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【令和元年(2019年)11月~令和4年(2022年)10月】

 今から3年前の2019年5月、元号が「平成」から「令和」に変わりました。そして時が過ぎ、日本中がラグビーワールドカップの興奮冷めやらぬ11月のある日、


「えっ、移住……ですか?」


 2人きりで夕食をしていると突然、夫の新一(しんいち)さんが予想だにしない驚きの提案をしてきました。

 私は52歳になっていました……新一さんは57歳で郵便局に勤務しています。新一さんは郵政民営化前に、配達員の仕事から局内の仕事……内勤になっていました。


「うん、実はウチのお得意さんに北杜市の人がいるんだけど……親が高齢なんで、大きな病院が近い甲府に引っ越すっていうんだ。その人の家は元々農家で広い畑もあるんだけど、長いこと耕作放棄地になっているらしくてね……」

「……はぁ、」

「で、その人は実家と畑を継がずに手放すって言ってるんだけど……僕が住んでくれるなら格安で貸してくれるという話でね」


「まぁでも……急にそんなこと言われても……それに新一さん、農業やるおつもりなんですか?」

「そりゃもちろん、二つ返事できる話じゃないことはわかっているよ。ただ、僕もあと3年で定年だ。延長もできるけど、せっかくだから身体が動くうちに何か新しいことをやりたいって前々から思っていたんだ。だから早期退職を考えてるよ」


 新一さんはやる気満々です。彼は私と結婚して以来、仕事一筋でこれといった趣味も持たずに私や子どもたちのために働いてきました。定年後はやりたいことを自由にやらせてあげたいと前々から思ってはいましたが……。


「つまり……私も一緒に移住するってことですよね?」

「できればお願いしたいよ……この年になって僕に単身赴任させる気かい? 幸いというか、子どもたちも独り立ちしているし……。あっそうそう、家の写真見せてもらったんだけど、昔ながらの農家だからかなり大きいよ。もし文一が将来、嫁さんを連れてきて同居したいって言ってきても十分そのスペースはあるよ」


 このとき、長女の新名(にいな)は27歳……県外の女子高で養護教諭を続けていて、結婚も地元に帰ってくる意思もなさそうです。そして長男の文一(ふみかず)は大学卒業後、県外の企業に就職……アパートで独り暮らしをしていました。子供たちに関しては「新名の結婚」以外、特に心配はありませんでしたが……。


「この家は……それと会社の建物はどうされるんですか?」

「あぁ、お義父(とう)さんお義母(かあ)さんには悪いが……売りに出すしかないだろう。それに印刷所だって……いつまでも放置しているわけにはいかないし……」

「そっ……それはそうですけど」


 このときすでに私の両親は他界していました。山梨で記録的な大雪に見舞われた平成26年に父が、母も令和という元号を知ることなく昨年亡くなりました。

 印刷所もネット注文などのデジタル化についていけず、父が亡くなる前に廃業しました。活版印刷機も残ったままですが、扱える職人さんもいないのでそのまま売りに出すことなく建物ごと放置した状態です。


 今までの思い出が急に無くなるのは寂しくなります。でも、いつまでも過去の思い出に浸っていたら前に進めないことも重々承知しています。その北杜市の農家の方たちのように、いつか私たちも手放すときは来るでしょう。


 ……ただ、私にはもうひとつ心残りがあります。



 ――ポストさんです。



 私は5歳のとき、近所の商店街にある「丸型ポスト」と巡り合いました。そのポストは私と話ができたのです。私は「ポストさん」と呼び、以降ポストさんは事あるごとに私の人生と深く関わってきました。

 私が移住する、つまり家や印刷所を捨てこの地を離れるということは、ポストさんともお別れすることになります。私の心の支えを失うようなものです……気にならないわけがありません。ですが……


「まぁまだ時間はあるし、大事なことだからすぐに決断する必要はないよ。じっくり考えてくれ……あ、それと……」


 次の瞬間、新一さんから衝撃的な事実を突きつけられました。


「今日、局の後輩から聞いたんだけど……商店街にポストあるよね。あれ、今月中に()()されるらしいよ」




(――えっ!?)




 私は耳を疑いました。



 (ポストさんが……いなくなる?)


