#3:旅人の心
皆転生したいんですね、僕もです。でも、僕が転生したところで結局おんなじ人生を送って、緩やかに死んでいくんでしょう。つらたん。
神というのは、人が自分を納得させるために作り上げた概念である。それを無しにして、このヘイシャス、つまり世界の成り立ちなどを説明することができないからだ。また世界の4つの大陸は、それぞれ意図して作られたかのようにそれぞれ特色を持っている。
1つは緑の溢れるトルズ。
1つは水の溢れるノルディア。
1つは火の粉降るカードラント。
1つは骨も凍えるヴィットリンデ。
違う大陸に渡れば、人も環境も文化も違う。されど話す言葉は共通していた。人はこれを以て、人は同じ腹、同じ場所、同じものから産み落とされたからと考えた。そしてそれが神であるとした。
神の業の証拠として、4つの大陸にはそれぞれに神を象ったという像を挙げることができる。いつからあったのかも、誰がどのように作ったかもわからぬそれらは、時に不可思議な光を放ち、また天変地異を起こし、人に恵みを与えることもあった。それを人は神の力の一欠片として理解しようとして、そのために人々の信仰対象になった。また巨大な力への恐れから封印を施されたものもあった。
トルズ大陸の民は、樹海を切り開いた先の神殿に神像を納め、そして聖地として信仰していた。そして、トルズ大陸は3つの国により統治されているが、聖地はそのどの国にも属していなかった。というのも、それを3国とも禁忌としていたからだ。神の力を、人がほしいままに操ること、また操ろうなどと考えることは、罪深いこととされていた。
「私を神像へ連れて行ってください!」
その少女の声は決意に満ち溢れていた。そして、悲痛な響きもそこにあって、その理由はティルには推し量ることはできなかった。少女は言葉を続けた。
「あの、厚かましい頼みで申し訳ありません。無茶だともわかっています。でも、私はあいつらにつかまってしまうわけにはいかないんです。お父さんに……お父さん……」
エニアスはそこで言葉を詰まらせた。目はまた伏せられて、服は強く掴まれてしわができていた。ぽたぽたと服に水が落ちて染みを作った。
一方、ティルの心の中では一つの思いが、もう一度その顔を見せようとしていた。それに常に恋焦がれ、またそれは現状に留まり続ける彼を叱責してきたものだ。いくら外界の話を聞こうとも、旅の詩を聞こうとも小さくなることのないじわじわと燃え続けるそれが、ついに彼自身も耐え切れないほど大きく燃え上がったのだ。
つまり、ティルはその17歳という若年でありながら、その芯から旅人であったのだ。金のために何でも屋をしているうちはいくらか気も紛れ、またミルズの港を気に入ってはいたものの、彼は常に、彼自身も気づかなかったが、その絶好の機会が来るのを待っていたのだ。
ティルは明るい声をだして立ち上がり、握りこぶしで胸をどんと叩いた。
「あぁ、あぁ、いいとも! 連れて行ってあげよう! なに、もしも追手が来ても、俺が倒してあげよう! 明日から旅だ! 俺を信じて!」
エニアスは驚いて顔をあげた。ぽかんと口が開いていた。涙の跡がついて、うるんだ金の瞳は真ん丸に見開かれていて、それを見てティルはその歯並びのいい口をにかっとして笑った。
しかしエニアスの目からは、またぽろぽろととめどなく大粒の涙が溢れだした。ティルは慌ててポケットの柔らかいハンカチで彼女のびしゃびしゃになった顔を拭いてあげた。彼女はしゃくりあげながら言った。
「あ、ぅ、ありがと、ござい、ます。わ、たし、わたし、そう言ってくれ、ると思わなくて……」
「うん、大丈夫。俺に任せておけよ、エニアス。今日はもう寝ちゃいな。そのベッド使っていいからさ。そのかわり、明日は早いからね。きっと、そうしないといけないからな。」
