第1章 ⑥
◇
ユウキ君と分かれてから、僕は暫しなんとも言えない感情を引き連れながら帰途を辿る。
どうしたらいいのか、よく分からないからだ。
ユウキ君も、ただ聞いて貰いたかっただけで、僕に何かを求めてきたわけではない。
きっと、これからそれについてはユウキ君自身で考えて答えを出さなきゃいけない。
もし、答えを出して助けを求められるようであれば、手を差し伸べたいと思う。
今、ユウキ君が相談できる相手って、僕ぐらいなものだからね。
それまでは暫しのお別れかもしれない。
なんて考えていたら、家に到着した。
元々空き家だった一軒家を前の家を引き払ったお金とかでなんとか購入したとか。詳しくはよく分からない。
引っ越したばかりなので、三日前に到着した荷物の荷解きとかを行っていた。
僕の荷物はそんなに多くないので時間も手間もかかっていないけれど、家の姉二人がだらしなくてまだダンボールのまま放置したりしていたりする。
家に入ったら手伝ってとか言われるのかな・・・・・・なんて考えながら扉を開けた。
「ただい・・・・・・」
「おっかえり—か——おる—————!!」
僕が言い終える前に、姉が廊下を助走して目の前の僕に飛びついてくる。そうか。今日は姉さんが家にいるんだった。
避ける事は簡単だけど、今かわしたら姉は確実に玄関扉に頭部を激突させるので、僕がクッションにならなければならない。
迎えに来た犬を抱くように、僕は姉さんをキャッチした。
結果。
姉さんは無事だけど、僕が玄関扉に後頭部を打ち付ける形になった。
「だ、大丈夫——香織!!」
「う、うん。大丈夫だよ。霞姉さん。とりあえず離れてくれる」
今僕に飛び込んで来たのは姫乃霞。正真正銘僕の姉。天真爛漫な性格や、クリーム色の長い髪が特徴的。
発育の良い体をスキンシップと言いながら擦り付けてくるのは、たとえ兄弟でも気が気では無い。
ぴょんと跳ねながら、僕から離れる。
「改めて、お帰りなさい香織♪」
何事もなかったかのように、にこっと笑みを浮かべる。
結局、僕はこの姉——霞姉さんの人懐っこい笑顔に弱い。たとえ毎回のようにタックルに近いお出迎えをされても気を許してしまう程に。
「少し外寒かったでしょう。今コーヒー入れてあげるからねぇ」
ウェーブのかかった髪をかき上げながら、キッチンへ向かっていく霞姉さん。
僕は早々と靴を脱いで、その後をついて行く。
父は仕事。母は今パートにでかけており、下の姉は料理学校へ行っているはずだから、今は二人である。
姉はエプロンをして、ポットでお湯を沸かし始めた。
「さっきはごめんねー香織。早く香織を充電したくって」
「いや、気にしてないからいいよ。毎度の事だし。僕も少し帰るの遅くなってごめん」
「なにー。どっか寄り道してきたの?」
「う、うん。まあそんなところ。霞姉さんは荷解き終わったの?」
「それがまだなのー。ほら、おねーちゃんってもの多いじゃない? 本当は引っ越す前に断捨離とかしなきゃーって」
言いながら、顎に細い指を置きながら眉を顰める。
たしかに霞姉さんは昔から小物とかぬいぐるみとか集めるのが好きで、それを捨てられずにいた。
愛着があるものを簡単に手放せないのは分かる気がするので、捨てれば? などと言わない。
「香織は今日学校どうだったの?」
「まあ、ぼちぼちってところかな」
「そう。これから楽しくなるといいわね」
姉も、僕がこの容姿のせいで、本当の意味での友達がいないことを理解している。
だから、友達が出来た? とは聞いてこない。その気遣いがとてもありがたい。
後、姉が心配のあまり発狂して絶対警察沙汰になるので、裏路地で絡まれた件のついては何も言わないでおこう。
お湯があっという間に沸騰して、手際よくコーヒーを作っていく。
何度見ても流石だなと思う。