「えっどういうことですか? ポストって普通無くならないと思いますけど……」

「あぁ、普通は移設とか新しいタイプに交換だけど……ほら、この辺って住人すっかり減ったじゃないか……どうやらポストの利用者も減ったらしくて、取集める郵便物がゼロの日が何日もあるらしいんだ」

「まぁ、そうなんですか?」

「うん、それで合理化の一環として配達と取集めのルートを見直すことになったらしい。ま、働き方改革なのか人員削減なのかは僕にはわからないけどね」


 何か論点がずれているようですけど……新一さんの話ではこの周辺のポスト利用者が減ったため撤去して新たにポストは設置しないとのこと。まぁたとえ置き換えたところでポストさんがいなくなる事実に変わりはありません。


「そうですか……何か……寂しくなりますわね」

「あぁ、元はといえば君と僕が出会うキッカケになったんだからな……思い出の場所がなくなるのは少し寂しい気がするね」


 本心は寂しいなんてレベルじゃないです。新一さんを初め、誰も私がポストさんと会話できることを知りません。ポストさんを失うということは私にとって長年連れ添った親友を失うようなものです。

 この日の夜、私はショックでなかなか寝付けませんでした。



 ※※※※※※※



 翌日、私はポストさんの元を訪れました。ポストさんはこの事実を知っているのでしょうか? でも、たとえポストさんが知らなかったとしても、私からこの事実を伝えるのは正直辛いものがあります。


〝おはようございます文名さん、すっかり寒くなりましたね〟

「えっ……えぇ……」


 ポストさんはいつも通りでした。撤去されるという事実を、まだ聞いていないのでしょうか? だとすればこの普段通りのポストさんの対応は、私を余計に悲しませることになります。


〝どうされました? 文名さん……顔色が悪いですよ〟

「えっ……えぇ? そうかしら?」


 何も知らないポストさんに余計な詮索はされたくない……私はできる限り平静を装うようにしました。


〝本当ですか? 何か悪い知らせでもあるような雰囲気ですよ〟

「えっ、まっ、まさかぁ……そんなことないですよ!」

〝そうですか……何だ、ワタシはてっきり()()()()かと……〟

「いえいえ、そんな話あるわけな……えっ!?」


(えっ……何で今『撤去』って言葉が?)


 悟られないようにと思っていましたが、思わず目を見開いてしまいました。


〝そのお顔……やっぱりその話ですね? ご心配なく、ちゃんと知ってますよ〟


 ポストさんは自身が撤去されることを知っていました。私は思わず……


「ポストさん……いいの?」


 と聞いてしまいました。そんなことポストさんに聞いたところで状況が変わるわけではありません。世間一般から見ればただの郵便ポストです。でも私は、ポストさんの気持ちを聞かずにはいられなかったのです。


〝仕方ないですよ……〟


 ポストさんの答えは想像以上にあっさりとしたものでした。


「仕方ないって……そんな簡単に諦めていいの?」

〝これも時代の流れです。仕方ありません……初めがあれば終わりもある。命あるモノは死に、形あるモノはやがて壊れるんですよ〟

「そんな……」


 ポストさんは意外にも自身の運命に対して冷静でした。もしかすると、ポストさんは生き物ではないから「死」や「破壊」を恐れていないのでしょうか?


〝文名さん……なぜ命あるモノは死んで、形あるモノは壊れるのか考えたことありますか?〟

「えぇっ!? それは……あまり深く考えたことはないわね」


〝それはですね……新しく生まれてくるモノがそこに居られるよう、スペースを空けてやるためなんですよ〟


「スペース?」

〝はい! 時代は常に動いています。新しい時代、新しい環境に順応するために私たちは命も形も進化し続けるのです。文名さんも立派なお子様が2人もいらっしゃいますよね?〟

「う……うん、まぁ立派かどうかわからないけど……」

〝私たち郵便ポストも、時代に合わせて進化しているんですよ〟

「えっ……そうなの?」


 と、そのとき……


「ねぇおばさん! 悪いんだけどポスト使っていい?」


 突然、若い男が声を掛けてきました。どうやら郵便物を出すためにポストさんの所へ来たけど、ずっとポストさんの前にいる私が邪魔だったようです。


「あぁごめんなさい! どうぞ」


 私がそう言って横に避けると、その若者はバッグからA4サイズはあろうかという大きな……しかも厚紙か何かで作られた封筒を取り出しました。


「あれ? 何だよ入んねーじゃん!」


 若者は大きな封筒を、ポストさんに何度も投函しようと試みましたがどうやっても入りません。私はその若者に、


「あ、あのー……その封筒は無理だと思いますよ。郵便局に行かれた方が……」

「えぇっ!? レターパックってポストから送れるって聞いてたのに……使えねーじゃんこのポスト!」


(えっ? あれってポストから送れるの?)


