07 招かれざる客①
「……すみません。ここが魔女さまのお店でしょうか」
不意に掛けられた遠慮がちな少年の声で、ジュジュは知らぬ間に新たな客が来店していた事に気付かされる。
「あっ、はい」
慌てた少女はカウンターに設けられた木製の椅子から、誤魔化すように勢い良く立ち上がると、頭の三角帽子を綺麗に被り直し、戸口へと駆け寄るのであった。
朝のトラブルにより形が崩れてしまっていたトレードマークは、師である魔女の手によりすっかりと元通りとなっている。
「いらっしゃいませ。遠慮せず中にお入り下さい、冷やかしでも大丈夫ですよ?」
戸口の外からひょっこりと顔だけを見せる少年へと向けて、少女は片手で室内に入るように促すと、軽い冗談を交えながら笑顔で挨拶するのだった。
少年は一瞬だけ少女を一瞥すると、困ったように視線を彷徨わせて、たじろいだ様子を見せる。
外にまだ別の誰かがいるのか、少年は何かの許可を求めるかのように背後を振り返ると、しばらくの後ゆったりとした動作でなんでも屋の暖簾を潜るのであった。
立て付けの悪い扉が閉まるのと同時に、屋外の身を切るような寒さの冷気が少女の頬を撫でる──。
「あぁ、よかった。二時間ほど前にお店に訪れた時には、まだお店が閉まっていたので本日はお休みだとばかり──。あっ、失礼しました。俺、クラッズって言います」
首元に真っ白で豪奢な毛皮が付いた厚手の防寒用コートに身を包んだ少年──近くで見れば、素人目に見てもより高級な品である事が見て取れる。
そんな防寒具に身を包んだ短髪の少年騎士クラッズは、ジュジュへと向けて人懐っこい笑顔を浮かべるのであった。
外では軽く雪でも降り始めているのか、少年の身を包むコートには、チラチラと雪の跡が見て取れる……。
サハリナでは天気が急変することもそう珍しくもない。
もしかすると夜からは本格的に降り始めるかも知れないなと少女は一人思うのであった。
「これはどうもご丁寧に。はじめまして騎士さま、私の名前はジュジュと申します。とても素敵なお召し物ですね」
「え、あっ、ありがとう。……あと騎士様じゃなくて、クラッズで大丈夫ですよ」
ジュジュは騎士に習い、笑顔で自己紹介を始める──まさか丁寧に名乗り返してくれるとは思ってもみなかったのか、少年は驚いたような表情の後に、ぎこちなく口角を作り上げわざとらしい笑みを浮かべるのであった。
辺境に住まう田舎者の少女が評するにはおこがましいが、少女の目から見ても少年は、とても純朴で誠実そうな人間に思える。
少年の腰元にはやたらと目を引く、立派な意匠が凝らされた剣が一本差されている。
それを収める鞘の美しさから察するに、抜き身の刃も相当の一品である事が想像できた。
遠くでは良く見えなかったが、近くで見ると鞘に凝らされたその繊細な意匠が、よりハッキリと鮮明にわかる……。
──美しい剣の鞘には、剣を口に咥えた黄金の獅子を模した小さな彫刻が見て取れるのであった。
「えぇと、その実はですね──」
少年は少女の値踏みするような視線に気が付くと、その視線の先にある剣の鞘を少女の視線から隠すかのように、自然と身体を動かし遮るのであった。
騎士が不躾な田舎者の対応を責め立てるかのように微笑む──だが対する微笑まれた少女は、そ知らぬ顔でニコリと笑顔を返すと、無言でそれを受け流すのであった。
「──それで、実は……えっと。どこからお話すれば良いのでしょうか……」
仕切りなおしと言わんばかりに少年は話を始めるが、頭の中で整理が追いついていないのか、直ぐに言葉に詰まる。
少年騎士クラッズは、頭の中の言葉を言語化するのがよほど苦手なのか、なにやら一人でうんうんと唸りながら、恥ずかしげに頭をポリポリと掻いているのであった。
その立ち振る舞いには自信が感じられず、どこか所在なさげにも思えるが、反して気の弛みや隙といった物が一切見られない。
仮に近接戦闘の心得の無い、ジュジュのような非力な少女が剣を持って打ち込もうとしても、簡単にいなされてしまうであろう。
「はいクラッズさん。改めてお伺いさせて頂きますが、本日は当店にどういったご用向きでしょうか」
──言うまでもなく少年は、件の騎士たちの内の一人である。
ジュジュは動揺をおくびにも出さず、両手を合わせながら、ニコニコとした笑顔を少年へと向けるのであった。
「えと……そうだ。ジュジュさん、まずはお聞きしたい事があるのですが──」
そして目の前の少年の言葉に耳を貸しながらも、少女の頭の中では今朝方ミネットと交わされた会話が、静かに反芻されているのであった。
『──あの人たち、中央のお偉いさんに命じられて泣く泣くこんな僻地にまで遠足に来たみたいなのよ。なにやら、とある物を探しに来た騎士さまらしいわ』
ミネットが娼館のオーナーより聞いた話によると彼らは、中央の立場のある人物に命じられ、この北方の大地へと足を踏み込んだ騎士たちという話である。
このような遠方にまで一体何を探しに来たのかまでは不明であったが、仮に探し物を探しながらの道のりであったならば、常時駿馬に乗っての駆け足だったとしても、相当な日数と労力が費やされたであろう事は想像に難くない。
少女は己とそう歳も変わらぬ目の前の少年騎士に、頭の中でご苦労様ですと頭を下げると、敬意を表して佇まいを正すのであった。
