【平成14年(2002年)5月】
平成14年5月……この月に誕生日を迎える私は、もうすぐ35歳になります。
「申し訳ございません!」
この日……私は2人の子どもが通う小学校から呼び出され、校長室にある応接スペースで深く頭を下げていました。
「まぁ鳥居地さん、頭を上げてください。幸い、相手のお子さんも怪我がなくて済みましたから……まぁ男の子の母親は訴えるとか息巻いていたんですけど……」
「えぇっ! 裁判ですか? そっそんな……」
モンスターペアレンツという言葉が一般的に使われるようになったのはもう少し後ですが、この頃にはすでに学校や教育委員会などへ理不尽な要求をする親がいたという噂を耳にしたことがあります。
「いえ、当の本人が女の子に負けたことを非常に恥ずかしがっておりまして……母親にも『誰にも言わないで』と口止めをしていましたよ」
「はぁ……」
「ですが鳥居地さん、やはり暴力はよくありませんよ。ましてや新名ちゃんは女の子ですから……4年生は早いお子さんだと二次性徴も始まる年齢です。もっと女の子らしく躾けてあげてください」
「本当に……申し訳ございませんでした! 相手のお子さんとご両親にもよろしくお伝えくださいませ」
私は何度も校長と担任の先生に頭を下げました。
頭を下げている原因は我が家の長女『新名』です。このとき9歳、4年生の新名は男の子とケンカしては相手を打ち負かすという問題行動を繰り返していました。
この頃の学校は体罰などの暴力に関して過敏になっていました。元々体罰は昔から法律で禁止されているのですが、私が小中学校のときは体罰や生徒同士の暴力行為が当たり前のように……しかも生徒が先生に暴力をふるう校内暴力などという行為もあった時代です。
もちろん今でも体罰や暴力行為は無くなっていませんが、インターネットの普及などでしょうか? 今まで話題にすらならなかったような体罰でもマスコミで騒がれるようになり、学校側もナーバスにならざるを得ない状況のようです。
それにしても……夫の新一さんは暴力肯定派ではないですし、私も昔から男っぽい振る舞いはしていなかったはずですが……この子は一体誰に似たのでしょう?
粗暴な新名は確かに問題児ですが、女の子は「女の子らしく」……当時の学校は暴力に対して過敏になっていましたが、まだ「ジェンダー」にはそこまで考えが及んでいなかったようです。
もちろん……当時の私もそうでした。
※※※※※※※
娘の新名はケンカの際に顔に擦り傷を負い、手当てを受けている最中だというので私は保健室に向かいました。保健室に向かう途中の廊下で、私の顔を見た何人かの女の子から「あれ、新名のお母さんじゃない?」と囁く声が聞こえました。
呼び出しされる保護者の常連? 私は、顔から火が出る思いでした。
「新名っ!」
保健室に入ると新名は保健室の先生と何やら話をしていましたが、私の顔を見るなり黙り込んでしまいました。
「新名! アナタこれで何回目なの!? いい加減にしなさい!」
私は、この学校に呼び出される常連の保護者となってしまった恥ずかしさから新名を強く叱りつけました。新名はこちらを睨みつけると拗ねたような言い方で
「……ボクが悪いんじゃないもん」
「またぁ、何でアナタは『ボク』って言うの!? ちゃんと女の子らしい言葉遣いをしなさい!」
「いいじゃん『ボク』で……何が悪いんだよ」
「アナタは女の子だからよ! だから男の子とケンカなんてしちゃダメなの! いい? 暴力は絶対にダメ! 返事は!?」
「……」
返事をせず目線を逸らした新名に対し、私は怒り心頭に発してしまいました。新名の腕を掴み強く引っ張ると
「さっ、帰るわよ! アナタが反省するまで今日は夕食抜きよ」
「痛いっ! 何だよ! ボクは暴力ダメなのにお母さんならいいのかよ!?」
私はハッと我に返り、新名の腕から手を放しました。すると……
「まぁまぁお母様……お気持ちはわかりますが、もう少し新名さんの話も聞いてあげてください」
