第76話 2人の望み
昔、小さい頃に嗅いだ覚えのある馴染み深い花の香りが漂って、かかっていることに気付かない金縛りに縛られる感覚がした。
俺の前に顕れた女性は、指鳴らしを親指と小指を使って行った。背しか見えない俺からでも、右肩辺りに上がった手が見えた。
その瞬間、ほんの一部の観衆と対抗戦代表メンバーの俺達は静まり返った。
単に声が止まっただけなら誰も違和感は感じなかったろうが、ここにいるみんなは動きもピタリと止まった。洗礼されたような綺麗な静止に少しの客が気づき好奇心から歓声をやめて様子を見た。
次第に他の観客もそれに気付いて徐々に静まる者が増えるが、気づかない人は全く気づかない。気付いた人も全体の半分もいない感じだった。
「はぁ……あまり目立つのは好きじゃないんだけれど」
苦肉の策を取る雰囲気を持って女性は手を指鳴らしの形に変え、今度は中指の内側を親指で擦る動作を微量の音と共にした。
ゴコゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォ…………。
それまで適量に雲が浮かび、見ていて気持ちのいい晴れの空だったものが捻れた。まるで景色そのものが動いたように、中心に螺旋を描いて引き込まれる。
動く毎にどんどん暗く染っていき圧巻のそれに畏怖すら見える。
……いつしか、会場で言葉を発する。音を発する人なんていなかった。
「こんなものでいいかしら? 全く、全て予定通りに働いてくれれば良いものを」
ふぅ。と溜め息を吐くと、呼応したように空の黒模様が無くなっていった。
「あの……」
なんで急にここに現れたのか、あなたのような人物が。と抑えられなくなり、掠れた声が出た。
「シン君、久しぶりね。元気にしてた?」
「あぁ……は、はい」
華麗に振り返る様は相変わらず美しい顔を崩さず引き立てた。
「ゆっくりとお茶でもしながら話したい気分だけど、とりあえずやることは終わらせなければだから少し待っててね?」
おっとりと優雅に喋り、その人の周りだけ別世界かとも感じられた。他者の影響は受けず、信念を貫き通す覚悟と貫禄が品格の内に隠れていた。
パチンと指鳴らしを慣れた様子で素早く行うと、その手の前にマイクらしいものが何も無い空間から突如として現れた。
『ええっと……初めまして? サンクテュエール王国軍第1席、メイタール=レイザーよ。突然ほぼ部外者の私が言うのも不適当だと思うところもあるけれど、流石に見かねたから言わせてもらうわ、可哀想だったしね』
メイタール=レイザー。その名が出た途端に会場の雰囲気が変わる。さっきまでの祝福や熱血ムードが嘘のように鎮まって。
『運営の人も次の最終種目の準備に移りたいのよ、今年のは特に盛大にする予定だからね。だから今までの競技も少し呆気なくて、すぐに終わらせてきたけれど、それでも満足の行く出来のものに出来るかはまだ分からない範囲なの。それもあって早く終わらせたい気持ちを汲み取ってあげてくれないかしら?』
突然のメイタール様の登場で、皆半ば思考放棄しながらだがスラスラと司会文句が終わり、今日も解散となった。
ただ、メイタール様に耐性があったのか俺やレイ、セレス等のソルセルリーメンバーの1部だけは思考が問題なく続いており、司会の言葉の中で1つに気を取られた。
マキは分からないけど、少なくとも俺とレイのメイタール様の凄さがイマイチ分かっていない奴はそっちの方が気になった。
視界さんが言っていた、メイタール様が言っていた通り、今年の『領域乱戦』はちょっとした工夫が施されております。その詳しい内容については、当日発表致します。と。
「今回は特別ってなんだろな?」
いい機会だからみんなでこの街を散歩しようという意向に沿って帰り道メンバーで行動していた。
ふとレイにかけた言葉に、シェル先輩が反応した。
「うーん、私もお父様に今年の『領域乱戦』は違うってことを漏らしてもらったんだけど、内容までは探れなかったんだ」
教えてくれよ父様。
そんなこんなだったけど、途中で休憩を取ろうとベンチに腰かけると同時に、レイが長時間超的な力を発揮したのが災いしたのか綺麗に眠りについてしまった。
1人そこに置いていくのは可哀想なので代表して俺が宿に返すことになった。
年頃の男子が同い年の女子を背負って繁華街を堂々と歩く姿は自身でも視線を集めるのはよくよく自覚済みで、そりゃもう恥ずかしかった。
宿に着くとレイのポケットに入っている鍵を取り出し、扉を開け、ベットに寝かしつける。
「……ったく、恥ずかしかったんだからな」
……でも、今日はあんなに頑張ってくれたんだし、見逃してやるか。
そしてゆっくりと優しく、自分の守りたい平和ボケした寝顔を撫でた。
「うへへ……らいちゃーん……」
…………。
「それいじょうそったら……しんのかみが……かわいぶふっ!」
……なんつー夢見てんだよバカ。
「はぁ、レイはどこでもレイだなぁ」
レイを寝かせたベットの隣にある椅子に座り、大胆に腰をかける。先のレイの活躍ぶりを思い出すと、自分まで疲れたような感覚に陥った気がした。
コンコンコンコンっ、と多めなノックが響いた。