エニアスは泣きながら何度も何度も頷いた。
いくらか、涙が止まるまで、落ち着くまでティルはエニアスの隣に座り、その細い背中を優しく撫でた。泣きつかれた彼女が、微睡に落ちていくのは容易く、ティルが気づいた時には、エニアスは彼の腕に身を預けていた。
初対面の相手にここまで気を許してしまっていいのかとティルは思った。彼の考えるに、エニアスは自らに危害を加える方と、そうでないほうを比べ、そしてティルの良心に彼女は全てを賭けたのだった。
ゆっくりと、エニアスが起きないように注意を払いながら、彼女をベッドに寝かしてやると、扉が控えめに叩かれた。ランプの火を吹き消し、扉をほんの少しだけ開けて、隙間から覗くと女将がひどく落ち込んだような疲れたような顔をしていた。手をちょいちょいと動かしたので、ティルは静かに扉を開けて、その隙間に体を滑り込ませた。
潮騒亭は夜に客入りがピークになるのだが、ティルの耳にはわずかな食器の音しか聞こえなかった。中のエニアスを気にしてか、女将はひそひそ声でしゃべった。
「今さっき、王国の、ディアス王国の兵士が来ていたのよ。さっきのことについて事情聴取に来たんだよ。来てくれて助かったけどねぇ……」
ティルには女将が何を言いたいか分かった。つまりエニアスのことを出さないでおきたいのだ。ディアス王国は帝国の目論見を絶やそうとしているはずだが、帝国がやってきた直接的な原因であるはずのエニアスがどんな扱いを受けるか分からなかったからだ。
「それにね、なんだか兵隊さん達ひどくいら立っているようなのよ。国王が何だとか、神殿がどうだとか、文句を言いあっているのを聞いたわ。それでティル。あんたはどうするつもりなの。あの子は?」
心配そうに聞いてくる女将に、ティルはもうこの街を出ることを伝えるべきか悩んだ。というのも、ただの旅立ちであれば、是非ともその旨を伝え、再会を誓ってひと時の別れに涙しただろう。されど明日から始まる旅は、いつ来るともわからぬ帝国の追手に怯える、いわば逃避行なのだ。それを伝えるわけにはいかないが、されど嘘をつくことも憚られた。だから彼が言ったのは嘘と本当を織り交ぜたものだった。
「エニアスは、とりあえず……エディス宿場町の俺の知り合いのとこに預けるつもりだ。少なくともここよりは安全だろう。届け物のついでに俺が連れて行くから心配しなさんな。」
「……そうかい、頼んだよ。それと気をつけな。てことは、明日は早いのかい?」
「あぁ、頼む。」
「あぁ、わかったよ。全く忙しくさせるのが得意だねぇ、ペドも寝込んでいるし、今日はほとんど寝ていられないよ。馬と荷車の用意をしなきゃ。」
女将はいつもの調子で早口で呟いて階段を下りて行った。
2階の窓からは既にとっぷり日の暮れた港町が見えた。夜が明ければもうこの街を発ち、そしてもう訪れることはないのだろうと思うと、少し寂しい気持ちがした。ふと自分の体がひどく疲れていることを感じた。大きく欠伸をするとそれはより顕著になった。部屋に戻ろうとしたが、その前にもう一度だけこのミルズの街並みを目に焼き付けておきくなった。
階段を降りると、潮騒亭の食堂にはあまり客がいないことに気付いた。それもそのはずだった。はるか遠くの帝国の恐るべき兵士に加え、王国の兵隊たちの執拗な聴取にあってしまったからだ。今残っている連中は、既に浴びるように飲み潰れた者と、事情を知らない常連客だった。
外に出ると、やはりいつもより静かで、心なしか星の光が強いような気がした。露店商も引き払っていて、疎らにある街灯のその中の1つの下には、王国の紋章を鎧に付けた兵士が3人集まっていた。何やら手に紙を持って話しているが、彼らは覆面をしていたので、声も聞こえず口も読めなかった。
