【平成3年(1991年)2月】
「はい……はい、こちらこそ、よろしくお願いします。それでは失礼いたします」
〝ガチャ〟
「……ふぅ!」
「文名さん、ため息ついてるヒマなんか無いわよ! 次のお得意さんに電話して」
「はいはーい」
「文名さん、はいは1回でいいの! ったく、あなた社長の娘なんだからちゃんとしなさい」
「……はーい」
今から32年前の平成3年2月……大学を卒業した私は23歳になっていました。
その2年前の1989年1月……大学3年生の冬休みに元号が「昭和」から「平成」へ変わりました。そしてその年の4月からは大学生最後の年でもありました。
単位と卒論は何の問題もなかったのですが就活が完全にアウトでした。この年、甲府の小瀬スポーツ公園で「こうふ博」が行われましたが就活が忙しく1度も見に行くことができませんでした。
私は大学では優秀な学生で通っていました。ならば少しくらい大手の企業もイケるんじゃないかな? そう思って高望みしたのが大間違いでした。所詮私が通っていたのは無名の私立大……同じ土俵に国立大や有名私立大の就活生が上がってきた時点で負けが確定していたのです。
どこからも内定をもらえず、仕方なく東京での就職を諦め地元・甲府へUターン就職を考えましたがスタートダッシュに遅れた私には残り物さえなく当然、福などありませんでした。
結局、就職浪人になりそうな私へ差し伸べてきた「救いの手」は、父が経営する印刷所の事務仕事でした。つまり学歴関係なく出来る仕事なので、私の4年間の大学生活は全くの無駄……まぁ人生経験として多少の収穫はあったものの学業のキャリアとしては「全く必要ない物」になってしまいました。
高3のとき私は父に「父さんの夢を私に押し付けないで! 私には私の生き方ってものがある」と大見得を切って東京の大学に行きました。しかし結果的に「必要のない4年間」を過ごした挙句、父の世話になってしまい……私の人生は太宰治の小説「人間失格」のように「恥の多い生涯」となりそうです。
父には合わす顔がありませんが、この件に関して父は無言を貫いていました。正直、小一時間説教された方がどれだけ気が楽だったか……。こうして私は父の会社で「新入社員」として雇われもうすぐ1年が過ぎようとしていました。
父の会社では母も仕事を手伝っており、文字通り「家族経営」なのですが従業員も3人雇っています。1階で印刷機を担当している男性従業員が2名、そして……
「文名さん! その書類書き終わったらこの郵便物出してちょうだい!」
「はいはーい」
「またぁ! はいは1回って言ったでしょ!? もう! 副社長はどういう教育をなさっているのかしらね」
(あーうるさい……それ、お母さんの前でもう1回言ってみろ!)
家事や営業で事務所を空けることが多い母に変わり事務所を取り仕切っているのが樫原梨乃さん……37才、独身です。私たちは「かしこ」と呼んでいました。父ですら気を使うほど彼女は取扱注意な古参社員……いわゆる「お局様」です。
私は印刷作業と直接関係のない営業や経理、その他雑用の仕事をしていました。要するに母がやっている仕事の手伝いです。
かしこさんも同じような仕事をしていました。私は母が苦手なワープロを使えたので、姑みたいに口うるさいこの人にはお役御免で出て行ってほしかったのです。
でも彼女はパソコン(マッキントッシュ)を扱い、しかも当時としては新しい技術のDTP(デスクトップパブリッシング)ができる人なので重宝され、父も頭が上がらなかったのです。
「ちょっと! 文名さん、早く出してきてちょうだい! もうすぐ郵便屋さんが回収に来るわよ」
「えっ! ちょっと待ってくだ……あっ、行ってきます」
私は慌てて書類を仕上げると、郵便物を手に取り事務所を後にしました。
※※※※※※※
私は郵便物を片手に持ち通りへ出ました。
(うわっ、コート忘れた! まぁいいか近くだし……)
自分の防寒より郵便物でした。最終の取集時刻は午後4時……それを過ぎると翌日の取集めになってしまうため、どうしても今日中に出したい急ぎの郵便物は、ここから遠くにある甲府中央郵便局まで行かなければなりません。
このとき時刻は4時1分……すでに取集めされていてもおかしくない時間です。私は通りを挟んで反対側にある文具店の前まで走りました。
「ポストさーん!」
〝あぁ、文名さんこんにちは〟
文具店の前にある丸いポストは、不思議なことに私と会話ができます。私は「ポストさん」と呼んでいて、相談に乗ってもらったり他愛もない話をしたり……かけがえのない「友人」となっていました。
「ポストさん、もう郵便屋さん取集めに来ちゃった?」
〝いえ、まだ来ていませんよ……今日は少し遅れていますかねぇ〟
「そうなんだ、よかったぁ~……うわぁ、でも寒い!」
と、私は寒いのでポストさんに郵便物を投函し早く戻ろうとしたそのとき、
〝ブロロロロロ……〟
遠くからバイクのエンジン音が聞こえてきました。私は郵便物をポストさんに投函しようとしていた手を止め、バイクが来る方向を見ました。
赤いスーパーカブに乗ってきたのは郵便配達員さんでした。ポストさんに投函された郵便物を回収に来たのです。
「あっ、郵便ですか? いいですよ、こちらで受け取りますから」
と、その配達員さんは郵便物を私の手から直接受け取りました。そのとき、ヘルメットを被った顔を間近で見た私は強い衝撃を受けたのです。
――かっ!