「──ここって、あの……魔女さまのお店で間違いないんですよね?」
店内を彷徨うようにゆっくりと練り歩きながら、少年は選ぶようにポツポツと言葉を漏らす。
あばら家とも思える店には到底不釣合いな金額が提示された、魔法道具や壁に掛けられた巨大な鹿の置物に目を丸めては、小さく感嘆の声を漏らすのであった。
「ええっと……はい。確かにそうですが、もしかして当店の主人に用件が?」
少女が警戒心をあらわに、少年へと向け言葉少なく返答する。
何故ならジュジュが12歳の誕生日を迎えた日に聞いた話によると、魔女フレリアの友人と呼べるような、親しかった人間や魔女たちのその一切が、およそ千年前に巻き起こったとされる“人魔大戦”の折に死亡してしまったとの事なのだ。
ラウラレンの外には一人の知り合いもいないというのは師である魔女直接の言葉である──だからこそ知り合いのいない外界より、魔女を訪ねて来たとも取れるような少年の発言には、少女は強い警戒心を抱いたのであった。
恐らくあまり良い話ではないだろう──確信とも思える予感が少女にはあったのだった。
「……良かった!! あのジュジュさん……その魔女さまの“二つ名”って、もしかして“偉大なる大魔女”ではありませんか?」
「えっ」
だが少女の言葉を聞いた少年は、屈託の無い笑顔を浮かべると、少女にとっては意外な質問を返してくるのであった。
──魔女にとっての“二つ名”とは、通常のそれとは異なる、別の意味合いを併せ持つ。
ジュジュの師である魔女フレリアいわく、それすなわち『旅立つ我が子へ送られる、親からの餞別』である。
魔女の世界において魔女見習いたちは、自身の内に眠る天啓を具現化した魔杖を手にする事で、ようやく一人前と見なされ魔女を名乗る事が許されるが、その際に師である魔女からは相応しい二つ名が弟子へと送られるのだ。
火に類する特性を有した魔杖を具現化させたのならば爆炎や業火。
あるいは水に類する特性を有した魔杖を具現化させたのならば、清流や純水……といった形である。
師から弟子へ、親から子へ。
文字通り“魔女見習い”へ送られる最後の送り物であるからこそ、魔女たちは自身の二つ名を誇りにし、そして何よりもそれを大切にするという……。
名を大切にするというエピソードの中に、有名な逸話が一つある。
それはかつて、似たような特性の魔杖を具現化させた魔女見習いたちが、ほぼ同じ時期に全く同じ二つ名を、別々の師である魔女より授かってしまったといった話だ。
彼女たちも見習いを卒業し、なかば浮き足立っていたのもあったのだろう。
あるいは単純に興奮し理性を失っていただけなのかも知れない。
なんと一方の魔女がもう一方の魔女を、後ろから魔法で攻撃し殺害を試みてしまったのだ。
道理なく突発的に行なわれた、後先を考えぬその行動が引き金となり、両者間では当然のように長きに渡る争いが発生したのであった──。
その争いは各々の師である魔女や、その流れを汲む他の兄弟弟子たちだけでは飽き足らず、数多くの魔女団をも巻き込んだ大戦争へと発展していく。
一発の魔法より始まった不毛な戦争の結末は、件の魔女たち二人が共に壮絶な死を遂げるという、なんとも後味の悪い決着を迎えたのであった。
……魔女は師である魔女から与えられた名を大切にする。
そのため現在でも師匠である魔女たちは、弟子に送る二つ名が他と被らない様に随分と頭を悩ませ、神経をすり減らすと言われている。
現在では大半の師となる魔女は、一年に八回開催されるという“集会”のいずれかで情報交換を行い、数週間から、長くても数ヶ月のうちに二つ名を考えるのがポピュラーとされているのだった。
ジュジュの師である魔女がまだ若かりし時代には、中には二年以上という途方もない歳月を掛け、弟子へと送る二つ名を入念に考える“こだわりオシャレ魔女”なる者たちも少なからず存在したそうだが、
蓋を開けてみればその実態は、ただ単純に子離れできない親の心情が根底にあり、その多くが別れまでの時間稼ぎを行っていたにすぎないらしい。
『私の二つ名は4秒ぐらいで師が考えてくれたんだけれど、その時は流石に早すぎてショックを受けちゃったよ! ジュジュちゃんの二つ名は、20年ぐらいかけてしっかりとカッコいい名前を考えてあげるから安心してね!』
──とは魔女フレリアの言である。
考え方によっては可愛らしく、いじらしいと思えない事もないが、待たされる側は堪ったものではないだろうと少女は想うのであった。
■用語紹介
二つ名
【区分】風習、文化
・弟子である魔女族が、愛弟子の“魔女見習い”へと送る最後の贈り物──古き六大魔女たちが二つ名を自称し始めた事をきっかけに発展した文化である。
元は名前の先頭に、発現した魔杖の特性に沿った単語をくっ付ける程度の簡易な文化であったが、数多くの魔女族が誕生しその数が増えると、次第に“造語式(闇滅など)”や“形容詞付き式(輝ける黄金の魔女など)”などのパターンが自ずと増えていった。
師である魔女の最後の腕の見せ所であり、かなりの美的センスが問われる局面であり、他者と被らない様に師たちが神経をすり減らす時でもある。
……余談ではあるが二つ名とはまた別に、祭儀用の魔法短剣や魔女の秘儀の全貌を記載した“影の書”と呼ばれる魔道書の写本が送られたりもした。