【昭和47年(1972年)12月】
人生は、自分の思った通りにならないもの……だから楽しい。
「よいしょ……よいしょ……うーん、あともうすとし……」
昭和47年12月……甲府市内の小さな商店街に置かれた郵便ポストへ、手紙を投函しようと手を伸ばしている女の子がひとり……これが今から50年前の「私」です。
昭和42年に生まれた私はこのとき5歳、幼稚園の年中さんでした。
この日、生まれて初めてポストに手紙を投函しようと、私は近所にある文具店までやって来ました。文具店の前に円筒形の大きなポストが置かれているからです。
でも……
いくら手を伸ばしても投函口に手が届きません。ポストの高さは約135センチもありますが投函口はそれより低いので、幼稚園では背が高い方だった私なら手を伸ばせば余裕で届くと思っていました。
ところがポストの下には「根石」という台座があるので実際には150センチ以上にもなり、当然投函口の位置も高くなってしまいます。幼かった私は必死に手を伸ばしましたが、あともう少しの所で届きませんでした。
そのとき……
〝こんにちは〟
誰かが私に話しかけてきました。私はキョロキョロと周りを見回しましたが誰もいません。すると再び……
〝こんにちは、お嬢ちゃん〟
やはり誰かが声を掛けてきたのです。しかもその声は耳から入ってくるのではなく、私の脳内に直接語りかけてくるような感じがしました。
姿も見えず、声のする方向も見当がつきません。でもこのときなぜか私は、目の前にある『ポスト』が話しかけてきた……と強く感じ取っていたのです。
「とんにちわ……ポスト……さんなの?」
〝はい……ワタシですよ〟
これが、私と『ポストさん』との最初の出会いでした。
※※※※※※※
今だったら、ポストが話しかけてくるなどという荒唐無稽な出来事を私は信じなかったでしょう。でも当時5歳の私は、ポストがしゃべることに何の違和感も感じていませんでした。だって当時はテレビをつけるとミツバチの子どもや、Tシャツになったカエルが普通にしゃべっていたのですから……。
〝お嬢ちゃん、手紙を出したいのですか?〟
「うん! あのね、ふーちゃんね、サンタさんにおてだみおたいたの……でもね、ポストさんせだたたいたらとどたないの」
滑舌が悪くてごめんなさい……この日はクリスマスが近かったので、カ行の言えない幼稚園の年中組だった私は、教室でサンタさんのお絵描きをしました。
同じ時間に隣の年長組では、欲しいプレゼントを書いたお手紙をサンタさんに出していたそうです。その話を聞いた私は、「あるプレゼント」が欲しかったので、
(ふーちゃんもサンタさんにおてがみかきたい!)
と考えました。当時の私は、ようやく平仮名っぽいものが書ける状態でした。ちょうどその頃「手紙はポストに入れると届けてくれる」という知識をなぜか知っていた私は、自分でサンタさん宛ての手紙を書いて近所にあるポストに出そうと考えたのでした。
〝それはゴメンなさいね、じゃあお隣の酒屋さんから箱を持ってこれるかな?〟
「うん、もってつる」
私は、この日が定休日だった酒屋の前から、空のビールケース(ビール瓶を入れる箱)を持ってくるとポストさんの前に置きました。そしてケースを逆さにして踏み台にすると、
「よいしょ、よいしょ」
その上に短い脚でどうにか登り……ステージだと思ったのでしょうか、突然
「みなみはるおでどざいます、おちゃつさまはたみさまです!」
……何をやっているのでしょうかこの子は……我ながら恥ずかしい。
〝ポトンッ〟
「あっ、はいったよ」
私は手紙を投函……ポストさんの投函口に手が届きました。
「ポストさん、サンタさんにおてだみとどててね」
実際には郵便局員が取集めて届けてくれるのですが、当時の私はポストさんが手紙を届けてくれるものだと思っていました。そして踏み台に使ったビールケースを酒屋さんに戻そうとしたとき、
〝あれ? ちょっと……お嬢ちゃん!〟
私は突然、ポストさんに呼び止められました。
「なーに?」
〝お嬢ちゃん、今入れたお手紙……切手が貼ってないようですけど……〟
「……? ちってってなーに?」
そう、このときの私は「手紙」という物は知っていましたが、宛名も切手も……おまけに封筒を糊付けして閉じることすら知らなかったのです。
〝これは困りましたねぇ……〟
「ポストさん、なんでとまったの?」
ポストさんの困惑が当時の私に理解できるはずもありません。
〝う……うん、まぁ……しょうがないですね。ところで……お嬢ちゃんはサンタさんにどんなことを書いたのですか?〟
