66話 雪花月13
戸惑い、叫んでいたのは一瞬だけのことだった。
冒険者たちは即座に対応を開始したのだ。
ブルーノの掌から炎が放射され、黒い獣に纏わり付く。大して効いている様子はないが嫌がらせ程度にはなっていそうだ。全身が炎に包まれた獣が鬱陶しそうに頭を振っていると、地面が隆起した。
固い岩盤が砕け、幾つもの岩槍が飛びだしたのだ。獣の真下から伸びたそれらは、黒い獣を空へと打ち上げた。これも大したダメージを与えることはできなかったようだが、宙に浮けば落下までは身動きができないはずだ。
「うらあああぁああ!」
アイダが気合いと共に剣を振り上げた。もちろん浮いている敵に届く距離ではない。だが、剣から放たれた斬撃は黒い獣を更に上空へと打ち上げた。つまり、黒い獣は切り裂かれたわけではない。
――え? 無傷なの?
もしかすれば効いているのかもしれない。衝撃が内部に浸透している可能性はあるだろう。だが、表面的には無傷だった。一撃で森を切り払うほどのアイダの斬撃は、黒い獣を両断するには至らなかったのだ。
打ち上げられた獣が落ちてくる。アイダは追撃しなかった。先ほどの一撃に全力を込めていたのか、すぐに次の行動には移れなかったのだ。
派手な音を立てて黒い獣が岩盤に激突する。多少は効いたのか、黒い獣がゆっくりと立ち上がった。
雪花月は、あらためて黒い獣を見た。アルビンが死んでから今まで、観察する余裕がなかったのだ。
一見するとそれは立ち上がった巨大な熊だった。だが、熊とは決定的に違う部分もある。それには眼が、鼻が、耳がなかった。頭部に顔らしきものが見当たらないのだ。だが、先ほどはアルビンの頭部をかみ砕いていた。その黒いだけにしか見えない丸い頭部は上下に大きく開くのだ。
他には体表の様子も熊とは異なっていた。黒ずくめでわかりにくいが毛の一つ一つがかなり大きく、鋭く尖っている。その表皮に触れるだけでも危険だろうし、斬撃をものともしなかったようにかなりの防御力があるのだろう。
「くそっ、どうする!? 効いてる感じしねーぞ!」
「少なくとも灯には一定の効果があったわ!」
「でも、あれで全力ですよ!」
冒険者たちの表情には絶望が滲んでいた。勝ち目が薄いことを十分に理解できたのだろう。
「一点に集中できない?」
「あ! 武器に纏わせれば!」
「無理だ。俺の剣じゃ持たねぇ」
「頑丈な剣ならあるじゃない!」
それでもどうにか勝ち筋を見いだそうと彼らは懸命になっている。では、その時雪花月はどうしていたか。
無になろうとしていた。
何もせず、この厄災が通り過ぎていくのをただ待つしか無いと考えたのだ。
月は無力ではあるが、この状況でなら多少はできることもあるだろう。離れたところでうろうろしているだけでも敵の注意力をいくらかは削ぐことができるかもしれないし、狙いを分散させることができるかもしれない。現地の人間とは違いHPのバリアを持っている月なら一撃ぐらいは耐えられるかもしれないので囮になってもいいだろう。
だが、それは無駄だと、死に急ぐだけだと月は考えた。
もしかすれば、彼らに戦いを任せて逃げ出したほうがいいのかもしれない。だが、そうすればあの獣がまず月を排除しようとするかもしれないのだ。戦うのは論外だが、逃げることにもリスクはある。何をしようと死ぬ可能性はあるのだから全ては賭け、どこにベットするべきかなのだ。
そこで月は何もしないことを選択した。努めて何もしないこと。極力気配を消し、敵意を見せないことだと判断したのだ。
なんの意味もないかもしれないが、脅威が一切無いのなら優先的に襲う必要はないだろう。周りには殺気にあふれた冒険者がいるのだから、まずはそちらと戦うはずだ。
もちろん確証などありはしないが、余計なことをするよりも余程生き残れる可能性が高いと月は考えた。襲われる優先順位が下がるだけのことなら数分後に死ぬだけのことだろうが、冒険者たちがこの状況を切り抜ける可能性はゼロではない。残虐な獣に打ち勝つかもしれないのだ。
――そう、私はここに生えてる木か何か。いや、岩とかそーゆーもの。
アイダがアルビンの亡骸に駆け寄って剣を拾った。
ルヴィエラの魔法が大地を揺らす。黒い獣の足元を小刻みに隆起させて体勢を崩しているのだ。これで倒せるわけではないが、嫌がらせとしては効果的だ。
ブルーノが、アイダが手にした剣に炎を纏わせた。全力を出したのかブルーノが目に見えて疲弊していた。しばらくは動けなさそうだ。
そんな彼らを見ながら、月は何も考えていなかった。頑張れと応援することも、作戦の成功を祈ることもしていない。ただ視界に映るからそれを見ているだけであり、努めて無視しているのだ。
「ぎゃぁあ!」
悲鳴を上げながらブルーノが倒れた。獣の針の様な獣毛が周囲にまき散らされ、ブルーノに直撃したのだ。右腕、腹部、左足に突き刺さったそれらは致命傷のように見えた。
さすがに無に徹している月もすぐそばを獣毛が通り抜けていった時には肝を冷やしたが、それでも一切身動きせずにやりすごした。
アイダは炎を纏った剣で飛んでくる獣毛を切り飛ばし、ルヴィエラは地面から岩壁を出現させて防御したようだ。
「くそっ! これが効かなかったら後がねぇぞ!」
「そう長くもやってられないでしょ!」
「とにかく動きを止めてろ!」
「やってるわよ!」