――かっ……
――かっこいいいいっ!!
(何てハンサムな人なんだろう! しょうゆ顔でめちゃくちゃ好みのタイプだわ)
当時はイケメンという言葉がありませんでした。その人は少年隊のヒガシ(東山 紀之さん)に似た、さわやかな笑顔が似合う男性でした。
「他は(郵便物)ありませんか?」
「あっ……はい、ないです……よっ、よろしくお願いします!」
今で言うイケメンの配達員さんは私に笑顔でそう尋ねると、カギを取り出してポストさんの中から他の人が投函した郵便物を取集めていました。私はしばらくその場に立ち尽くし、イケメンさんの作業に見入ってしまいました。
イケメンさんが取集めを終えてカブに乗ると
「あっ、そんな格好で寒くないですか? 風邪ひかないようにしてくださいね」
コートを忘れた私を心配して、そのまま去っていきました。
(うわぁ、何て優しい人なんだろう……)
私は、初めて出会った名前も知らない配達員さんにメロメロになってしまいました。するとポストさんが、そんな私の姿を見て……
〝フフッ〟
「えっ、なっ……何よ」
〝一目惚れ……ですか?〟
「えぇえええっ! 違うわよそんなんじゃ……」
ポストさん……察しが良すぎます。
〝あの配達員さん、今月からこちらを担当していますよ〟
「えぇっ、そうなの? もっと早く知っていればよかったー!」
〝やっぱり気になるんじゃないですか〟
「う゛っ!」
本当にポストさんはごまかせません。
〝まじめな方ですよ! この間、ワタシに汚れが付いていたので拭き取ってくれました……あと、彼は独身です。確か独身者用の社宅に住んでいるはずですが……〟
ポストさん……それ個人情報! でも、良い情報が得られました。
「そういえば……」
〝……どうされました?〟
「あの人の名札……チラッと見たんだけど」
〝さすがですねぇ、抜け目ないというか……〟
「ちょっ、ちょっと! だからそんなんじゃないわよ!」
名札には『鳥居地』と書いてありました。今まで見たことのない苗字です。
「珍しい苗字……ねぇポストさん、何て読むの?」
〝それは直接本人に聞いてください〟
「うわっ、ケチ! いいじゃない教えてくれたって……」
すると、
〝ピーピーピー、ピーピーピー〟
「うわっ、かしこだ!」
私のポケットから電子音が鳴ったので、ポストさんが私に尋ねてきました。
〝えっ、何ですか? それは〟
「ポケベルよぉ~、帰ってくるのが遅いってかしこから呼び出されたのよ」
ポケベル……ポケットベルの略称です。口うるさいITオタク、かしこさんの発案で導入されました。
私が持っていた当時は会社で営業マンが持たされるといったイメージが強かったのですが、文字が送信できるようになった90年代後半になると女子高生を中心に個人利用が増えていきました。送信にはプッシュ回線の電話が必要なので、学校の休み時間には公衆電話の前に行列ができたそうです。
〝かしこさんって……文名さんのいる会社の?〟
「そぉ! ウチのお局様よ! 24時間タタカエマスカって本気で言ってくるオバタリアンよ!」
お局様とは、この前の年、1989年に放送された大河ドラマ「春日局」が語源だといわれています。オバタリアン……そういえばそんな漫画がありましたね。今の私は当時のかしこさんよりオバタリアンになっていますけどね。
「ったくいつもいつも……確かに年賀状シーズンだけどまだそこまで忙しくないっつーの! まったく、やせったい人だわ」
〝文名さん、『やせったい』なんて……すっかり地元に馴染んでしまいましたね〟
「えぇっ、やだっ! そんなことないわよ……もう、寒いから戻るね!」
私は会社へ戻りました。ちなみに「やせったい」とは甲州弁で「せわしい」という意味です。