「あのね、ふーちゃんね、パンダさんのぬいづるみだほしいってたいたよ!」
〝パンダさん……ですか?〟
「うん! ふーちゃんね、とのあいだおとうさんといっしょにうえのどうぶつえんえいってちたんだよ」
この年の10月、日中国交正常化の証しとして上野動物園に「ランラン」と「カンカン」という2頭のジャイアントパンダがやって来ました。
11月に一般公開されて日本中が空前のパンダブームの中、私も父に連れられ上野動物園へパンダを見に行きました。ですがパンダ2頭を目当てにもの凄い行列……立ち止まることもできず移動しながらガラス越しに見えたのは、獣舎の片隅にひとつだけ丸まっていた白と黒の「毛のかたまり」でした。
しかも、お土産に買ってくれると約束したパンダのぬいぐるみを父が買い忘れてしまい……結局、上野動物園の思い出は「毛のかたまり」と、生まれて初めて乗ったモノレールだけ……という期待外れのものになってしまいました。
なので当時の私はどうしてもパンダのぬいぐるみが欲しくて、この年のクリスマスプレゼントでサンタさんにお願いしたのです。
〝そうですか……サンタさんがお嬢ちゃんの所にやって来るといいですね〟
「あのねポストさん! おじょちゃんじゃなくてふーちゃんだよ! ふーちゃんわね、ふみなっていうんだよ!」
訳のわからない自己紹介でしたが……私の名前は「吉村 文名」といいます。父は印刷会社を経営していて、名刺からちょっとした出版物まで扱っていました……零細企業でしたけどね。
その父は、どうやら私を作家にするのが夢だったみたいです。いつか私の書いた小説を印刷・製本したいと願い「作家としての名声」を意味する……当時としてはかなり攻めた名前をつけたのです。
〝それはすみません。ふみなさん……ですね〟
「ポストさん、ポストさんはなんであたいの?」
〝えっ……えぇ?〟
幼い私の予測不可能な質問に、ポストさんは困惑してしまいました。
〝うーん……何ででしょうねぇ? たぶん目立つように……ほら、赤は遠くからでも見つけられや……〟
「ちいろだいいよ! あたはすづしんじゃうよ!」
〝えぇっ……〟
ポストさん、自分本位にコロコロ話を変えてすみませんでした。
「あのね、ふーちゃんおまつりでひよとたってもらったの! でもね、あたいのはすづしんじゃってちいろはずぅっといちててにわとりさんになっちゃったの!」
今はすっかり見かけませんが、当時お祭りの屋台では様々な色に塗られたヒヨコが売られていました。私はその年の春祭りで赤と黄色の2羽のヒヨコを買ってもらいましたが、赤いヒヨコは2週間ほどですぐに死んでしまったのです。
一方の黄色いヒヨコはすくすくと成長しました。当時の私は「黄色いヒヨコ」が大きくなって「黄色いニワトリ」になり、「黄色い卵」を産んでくれると期待していました。ですが、やがて羽は白くなって鶏冠も立派になり……夜明け前からコケコッコーと鳴く近所迷惑な雄鶏になってしまいました。
そんなこともあって私は「赤は縁起が悪い」と言いたかったのでしょう。
〝そ……そうですか黄色ですか……じゃあ考えておきますね〟
「うん、『やつそつ』だよ! じゃあねー!」
私は、困惑しているポストさんに手を振ると、
「おったまーね、おったまーね、おいおいおいおい♪」
ご機嫌な気分で歌いながら、師走の慌ただしい商店街を後にしました。
※※※※※※※
数日後……母に呼び出された私は居間に正座させられました。
「ふーちゃん! アナタ何やってるの!!」
母から今まで経験したことがないくらい強い口調で叱られました。最初は何で叱られたのか皆目見当がつきませんでしたが、コタツの上に置かれた見覚えのある茶封筒を見て何のことかは概ね想像がつきました……でも理由まではわかりません。
「勝手にポストへお手紙を入れちゃダメでしょ! お手紙はね、相手の住んでいるところを書いて切手というものを貼ってから出さないとダメなの!」
当時はやっと平仮名が書けるようになった年齢……まさか私がこんな大胆な行動を取るとは母も思っていなかったでしょう。もちろん郵便のシステムなど幼かった私が知る由もありません。
それにしても不思議でした。この手紙の宛名には封筒に「さんたちんえ」と書いてあっただけ、差出人には私の名前が平仮名で、しかも封筒ではなく便箋……に見立てたスーパーのチラシの裏に書いてあっただけです。
普通なら「還付不能郵便」……いえ、切手すら貼っていなかったのですから、処分されても文句が言えない状態です……なぜ戻ってきたのでしょうか?
