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【平成24年(2012年)7月】

 今から10年前の平成24年7月……私は45歳になっていました。


 この日、富士吉田から姪がやって来るので私は甲府駅まで迎えに行きました。


「おばさーん、お久しぶりでーす!」


 甲府駅のホームからエスカレーターで現れたのは夫の妹……つまり義妹の娘で小学6年生の『忍草(しぼくさ) 七海(ななみ)』ちゃんです。


 私に向かって手を振りながら近付いてくると……


 〝ピンポーン〟


「ぐへぇっ!」


 自動改札に止められてしまいました。


「んもうっ! 富士山駅には自動改札ないから使い方わかんなかったよぉ~」

「富士山駅?」

「あっ……そうそう! 去年から富士吉田駅は富士山駅って名前変えたんだよ」


(富士山!? まぁっ、大きく出たわねぇ……)


「そうなんだ……それにしても七海ちゃんも大きく……って、それ何?」


 私は七海ちゃんの持っているバッグの大きさに唖然としました。夏休みの間長期滞在するというので、てっきり旅行カバンでも持ってくるのかと思ったら……。

 彼女の背負っているリュックは、まるで昔の泥棒かサンタクロースのように巨大で……構内では確実に浮いていて周囲の視線を集めていました。


「えっえぇ……七海ちゃん、その荷物も大きくない?」

「うっうん、ちょっとね、あはは……」


 照れ笑いをしていました。自覚はあるようです。


「もしかして着替え? 新名のお古でよければあげるけど……」

「ううん、大丈夫! 着替えは宅配便で送ったよ!」

「えっ、じゃあこれは何?」

「ごめん! おばさんにもナイショだよ」


 家から甲府駅までは歩いても行ける距離ですが……何か嫌な予感がしたので車で迎えに来て正解でした。私は駅前の駐車場で七海ちゃんの巨大なリュックを車に積むと、


「七海ちゃん、お腹空かない? 何か食べに行こうか?」


 七海ちゃんを食事に誘いました。相手は子どもなので駅ビルのエクラン(現在はセレオ甲府)1階にあるマクドナルドでも(おご)ってあげようと思っていたら……


「えっ、じゃあサイゼリヤ行きたい!」


 遠慮のない子です……まぁでも、サイゼリヤだったのが不幸中の幸いでした。



 ※※※※※※※



 私たちは駅前の「山交百貨店」に入りました。


「わぁーすごい! エスカレーターがカーブしてるよ……どうなってんのコレ?」

「あぁ珍しいんだ……これね、前は反対側にも同じエスカレーターがあったのよ」

「えぇー! 何で取ったの? もったいなーい! 2つあったら七海、ここでずっとグルグル回っているのにぃー」

「フフフッ」


 山交百貨店はかつて甲府駅前にあったデパートです。私が東京にいた大学4年のとき、ビルを建て直してリニューアルオープンしました。そのとき、新しい建物の目玉がこの「スパイラルエスカレーター」だったのです。

 開店当時は客も多く出足は好調でしたが、このときはすでに買い物客の姿もまばらで……まぁ甲府の街全体がそんな感じでしたね。


 しかもこの前年、昭和町にオープンした「イオンモール」は甲府市内の空洞化をさらに加速させました。かつては甲府市内にもシネコン(シネマコンプレックス)が存在しましたが、グランパークから市外のイオンモールに移転してしまい、今はシアターセントラルBe館という小さな映画館が残るのみです。


 まぁ元々、公共交通機関が少ない地域でモータリゼーションが進めば……わざわざ高い料金払って中心地の狭い駐車場使うくらいなら、郊外の広くて無料の駐車場がある大型店へ客足が流れるのは自然のことだと思います。

 そういう私も、七海ちゃんがファミレスに行きたいなんて言いだしたので、駐車料金を気にしているところです。


 私と七海ちゃんは5階にあるサイゼリヤに入りました。


「すみませ~ん、小エビのカクテルサラダとミラノ風ドリアとペペロンチーノとドリンクバー……あっ、あとミニアイスクリーム! おばさんは?」


(えぇっ、そんなに食べるの?)


「えっえぇーっと……じゃあミートソースとド……ドリンクバーで」

「えーっ、おばさん小食じゃん! 足りなかったら七海のサラダ食べていいよ」

「あっ……そっそう?」


(いやいや、この子の方が食べすぎでしょ?)