※※※※※※※
翌日から私は、あのイケメン郵便配達員さんのことが気になって気になって仕方ありませんでした。
実は事務所の窓から眺めると、ちょうどポストさんが見える位置でした。私はいつも午後4時前になると事務所の窓から(かしこさんに気付かれないように)ポストさんを眺めて、彼がいつ来るかいつ来るかと待ちわびていました。でも……
「あっ、郵便物出してきますね」
と言って飛び出しても
〝あっ、文名さん……まだ『お目当ての彼』は来ていませんよ!〟
私が焦っているのか、だいたい早めに来てしまいます。
「えっ、別にお目当てとかそっそういうんじゃないから……」
〝でも5分くらい前からワタシの方をずっと見ていましたよね?〟
「う゛ぅっ」
ポストさんにはバレバレでした。
〝どうされます? このままここでお待ちになりますか?〟
「いっ、いいわよ! かしこに呼ばれるだろうし……これお願い!」
私はポストさんに郵便物を投函しました。ポストさんがいるのに郵便物を出さずここでウロウロしていたら明らかに挙動不審です。
※※※※※※※
しばらくして、私はついに「ある法則」を見つけました。
(あっ、来た!)
「すみません、郵便物出してきます!」
「えっちょっと文名さん、遅くない!? 間に合うの?」
私は走ってポストさんの所へ向かいました。すると……
あのイケメン配達員さんが郵便物を取集めていたのです。
「あぁ、すみません! これもよろしいですか?」
「あぁいいですよ、こちらに下さい」
イケメンさんは嫌な顔一つせず私から郵便物を受け取ってくれました。
「いつもこの時間に来られるんですね? お仕事、お忙しいんですか?」
「えっ、えぇっ……いつもすみませんギリギリで……ご迷惑……ですよね?」
「いえいえ、間に合えば大丈夫ですよ! それに僕も、配達はいつも1人なのでこうやってお話しできるのは嫌いではないです」
――ドキッ!
「それじゃあ、お仕事頑張ってください」
「あっ、えぇ郵便屋さんも……えっと……お気をつけて」
〝ブロロロロロ……〟
イケメンさんは次の配達場所へ向かいました。すると私の背後から、
〝文名さん!〟
「あぁ、ポストさん……いたの?」
〝基本的に移動しません……それより、コツを覚えてしまいましたね?〟
「えへへ、バレた?」
そう、このとき私はイケメン配達員さんが来るタイミングを見極めていたのでした。商店街に入る交差点の角をイケメンさんは曲がって来ますが、そのタイミングで私がポストさんに向かえばちょうど取集めているところに出くわすのです。
私はこの方法で、何回も直接イケメンさんに郵便物を渡せ……会えるようになりました。普通なら迷惑行為でしょうが、彼は嫌な顔ひとつせず私から直接郵便物を受け取ってくれました。
「ねぇポストさん、お話しできるの嫌いじゃないって……これって私といるのが楽しいって意味よね?」
〝いや……別に老若男女問わず話せたらいいってことじゃないんですか?〟
「あぁ~いいなぁ~、仕事に疲れた4時台の癒しだわぁ~」
〝観賞用……ですか?〟
「えっ!?」
このときのポストさんはなぜか機嫌が悪そうでした。
〝文名さんの本心はどうなんですか? その気はあるんですか!?〟
「えっえぇっ! そんなこと……急に言われても……」
〝このままの状態をずっと続けられる気ですか?〟
「え、えぇ~っ……」
このときの私は「次の1歩」が踏み出せないでいました。実は彼と「お付き合いしたい」という気持ちは満々だったのですが……小学校時代のトラウマや大学時代のサイテー彼氏などの嫌な経験で私は、恋愛に対して臆病になっていたのです。
