な二つ名を貰えるのかは想像だにできなかったが、弟子にそんな十字架を背負わせる師匠も師匠である。
ジュジュの師である魔女も、お世辞にも良い性格と言えるような存在ではなかったが、下には下がいたようだ。
「はぁ」
少年は少女の言葉を聞くと先ほどまでの元気はどこへやら。
まるで萎れた花のように全身を項垂れさせると、少女の前にも関わらず大きく嘆息を吐くのであった。
……仮にもしここにミネットがいたのならば、騎士として減点を言い渡されていたことであろう。
「……」
少女は項垂れる少年の姿を見て思わず警戒を緩める。
師である魔女とは別人を探している事がわかったのもあったが、落ち込むその姿からは邪な考えなどは一切見て取れなかったからだ──。
一瞬の間なにやら考える仕草を見せると、項垂れる少年へと向け、慰めとばかりに優しげな声を掛けたのであった。
「……ですが。もしかしたら私の師はその偉大なる大魔女に心当たりがあるかも知れません。もしよければ直接ご本人にお話を伺ってみるのはいかがでしょうか」
「えっ、本当ですか?」
「はい──……私の師は千年を越える、長き時を生きぬいてきた古き魔女たちの一人です。仮にその存在に心当たりが無かったとしても、常人には知りえぬなんらかの情報を有していても不思議ではありませんから」
「あぁ、それはありがたい!! 是非ともお願い致しますッ!! それで……ジュジュさんのお師匠さまとやらはどちらに?」
まるで一筋の光明でも差し込んだかのように、少女の言葉に食い気味に言葉を被せる少年──。
少年は首を亀のように必死に伸ばし、不躾にも少女の背後の通路へと向け、チラチラと物色するような視線を送る。
藁をもつかむその必死で哀れな姿に、少女は思わず苦笑いを浮かべると言葉を続けるのであった。
「あの……ごめんなさい。実は外出中でいつ戻ってくるかまでは……わかりません」
「えっ、そんなわからないって……もしや遠方へお出かけされているのでしょうか?」
「すみません、クラッズさん。お恥ずかしい話なのですが、師は朝早くから場所も告げずに何処かへと行ってしまわれて……」
ジュジュは平身低頭で目の前の少年騎士クラッズに何度も頭を下げるのであった。
──少女は朝の光景を思い出す……。
いつものように師である魔女との朝の訓練を終えると、
魔女フレリアはまるで篝火に吸い込まれる真夏の夜の虫の様に、フラフラと街の酒場の方面へと吸い込まれていったのだ。
『いや、嫌、嫌ぁっ……!! お願い私を止めてジュジュちゃんッ! 決して望んではいないのに、私の足が勝手に酒場の方へ進んじゃうの……!! んっ、イヤァッ──! 駄目、ジュジュちゃんッ!! このままじゃあ私……お酒に飲まれちゃう! 助けて!!』
『今日こそ行かせませんよお師匠様っ!!! 昨日はかなりお酒を飲まれていましたよねッ!? 今日ぐらいは休肝日にして下さいッ──!!』
その日の魔女も口では嫌だ嫌だと言いながらも、制止する愛弟子の少女を、巴投げで雪の上へと勢い良く投げ飛ばし、昏倒しているその隙に酒場へと姿を消してしまったのだ。
……今頃は良い感じに出来上がり、街の船乗りたちと賭けポーカーに興じては、身包みを剥がされている頃合であろう。
船乗り達が戻ってきた日にはかなり早い時間帯から、酒場で大規模な酒宴が催されるのがラウラレンの日常風景なのである──。
──豊漁であったのならば祝宴を、不漁であったのならば次回の量への豊漁祈願として。
そしてなによりも、無事に愛する家族の戻ってこれた幸運に感謝を込めながら、喉元へと酒を流し込むのだ。
その中に混じり、毎度おこぼれに与っているのが、魔女フレリアという名の異分子なのである。
「本当にごめんなさい、日が落ちる前には必ず帰ってくると思いますので」
──だだお客でなくとも来客者に対して、面と向かって馬鹿正直にそんな事を話す訳にもいかない……。
故に少女の苦肉の策であった。
店の、何よりも師の沽券に関わるため嘘も止むなしである。
「わかり……ました」
少年は不服とも困惑とも思える表情を浮かべながら言葉を繋ぐも、少女のひたむきに謝るその姿勢に威勢をなくし、力なく言葉尻を下げるのであった。
──二人の間に何ともいえない微妙な沈黙が訪れる。
クラッズは棚に並べられた何に使うのかもわからない商品を黙って眺めており、ジュジュはこの先どうすれば良いのかわからず、両手を胸の前で組みながら、ただひたすらに師と猫の帰りを神へと祈っているのであった。
……ついでに願わくば目の前の少年が、お店から出て行ってくれますようにとも心の底から祈りを捧げる。
「あの……もし差し支えが無いようでしたら、お師匠さまがお戻りになられるまで、この場で待たせて頂いても宜しいでしょうか?」
──驚くべきような速度で神の存在が否定される。
沈黙に耐えかねたのか、先に口火を切ったのは少年の方であった。
差し支えがあるか無いかと問われれば勿論あると言わざるを得ない。
……だが日が落ちるまでというかなり先の時間を指定してしまった手前、寒空の下で『軒先でもいいなら待っていて下さい』とも、『難しいようなら、また日を改めて来て下さい』という当然の打診も出来ず、少女は造りもの染みた笑顔を浮かべると静かに言葉を返すのであった。