「しょーがねぇなぁ、確かコンビニにポストあったからそっちで送るか……ったく、こんな使えねーポスト置いとくんじゃねぇつーの!」


 と、捨てゼリフを残して去っていきました。


〝わかりましたか? そういうことですよ〟

「そういうことって……使えないなんて失礼じゃない!」


 私はポストさんに対する若者の暴言が、自分のことのように感じてしまいちょっと苛立っていました。


〝いえいえ、本当に使えないんですよワタシは! ワタシは元々、昭和45年に角形の差出箱1号が登場した際、入換えで全て撤去される予定だったんです〟

「えぇっそうなの? っていうか差出箱って何?」

〝あっ、ご存じなかったですか? ワタシの正式名称は『郵便差出箱1号の丸型』と言います〟

「知らないわよそんなの……普通に『丸いポスト』だと思っていたわ」


 するとポストさんは、自分の「生い立ち」を話し始めました。


〝ワタシの()()()()()は昭和24年から作られました……新しく『郵便差出箱1号の角型』つまり四角いポストが登場する昭和45年まで作られていたんですよ〟

「そうなの? 私が生まれてからも作られていたんだ……ちなみにポストさんっておいくつなの?」

〝ワタシですか? ワタシは昭和42年に製造されました〟

「えぇっ!? 私と同い年じゃん! それなのにアナタって……よくも今まで先輩風を吹かせて偉そうに……」

〝あはは……そうでしたか? すみません〟


 私は50年近く、ポストさんにマウントを取られ続けていました。


〝ワタシだって当時は最新式で……いろいろ工夫されて生まれてきたんですよ〟

「う……うん、そりゃ生まれたときは最新よね」

〝ワタシのご先祖は『書状集箱』と呼ばれて木製でした。当時の形を模したレプリカが身延町にありますよ〟

「あらそう? じゃあ今度行ってみようかしら」

〝その後、黒くて細長い形の『黒塗柱箱』ができたのですが……ここで問題が〟

「問題?」

〝前面に書かれた『郵便箱』の文字……便って糞便()と同じ字ですよね?〟

「……は?」

〝公衆便所と間違えて立ちションしていく人が多かったそうです〟

「えぇっ、マジで? ま……まさかポストさんもされてないでしょうね?」


 私はポストさんから1歩下がりました。


〝さすがに無いですね……まぁ何度か散歩中のワンちゃんにマーキングされたことはありますけど……あぁそういえば昔、ひどく酔っぱらっていたガラの悪い女子大生に絡まれたことがありまして……〟

「へぇ、そんなことが……って、それ私じゃないの!?」

〝あれ? そうでしたっけ?〟

「もうっ、ポストさんの意地悪! うわぁ、嫌なこと思い出させないでよ」


 ポストさんは時々毒舌です。


〝あはは、すみません……そんなこともあったり火事にも弱いということで『黒塗柱箱』から鉄製の赤いポストに変わっていったのです〟

「今のポストさんのこと?」

〝いえいえ……当時は投函口に蓋があったり、回転式と言って前面のパネルを回して投函するタイプでした。でも故障が多かったり投函の邪魔になったりしていたので投函口に庇を付けたものに変わっていったのです……ワタシの投函口の部分が円形なのは回転式の名残と言われています〟

「へぇ……」

〝その後、戦時中の金属供出でコンクリート製のポストが製造されたりしましたが戦後まもなく登場したポストがワタシ……差出箱1号です。いろんな失敗の積み重ねで生まれてきたんですよ〟


(なるほど……失敗の積み重ねで今のポストさんがいるということね)


〝でも……ワタシも『失敗作』のひとつです〟

「え?」

〝配達員さんが取集めるとき、直接郵便物を手でかき出していたのでとても不便なんです。後に出てくるタイプは袋ごと交換できるのですが……あなたのご主人もおそらく私から取集めるとき面倒くさいと思っていたはずですよ〟