 七海ちゃんがドリンクバーに行っている間、私は窓の外を眺めながら物思いにふけていました。


(そういえば……甲府も変わったなぁ)


 私が子供のころは駅前のロータリーに水晶の噴水があって、信玄公像も今とは別の場所にありました。山交百貨店もどちらかといえば建て直す前の方が思い出深いです。屋上に遊園地があり新幹線の乗り物がフェンスギリギリのところを通っていて……ちょっと怖かったけど行けば必ず乗っていました。

 そして6階には「大食堂」があり、私はいつもお子様ランチとクリームソーダを注文していました……今の若い子はクリームソーダなんて飲まないでしょうね。


「おばさーん! 席、見ておくからドリンクバー行っていいよー」

「あぁ、ありがと」


 七海ちゃんはメロンソーダを持って戻ってきました。すると同じタイミングで店員さんがやってきて


「お待たせしました。ミニアイスクリームです」


 と言うと、七海ちゃんはそのアイスクリームをメロンソーダの上にのせてクリームソーダを作りました。


「あっ、すっすみません! 私にもミニアイスクリームください」



 ※※※※※※※



「こんにちわー! おじさん、お世話になりまーす」

「あぁ七海ちゃん、1年ぶりだね……大きくなったね」

「えへへー、どぉだ! 成長したぞー!」


 七海ちゃんが鳥居地家にやって来ました。すると部屋から


「何だよ、デカいのはリュックと態度じゃねーか」

「ふーんだ! (ぶん)兄ぃ、世話になるぞー! あっ、ニーナねえちゃんは?」

「あぁ、新名(アネキ)ならまだ大学だよ」


 このとき息子の文一(ふみかず)は17歳の高校2年生、娘の新名(にいな)は大学生でした。新名は県外の大学に通い、まるで私と同じような道を辿っているように思われますが、あの子は最初から「養護教諭になりたい」という目標を持っています。私より人生設計がしっかりしていて安心しました……まぁ夫の新一(しんいち)さんは、新名が県外に行くのを不安がっていましたが……。


「えっ? じゃあのバカ彦と一緒なワケ? アイツ今度会ったらケリ入れてやる」

「おいおいっ七海……それより3DS持ってきた?」

「持ってきたよー」

「よぉっし、じゃあモンハン3Gやろうぜ」

「いーよ」


 と言って七海ちゃんと文一は真っすぐ部屋に向かっていきました。もうこの辺りからゲームが難しすぎて私にはついていけません。ちなみにこの年の12月、我が家に「Wii U」がやって来ました。


「七海ちゃん、夏休みの宿題もちゃんとやってねー! もちろん文一もだよー!」



 ※※※※※※※



 翌日……。


「おばさん、ただいまー!」


 七海ちゃんが「ある所」から帰ってきました。


「お帰りなさい七海ちゃん、どうだったの?」

「ぶえー、大変だったよー……でも、楽しかった」

「そう、じゃあ手を洗ってきなさい! 夕ご飯にするわよ」

「はーい!」


 夕食の支度を済ませ、再び家族が集まりました。新名がいない分、七海ちゃんがやってきたので久しぶりに食卓の席が埋まり賑やかになりました。


「いただきまーす」

「おっ、今日は『吉田のうどん』か……懐かしいな」


 この日の夕食は、七海ちゃんが手土産で持ってきた『吉田のうどん』を「ざるうどん」にして食べました。元々硬いうどんですが、水にさらして冷やして食べるとさらに硬さが増します。夫の新一さんも懐かしそうに食べていました。


「えっ、七海ちゃん……そんなにかけて大丈夫?」


 私は七海ちゃんの行動に驚きました。吉田のうどんには「すりだね」というオリジナルの香辛料(ちょっとしっとりとした七味唐辛子のようなもの)を好みでかけますが、七海ちゃんはそれを大量にかけていたのです。


「ん? 別に……いつもこんな感じだよ」

「えぇっ!?」


 そういえば……この子はサイゼリヤでも、ペペロンチーノにタバスコを大量にかけていました。子どものときから刺激物を大量に摂って大丈夫かしら? と思っていましたが……


 この習慣が後々、七海ちゃんにとって「不幸」の始まりになろうとは……このときは想像すらしていませんでした。


「で、どうだったんだ? アクターズスクール」


 文一が七海ちゃんに聞きました。そう、七海ちゃんが今日出掛けていた先は「アクターズスクール」だったのです。

 90年代から活躍していた安室奈美恵さんが、デビュー前に通っていたことで有名な「沖縄アクターズスクール」。他にも多くの芸能人が輩出された影響で、このころ全国各地にアクターズスクール(芸能養成所)が開校していました。

 当時は甲府にもアクターズスクールがあり、彼女は夏休みを利用してそこでレッスンを受けていたのです。


「今日はねぇ、ヒップホップ(ダンス)踊ったよ! 裏拍とかマジで全然わかんなかったぁ! それからね、ランニングマンとロジャーラビット教わったよぉ!」


(えっ何それ? 映画のタイトル?)