私たちのやり取りを見ていた保健室の先生が話に入ってきました。
「話って……この子いつもこんな感じで、自分のこと話さないんですよ」
新名は普段明るい子ですが、自分のこと……特に悩み事や相談とかを私たち家族に話したことがありません。すると保健室の先生が
「そうですねぇ、私にも授業の様子とかゲームの話はしますけど……ご自分のことは話してくれませんね」
「そうなんですか? それじゃ聞いてあげられる話も聞けないんじゃ……」
「えぇ、でも……お母様もお忙しいでしょうが、新名さんから色々聞いてあげられる時間を作ってあげてください」
「時間……ですか?」
「はい、何の話でもいいんです。お子さんの話を何でも聞いて、そして理解してあげる……その上でダメなものはダメと諭してあげればいいんですよ。それと……」
保健室の先生は、新名の言葉遣いについても触れてきました。
「先ほどお母様は『女の子らしい』とおっしゃられていましたけれど……21世紀はそういう考え自体を捨てていく時代ですよ」
「えっ、でもさっき校長先生も……」
「はい、まだ世間はそういう考えがまかり通っていますけどね……でもお母様、これからは男の子は『ボク』女の子は『ワタシ』とか男の子は黒や青、女の子は赤やピンク……といったいわゆるステレオタイプを無くしてください」
ちょうどこの頃……90年代後半からは「男」「女」という概念が変わりつつある時代でした。1999年、いわゆる男女雇用機会均等法の改正により職場における男女差が「禁止」されたのです。
また、スチュワーデスを「客室乗務員」、看護婦・看護士を「看護師」、保母・保父を「保育士」と次々に名称が変わっていったのもこの時代です。ちなみに保健室の先生、つまり養護教諭は今でも男性の割合が非常に少ない職業だそうです。
「それとお母様、本校も以前からランドセルに関して規定はありません。男の子が黒、女の子が赤いランドセルを使わなければならない理由はないですし、そもそもランドセル以外のカバンで通学しても問題ありませんよ」
「えっ、あぁ……そういえば」
この頃はランドセルのカラーバリエーションが増えた時期でもあります。そういえばさっきすれ違った女の子の中で1人だけ、薄い紫色のランドセルを背負った子がいたことに私は気付きました。
「とは言っても、まだまだ女の子は赤が多いですけどね……」
保健室の先生はため息交じりにそう呟きました。そして私は、先生のランドセルの発言で心の中にひとつ「気がかりなこと」が増えてしまいました。
「新名さん、あなたは何か我慢できない理由があったんでしょう? でもね、どんなことがあっても相手に手を出しちゃいけませんよ! 相手の子にだって考えはあるんだから、まずはちゃんと聞いてあげることが大切よ。それと……これからはお母さんに何でもお話ししてあげてね」
保健室の先生は新名に優しく声を掛けると、新名は不満そうな顔をしながらも軽く頷きました。
「お母さん! 新名さんの主張を一度はちゃんと聞いて……そして理解してあげてくださいね」
(そんなこと言われても……間違ったことは正してやるのが親の役目じゃ……)
私はこのとき、まだ保健室の先生の考えがよく理解できていませんでした。
※※※※※※※
「はぁ……もう、困ったもんだわぁ~あの子には」
数日後……私は商店街にある丸ポストへ手紙を投函し、そのあとポストに話しかけていました。この「ポストさん」は私と会話ができるのです。ですがこの日は会話というより、私がポストさんへ一方的に「愚痴」を延々と話すパターンでした。
〝まぁ大変ですねぇ子育ては……文名さんの気持ちもわかります〟
「あぁ、ごめんねポストさん、一方的に愚痴ってばかりで……」
〝いえいえお構いなく……文名さんのお役に立てて何よりです〟
「ありがと! それにしても新名の男っぽい振る舞いも困ったもんだわ! まぁ最近は男らしいとか女らしいとか決めつけるの良くないっていうけど……そういえばポストさんって男? 女?」
