60話 高倉和夫1
高倉和夫は、九法宮学園入学式から数日遅れて第三採掘世界へとやってきた。数日などと曖昧なのは、世界転移の際に時間のずれが発生することがあるためだ。入学式の翌日に転移を行いはしたが、どの程度ずれているのかは現状ではわからない。
けれど、多少の時間のずれぐらいはどうでもいいことだった。和夫の目的は一年前に入学した妹との再会であり、数日ずれたところで誤差にすぎないからだ。
おそらく妹は失敗して死んでいる可能性が高い。だが、たとえそうであっても救出できる可能性はあった。九法宮学園の生徒たちをとりまくシステム、バトルソングには蘇生可能なスキルが存在するからだ。
和夫はスマートフォンを取り出し地図を確認した。すでに教員アカウントで初期設定は終えているのですぐアプリを起動できる。和夫はおおよそのことを知った上で、十分に準備を整えてからやってきたのだ。
「スタート地点は最悪だな」
魔界と呼ばれる地域の端にある森の中だった。いきなり魔物と遭遇する可能性があり、難易度は非常に高い。できるなら安全で人の多い場所に転移したかったが、この結果が外れとも限らない。なぜなら、街からここまでは簡単にやってくることはできないからだ。もし、このあたりに妹がいるのならこの初期位置が最適の可能性もあるだろう。
地図で周囲の動体を確認する。敵らしき姿はないのでとりあえずは安心だ。和夫は現状を確認することにした。転移についての知識だけはあるが実践するのは初めてだ。念の為に確認するにこしたことはない。
まずは身体を確認する。身長180センチ、体重90キロの身体に変化はなく、身体感覚に異常はなかった。つまり元の世界と変わらないということだ。ステータスによる影響はそれほどないらしい。
次に所持品を確認した。持ち込めるのは身に付けているものだけであり、背負い鞄や手に持っている物は含まれない。
グレーのスーツ、シャツにネクタイ、下着に靴下、革靴。これは生徒の制服よりも頑丈な代物で、教員アカウント専用装備となっている。
スーツの内に付けているショルダーホルスターとナイフが二本。武器を持ち込むにはこうするしかなかった。
携帯食料。ポケットにいくつか入れているが、大した量ではないのですぐになくなるだろう。食料の確保は喫緊の課題だ。
最後にステータスを確認した。初期設定はすでに終えてあって変化はない。ジョブは聖騎士であり、必要なステータスは取得済みだ。レベルは50で必要だと思ったスキルも取得してある。
一通り確認し、特に問題はなかったので和夫はさっそく行動に移ることにした。
スマートフォンで地図を確認すると、あたりにいる生徒の位置が表示されている。教員アカウントは、生徒の位置を把握することができるのだ。
一番近くにいるのは三名で、一緒に道の上を歩いていた。
1-1 飯島信彦
1-3 香田梨里
1-4 夏山希美
教員アカウントでわかるのはこの程度の情報だが、これだけでも生徒に比べればかなり有利に立ち回れる。
和夫は彼らの元に赴くことにした。おそらく妹とは関係ないが、決めつけることもできない。他の動体にも注意を払い、和夫は木々に隠れながら生徒へと近づいていった。
――さて、どうするか。
彼我の距離は20メートル程。お互いの姿は木々に紛れて見えてはいない。だが、動いている物の位置なら生徒たちも把握できる。慎重に行動しているのなら近づいてくる和夫の存在に気づくことだろう。
――ある程度離れた場所から声をかけて――
ガギィン!