「明日はねぇー、ボーカルレッスンだよ! あっそうだおばさん、テレビつけていい? HEY!HEY!HEY!見たいの!」

「あぁいいわよ」

「やったー、今日AKB出るから楽しみ~! あっちゃん(前田 敦子さん)が卒業するのは残念だけど……」


 七海ちゃんがアクターズスクールに通う理由……それはアイドルを目指していたからです。90年代終わりの「モーニング娘。」から『アイドル』が再びブームになってきました。そして「AKB48」の出現によってそのアイドルブームは確実なものになりました。

 さらに名古屋や大阪などでAKBの姉妹グループが結成されたり、全国各地にアクターズスクールが開校したせいでしょうか……この頃にはまちおこしを兼ねた「ご当地アイドル」というものが数多く誕生していました。


 七海ちゃんはその「ご当地アイドル」のメンバーになりたくてレッスンを受けていたのです。七海ちゃんの地元・富士河口湖地方では当時、まちおこしと「東日本大震災で元気をなくした日本に富士のふもとから笑顔を届けよう」という壮大すぎるスローガンのもと、ご当地アイドルグループを結成する企画がありました。彼女はそのオーディションを受けようとしていたのです。



 ※※※※※※※



「おばさーん! 大変だぁ! どぉしよう……」


 ある日の夕方、七海ちゃんが慌てて私の元に駆け寄ってきました。


「どうしたの?」

「オッ……オーディションの申し込み締め切り……今日だったぁ!!」


 七海ちゃんは封筒を手にパニック状態でした。


「おっおばさん! この辺にポストない? 今日の消印なら有効なんだけど……」


 時計の針は午後3時50分になろうとしています。


「どぉしよう……この後レッスンもあるし……おばさん! 代わりに行っ……ううんダメ、これは自分で出さなきゃ……」

「あぁ、だったら近くにあるわよ! 私も手紙出すから一緒に行く?」


 私は七海ちゃんと一緒に家を出て、近くにある商店街にやって来ました。文具店の前に丸いポストがあります。


「ポストさん、こんにちは」


 私はこの丸ポストと話ができ、「ポストさん」と呼んでいます。でも今日は七海ちゃんと一緒なので、小声でささやくように声を掛けました。


〝こんにちは文名(ふみな)さん……あれ? 今日は可愛らしいお子さんとご一緒ですね?〟

「ポストさん……別にあなたはヒソヒソ話さなくていいのよ」


 ポストさんの声は私の脳内に直接語り掛けてくるので、普通に話しても周りに聞こえません。ポストさんは、たまにこういうお茶目なことをします。


「あれ?」


 すると私はあることに気が付きました。ポストさんの取集口の下に見慣れないステッカーが貼られていたのです。


「ポストさん、何かステッカーが貼ってあるんだけど?」

〝あぁ、こんなのずっと前から貼られていますよ〟


 ポストさんに貼られていたステッカーには赤い文字で「JP日本郵便」と書かれていました。そう、郵便局は平成19年10月に民営化されたのです。私の夫も今は会社員です……公務員ではありません。


「あぁそうか……じゃあポストさん、またお願いね……あっまだ()()()()取集めに来てないわよね?」

〝あはは、社員って……それ、ご主人が公務員じゃなくなったからっていう嫌味ですか? えぇ、まだ今日の消印には間に合いますよ〟


「七海ちゃん、まだ締め切りには間に合うわよ。早く出して……」


 私は振り向くと、七海ちゃんの様子がおかしいことに気が付きました。七海ちゃんはオーディション申し込みの封筒を握りしめたまま固まってしまい、足はガクガクと震えていたのです。


「どっ……どうしよう! いざ申し込みしようとしたら……緊張してきた! 私みたいなのが……本当に応募しちゃって大丈夫かなぁ? 失敗したら……書類選考で落とされたらヤだなぁ……」 