「おい、どーいで手紙が戻ってきたでぇ?」
コタツを挟んで向かい側に座っていた父が、母に聞きました。
「同じ1組の福島さん、奥さんが郵便局で仕分けのパートやってるのよ。で、たまたまコレを見つけたんだって! 封筒も糊付けされてなくて中を見たら、ウチの子の名前だって気がついてわざわざ届けてくれたのよ。ご近所だし来年はウチが組長で会う機会も多いし……もうっ! 恥ずかしいったらありゃしない」
組というのは自治会のことです。もちろんそんな裏事情、当時の私に理解できるはずがありません。
「ふーちゃん! 小学生になるまでポストにお手紙を入れたらダメよ!」
「うっ……ぐすっ、どめんなさい! もうしません……どめんなさい」
母にきつく注意された私はその場で泣き出してしまいました。でも泣き出した本当の理由は母が怖かったからではなく、サンタさんに渡そうとした手紙が無情にも戻されてしまったことだったのかもしれません。
「ほんで……何て書いてあったでぇ? その手紙」
母の説教中ほとんど口を開かなかった父が、再び母に聞いてきました。
「あぁ……これですよ」
と言うと母は、私が書いた手紙を父に手渡しました。そこには
『ちんたさん はんた(の)めいく(る)みくたちい よしむうふなみ』
クレヨンを使って、たどたどしい文字で書いてありました。今となっては、こんな手紙をわざわざ家まで届けてくださった福島さんの奥さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
父はこの手紙を見て、自分が上野動物園で買い忘れたことを思い出したようでした。黙って母と顔を見合わせると、明らかに困った表情をして私に、
「文名、じゃあこの手紙は父さんがサンタさんに届けてあげるから……だから母さんの言う通り、小学校に上がるまでポストは使っちょし」
と言うと立ち上がり、手紙を持ったまま居間から出ていきました。
※※※※※※※
12月25日、クリスマスの朝……
「すどいよー! サンタさん、プレゼントつれたー!」
私はうれしくて舞い上がっていました。前日、母が足踏みミシンで作ってくれた大きな靴下型の袋に、パンダのぬいぐるみが入っていたからです。
「うれしい! サンタさん、うちにちてつれたんだー!」
私はパジャマ姿のまま、パンダのぬいぐるみを抱きしめていました。
「よかったねぇ、ふーちゃん……でも今日は幼稚園のクリスマス会でしょ? そろそろパンダさんとバイバイして早くお着替えしなさい!」
「はーい! パンダさん、ばいばーい!」
私は着替え終わると、居間でテレビを見ていた父の元に駆け寄りました。
「おとうさん、サンタさんちたよー! パンダさんのぬいづるみもらったよー」
「あぁそうか……よかったな」
「うん……おとうさん!」
「ん?」
「おとうさん、サンタさんにおてだみとどててつれてありだとー」
「あ、あぁ……どういたしまして」
普段ほとんど笑うことがない父が、このときばかりは口元が少し緩んでいたように見えました。私は、希望通りパンダのぬいぐるみをくれたサンタさんと、サンタさんにお手紙を届けてくれた父に感謝しました。まぁすでに「タネ明かし」は説明する必要がないと思いますけれど……。
あのぬいぐるみ……もちろん私の手紙を読んだ父が買ってきた物です。
私はそのぬいぐるみをいつも枕元に置いて遊び相手にしていました。ですが1年ほど経ち、ジャイアントパンダの写真やイラストをよく目にする機会が増えてくると、私のぬいぐるみにだんだん違和感を覚えるようになってきたのです。
目の周りや耳は黒かったのですが、前後の足が白かったのです。おまけにその目の周りや耳を触ると、黒い粉状の物が付くようになってきました。
