【昭和62年(1987年)8月】
今から35年前の昭和62年8月、私は大学生……そして20歳になりました。
東京の私立大学に入った私は、まじめに授業に出て単位も落とすことなく普通に大学生活を送っていました。
実家から定期的に学費は振り込まれていましたが、それ以外は自分で稼がなければ生活できません。私は講義のない日の日中は書店で……そして夜は学習塾で講師のアルバイトをして生活費を稼いでいました。
もっとも、私の通う大学のレベルだと大手の進学塾では断られてしまいます。私は、家族経営の小さな塾で小学生を相手に授業をしていました。ここでの私は「黒板に書く字がきれいでわかりやすい」と生徒さんから評判でした。まさかこんな所でペン字の効果が出てくるとは……。
そんな普通の大学生だった私はこの日、夏休みを利用して甲府に帰ってきました。夜は高校時代の友人と待ち合わせして、市内の居酒屋で飲み会です。
「文名ー、久しぶりー!」
「みんな久しぶりー! それにしても甲府は相変わらず暑いわねぇ」
「暑いといえば……先月の停電ひどかったよねー」
「えっ、山梨も停電したんだー」
当時の私は、思わず「甲府は……」などと言ってしまい「東京都民」風を吹かせて……今で言うマウントでも取りたかったのでしょうか?
高校時代の友人には、私のように県外に出ていった人があと2人いましたが、それ以外の子はみんな県内に残っていました。県内の国立大学に進学した人、短大に進学した人、県内の企業に就職した人……様々です。
「ねぇねぇ、文名はどうやって帰ってきたの? 高速バス?」
「ううん、JRよ! ジェイアール!」
「あのさぁ、もう4ヶ月も経ってるからその名前も聞き飽きたんだけど……それに変わったのは電車の横に『JR』って書かれただけじゃん」
「あはは、まぁね……そういや中央線に急行ないじゃんね」
「とっくにないよぉ!」
この年の4月、国鉄が分割・民営化されJRになりました。中央線(中央東線)と小海線がJR東日本、身延線がJR東海に分かれたので、中央線から身延線の乗り換えが面倒くさいことになるのか少し不安でした。
それとこの年の前年、急行の「かいじ」が廃止されました。この年は甲府着の特急「あずさ」で帰省しましたが翌年、甲府発着の特急が「かいじ」という名前で復活することになります。
「まぁいいや、文名! あんた20歳でしょ? (お酒)飲もーよ」
「うん!」
5月生まれの私は飲酒OKな年齢で、すでに何度か飲んだことがあります。
「じゃあとりあえず生中ね! 飲めない人はウーロン茶でいい?」
「えっ私カシスオレンジ……」
「何その洒落た名前!? 文名! アンタは東京かぶれか!? ビールにしろ!」
「えぇ~!?」
今の飲み会は最初から各々好きなものを頼むようですが……当時は当たり前のように「とりあえずビール」でした。でも実は私、ビールが苦手だったのです。飲めないことはなかったのですが……。
「私……あの苦みがダメなんだよねぇ」
「あぁ、大丈夫よ」
「えっ?」
「このお店のビール、スーパードライだから」
「えっ……何それ?」
この年の3月に新しいジャンルのビール「ドライビール」が発売されました。それまで私は、ビールとは苦くて飲みにくい物だと思っていたのですが、
「まぁまぁ、だまされたと思って飲んでみ! みんなー、行き渡ったかなー!? それじゃ、カンパーイ!」
「「カンパーイ!」」
私は恐る恐るジョッキを口に当て1口飲んでみました。すると……
「あ、苦くない……しかもさっぱりしてる」
「でっしょお!? イケるでしょ?」
「う、うん……おいしい」
それは苦みをほとんど感じず、さっぱりして少し辛めのビールでした。飲みやすかったのと、この日の暑さのせいでビールがグイグイと身体に入っていきました。
「ぷはー、おいしい!」
「おっ、いい飲みっぷりだねぇ文名! もう1杯いく?」
「うん、おかわり!」
私は調子に乗って2杯目も注文しました。初めてお酒を飲み始めた年……まだ加減がわからなかったのです。