霞姉さんは喫茶店でチーフを努めており、コーヒーや紅茶の入れ方をそれなりにマスターしている。
本格的に作ればもう少し時間がかかるけど、簡単なやつのほうが僕は好きだ。
「ありがとう。霞姉さん」
テーブルの椅子に腰掛けていた僕の前にコーヒーを運んでくれた。
「香織の為に特別愛情を注ぎ込んでるからね」
そう言って、ウィンクを僕に披露した。霞姉さんの顔は普通に美人だから、僕以外にやったら絶対に勘違いされるやつだぁと思いながら、コーヒーを嗜む。
美味しい。
まだ子供舌な僕の為に、ミルクや砂糖を好みの分量入れてくれている。この味が楽しめるのは、ここだけだからありがたい。
一口含んで、我が家に帰ってきた安心感に浸りながら天井を仰ぎ見る。
今日は午前中だけだったけど、色々あったなあと出来事をダイジェストで脳内再生する。
「どうしたの? 香織」
ふいに、霞姉さんが聞いてきた。僕は天井から霞姉さんに視線を移動させる。
「え、ええと・・・・・・」
「なんかあったって、顔してる」
「・・・・・・分かるの? 霞姉さん」
「これでも香織が生まれてきた時からずっとおねーちゃんだからね。香織検定の一級を保持している自負ならあるよ」
「・・・・・・そうなんだ」
半ば呆れるように声が漏れてしまう。
「それで、何かあったの? おねーちゃんに話してみそ」
もちろん不良の事は伏せるとして、何から話していいのものかと脳内を探る。
一番印象に深く根強いものと言ったら、やはり郡鷹さんの件だろうか。
女性でありながら男性に勇敢に立ち向かう姿や、刃向かう事さえ許さない圧倒的なオーラは別格だった。
ただ、それを話すと、不良の件も話すことになるので、そこは端折って話す。
それを端折っても問題ほどの話題性がきちんとあるのだから。
「あの・・・・・・霞姉さん。実は今日すごく驚くことがあって」
僕は話をした。
話のシナリオとしては教室で見たのが初めて。
そこで強烈な印象を植えつけられた事。
女性である事を証明するセーラー服を身に纏いながらイケメン男子にしか見えない相好。
僕とは逆である存在。
霞姉さんはそれを聞いても、そう。とだけしか言わなかった。
「あれ? 霞姉さん。あんまり驚かないね」
霞姉さんはコーヒーを一口入れてから、言った。
「だって、香織を毎日のように見てるから、私は別に驚かないわ」
「そうか・・・・・・そうだよね」
「でも、驚いたかな」
「え? でも今」
「驚いたのは、香織がそういう話を持ってきた事。いつもならまた男子に告白されたとかーとか、そういう愚痴だったから」
「あ。そっか。確かにそうだったかもね」
「ねえ、香織。香織はその郡鷹さんって人と仲良くしたいって思う?」
「・・・・・・うん。せっかく同じクラスなんだし。それにきちんとした形でお礼を言いたいから」
「? お礼?」
しまった! 口を滑らせてしまった。
「い、いやー。その、トイレの場所が分からなくて教えて貰ったお礼。きちんと言えてなかったからさぁ」
「そうなんだ。いい人なんだね」
僕は内心で胸を撫で下ろした。
上手くごまかせて良かった。
「でも、その郡鷹さんって言う人。仲良くなれたらおねーちゃんすごいなーって思う」
「うん。僕も正直あんまり自信ないけど、学校生活はこれからだし、前向きに頑張ってみるよ」
「流石私の弟。鼻が高いなぁ。仲良くなれた暁には家に呼んでね。おいしいコーヒー入れてあげるから。お口に合うか分からないけど」
「うん。いつになるか分からないけれど。その時は誘ってみるよ」
コーヒーを飲み終えて一息つき、嫌々言いながらも結局霞姉さんの荷解きを手伝う流れになった。
ユウキ君の言うように、僕は人が良すぎるのかもしれない。
けど、霞姉さんには色々とお世話になっているし、手伝うのは吝かではない。