それは、和夫のナイフが何かを弾いた音だった。おそらくは生徒達からの先制攻撃を防いだのだが、和夫は何が起こったのかさっぱりわかっていない。なぜなら、ナイフを抜いたのも防御したのも無意識で行われたことだからだ。
オートガード。聖騎士のスキルであり、防御可能な攻撃を自動的に防御する強力なスキルだった。本来なら転移後すぐには取得できないのだが、レベル50もあれば上位スキルの取得が可能なのだ。
「おい! ちょっと待ってくれ! 僕は敵じゃない!」
新入生ならまだこの世界に馴れていない。教員らしく振る舞えば懐柔できるだろうと思っていたのだが、和夫の想定よりも彼らはこの世界に適応していた。問答無用で先手を打ってきたのだ。
「ふざけるな! 攻撃してきただろ!」
和夫の呼びかけにまだ幼さの残る男の声が応えた。わざわざ反応するあたりまだ交渉の余地がありそうだ。
「誤解だ。今のはたまたまパリィが成功してカウンターになっただけなんだよ。反撃しようとしてしたわけじゃない。いいか、今からそっちに行くけど攻撃しないでくれ」
和夫は両手を上げたまま道に出た。攻撃はしてこなかったので様子を見る気になったのだろう。5メートルほどの距離を置いて、和夫は生徒たちと対峙した。
九法宮学園の制服を着た男女が三人横並びになり和夫を警戒している。
真ん中の少年、信彦は剣を。左側の少女、梨里は弓を。右側の少女、希美はハンマーを構えていた。
先ほどの攻撃は弓矢によるものだったのだろう。飛び道具らしきものはそれぐらいだからだ。カウンターで怪我をしている様子はないから、HPでカバーできる程度のダメージだったようだ。
「僕は九法宮学園の教師、高倉和夫だ。武器を下ろせと言っても無駄だろうしこのまま喋ろうか」
教師ではないし学園の関係者ですらないのだが、最初から教員を偽装するつもりだったので自然に話すことができた。
「先生なんですか!」
「だったら何がおこってるか知ってるの!?」
「だったら教えてくれよ! 何がなんだかさっぱりわからねーんだ!」
教師を名乗ったことで彼らの態度が和らいだ。こうあっさり信用されるのは意外だったが、彼らも限界だったのかもしれない。
「ちょっと近づいてもいいかな。スマホに教職員証が入ってるから、一応証明しておくよ」
和夫は教職員証のアプリを起動し、スマホを持った手を前に伸ばしたまま近づいた。制止されなかったので、警戒感は薄まっているようだ。近づきすぎても怪しいかと思い、画面をどうにか確認できそうなぐらいの距離で立ち止まった。
「ほんとだ……」
「数学の先生?」
「1-3の担任か」
「てか私ら何組なの?」
「今それどうでもよくない?」
三人がアプリを見て顔を見合わせている。
「いろいろと説明してもいいんだけど、それよりももっと簡単なことがある。ここが異世界であることはわかってるかな?」
「まぁ……そんな気はしてた」
「モンスターいるし」
「スキルで武器が湧いてでてくるってありえねーしな」
「僕なら君たちを元の世界に帰せるよ」
「マジで!?」
三人の声が揃った。
「教員には帰還権限があるんだ。あれこれ説明を聞くよりもさっさと帰れる方が嬉しいんじゃないかな?」
「そうだよ! ここがどこだとか、目的はなんだとかどうでもいいよ!」
「そう? なんでなんでこうなったかとか少し気になるけど……」
「説明してもいいけどそれなりに時間はかかるし、まずは戻ってからでもいいんじゃないかな?」
「それは……そうかも……」
「そうだよ。またモンスターが襲ってくるかもしれねーんだぞ!?」
「すぐ戻れるんですか?」
「うん。手続きさえ済めばね。帰りたい人はスマートフォンを出してくれないかな。僕のスマートフォンとNFCで接続する必要があるんだけど……」
強制はしていないし、断られても別に構わない。和夫はそう思っていたが、彼らはあっさりと武器を収めてスマートフォンを差し出した。どうやら完全に教師として、頼りになる大人として見ているらしい。
和夫は三人のスマートフォンを受け取り、スーツのポケットにしまった。三人が、少しばかり不思議そうな顔をしていた。すぐに手続きをするとばかり思っていたのだろう。
もちろん、教員アカウントであろうと帰還権限などない。和夫は彼らのスマートフォンが欲しかっただけであり、面倒な手順を省きたかっただけなのだ。
和夫はナイフを抜き、横薙ぎにした。
香田梨里の首が半ばまで裂かれ、血が噴き出す前に和夫は背後へと回る。次は飯島信彦を背後から襲うつもりだったが、信彦はかろうじて反応した。振り返り剣を叩き付けてきたのだ。
和夫はそれを左手のナイフで弾いていた。オートガード。それに加えてパリィ判定延長スキル。パリィ成功によって信彦の体制が崩れ、その一瞬の隙に和夫は致命の一撃を胸に刺し入れた。
夏山希美も迎撃しようとはしていたがハンマーを持ち上げられずにいる。和夫は正面から襲いかかり、希美の息の根を止めた。
「ちょろすぎるなぁ」
スマートフォンを所持していなければステータスの補正はなくなり、スキルも使えなくなる。何があってもスマートフォンだけは手放してはいけないのだが、彼らはそれを理解していなかった。
和夫のレベルは50なので正面から戦っても負けることはないはずだったが、安全に事が済むならそれに越したことはない。レベル差があっても覆す方法はあるので、全てを封じてしまうのが確実なのだ。
和夫は奪ったスマートフォンのログを確認した。彼らの行動を追っていったが、妹に遭遇した形跡はなかった。これは直接会っていなくとも一定の距離に近づいたことがあればログに記録されるのだ。
確認したかったのはそれだけなので、もっと穏当な方法もあったかもしれないが和夫はまどろっこしいことをするのが面倒だった。それに生徒を倒せばより多くの経験値が手に入り探索の効率が上がるので一石二鳥ぐらいにしか考えていないのだ。
「さて。さくさくやっていかないとな」
地図で近くにいる生徒を探す。5キロほど離れた所にいるのが一番近いようだ。
1-2 極楽天福良
1-2 二宮諒太
どちらも新入生なので妹に遭遇している可能性は低いが、多少でも可能性があれば見過ごすわけにはいかない。和夫は彼女らの元に向かうことにした。