これは私の想像ですが……父はパンダのぬいぐるみを買いに市内のおもちゃ屋を巡り歩いたけど、おそらくどこも売り切れだったのでしょう。当時パンダの人気は凄まじいものでしたから……。
そこで父は、苦肉の策としてシロクマのぬいぐるみに色を塗ったのです。それを確信したのは小学校に入ってからでした。その頃にはサンタクロースの「正体」もわかっていたのですが、このことに関してはさすがに聞いてはいけないと感じとっていたのでしょう……真相はわからないままにしておきました。
結局、プレゼントはもらいましたが「本物の」パンダのぬいぐるみではありませんでした。世の中は、なかなか自分の思った通りにいかないものです。
でも、今となってはそれも含めていい思い出です。それと……
※※※※※※※
翌日……
「ポストさん!」
幼稚園が冬休みに入ったこの日、私は再びポストさんの元を訪れました。男の人がポストさんに年賀ハガキを投函した直後、ポストさんは私に気付きました。
〝おや、ふみなさん。それは……〟
「あのね、サンタさんだちてね、とれつれたんだよ」
私はクリスマスにサンタさん(本当は父)からもらったパンダ(本当は目のまわりを黒く塗ったシロクマ)のぬいぐるみを抱っこしてポストさんの前にやって来ました。ポストさんに見せるためです。
〝それはよかったですね! ちゃんとサンタさんにお手紙が届きましたか……〟
「うん! でもね、いちどうちにちちゃったんだよ! でもね、おとうさんだサンタさんにとどててつれたんだよ」
〝そうですか……でも届いたからよかったですね〟
おそらくポストさんは、届いた理由がわかっていたと思います。でも何も知らないふりをして私の話に合わせてくれました。
「そしたらね、ポストさん」
〝はい、何ですか?〟
「おたあさんに、ふーちゃんはしょうだくせいになるまでポストさんつたっちゃいてないっていわれたの! だたらどめんね、ふーちゃんポストさんつたわないよ」
するとポストさんは、
〝えぇ、小学校に上がられましたらいつでもいらしてください。ふみなさんの人生はまだまだ長いですから、これからずっとお付き合いすることになりますよ!〟
と、優しく私に語りかけてくれました。
これは私と「ポストさん」の50年以上にわたる長い長い物語の始まりです。
さぁ次は、どのような物語が待っているのでしょうか?
次回に続きます。
【昭和47年(1972年)12月】の用語解説
(全国)
「パンダブーム」
本文中の文名さんの感想は、実際に当時上野動物園へ見に行った私の「ガチ感想」です。どんな些細なことでも楽しいと思えた幼少期に「つまんねー」と思っていたのですから余程でしょう。
数年前の平日に再び上野動物園に行きましたが、パンダが獣舎の真ん中にデンと構えて笹をむしゃむしゃと食べている姿を「時間無制限」で見てきました……何なんでしょうね? ブームって……。
(山梨)
「おったまーね、おったまーね、おいおいおいおい♪」
文名の滑舌の悪さと聞き間違いで歌詞が完全に変わっていますが、山梨県民なら何の歌か推測できると思います。他県の方は絶対にわからないローカルネタです。
調べてみるとこの年の11月に「えびす講祭り」でお披露目された……とありましたが、前年の昭和46年という情報もあり不確かなのであえて本文では詳細について触れていません。
(流行語)
「三波春夫でございます、お客様は神様です」
昭和の大スター・三波春夫の有名なフレーズですが、実際に有名にしたのはお笑いトリオ・レツゴ―三匹です。昭和47年かどうかは不明ですが、この時代にネタで使われていました……クレーマーの常套句ではありません。
「じゅんでーす」「長作でーす」「三波春夫でございます」……大好きな漫才師でした。で……もう1人は誰だっけ?(笑)