〝さぁ? ワタシはポストですから……性別はありませんよ〟
この付近は商店街といっても、中心部の空洞化でほとんどの店が閉店しておりいわゆる「シャッター通り」になっていました。私がポストさんと長時間話し込んでいても、通行人すらいないので変なオバサンと思われていないようです。
私がポストさんに愚痴っていると、そんな誰もいないシャッター通りにひとりの小学生が通りかかりました。
「あら、文一おかえり!」
やって来たのは長男で新名の弟・文一でした。新名より3歳年下の1年生です。
「……ただ……いま」
文一は私にボソッと返事をすると、そのまま下を向いて通り過ぎようとしました。私はとっさに
「文一、学校はどうだったの? 楽しい?」
子どもにとって具体性に欠け、返事に困る質問をしてしまいました。文一は、
「う……うん、たのしい」
まだ入学して2ヶ月……本来なら楽しくて仕方がない小学校生活でしょうが、明らかに答えと態度が違っていました……様子が変です。しかも、
「文一、どうしたのその服? 泥だらけじゃないの」
文一の服が土ボコリで汚れていたのです……しかも膝を擦りむいていました。それを見た瞬間、私の頭の中で小学生のときに桜の実をぶつけられたあの忌まわしい記憶がフラッシュバックされました。
(もしかして……この子、いじめられた?)
「……ころんだ」
「えっ?」
「ころんだだけ……だから、だいじょうぶだよ」
というと文一はニコッと笑い、家に向かいました。何だ、転んだだけか……あの子はドジで昔からよく転んでいたからなぁ……そんなことを思っていると
〝文一くん……ウソついていますね?〟
(えっ?)
私がポストさんの言葉に驚いていると突然、
〝♪~〟
私のケータイの着信メロディが鳴りました。バッグから取り出して開こうとしたらサブ画面に「学校」と表示されていて一気に緊張が高まりました。
「はい……鳥居地です」
嫌な予感は……完全に当たりました。
またもや新名が男子児童とケンカをしたという連絡でした。しかも今までは同級生相手でしたが、今回は下級生相手に……そして最悪なことに相手の子にケガまでさせてしまったと……。
「あの子……なんてことを!」
私は一度家に帰り、先に帰った文一におやつを与えてから慌てるように家を飛び出しました。
※※※※※※※
学校に着いた私は、もうすっかり慣れた手つきで来客用のスリッパに履き替えて校長室に向かいました。その途中、
「あっ、新名ちゃんのお母さん! ちょっと待ってください」
私を呼び止める声がしました。声の主はこの間も見かけた、薄紫のランドセルを背負った女の子とそのお友だちでした。
「えっ……あぁごめんなさいね、ちょっと急いでいるから」
私は呼び止めた子たちの相手をせずに校長室に向かいました。
校長室に入ると、校長と担任、それ以外に教師が1人……たぶん被害に遭った子の担任でしょう。それと……被害に遭ったと思われる男の子とその母親、それと男の子の仲間と思われる子があと2人いました。
そのお子さんは2年生……指には包帯が巻かれていました。証人としてでしょうか……男の子の手当てをしたと思われる保健室の先生も同席していました。
もう絶体絶命……言い訳のしようがない状況です。私は1人ソファーに座っている新名を引きずり下ろして頭を掴むと、
「申し訳ありません!!」
嫌がる新名を強引に抑え込み土下座をしました。
「何すんだよ! ボクは悪くない!」
「何言ってんの! 手を出した時点でアナタが悪いのよ!」
私たちの様子を見ていた男の子の母親は興奮した状態で
「ったく、聞いた話じゃその子は何度も暴力事件を起こしてるそうじゃないですか!? 何て乱暴な……女のくせに。まるでおとこ女……オナベじゃない!!」
「すみません!」
多少理不尽なことを言われた気がしましたが悪いのはこっち……私は土下座をしたまま黙っていました。すると……