「えぇっ、そんなこと……」

〝それとさっきみたいに、郵便物の大型化に対応できなかったのです。失敗というか……時代の波についていけなかったんですよね〟

「時代の波……これはしょうがないよね。私だって最新のスマホやゲームについていけないもん」

〝『老兵は死なず、ただ消え去るのみ』ですよ。若い世代に道を譲って、雲のように漂いながら風に吹かれて消え去るのを待てばいいんです〟


(消え去るのみ……そうか、それでいいんだ)


 当時の私は、立て続けに父と母を亡くし……さらに私自身が体調を崩して入院したこともあり、「死」というものを身近に感じていた時期でした。

 時代は変わる……新しい世代が活躍する……だからといって私たちは死に抗ったり、死に急いだりすることなく風の赴くまま雲のように消え去っていけばいい……きっとポストさんはそれに従っただけなのでしょう。



(でも……本当にそれでいいの?)



 するとポストさんは、私の心中を察したかのように


〝文名さん、アナタは何かやることがあるのでは?〟

「えっ?」

〝今日、私に話したかったこと……それだけじゃないですよね?〟


 さすがはポストさん……察しがいいです。


「うん、実はね……主人から一緒に移住して農業やろうって話が……」

〝文名さん、ワタシは何度も言いましたよね? 迷ったときは……〟

「やる……でしょ?」



 私は移住と……そしてポストさんと別れる決断をしました。



「ところで……ポストさんに投函できるのいつまでなの?」

〝あぁ、受付できるのは……来週の金曜日までですよ〟



 ※※※※※※※



 翌週の金曜日……この日がポストさんに郵便物を投函できる最後の日です。


「ポストさん……いよいよ今日が最後なのね」

〝えぇ……今日が仕事納めです〟


 私は急を要しない郵便物を、この日に合わせて投函するようまとめていました。


「じゃあポストさん、これお願いね」

〝はい……かしこまりました〟


 私はポストさんに最後の郵便物を投函しました。


「それと……ポストさん、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど……」

〝はい? 何ですか?〟


「ポストさん……手紙を取集めされずに()()()()()()()()はできるの?」

〝えっ? は? どういうことですか?〟


 ポストさんは私の突拍子もない質問に少し戸惑っていました。



「私……ポストさんに【手紙】を書いてきたんです!」



〝手紙? ワタシに……ですか?〟


 ポストさんは驚いていました。それもそのはず、郵便ポストは「人」に宛てた郵便物を投函するもの。「郵便ポスト」宛てに手紙を出すなんて話……もちろん前例がないでしょう。


〝ま……まぁそれはできますけど〟

「本当? じゃあ入れるわね」


 私はバッグから『ポストさんへ』と宛名が書かれた茶封筒を出しました。


「あら?」


 ポストさんへ「最後の手紙」を投函しようとしたとき、改めてポストさんの庇をじっくり見ました。すると、ポストさんの塗装が何度も塗り重ねと剥がれが繰り返されボロボロになっていることに気付きました。


「ポストさん、塗装がボロボロね?」

〝もう50年も経っていますからねぇ〟

「ごめんねぇ~、本当なら私が塗り直してあげたいんだけど……」

〝ははっ、ワタシは共有物であって私物じゃありませんから……それは文名さんの仕事じゃありませんよ〟

「フフッ、そうね」


 私はポストさんへ「最後の手紙」を投函しました。その手紙には、初めてポストさんと出会ったときからの思い出、今まで数多くの郵便物を預かってくれたこと、そして何度もポストさんに助けられてきたことへの感謝が綴られていました。


〝ありがとうございます文名さん……そう思っていただけただけでも、ワタシはポストでいられて良かったと思っています〟


 ポストさんは手紙を読むと、私にそう言いました。


〝そういえば……切手の貼っていない手紙を受け取ったの、これが2回目ですね〟

「もうっ! またそうやって昔の失態を思い出させるんだから!」


 ポストさんの言う「1回目」も私です。私は5歳のとき、サンタクロースに手紙を出そうと思い、生まれて初めてこの「ポストさん」に切手も宛先もない手紙を投函してしまったのです。


〝あれから50年近く経ったんですね……〟

「そうね……過ぎてみると50年なんてあっという間ね」


 私は商店街を見つめました。50年前とはすっかり様子が変わりました。次々と店は閉店し、私が働いていた印刷所の入り口もシャッターが下りたままです。人通りもさっきの若者以外通っておらず、車ですら数台通り過ぎていっただけです。