ティルはぶらぶらと歩いて、船着き場まで来た。大小様々で、また造りやその運ぶものの違う船が、海の波にゆらゆらと揺れていた。船着き場の足場に波が当たって、水が跳ねていた。また、船の番をしている者がいて、何やら荷物を運び込んでいる者もいた。場所柄、盗難を抑えるために衛士が常駐していて、ティルにも油断なく視線を注いでいた。
暗闇が蠢くように見える海には、空の月や星の光が映っていた。ふと、ティルは自分の立っている場所がわからなくなったような感覚に陥った。広大な海と果てのない空がそうさせたのだ。
そこへ声がかかった。
「のぉ、そこの若者や。何をそんな所で突っ立っておる? 美しの島でも見えるかね?」
ティルが振り返るとナドムがそこにいた。鍛冶師らしく腰のベルトに金槌など様々な工具をぶら下げていて、脇に厚手のミトンを挟んでいた。首には強い光から目を守る眼鏡があって、しわしわの頬には煤がついていた。
「いや、少しぼーっとしてただけだよ。じいさんこそ、夜風は冷えるんじゃないですか?」
「何を馬鹿なことを。まだ腰は伸びとるわい!」
ナドムは自分の足腰をバンバンと叩いた。ティルより頭1つ分背が低いのは、彼の腰のせいではなかった。
「それで、本当はどうしてじゃ。まぁ、わしにはわかっとるわ。ただぼんやりしながら海を眺めるなんてのは、お前くらいの若い男にはよくあることじゃよ。」
ティルは黙ったまま、また海と向き合った。ナドムはそんな彼を横目で見て、いたずらっ子っぽい笑みをうかべた。
「ここじゃないどこかに行きたい、そうじゃないかね?」
「……長く生きてるだけあるなぁ。その通りかもですよ。」
「ほっほっほ、わしの昔の友と似たような顔しておるからのぉ。いや、同じ目をしていたと言った方がいいかの。その、燃えるような意志と、そこに期待と不安が入り交じったような、そんな目じゃ。懐かしいのぉ。」
ティルがちらりと見ると、ナドムは隣で同じように海を見ていた。彼は、その視線の先に何かを探しているような、もしくは見出だそうとしているようであった。
足場に波がぶつかり、潮騒は絶えずに一定の緩やかなリズムを刻み続けている。2人は黙って各々の物思いに耽ってしまっていた。だがそのうちナドムがぶるりと体を震わせた。
「うぅむ、年を取るとどうにも体の方がせっかちになるようじゃ。少し気分を変えに来ただけなのじゃが。」
「だから言ったじゃないか、爺さんよ。早く帰って寝なよ。それとも、まだ仕事を続けるんですか?」
「勿論じゃ。わしには静かな波の音だけを聞きながらじゃなけりゃ、どんなに良い鉄を叩いたって良き物は作れないからの。では。」
ナドムはくるりと振り返り、そのついでにティルの背中を軽く叩いた。
「ふむ。若者や。好きにするがいい、人の生は長く短い。それをどう使おうと構わないが、老いぼれの忠告を聞く気があるならば、歩みを止めてはならんぞ。停滞は後退じゃからな。」
無邪気な笑いをあげながら、ナドムは歩きだした。その後ろ姿を横目で見つつ、ティルは粘土のようにこね続けていた自分の意志が固まったのを感じ取った。今まで、口に出して旅に出るとは言いつつも、慣れたこの街を離れるのは喜んでしたいとは思わなかったのだ。されど、もはやその気持ちは無くなった。
ティルは踵を返して潮騒亭に戻り自分の部屋に向かった。潮騒亭に入って階段を大股であがり、部屋の扉を静かに開けた。暗い中からエニアスの安らかな寝息が聞こえてきた。
(そうだった。ベッドは使えないんだったな。)
と、足元に代えの2枚の毛布が畳んで置いてあるのに気づいた。女将によるものであると考え、心の中で感謝した。そして、ティルは静かにカーペットの敷かれた床に横になり、1枚の毛布を枕にして、もう1枚を体にかけた。そして目を閉じれば、あれこれと考えるに暇もなく、一瞬のうちに眠りの淵に落ちていった。