「よーし、じゃあ一気コールいくよー」
「「おぉー!!」」
「♪文名さんのぉ~ちょっといいトコ見てみたい~それイッキ! イッキ……」
この頃の飲み会は今とは比べ物にならないほどひどいものでした。「とりあえずビール」もそうですがいわゆる「アルハラ」なんて当たり前の時代です。先ほどの一気飲みや上級生(会社では上司)からの飲酒の強要、セクハラ、そして未成年の飲酒……そういう私も、実は新歓コンパで未成年のうちに飲まされていました。
おまけに山梨のような公共交通機関の少ない地域では飲酒運転も平然と行われていました。郊外の飲み屋には当然のように駐車場がありましたが運転代行なんて見たことがありません。「昔は良かった」と言う人もいますが「昔は困った」ことも多かったのです。
「写真撮ろ! 写真」
「えっ、カメラ持ってきたの?」
「写ルンですあるよー」
「みんな寄ってー! はい、チーズ!」
「イエーイ!」
私たちが大騒ぎをしていると、ふすまで仕切られた隣の部屋から〝ドンドンッ〟とふすまを叩く音が……そして
「おい、お前らうるさいよ! もうちっと静かに飲めし!」
「はーい、すみませーん!」
隣の部屋から注意を受けました。声の様子から、どうやらご年配の方のグループみたいです。でも私たちは全く反省などしていませんでした。
今の若者は「Z世代」と呼ばれているそうですが、私たちも当時は世間から「新人類」などと呼ばれていました。いつの時代も大人たちは、若者を型にはめるのが好きなようです。
「お待ちどおさまでした! シーザーサラダでーす」
「サラダきたよー、じゃあ今日はサラダ記念日だー」
「ウケる」
この年、俵万智さんの歌集「サラダ記念日」が大ヒットしました。俵さんは高校の国語教員として働きながら短歌を発表していました。
私の父はかつて小説家を目指していましたが挫折し、私にその夢を託すため大学の教育学部に行かせようとしました。でも私はそんな父に反発し、教員とは無関係の道を進んでいたところです。まぁ実際には道なんて何もなく、ただ毎日を普通に過ごしているだけだったのですが……。
(――何やってんだろ……私)
すると誰かが突然、こんなことを言い出しました。
「ねぇねぇ! 今度さぁ、このメンバーで無尽やんない?」
無尽とはかつて全国にありましたが、今では山梨などごく一部の地域に残る風習です。本来はグループで居酒屋などに定期的に集まり「無尽会」という会合で(飲食代とは別に)全員がお金を出し合い、メンバーの1人に順番にそのお金を渡していく……これをくり返していく相互扶助のシステムです。
でも私たちぐらいの世代からは、定期的に集まって飲み会をする集まり……という風に意味合いが変わってきていました。
「いいねぇーやろうやろう! 文名もさ、卒業したら山梨帰ってくるでしょ? そしたら入りなよ」
「えっ? う……うん……」
私はどっちつかずの曖昧な返事をしてしまいました。
※※※※※※※
「文名、酔ってるけぇ? 気を付けて帰れし!」
「う~ん……大丈夫だよぉ~アハハ!」
飲み会も終わり、居酒屋の前でみんなとまだしゃべっていました。みんなも酔っぱらっていましたが、私は初めて飲んだドライビールが気に入ったせいでかなり飲んでいたようです……正直どのくらい飲んだか覚えていません。
「あれ~? そういや恭子は~?」
私は高校時代同じ部活だった恭子がその場にいないことに気付きました。県内の短大に通う恭子は20歳の誕生日を迎えていないのでこの日はずっとウーロン茶ばかり飲んでいました。すると
〝プッ!〟
とクラクションを控えめに鳴らした車が私たちのところに横付けしました。運転手の顔を見ると……恭子でした。
「あっ……あれぇ恭子ぉ~、何? 車買ったの~?」
何と恭子は短大に通っている合間に運転免許を取り、車まで買っていたのです。同級生が車を運転している姿に、私は得も言われぬ不思議な感覚を覚えました。
「ていうかこれってBe-1じゃん! すごーい! 拍手~パチパチパチ~」
「えっ文名、知ってるの?」