 時代は……この世にあるものは常に変わっていくのです。



 私たちを太陽が照らしていました。50年前と何ひとつ変わっていません。でも、長い宇宙の歴史の中では太陽だっていつか無くなるときが来るのです。

 出会いがあれば別れもある……これは仕方のないことです。初め、ポストさんがいなくなると聞いたときはショックでした。でも……


 私もいつかは死を迎えます。宇宙の歴史に比べたら私の一生など「秒」にも満たないでしょう。しかしそんな……たった50年ほどの歴史の中で「ポストさん」という存在に巡り会えたことは、私にとって宇宙より大きな「価値」となって私の心に刻まれるでしょう。それはポストさんがいなくなっても決して私の心から消え去ることはありません! 後悔などあろうはずがありません!




「ポストさん……今までありがとう……そして、さようなら」




〝文名さんも……お体に気を付けて……お元気で〟



 ポストさんは最後まで私の心配をしてくれました。



 ※※※※※※※



 翌日……ポストさんの投函口にビニールが巻かれ、「使用できません」という張り紙がされていました。私が声を掛けても反応しません……役目を終えた「ポストさん」は、ただの「物体」になってしまったようです。


 数日後……私が用事があって出掛けている最中にポストさんは撤去されていました。実にあっさりしていましたが、ドラマや映画と違って実際の別れなんてそんなものです。父が亡くなったときも病院からの連絡だったし、母のときは朝、寝室へ起こしにいったらすでに冷たくなっていました。


 これからの人生、ポストさんのいない生活が始まろうとしていました。とはいえ私も50代……ポストさんのようにいつかは消え去る運命を少しづつですが感じるようになってきました。だからこそ……


 残りの人生、後悔することなく生きていこう!


 ポストさんは一生、私の心の中に生き続ける!




 だから……ありがとう、さようならポストさん!






 ……ところが、この話はここで終わりませんでした。



※※※※※※※



 令和2年3月……その話は突然やって来ました。


「え? あれを欲しい人がいらっしゃるんですか?」


 あれとは「活版印刷機」のことです。このとき、亡き父が経営し私も長年働いていた印刷所の建物を売却するため、中にあった機械や備品などを業者に処分してもらっている最中でした。

 そんな折、夫の新一さんの所へ、活版印刷機を売って欲しいという話が舞い込んできたそうです。


「うん、僕も驚いたんだけどね……机とか中古のオフィス家具はまぁ売れるとは思っていたんだけど、まさか()()()()()が売れるとは……世の中には好きな人がいるんだねぇ」


 印刷所は昭和の時代からやっておりましたが、当時から活版印刷機はすでに時代遅れの感がありました。多くの「活字」を使用するため、機械以外にも活字を置くスペースが必要だったのです。正直、邪魔な存在だと思っていましたが……。

 どうやらあの凸版印刷といわれる手法で、紙に押し付けたときにできる凹凸やかすれが味わい深いと近年、一部の愛好家に需要があるそうです。確かに、名刺などの厚紙に印刷したときのあの立体感はオフセット印刷では出せません。


 そういえば、この頃からでしょうか……「昔の製品」「昔の技術」が再び注目されるようになってきました。レコードプレーヤーやカセットテープ、あるいはレンズ付きフィルムなど……音楽や撮影など、本来の目的のためならスマホ1台で済ませられるものばかりです。


「世の中にはいろんな人がいらっしゃるのですね?」

「あぁ……ネットで調べるといろんなマニアの人がいるよね! 例えば『スーパーカブ』って漫画知ってるかい?」

「いえ……知りませんけど」

「あの漫画に出てくる礼子っていうキャラクターが乗っているのは郵政カブ……つまり僕が配達員時代に乗っていたバイクだ! あれは一般向けには販売していないんだが……」


 新一さんが言っていた「スーパーカブ」というのはライトノベルと言われる小説が原作で、山梨県北杜市を舞台にしています。後にアニメ化されました。ていうか新一さん、そんな漫画読んでいたんですね? 意外でした。


「でもそれはフィクションの話でしょ? だったらどうにでも……」

「ところが……だ。実際には中古の払い下げ品をわざわざ買う人がいるらしいよ。ネットオークションでもよく売りに出されているし、結構人気があるんだって」

「はぁ……そうなんですか?」

「それにしても、郵便局の備品が売りに出されているとはねぇ……」


(……えっ? まさか?)