しかも、サイテー彼氏と付き合いだしたときは彼の方から一方的にアプローチしてきましたが、今回は私の方から一方的に好きになってしまい……この場合どうアプローチしたらいいのか皆目見当がつかなかったのです。
〝迷っておられるんですか? ワタシ……昔、文名さんに言いましたよね? 迷ったら『やる』を選べばいいって! それと……〟
「えっ、それと……?」
〝たまにはワタシも使ってくださいよ!〟
そういえば……このときはイケメンさんに直接渡してばかりいたので、ポストさんを全然利用していませんでした。
ポストさんが機嫌悪かった理由……それだったのですね。
※※※※※※※
〝ピコーン、ポコッ、ポコッ、キラキラリーン〟
(確かにポストさんの言う通り……でも、私から告白するのは……怖い)
「あぁあああっ! どうしたらいいのよ私!」
仕事が終わって家に帰った私は、このモヤモヤした気持ちを買ったばかりのスーパーファミコンとスーパーマリオワールドにぶつけていました。
それから数日後……
結局、何の進展もありませんでした。そんなとき、この不毛な状況を打破するある出来事が起こりました。
午後4時……いつものようにイケメン配達員さんが、ポストさんの郵便物を取集めする時刻がやってきました。私は事務所でタイミングを見計らっていると……
(――あれ?)
赤いカブが2台でやってきたのです。しかも乗っているのはいつものイケメンさんと……同じ格好をした見たことがない人です。私は訳がわからず郵便物を手に取ってポストさん……いえ、イケメンさんの元へ向かいました。
「すみませ~ん、いつも遅くなっちゃって……あれ? そちら方は?」
窓から様子を見てわかっているのに、白々しく今初めて気が付いたような感じで私は聞きました。
「あぁ、担当エリアが変わるんですよ! 来月から彼が担当になります」
とイケメンさんが言うと、もう1人の配達員さんが軽く会釈をしました。
(――えっ?)
突然のことで私は言葉を失いました。
「しばらくは引継ぐために彼と一緒に回ります。担当変わってもよろしくお付き合いください」
そう言うとイケメンさんは、いつものように私から直接郵便物を受け取り、新しく担当となる配達員さんと2人で去っていきました。
来月からいなくなる……全くの想定外でした。
このままの状態を続けていたら……イケメンさんは私の元からいなくなる。そう考えたら、居ても立っても居られなくなりました。
(動かないと……後悔する! でも、どうすれば……?)
すると、私の気持ちを察したポストさんが
〝とりあえず……食事にでも誘ったらいいんじゃないですか?〟
「えぇええっ、そんなこと……でっででできるわけ……」
〝難しく考える必要はないでしょう、食事に行ったからといってお付き合いする訳じゃないですよね? とりあえず連絡先でも交換してつなぎ止めればいいんじゃないですか?〟
「う、うん…………やってみる」
人生には、一世一代の大勝負が……何度もやってきます。
※※※※※※※
平成3年2月28日……今日であのイケメン配達員さんはこの地区の担当を外れます。私はこの日のために準備を万端に整えておきました。ちなみに新しく担当になる人はこの日は休みだという情報を彼から聞いています。
午後4時が近付いてきました……緊張で胸がドキドキしています。そのドキドキは「期待」ではなくほぼ「不安」でした。このとき私の脳内では、小学校時代の嫌な思い出がグルグルと巡っていたのです。
そしてやはり……予想外のことが起こりました。
彼がいつもより3分も早く来てしまったのです。私はギリギリまで仕事をしていて机の上を片付けるのに手間取り、スタートダッシュが遅れてしまいました。
(――マズい!)