「知ってるよ~、すごい人気なんでしょ?」
恭子が運転していたのは、この年に台数限定で発売された「Be-1」という車でした。すると他のみんなも
「うわー、すごーい、かわいいー」
「ねっねっ、海行こーよ海!」
今はわかりませんが、山梨の若者は「友だちが車を買う」→「じゃあ海行こう」がお決まりのパターンでした。おそらく行先は静岡県の静波海水浴場でしょう。すると友人の1人が
「ダメダメ! 恭子は彼氏と行くんでしょ?」
「「えっ!?」」
みんなが運転席の恭子に注目しました。彼女は車だけではなく彼氏も手に入れていたのです。恭子と同じ方面から来た友だちが、助手席を倒し次々と後部座席に乗り込んでいるとき、
「啓子! 文名! アンタたち彼氏はできたの? 勉強もいいけどもっと大学生活エンジョイしなよ」
恭子は突然、高校時代に同じ弓道部だった私と啓子に向けてそう言いました。
「う、うん……そぉだね、ははは」
「……」
笑ってごまかしましたが、恭子のこの一言で私は「嫌なこと」を思い出してしまいました……心中穏やかではありません。そして啓子は黙ったままでした。
「じゃあねー、バイバーイ」
恭子が運転する車は友だち4人を乗せて去っていきました。居酒屋の前には私と啓子が残っていました。県内の国立大に進学した啓子は一言、
「……バブルだねぇ~」
とつぶやくと私に手を振って甲府駅の方向に歩いていきました。そう、時はバブルと呼ばれた時代、ゴッホの絵画「ひまわり」が53億円で落札され、当時の金額で500万円以上する高級車が飛ぶように売れた時代でした。でも……
せっかく「東京の女子大生」になれたのに……私のキャンパスライフはバブルどころか逆方向に進んでいたのです。バブルなんて他人事だったのです。
「はぁ……」
私は軽くため息をつくと自宅の方向にトボトボと歩いていきました。
※※※※※※※
家の近くにある商店街を歩いていました。県庁所在地とはいえ山梨は田舎……この時間、スナックや居酒屋以外に営業している店はありません。私はそんな暗くて人気のない通りで、文具店の前にある丸いポストに近づきました。
「ポ~ス~ト~さんっ!」
〝おや、文名さん……ですよね? お久しぶりです。ずいぶんとオシャレな格好をしているから一瞬モデルさんかと思いましたよ〟
ポストさんが私に気付きました。そう、この丸いポストは私と話すことができるのです。ポストさんとは私が5歳のときからの付き合いです。
「も~う! お世辞が上手いんだからぁポストさ~ん! 顔、赤いよ~! もしかして酔ってる~?」
〝元からこの色ですけど……えぇっと、酔ってるのは文名さんの方では?〟
「えへへぇ~私? 酔ってま~すよ~」
べろんべろんに酔っていた私は、気が付くとポストさんに抱きついていました。
〝うわっ、酒臭いですよ! 飲みすぎじゃないですか?〟
「いいじゃ~ん、夏休みだし~地元だし~友だちと会ったし~ポストさんだし~」
もう支離滅裂ですね……。
「ていうか~ポストさんってニオイわかるの~? 鼻あるの~? あっ、もしかしてここかなぁ~?」
私はポストさんの投函口の下にある「〒」の部分をくすぐりました。
〝ちょっ、ちょっとやめてくださいよ!〟
「やーだー、やめなーい!」
私は酔った勢いで思い切りふざけていました。するとポストさんが、
〝文名さん……もしかして東京で何かあったんですか?〟
私はポストさんをくすぐっている手を止めました。やはりポストさんの目はごまかせません……目がどこにあるのかわかりませんが。
私はポストさんに寄り掛かるとこう言いました。
「私ね……別れたの……彼と」
実は大学1年のとき、私に初めての「彼氏」ができました。小学校のトラウマから恋愛というものをずっと遠ざけていたのですが、学園祭の打ち上げのとき同じ大学で1年上の先輩に声を掛けられたのがキッカケでした。
初めのうちはそんな気はありませんでしたが、彼が何度も積極的に誘ってきたのでそのままズルズルと付き合い始めたのでした。
でも……