 私にはそのようなマニアの心理は全然わかりませんでしたが、郵便局のバイクが払い下げされている……という話を聞いて、私にある考えが浮かびました。


「ねぇ新一さん! もしかしてネットオークションって……ポストとかも売りに出されてますか?」

「あぁ、どういう経緯で出されているか僕もわからないんだけど……あることはあるよ! 特に差出箱1号って呼ばれる()()()()()は人気があるらしい」

「そうなんですか!?」

「あぁ、よく小学校とかに寄贈されたりしてるよ。甲府市内にだって何ヶ所かあるはず……君の通っていた小学校にもなかったかい?」

「えぇっ? 私がいたときは……たぶんなかったと思いますけど」

「他は……そうだなぁ、骨董品店でもたまに見かけることはあるらしいね」


 ――!?


 私はその日からスマホを見る時間が増えました。



 ※※※※※※※



 令和3年4月……私は、とある町にある骨董品店の前にいました。


 骨董品店といっても、街中にあるお洒落な食器やランプが並んでいるような店ではありません。思わず「誰が使うの?」って聞きたくなるような古めかしい家電やおもちゃが店の外にまで並ん……いえ、放置されている、どちらかといえば廃品回収業者の倉庫みたいな店です。


「……」


 店に入ると店主と思われる見るからに無愛想な老人が、競馬新聞を読みながら一瞬こちらをジロッと睨みつけましたが再び競馬新聞に没頭していました。もちろん「いらっしゃいませ」などという言葉はありません。代わりにレトロな卓上型の()()()から競馬中継が流れていました。

 私はそんな店主を無視して店の奥へと進みました。店の奥で足を止めると私は、モンチッチやキャベツ畑人形などのレトロな()()()()()が立てかけられていた「赤い円筒形の物体」に向かって声を掛けました。



「お久しぶりです……ポストさん!」



 すると店の奥でホコリをかぶっていたポストさんは、しばらく無言でしたが声の主が私だとわかるといつものように話しだしました。


〝あぁ、誰かと思えば……文名さんでしたか。お久しぶりです〟

「いやだわポストさん……私をお忘れになるほどボケられましたか?」

〝いえいえ、マスクしていて顔がよく見えなかったので……一瞬誰だかわかりませんでした。あれ? 文名さんって花粉症でしたっけ?〟


(そうか……ポストさんは今の状況を知らないのね)


「ポストさん……今はですね、新型コロナウイルスっていう病気が流行していましてね……街中ではみんなマスクをして生活しているんですよ」


 令和2年から日本でも流行し始めた新型コロナウイルスは、この年には何度も爆発的に大流行しておりこの時期は「第4波」が襲来……山梨は対象外でしたが、他の都道府県では3回目の緊急事態宣言が出されていました。

 東京オリンピックが1年延期され、県内でも信玄公祭りや多くのイベントが中止になるなど混乱が続きました。


〝そうなんですか? この店のご主人がマスクしている姿……接客中を含めてワタシは1回も見たことありませんが〟

「あぁ~……」


 見た瞬間、そんな感じの人だ……と私は思いました。


〝それにしても……よくこの場所がわかりましたね?〟

「ふふーん……これよ!」


 と言って私はポストさんにスマホの画面を見せました。そこには自称ポストマニアという方のSNSが表示されていました。


「ここにポストさんの情報が載っていましたよ! 他にもネットオークションやフリマアプリ、ポストマニアのSNSや夫の郵便局時代の知り合いの方……いろんな所を調べまわったんですよ」