「ふぅ」
足を勢いづけて地を蹴って踏ん張るのと同時に、疲れを振り払うよう少し面倒臭いながらも軽快に立つ。
「はーい」
「あ、えっと……」
片手で扉のノブ側の壁によっかかりながら、他人に対しての警戒心からノブに掛けた手を外さずに対応する。すると外にはよく見知った王女様がいた。気まずそうに発する言葉を考えている。
「セレス、どしたの?」
「えと、やっぱり心配で……」
「そのためにわざわざ来てくれたんだ、ありがと」
みんなと一緒に行動することを捨ててまで、レイのことを心配して戻ってきてくれるところを、心底優しい子だと感心する。
「一緒にいてもいいですか?」
「うん、もちろん」
無意識にも阻む形になっていた手を退けてセレスが通れる道を作って自分が座っていた椅子に座らせる。俺は最初から宿にある机とセットになっている木製の椅子をセレスの近くに持って行って座る。
「かっこよかったですよ、レイ」
疲労しているとみたレイを元気付けようとしてか、両手で握り締めた。
なんか……美少女と美少女は、画になるなぁ。
………………いかんいかん! 新たな扉から必死に逃げる証として首をブンブンとセレスに悟られないように振った。
「……それと、前々から聞きたいことがあったんですけど、いいですか?」
持ち上げたレイの手をそっとベッドに戻してから、俺の方へ向き直り言ってきた。
「うん? 何?」
自分のしていた恐怖すぎる行動をなかったことにするように取り直して澄まし顔をかましてやった。
「シンもレイも、今まで一緒にいましたし優しいのがとても実感できます」
恥ずかしげもなく俺にとっては面と向かって言われると赤くならざるを得ない内容を俺の目から視線を逸らさず告げるから、歯切れのない返事をした。
「あ、うん、あ……りがと?」
「ですが、だからこそ気になることがあります。間違っていたら失礼ですが、そんな性格の2人が元の世界に未練がないなんて有り得ません。少なくとも私はそう確信しています。……なのに、2人は元の世界に戻る方法を探すどころか、忘れて今の生活を心から楽しんでいるようにすら見えます。辛く、ないんですか?」
……。
「うん。まぁ、正直なところは戻りたいと思うよ。でも、レイもだけど戻りたくないとも思ってる節があるんだ」
「え……でも、元の世界には仲のいい友人も大事な人も、沢山いますよね?」
……なんで、そんなに辛そうに聞くんだろう。セレスが悪いわけじゃないのに。
なんだか、俺には彼女の姿がこう語っているように見えてしまった。
戻りたいと。感情のままを晒け出してくれと。……責めてくれと。
「うーん、もちろんいるけど、必死に戻ろうとすることでもないかなって思っちゃうんだ」
頭を搔いて下を向き軽々と肯定して向き直ろうとするが、セレスの目を見るのが恥ずかしく、上げた目線は通り越して上を向いた。
この雰囲気で話しているとセレスが心配になったから、あえて軽い感じで喋った。
「俺もレイも、戻りたいじゃなくて、今はこう思ってる。前の世界に戻るんじゃなくて、この世界とあの世界が繋がればいいなって」
「繋がる?」
半ば言っていることが理解できないといった様子だったが、俺は構わず続ける。
「ほら、彼氏を友達に紹介したいって思う人いるじゃん? あれと同じ気持ちだよ。今はこの世界でできた大切な人を、前の世界の大切な人に自慢したい。そんで、前の世界の大切な人達をセレス達にも自慢したいんだ」
「…………」
セレスは俺の様子を探るばかりで、喋り出す様子はなかった。
そんな時、横から声が挟まれた。
「しーん、そんな青臭いこと言ってると、セレスに笑われるよ?」
「あ、レイ。起きたんだ、つーかセレスはお前と違って人を馬鹿にしたりしない優しい子だからいいんだよ」
仰向けに寝かしつけたレイが俺達の方を向くように横たわるのを見て、挨拶代わりにいつものような煽りを渡した。
「なん? 私は優しくないってゆーのか?」
「人が眠くて意識がはっきりしてないのを良いことに転ばせる奴が優しいわけないだろ」
「そんなことする人がいるの!? 許せない!」
上体を起こして憤るのではなく、枕から頭を少し浮かせただけな辺り冗談だとよく伝わってくる。やはり呆れてため息が出てしまった。
「ふふふふっ……」
手をさりげなく口元に当て、頑張って堪えようとしているのから漏れた笑い声が可愛らしく聞こえる。
それに連なり、レイもくしゃっと笑った。
「……ふふっ! でもセレス? 私もさっきシンが言ってた気持ちと同じだよ」
「は、はい……」
それを見て安心した俺は、立ち上がって使っていた椅子を元の場所へ戻して言った。
「じゃ、俺は自分の部屋に戻るよ。女子部屋に2対1で男子一人いるってのもおかしなことだし」
「なに? シンそんなこと気にしてんの? やっぱ年頃ナノカ」
「うっさいわ! そういうんじゃないって、あほ」
「あははー」
「……ったく」
疲れて寝たかと思えばすぐに起きて俺の事を煽ってくることに少し呆れて部屋を出た。
「……ふぅ」
部屋を出てドアを背に寄り掛かる。ただ一言、呟きが漏れた。
「よかった」