付き合って半年ほど経ったある日、彼が浮気していることがわかったのです。いえ、どちらかと言うと「二股」でした。しかも……
何と二股の相手は「女子高生」だったのです。
私が高校3年生のとき、「夕焼けニャンニャン」という番組が始まりました。当初は「オールナイトフジ」の女子高生版といった感じで、当時女子大生に憧れていた私は「えっ、素人の女子高生に需要あるの?」と少々懐疑的でした。
しかし、番組からデビューした「おニャン子クラブ」が大ブレイクして以降「女子高生」そして「JK」が人気となっていったのです。余談ですが……あれから35年経った現在、まさかあの素人集団から国会議員が誕生するなんて当時は誰も想像していなかったでしょうね。
私が高校生のとき、女子大生が憧れの的で……
私が女子大生になった途端、女子高生が大人気……
もう何なんでしょう! この悔しさを通り越して清々しいまでの運の悪さ。
こうして彼は「女子大生」ではなく「女子高生」を選んで去っていったのです。
「でね、彼のアパートに行ったらね、玄関にローファーが置いてあってね……」
私はポストさんに延々と愚痴をこぼしていました……かなり生々しい話です。元カレの悪口を話しているうちに私は段々とはらわたが煮えくり返り……
「くっそぉ~、な~にが『セーラー服を脱がさないで』だよぉ~、てめぇしっかりセーラー服脱がしてんじゃねぇかバーロー……」
ポストさんに寄り掛かって話す私の愚痴は恨み節に変わっていました。すると、
〝逃げて!!〟
突然、ポストさんがいつもと違うトーンで私に話しかけてきたのです。
「えっ? どうしたのポス……」
〝しっ! 静かに……気づかれないようにゆっくり振り向いて〟
訳がわかりませんでしたが、私は言われた通りゆっくりと振り向きました。
――!?
後ろを見た瞬間、私は思わずぞっとしました。私の後方にある電柱の陰から知らない男がじっとこっちを見ていたのです。
それは酔っぱらいの私を軽蔑の眼差しで見ている通行人ではありません。まるで肉食動物が獲物を狙っているような目でこっちを見ながら、ポケットに手を突っ込んで何やら股間をもぞもぞと動かして……明らかに「変質者」でした。
この日はとても暑い夜でしたが、恐怖のあまり背筋が凍りつきました。
「どっ……どどどうしようポストさん」
私はポストさんに小声で話しかけました……酔いなど一気に醒めています。
〝いきなり走って逃げると間違いなく追いかけてくるでしょう。気づいてない振りをして早足で歩いてください。少しずつ距離を取りましょう〟
「う……うん、わかったわポストさん、じゃあね」
ポストさんに別れを告げ、私は変質者に気づいていない振りをして早足で歩き出しました。でもまだアルコールが残っているので思ったより早く進めません。
時々後ろの様子をうかがうと……
――!?
人の気配がします! 足音らしき音も……間違いなく後をつけられています。
「はぁ……はぁ……」
心臓がバクバクして苦しくなりましたが、できる限り早足で歩きました。すると段々と足音が聞こえなくなり気配も感じられなくなりました……が、突然
〝走って!!〟
(えっ?)
もうだいぶ離れているのに、なぜかポストさんの声が私の脳内に響きました。私は驚いて後ろを振り返ると……
「ひぃっ!」
変質者がこちらに向かって走って来たのです……私は全速力で逃げました。幸いこの日はヒールではなくパンプスを履いていたので走ることができました。でもスニーカーのように速く走ることはできません。
変質者は小太りで、どうやら中年男性のようでした。そのせいか走るのが思ったほど速くなく、これなら逃げ切れると思いました。
あともう少しで実家です。やっと振り切れる……そう思ったとき、またもポストさんの声が聞こえたのです。
〝ダメ! そのまま真っすぐ……交番に向かって!〟
「えっ、何で? 家に着いたからいいじゃん!」
私は最初、ポストさんが何でそんなことを言うのか理解できませんでした。
〝家の場所がわかったら……明日からあの人がやって来ますよ〟
――!!