〝それはそれは……まるでストーカーじゃないですか?〟

「あはっ、そうかもね? でもってこの店の情報を……あっちょっと待って! このリストはプリントアウトしてあるから……」


 と言うと私は、ポストさんが撤去されてからどういう経緯を辿ってこの店にやってきたのか、ポストマニアの方が事細かに書かれたリストを出しました。


「ほら、これ……間違いなくポストさんのことよね」

〝えぇ、間違いありませんが……あれ? 文名さん、なぜ眼鏡をしてらっしゃるのですか? 近眼でしたっけ?〟

「あぁこれ? 老眼鏡よ! もう、細かい字が見えづらいのよ」

〝はぁ……もうそんな年になったんですねぇ〟

「悪かったわね! 残念だけどそういう年よ!」


〝マスク姿で眼鏡……ますますストーカー感が……〟

「ほっといてちょうだい!」


 ポストさんの毒舌は健在でした。


〝それで……今日は一体どのような用事で?〟


 ポストさんがそう聞いてくると、私は待ってましたとばかりに老眼鏡を外し、そしてポストさんをじっと見つめて言いました。




「ポストさん! あなたを……迎えに来ました!!」



〝……えっ?〟


 ポストさんの表情はわかりませんが、何となくキョトンとした感じでした。



 ※※※※※※※



「鳥居地さ~ん、大根余っただけんどもいるけ?」


 令和4年10月……現在です。私は55歳になっていました。


「もうそんな時期なのね? まぁ、こんなにたくさん……いいんですか?」

「いいさよぉ、ヴァンフォーレ甲府が天皇杯で優勝したからってダンナが上機嫌でさぁ~、もっといっぺぇ持ってけって近所に配い歩いてるさぁ~」


 J2で7連敗中のサッカーチームが天皇杯優勝……本当に世の中って何が起こるかわかりません。


 私は夫の新一さんとともに北杜市に移住し、会社を早期退職して本格的に農業を始めた新一さんのお手伝いをしています。近所で同じく農業をしている家の奥様から頂いた箱には大根とさつまいもが大量に入っていました。


「あっ、ちょっと奥さん! これ持って行ってくださる? ウチでとれたトマトとズッキーニですけど……」

「あれぇわりいじゃん……てっ、鳥居地さんの畑は洒落たもん作ってるじゃんけ」

「いえいえそんなこと……まだ失敗も多いですけど……」


 農業を始めて2年目になります。まだまだ素人で本格的な野菜は作れませんが、これから徐々に、できる範囲で畑を大きくしていきたいと考えています。


 〝ブロロロロ……〟


 郵便配達のバイクが通った音が聞こえてきました。縁側で洗濯物をたたんでいた私は、郵便物が来ていないか家の庭にある郵便受けへ向かいました。


 そして私はその郵便受け……いえ、ポストに話しかけました。


「ポストさん! 今日は郵便来てましたか?」

〝あぁ文名さん、市役所からお知らせが来ていますよ。それと水道工事のマグネットとポスティングの広告が……〟

「またぁ? どうせリフォーム業者でしょ? もう、余計なお世話だっつーの」


 家の入口にある郵便受け……とはポストさんのことです。私たちはポストさんを骨董品屋から買い、家の郵便受けとして使用しています。


「もうすっかり冬よね……桜の葉が散るの早すぎるわよここは」


 ポストさんの隣には()()()があります。前の住人が切らずに放置してありました。北杜市の冬は早く、もう落葉がかなり進んでいましたが、春になると桜の花と、ポストさんの周囲に植えた菜の花がマッチしてポストさんが「映える」スポットになります。


「ポストさん、また来年の桜……一緒に見ましょうね!」

〝い、いえ……それはいいのですが……〟

「えっどうしたの? 何か問題でも?」


〝いや……ワタシの色なんですが……まだしっくりこないというか……〟

「いいじゃないキレイになって……お似合いよ!」

〝そ……そうですか?〟


 郵便ポストを家庭に設置する場合、誤投函防止のために投函口を塞いだり、本体の色を赤以外の色に塗り直したりします。




「ポストさん! 今日は夕日がきれいだと思わない?」

〝そうですね……ワタシもそう思います〟




 50年前の『やつそつ(約束)』通り「黄色」に塗り直されたポストさんは、八ヶ岳山麓に照らされた夕日によって少しだけ赤く染まっていました。



〝あっ、そういえば……〟

「えっ何?」

〝あと義妹(いもうと)さんから……野菜送ってもらったお礼の()()が入っています〟

「ちょっと! それ一番大事なヤツじゃないの!?」



 ポストさんのお話はこれで終わりです……が、



 私とポストさんがともに過ごす人生の残り時間は……まだしばらく続きます。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 偶然見つけて読ませていただきました。 自分も昭和43年の生まれなので、同じ時代を過ごしてきたこともあって作中の描写が色々と懐かしかったです。 住んでいるところは東北某県なので地元ネタは分か…
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