地面が大きく揺れ、月は吹き飛ばされた。踏ん張れば耐えられる程度だったかもしれないが流れに身を任せたのだ。
倒れた月の視界に、大きく地面に踏み込む獣の姿が映った。岩盤を砕き足を突き入れてルヴィエラの魔法に対抗しているようなのだ。
「駄目! レジストされる! もう足元への魔法は効かない!」
「なんでもいいからやれよ!」
獣の周囲の地面が隆起し、槍状になった無数の岩が斜めに突き出される。格子を形成するそれらは檻のようなものだろう。獣が手を振れば一瞬で砕けたが、それでもその一瞬を稼ぐぐらいは、突進に移ろうとする動きを止めるぐらいの効果はあった。
そこに、アイダが突っ込んでいく。両手で持った剣を肩に担ぎ、後を考えない勢いで迫っていくのだ。
「おらああああああああ!」
雄叫びを上げ、気合いと共に炎の剣を振り下ろす。剣は獣の肩に当たり炎がなお一層燃え上がった。アイダの気合いに応じるかのように盛大に炎が立ち上ったのだ。
炎と共に剣が勢いを増す。噴き出す炎が後押しをしたのか、剣は針のような獣毛を切り裂いて獣の肉に食い込んだ。
「死ねええええぇええええ!」
さらなる気合いを込めながらアイダが剣を押し込んだ。
それは月からすれば意外な光景だった。どうせ効かないだろうとばかり思っていたからだ。
だが、アイダの剣は獣を切り裂いていく。左肩から入り斜めに進んで行く斬撃は右脇下へと到達し、分断したのだ。
「もっと死ねぇえええ!」
アイダは剣を横薙ぎにした。もうこの時点で獣の力は失われていたのか、実にあっさりと獣は上下に両断された。三分割され、下半身だけで立っている状態になったのだ。
「くそがっ! 不意打ちじゃなけりゃアルビンがどうにでもしたんだよ、ちくしょう!」
――勝った……の? えーと……うん、大丈夫。私が何もできずに固まってたからってそれはもう仕方がない。こんなか弱い美少女なら当然のことだよね?
少し気まずいかとも思ったが、怖くて何もできなかったで押し通そうと月は決めた。
「ブルーノはどうなった?」
半分になった獣を見たままアイダは聞いた。死んでいるようにしかみえないが油断していないのだろう。
「かろうじて生きてはいるけど……このまま進むのは無謀かしら」
ルヴィエラはブルーノの手当をしていた。刺さった獣毛を抜き、血止めをしているのだ。
――回復ポーションみたいなのはないんだ……。
異世界ならではの回復手段があることを期待していたが、怪我をすれば包帯を巻くぐらいしかできることはないらしい。
「塔まで戻るか」
獣が確実に死んだと判断したのか、アイダもブルーノの下へやってきた。
「なあ、悪いけど、こいつを背負って運んでくれねぇ?」
「……え? 私ですか?」
急に話しかけられて月は驚いた。まさか倒れたままの自分がこの話の流れに関わってくるとは思っていなかったのだ。
「軽いからいけるだろ。俺とかルヴィエラが背負うと敵が来た時にまずいからよ」
「えー……あー、そうですね」
断ろうとして考え直した。戦力にならない月が怪我人を運ぶのが合理的だと判断したのだ
月は上体を起こしため息をついた。人を背負って運ぶなどか弱い美少女の役目ではない。合理的かもしれないが面倒なことこの上なかった。
「あれ、なんだったんでしょう?」
怪我人がいるのだから急がなければまずい。だが、すぐに立ち上がる気力もなくて月は今さらどうでもいいことを聞いた。
「たまに強い雑魚はいるが、ここまでのはお目にかかったことがねぇな」
「あの、これが探してる魔王とかってことは?」
なんとなく思いついたことを月は言った。他にどんなモンスターがいるのかは知らないが、これほど強いなら魔王の可能性はないのかと考えたのだ。
「んなわけねぇだろ。俺らで倒せるなら苦労はねぇよ」
「でもどうかしら? 魔王がなんなのか、どれぐらい強いのかは誰も知らないわけだけど」
「だとしてもすぐさま何もかも問題解決ってことでもねぇだろ。てかくっちゃべってる場合じゃねぇ。そろそろいくぞ」
さすがにこれ以上はのんびりもしていられない。月は億劫ながらも腰を上げるべく片膝を立てた。
すると、出発しようとしていた二人が倒れた。
「はい?」
倒れたアイダとルヴィエラの上半身には針のような獣毛が幾つも突き刺さっていた。頭にも心臓の辺りにも深く刺さっているのでおそらくは即死だろう。
月は、ゆっくりと元凶であろう獣へと目を向けた。
大きな獣の下半身だけが立っている。この状態で生きているとは思えないが、これから発射されたとしか思えない。立っている人間の上半身を狙ったためか、月には当たらなかったのだろう。
――どうしようも……ない……。
三人が死に、一人は重傷で、月には戦う力が無い。どうにか使えそうなのは美貌による魅力なのだが、獣が相手ではどうにもならないだろう。
――いや? ワンチャンいけないか? 美女と野獣的な? 獣でも人に懐いたりとか? そもそも今狙われてないのも美貌のおかげとか?
微かな期待を込めてバラバラになった獣を見る。獣の下半身に動きがあった。断面が盛り上がり血があふれ出ているのだ。ずるりと断面から何かが出てきた。
それは、獣の下半身とはあまりにもアンバランスな優男の上半身だ。
「……んあ? ……何があった? どういう状況、今?」
男は寝ぼけ眼という様子だった。あまりにも寝起きの雰囲気を漂わせている。
「こっちが聞きてぇよ!」
月は思わず叫んでいた。