「あの、お母様……『女のくせに』とか『オナベ』とかいう表現は止めていただけませんか?」
そう言って男の子の母親の発言を止めたのは保健室の先生でした。後でわかったのですが、この先生は早くからジェンダー教育に力を入れてきた方だそうです。
「オナベといって何が悪いのよ!? とにかく、ウチの息子がケガさせられたんですから、傷害罪で警察に被害届を出します!」
「お母様! けっ、警察というのはさすがに……」
校長と担任の先生が動揺していると……
〝トントンッ〟
誰かが校長室の扉をノックしました。
「失礼します」
と言って入ってきたのは……薄紫色のランドセルを背負った女の子とその友だち、そして……彼女たちよりひと回り小さい男の子でした。
「何ですか君たちは! 今は児童が入ってはいけ……」
「校長先生!!」
女の子は大きな声で先生の注意を打ち消すと、続けてこう言いました。
「新名ちゃんは悪くありません!」
「私たち……ずっと見てました!」
彼女たちがそう言うと、ケガをした男の子とその仲間の子は一斉に彼女たちから視線を逸らしました。
「どういうことですか? ちょっと……説明してもらえませんか?」
校長先生がそう尋ねると、彼女たちは「はいっ」と答えて今回の騒動の「真相」を話し始めたのです。女の子の1人が
「この子は……私の弟です」
と言うと、女の子の陰に隠れていたひと回り小さい男の子を前に出しました。よく見るとその男の子は文一と同じように服が土ボコリで汚れていて、今すぐにでも泣き出しそうな顔をしています。
「ウチは貧乏でゲームボーイを買ってあげられなくて……代わりに私が昔使っていた『たまごっち』を貸してあげていたんです」
たまごっちは平成8年(1996年)に発売され、社会現象にもなった育成型と呼ばれるゲームです。私も当時持っていましたが、やがてブームは終息……このときはすっかり過去のものとなっていました。
「でも、いつもお世話をしなきゃならないんで学校に持ってきてたんですが……」
「えっ、学校にゲームは持ち込み禁止ですよ」
「すみません……それは『オスっち』といってもう1台あると子供ができるってヤツだったんです。でも、もちろんクラスにそんなの持ってる人はいなくて……そしたら新名ちゃんの弟の文一くんが、新名ちゃんから『メスっち』を借りてきてくれて遊びに付き合ってくれたんです」
えっ、文一そんなことしていたの? 当時ウチにはゲームボーイアドバンスがあり、たまごっちは押入れでホコリをかぶっていると思っていたので驚きました。
女の子は、ケガをした男の子を指差すとさらに話を続けました。
「そしたら今日、弟たちがお世話しているのをそいつらに見つかって……弟と文一くんは先生に言いつけるって脅されて……たまごっちを奪われたんです!」
校長と担任の先生たちはお互い顔を見合わせていました。
「弟たちが『返して』って向かっていったらそいつら、『ヤだねったら、ヤだね』と言ってたまごっちを高い位置でパスしてからかってたんです。そこへ新名ちゃんが通りかかって……」
「で、ケンカになったと?」
「いいえ! 初めは新名ちゃん、そいつらに『何でそんなことするの?』って聞いてました。でもそいつら全然相手にしなくて……それでも新名ちゃんはずっと説得してたんですが……」
(そうだったの? 新名は手を出さずに話し合おうとしていたんだ……)
私は、女の子たちの告白に驚きを隠せませんでした。
「それで……どうなったんですか?」
「ケガをしたそいつが『男同士でオスっちメスっちって気持ち悪い! お前らホモか!?』って言ったんです。そして目の前でたまごっちを壊して弟と文一くんを突き飛ばしたんです! 目の前で弟たちがイジメられて……私はどうすることもできなかったんですが、新名ちゃんは……」
と言うとその女の子は泣き出してしまいました。
「ホモって……それも差別用語ですけどね」
保健室の先生は憤慨していました。