「すみません! 郵便物出してきます!」
私は机の上に資料を出しっぱなしにしたまま郵便物ともう1通、切手を貼っていない手紙を持って飛び出しました。
「あっ、ちょっと文名さん! 机の上! 整理整頓がなってないわよ! 5Sを遵守しなさーい!」
私はヒステリックなかしこさんを無視して事務所を飛び出しました。
(マズい、このままじゃ間に合わない! 諦める? でも後悔はしたくない)
完全に出遅れました。もう彼はポストさんから郵便物を回収して去っていったかもしれない……でも、初めから期待薄なんだからダメで元々! 私は開き直ってポストさんの所へ向かいました。
すると……奇跡が起こったのです。
「あっ、あれっ、あれっ……開かない! 開かない! 何で?」
彼がポストさんの取出口の所で中腰になり、カギをガチャガチャと回している最中だったのです。どうやらカギが開かないらしく、焦っていた様子でした。そして私が到着すると突然、
〝ガチャッ〟
「あっ! 開いた……あぁよかったぁ~」
彼は安堵の表情を浮かべ、カブの荷台に目をやると
「「あっ……」」
私と目が合い、同時に声が漏れました。
「あっ、あの……すみません遅くなっちゃったんですけど……」
私が郵便物を差し出すと、彼はいつものように笑顔で答えました。
「あぁいいですよ……良かったですね間に合って」
「え……えぇ」
「それにしても……何で今日に限ってカギが開かなかったんだろう?」
私には何となく理由がわかりました。
「あっあの……今日でこちらが最後なんですよね?」
「え……えぇ」
「あっあの……それでですね……これを渡したくて……」
「えっ……これは?」
私は、切手も宛名も書いていない封筒を渡しました。
「あっ、その……配達員さんへ感謝の手紙です。その……あなたには色々ご迷惑をおかけしたので……」
「あぁ、そんなことですか……気にしないでください。それじゃあ、これは頂いておきますね」
彼は私の手紙を大事そうに制服のポケットに入れてからエンジンをかけました。
「それじゃあ……わたしはこれで」
(――あっ! このままじゃ彼が行ってしまう!!)
あの手紙は……13年ぶりに書いたラブレターです。でも彼にその気がないのに渡してしまったら小学校のときの二の舞です。私は彼にとってただの「キモい女」になってしまいます。
ここはちゃんと、彼と今後も連絡とっていいのか確かめないと……私は勇気を振り絞って声を掛けました。
「あっ、あのっ!!」
カブのエンジン音より大きな声を上げた私に、彼は驚いてこちらを見ました。
「あっ……あのっ、今度……食事にでも……行きませんか?」
突然の誘いに彼は驚いて目を丸くさせましたが、すぐに笑顔を見せ
「えぇ……いいですよ」
――やっ、
――やったぁああああっ!!
こうして私は彼とその場で電話番号を交換し、食事の約束をしたのでした。
彼が去って行ったあと、私はポストさんに話しかけました。
「ポストさん」
〝……はい?〟
「やってくれたわね」
〝えっ、何のことですか?〟
ポストさんはすっとぼけていました。
「カギ……わざと開けさせないようにしたでしょ?」
そう、彼が取出口のカギを開けられず苦戦していたのは、ポストさんがわざと開けられないようにして時間を稼いだに違いありません。ポストさんの仕業です……奇跡でもなんでもなかったのです。
「ポストさん……ありがとう」
私はポストさんに抱きつきました。
〝ピーピーピー、ピーピーピー〟
かしこさんからのポケベルは無視しました。
※※※※※※※
その日の晩、さっそく彼から電話がかかってきました。今みたいにLINEもメールもなく、それどころか携帯電話も普及していなかった時代……私は家の電話の前に居座り、電話がかかってくるのを今か今かと待ちわびていました。
数日後、2人きりで食事に行きました。私の手紙もしっかり読んでくれていたようで、返事は……OK! 私は彼と交際をスタートさせました。
彼の名前は『鳥居地 新一』さん。富士吉田市出身で私より5歳年上です。後でわかったことですが、実は彼も前から私のことが気になっていたそうです。
そして交際を始めて約半年……今度は彼の方からプロポーズ。私たちはこの年の9月に結婚しました。
私はひとりっ子なので嫁にはやらん! と言っていた父ですが、彼もこちらで仕事を続けたいということでそのまま甲府に住み、父も安心したようです。
あれから30年以上経ちました。
昔のアルバムを見ながら私が、そういえば私はあのとき出会うタイミングを調整していた……という話をしたら夫から「それキモいじゃん」と笑われました。
でも実は夫も、私のことを笑える立場ではありません。私があのとき渡したラブレター……私に気付かれないよう大事に取ってあるんです。
私は知っていますけどね! 全く……どっちがキモいんだか。
人生ってなかなか自分の思い通りにはなりませんが……奇跡的に自分の思い通りになることもあるのです。まぁ良い事は「奇跡的」に起こって希少価値があるから人生は面白いのかもしれませんね。
この話はまだまだ続きます。