 七海ちゃんはここに来て悩んでしまったのです。まぁ無理もありません、まだこの子は小学6年生……高校受験も大学受験も就職も結婚も……人生の転機がほぼ未経験の「子ども」です。すると……



〝もし『やる』か『やらない』か迷ったときはですね……失敗して命を落とすことと、それが悪いことだとわかっているときは『やらない』、それ以外は『やる』を選べばいいんですよ〟



(あっ! これって……)


 それは私が小学生のときにポストさんから言われたのと同じセリフでした。私が初めてラブレターを出すか出さないか迷ったときに言われたのです。

 あのときは大失敗をしてしまいポストさんを逆恨みしましたが、今から考えるとあの苦い経験があったからこそ今の自分がある……と感じています。


 私は、ポストさんの言ったことを七海ちゃんに伝えました。


「そっ、そうよ! 七海ちゃん! 迷ったら『やる』を選んだ方がいいわよ! おばさんもね、昔は『やる』を選んで失敗したことはあったわ……でもね、その失敗は決して無駄にはならないのよ! だからね、ダメもとでもいいから送った方がいいわよ! 送らなかったら一生後悔するかもよ」


 そうよ! って言い方おかしいですよね? 七海ちゃんにはポストさんの声が聞こえていないのですから……。私の言葉(ポストさんの受け売りですが)を聞いた七海ちゃんはしばらく考え込んだ後、


「うん、わかったよ! 七海……やってみる!」


 〝ポトンッ〟


 七海ちゃんはポストさんに申し込みの封筒を投函し、オーディションに応募しました。彼女はアイドルになるための第1歩を踏み出しました。



 ※※※※※※※



「おばさん、いろいろありがとー! 七海、がんばってくる!!」


 8月末……七海ちゃんはアクターズスクールのレッスンを終え、地元へ帰ることになりました。


「うん、頑張ってね! 失敗は成功の種だからね! 恐れないでね」


 私はお見送りのために、七海ちゃんと甲府駅まで歩いていくことにしました。


「でも七海ちゃん……その荷物、重くない? 大丈夫?」


 相変わらず七海ちゃんは巨大なリュックを背負っています。


「大丈夫! 実はこれ軽いんだよ」

「えぇっ、でも……何が入ってるの?」

「えへへーっ、ヒミツだよー」


 七海ちゃんは最後まで教えてくれませんでした。そして商店街を通り、ポストさんの前を通り過ぎたとき七海ちゃんは突然、



「ポストさん、ありがとう! 七海……がんばってアイドルになるからね!」



 と言うとポストさんに手を振りそのまま通り過ぎていきました。


(――え?)


 私は立ち止まってポストさんに尋ねました。


「えっ、ポストさん! あの子とも話せるの?」


 するとポストさんは、


〝さぁ……どうなんでしょうねぇ~、はははっ〟


 またはぐらかされてしまいました。ポストさん……たまに意地悪になります。



 ※※※※※※※



 七海ちゃんが帰った後、義妹からお礼の手紙が送られてきました。そこには私たち家族と撮った七海ちゃんの写真と、オーディションに臨む七海ちゃんの「決意」が同封されていました。

 それから数ヶ月後……七海ちゃんから「オーディションに合格した」という一報が、私の携帯電話にEメールで送られてきました。まだスマートフォン(いわゆるスマホ)の普及率がフィーチャーフォン(いわゆるガラケー)と拮抗していた時代で、LINEもそこまで普及していませんでした。


 それからの彼女は学業の傍ら、「忍野(おしの) 萌海(もえみ)」という芸名で「Φ(ファイ)ブレイク」という5人組ご当地アイドルグループのメンバーとなり、あれよあれよという間に人気者になりました。やがて壮大なスローガンどおり、富士のふもとから笑顔を届けるため全国に進出……という大事なときに、


 ――彼女に悲劇が訪れたのです。


 彼女は突然、「ある()由」でメンバーを卒業……一時は引退も考えたようですがそのまま山梨に残り「()元アイドル」として細々と活動していくのでした。

 やはりあのとき、七海ちゃんの辛い物好きを止めさせるようにすればよかったのかなぁ……と少し後悔しています。


 人生って思った通りにいかないものですね? でもまぁそれも人生……忍野萌海こと忍草七海ちゃんは自分の置かれた境遇で今日も楽しんでいます。



 この話はまだ続きます。次は……いつか訪れることがついにやって来ました。


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