「ウッ……ウソよ! そんなの作り話でしょ!? 証拠があるの? 証拠が!?」
「あります!」
男の子の母親が大声を上げると、泣き出した子とは別の女の子が
「そいつのポケットに、壊されたたまごっちがあるハズです。まだ返してもらってませんから……」
「えっ、ほ……本当なの? ちょっとママに見せなさい」
母親が詰め寄ると、ケガをした男の子は震えながらも観念したようにポケットに手を入れました。そして中から出てきたのは……表面にヒビが入り液晶画面が真っ黒になった「たまごっち」でした。
※※※※※※※
とはいえ新名が暴力をふるったのは間違いのない事実です。私は改めて謝罪しようとしましたが、男の子の母親はバツが悪そうにそそくさと男の子たちを連れて校長室から出ていってしまいました。
今回の件に関してはお咎めなしでしたが……私と新名の間に溝ができてしまいました。新名は初めから手を出そうとしたのではなく、男の子たちと話し合おうとしていたのです。そして目の前で文一たちがイジメられるのを見て止めようと……それを私はいつものように手を出したと勘違いして……何て浅はかなんだ! このときは自分の行動が情けなく、穴があったら入りたい気分でした。
新名と、そしてイジメられたことに気付いてあげられなかった文一に謝ろう。そう思っていましたが、学校からの帰り道……一言も話さず目線も合わせない新名に対して私は掛ける言葉が見つかりませんでした。
そしてその日の夜、事件が起こったのです。
夕食の支度を終え、新名の部屋に向かうと……部屋には誰もいません。シンプルな木製の学習机の上に1通の封筒が……中には手紙が入っていました。
――!?
新名が書いた手紙には、家出をほのめかす内容が書かれていたのです。
「しっ新一さん! 新名が……」
私は夫を呼び、2人で手分けして探しに行きました。
私は不安でいっぱいでした。この時代は毎年のように「刑法犯認知件数」が増え続けており、この平成14年がピークだったのです。このときはまだ5月でしたがすでに凶悪で理不尽な事件が何件も起こっていました。
子どもが夜中に1人で家出し、もし犯罪に巻き込まれていたら……私は生きた心地がしませんでした。
※※※※※※※
「新名ーっ! ……新名ーっ!」
新名を探して30分くらい経ちました。私たちは家の中から外へ……あらゆる場所を探しましたが見つかりません。家から離れれば離れるほど、私の心の中から焦りがにじみ出ていました。
家から離れた会社(印刷所)の中も探しました。施錠はされていますが、何ヶ所か隠れられそうな場所があったのです。私が会社を出て、商店街を歩いていると
〝文名さん!〟
突然、私を呼び止める声が聞こえてきました……ポストさんです。私がポストさんの所へ行くと、そこには……
ポストさんの横にしゃがみ込み、スヤスヤと寝ている新名の姿がありました。
「新名! そんなところで何……」
〝しっ……もう少し寝かしてあげてください〟
私が新名を揺すり起そうとしたらポストさんに止められました。
〝新名さんはずっとここで、私に文名さんのことを話していましたよ……自分は正しいことをしているつもりなのにお母さんは理解してくれない……ケンカをしないでって言われたからその通りにしたのに、お母さんは一方的に自分が悪いって決めつけてきた……でも結局、手を出してしまいお母さんに迷惑をかけてしまった……お母さんに褒められると思って頑張ったのにできなかったのが悔しい……お母さんに謝りたい……って〟
「えっ、ポストさん……新名と話せるの?」
〝いいえ、新名さんが一方的に話していただけですよ……延々と。それで疲れちゃったんでしょうね、この子は……お母さんに認められたい一心で今までやってきたんですよ〟
そうだったんだ……やり方は多少間違っているけど、新名は私に認めてほしいと考えていたのです。そんな新名の気持ちに全然気付いてやれなかったなんて……私はなんてダメな母親なのでしょう!