「わかりました。他のお客様のお邪魔にならないようにでしたら……あぁそうだクラッズさん、よければ暖かい飲み物をお持ちするので少々待っていて下さい。外は随分と寒かったでしょう」
「何から何までありがとうございます、このお礼は必ず……あっ!!」
少女は師である件の魔女フレリアはともかく、ミネットは遠からず帰って来るであろうと当たりを付けるのであった。
──その時にはミネットに全てを任せ、自身が酒場へと師を迎えに行けば良い……。
頭の中で先の展開を漠然と描きながら、朝食の際に用意していた赤ワインの残りを取りに戻ろうとした少女の背を、少年が制止するのであった。
「すみません待ってください!! 実は外に仲間が待っていまして……今連れて来ますね!」
少年が事も無げに言う。
「……え? あの、ちょっと!? そんな話聞いていま──」
「大丈夫ですよ! そう人数はおりませんのでッ!」
ジュジュは背後を振り返るも、既に扉は開け放たれており少年の姿は舞い散る雪の中へと消えているのであった。
──茫然自失。
少女は大きく溜息を吐くと、カウンターにまで戻り椅子に腰掛け、少年騎士クラッズが戻るのを虚無の表情で待つのであった。
待つ事わずか三分。
その短い時間が、途方もなく長く感じられたのであった。
少年騎士に引き連れられ、かつて市場で見た同様の装いをした精強な男達が、ズカズカと音を立てながら戸口を潜ってくる──そんな異質な光景に思わずジュジュは息を呑むのであった。
「い、いらっしゃま……せー」
少女は指を折り曲げながら一人、二人と店の中へと入ってくる騎士の数を数えていたが四人目を超えた辺りで思わず椅子から腰が持ち上がってしまう。
「副団長、みなさん。こちらのジュジュさんが魔女さまがお戻りになられるまでお待ちしても良いと」
悪意の一つも感じさせない笑顔を携えて、仲間の騎士たちに少女を紹介する少年騎士クラッズ。
実際悪意などは無かったのであろう……だがその屈託の無い笑顔に、思わず火球をぶち当てたい衝動に駆られる少女であったが、太ももを抓り何とかその欲求に勝利するのであった。
「よぉ邪魔するぜお嬢ちゃん。ふいー流石に寒かったな……寒すぎて縮み上がっちまった金玉が身体の中で行方不明になっちまったぜ、ったく」
副団長と呼ばれた無精髭の男が何とも下品な冗談を口にしながら快活に笑う。
少女は思わず大きな舌打ちをしてしまったが、少女自身も含めて誰も気付かない。
「がははっ!! そうなると冒険者ギルドに捜索依頼を出しておかねばいけませんなぁ副団長!! 達成報酬は金の玉2つの現物支給で依頼書を出しておきましょう!」
「よせよせファイサル。それじゃ、この世界から貴重なイケメンが一人減っちまうだろうが」
ファイサルと呼ばれた浅黒い肌をした身長2メートルを越える巨漢のハゲ男が、副団長の下品な冗談に相槌を飛ばす。
およそ清潔な環境とは呼べないなんでも屋ではあったが、遠目で見ても口元から飛散する唾が見て取れ、少女は思わず眉を顰めてしまうのであった。
「何だねこの薄暗くて寂れた店は、それに……随分と埃っぽい。そこの魔女見習い──掃除はちゃんと行き届いているのかね?」
短い髪を後ろに撫で付けた、何とも神経質そうな顔の男が入店してそうそう店への嫌味を零す。
片目に取り付けられた分厚いモノクルが不敵に輝く──まるで嘗め回すかの様な男の視線に応えるように、少女は笑顔のままこめかみに青筋を立てるのであった。
「オブライエン卿、善意で居場所を提供して下さっている善良な市民に対して、その口の利き方はいささか問題があるのでは。大変失礼致しました……麗しき小さな魔女殿。あの者は団内でも一二を争う、礼儀知らずで偏屈な“魔法使い”でしてね。彼に代わり私が謝罪させて頂きます」
「誰が礼儀知らずで偏屈だ」
他の騎士達よりも垢抜けた美丈夫が、申し訳無さそうな表情でオブライエンと呼ばれた男の発言を詫び、ジュジュとオブライエンを引き離すようにして二人の間に挟まる。
「いや狭ッ!! やっぱ外で待ってた方が良くないですかね副団長……? どう考えても迷惑以外の何ものでもないっすよコレ! 常識考えましょうよぉ!」
「黙れブラッドリー、お前の意見は求めていねぇ。寒いから早く扉を閉めろ」
戸口の外から顔だけを屋内へ入れてそう叫ぶ、目の細長い青年へジュジュは心からの賛同を送るのであった。
その数──六名。
以前市場でその姿を見かけた時とは異なり、随分と和やかな雰囲気を彼らは醸し出してはいるが、騎士たちの大半が身長1メートル80を超えるであろう、恰幅の良い巨漢である。
そんな彼らが小さな室内に、すし詰めにされている光景は正しく壮観の一言であった。
仮にもし人間の男が大好きなミネットがこの場にいれば、まるで猫のように可愛らしい『にゃーん』という猫なで声をあげて媚を売っていた事であろう──。
「……ご、ごゆ」
──少女はそんな彼らに対して言葉を掛けようとするが、途中で話すのを止め押し黙ると、静かに天を仰ぎ見る。
(お師匠様……ミネットさん……早く帰ってきてぇッッ!!)
少女は涙目になりながら声無き声をあげ、己の師である魔女と猫へ助けを求めると諦めたかのように瞳を閉じる。
そして今は戻らぬ暇を持て余していたが、平和であった時間へと想いを馳せるのであった。