確かに……やっと意味がわかりました。
まだこの年……80年代にはその言葉すら一般的には知られていませんでしたが、90年代から「ストーカー」が社会問題になってきたのです。
ここで家に逃げ込めば場所が特定されてしまいます。そうなればもっと恐ろしいことが起きるかも……ポストさんはそれがわかっていて私に警告したのです。
(交番って……あと100メートルくらいあるじゃん! それに……)
確かに交番はいいアイデアですが、問題もありました。この時間、警察官がいない……つまり「空き交番」の可能性があるのです。
この年から2年前、横浜市の交番で泥棒を捕まえた大学生が返り討ちに遭い殺される事件がありました……空き交番だったために起きた悲惨な事件です。せっかく逃げ込んでもお巡りさんが居なかったら……そんな不安が頭をよぎりました。
「はぁ、はぁ……」
体力的に限界です。息が上がり、足もかなり痛くなっていました。
交番の明かりが見えてきましたが、まだ安心できません。私は交番に駆け込むと
「お願いです! 助けてください!!」
「どうされましたか!?」
――良かった! お巡りさんがいました。
「変な人に追いかけられています。すぐそこに……」
「何ですって!? ちょっと待ってて!」
お巡りさんはすぐに外に出ました。
「おい! 何やってんだ君は!? ちょっと話を……」
お巡りさんが声を掛けると変質者は全力で逃げていきました。お巡りさんは追いかけていこうとしましたが、交番でぐったりしている私が心配なのかすぐに戻ってきました。
「大丈夫ですか? 不審者の顔は私がしっかり確認しました。今、署に応援を要請しましたから安心してください」
「あ……ありが……とぅ……ござ……」
「おっおい、君! だいじょ……」
ありがとうと言いかけている途中で私は意識を失いました。
※※※※※※※
「ポストさん……」
〝あぁ文名さん、ご無事でしたか……〟
あの日から1週間後、私はポストさんのもとを訪れました。
私は交番で倒れた後、救急車で搬送されて一晩病院で過ごしました。どうやら飲酒による脱水症状で脳貧血を起こしたみたいです。幸い点滴だけでどうにかなりましたが、病院のベッドで警察からずっと事情を聴かれました。
帰ってから数日は、怖くて家から1歩も出ませんでした。すると警察から、変質者が別件の犯人として逮捕されたと連絡がありました。
どうやらその男は過去に何度も未遂を含めた強制わいせつ事件を起こしていたらしく、私が交番に駆け込んたときにお巡りさんが変質者の顔を覚えていたことが犯人逮捕につながったそうです。
私はやっと外を歩くことができました。そしてその足で交番へ行き、担当してくれたお巡りさんにお礼を言いました。
そのお巡りさんとは個人的に仲良くなり、私が東京に戻ってからも事件とは関係ない話題で時々手紙を送りました。今でも年賀状でやり取りをしています。現在は富士北麓の駐在所に奥様と2人っきりでいらっしゃるそうです。
私は交番からの帰りにポストさんのもとを訪れました。ポストさんにも助けられたのでお礼を言いに来たのです。
「ありがとうポストさん、ポストさんのおかげで助かったわ」
〝いえ、お役に立てて光栄です。それより、飲みすぎには注意してくださいね〟
「う゛っ……わ、わかったわよ、反省してるよ」
元はと言えば、私が酔っぱらって夜道をひとり歩きしていたのが原因です。田舎だと思って油断していました。しかも泥酔してポストさんに絡んでいる様子……変質者から見たら完全に「カモ」ですよね。
「あっそうだ! ポストさん、これお願いね」
私は大学の友だちに残暑見舞いを書いていました。しばらく家から出られなかったので投函が遅れてしまいました。私がポストさんにハガキを投函すると、
〝はい、承りました……あっ、文名さん〟
「ん?」
〝これに懲りずに……できれば卒業後は甲府に帰ってきてくださいね〟
「えっ? う……うん……考えとくね」
私は言葉を濁しました。このとき私は東京で就職するつもりだったのです。おまけにこんな出来事もあって……だからポストさんは私の気持ちを察して「これに懲りずに」なんて言ったのでしょう。
でもだからといって東京の生活が一番……とも思っていませんでした。彼氏と別れたり、東京でも傷付く出来事はいっぱいあったのです。
このときの私は……何もかも不安で迷っていた時期でした。まぁどちらに進んでも私の「人生」であることには違いないのですが……。
ただひとつわかったのは……理性をなくすまでお酒を飲みすぎてはいけないということ。あれ以来、お酒はセーブしながら飲むようになりました。
この話はまだ続きます。次回は大学を卒業して社会人になったときのお話です。