〝新名さんは……お母さんのことが大好きなんですよ〟
ポストさんの一言で、私の目から涙がこらえきれず溢れ出しました。ごめんね新名! ごめんね……私は新名をギュッと抱きしめると、心の中で何度も何度も「ごめん」という言葉を繰り返していました。
「あっ……お母さん」
新名が目を覚ましました。私は新名を抱きしめながら
「ごめんね新名! お母さん、新名のことを何もわかってあげられなくて……」
「ううん、ボクの方こそごめんなさい……手を出さないって約束したのに……」
私と新名はしばらくの間、お互い涙を流しながら抱き合っていました。
※※※※※※※
ポストさんに別れを告げて家まで帰る道すがら、私は新名に尋ねました。
「ねぇ新名、何であのポストに行ったの?」
新名はポストさんと話せません。なのになぜポストさんに延々と話しかけていたのでしょうか?
「前からお母さん、あのポストに話しかけていたから……だからあのポストには悩みを聞いてくれる不思議な力があると思ったんだ」
うわっ、私がポストさんと話しているところ……娘に見られていたのね! 私は急に恥ずかしい気分になりました。
「でも不思議だね! あのポストに話しかけていたらスッキリした! 何かあのポスト……ボクの話をずっと聞いてくれて、そしてボクを認めてくれた気がする」
それは、気がする……じゃなくて本当に聞いてくれて、そしてアナタのことを認めてくれたのよ新名! すると新名は
「あのさぁお母さん! ボク、将来は保健室の先生になりたい……いや、絶対になるんだ! 保健室の先生になって……ひとりひとりに向き合ってみんなの言うことをちゃんと聞いてあげられる先生になるんだ!」
「うん、わかったわ……お母さんも協力する」
私たちは月夜の中、養護教諭になりたいという新名の未来に向かって誓いを立てたのでした。
※※※※※※※
こうして新名とのわだかまりと、暴力については丸く収まりました。ですが私にはもうひとつ、気掛かりになっていることがあります。
それは保健室の先生から「ランドセルに規定がない」と言われたときでした。実は新名……4年生になってから赤いランドセルを使うのを止めて黒いリュックに変えていたのでした。
最初は、4年生になりランドセルが子供っぽいと感じていたのだろう……と考えていたのですが、もしかしたら他の女の子らしいイメージである赤い色を嫌っていたのかも? と思うようになりました。
私は……新名が「性別違和(性同一性障害)」ではないかと疑っていたのです。
この年にドラマ「3年B組金八先生」で上戸彩さん演じる「鶴本直」という生徒が性同一性障害ということでこの病名が一般にも知れ渡ることになりました。
ボクという言葉遣いや赤やピンクを嫌う……場合によっては性別適合手術が必要とされる病気では? 当時の私は心配しましたが、どうやら違っていました。
ただ……
新名が高校生のとき、家に女の子を連れてきました。「親友」と紹介していましたが、どうやら「彼女」だったみたいです。そう……新名は女の子が好きな「同性愛者」だったのです。
カミングアウトしたのは大学生のとき……私は新名が小学生のときから疑っていたので覚悟はできていたのですが、それでもショックでした。もう普通に娘のウエディングドレス姿とか、孫の顔を見ることはできないのか……と、当時は半ばあきらめかけていました。
現在、新名は県外にある私立の女子高で、念願だった養護教諭になっています。どうやら生徒に大モテで、バレンタインデーには生徒全員からチョコレートをもらうとか……?
時々、こちらにも帰ってきますが、いつも口論になってしまいます。
「あら新名、帰ってきたの? どう? いい男性見つかった?」
「だからぁ~、ボクは男に興味ないって言ってるだろ!? ったく……何度言ったらわかるんだよ!」
もちろんLGBTに理解はあるつもりです。ですが私も1人の「母親」です! 母である以上、我が子の結婚……そして孫の顔を見たいという夢を持つのは当然のことではないでしょうか?
「そんなこと言って、ホントにいい人いないの? あっそうだ! あの……大学から一緒にいる不逢さんって人はどうなの?」
「あぁ若彦? ないない、アイツだけは絶対にない!」
もうしばらく……実家に帰った娘との「バトル」は続きそうです。
この話はまだ続きます。