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神に世界は救えない。  作者: 大川Sun
2/13

#1:出会い

 

 旅する人は皆、自由な者達だ。というのも、特定の場所や名前に縛られず、気に入った住みかが見つかれば留まればいいし、そうでないならまた旅に出ればいい。


 目的も様々だ。己の見聞を広めるため、研鑽を積むため、観光のため、理由も数えきれない。


 ただ、旅には危険が付き物だ。人の世界は狭いものだ。街の外に出れば、たとえ舗装路であっても猛獣や魔物の類いが襲いかかってくることはありふれたことだ。だから、用心棒や護衛を雇うのだ。武器を持たないで旅にでるのは、彼らのその日の糧になるだけだ。


 だが、そんな危険に敢えて飛び込む者もいる。彼、ティル=セスタもその1人だ。ティルは彼の狭い故郷を飛び出して、冒険を求める旅人となった。彼は17才と若く、意気軒昂として心踊る冒険と煌めく夢を追い求めていた。


 されど、先立つものが無くなってしまった彼は、今、トルズ大陸の最も大きな玄関口である、ミルズの港で便利屋として働いていた。何でも屋ティルは靴磨きから猛獣退治まで何でもござれ、という触れ込みで、今では街の住人の1人として信頼を築いていた。


 今日も商人アドルの依頼で、東の山を越えた先にあるエディス宿場町に荷物を届ける為に出発の準備を進めているのだった。


 ミルズの港はとても活気が良く、市場には様々な魚や肉や、それに果物から遠い大陸の特産品まで並んでいた。そして広場では旅の楽士が音楽を奏で、大道芸人が拍手喝采を浴び、またおこぼれを狙うカモメはうるさいほど騒ぎ立てていた。風は潮の匂いがして、空には傾き始めた太陽が輝いていた。


 ティルはこの地が好きだった。彼は旅の話を聞くのが好きだった。今や手持ちの金は少しずつであったが増えていき、彼自身がそれらの出来事を体験するのも、もう遠いことではないと感じていた。


 彼の格好は地味なものであったが、それは実用性をとったからだ。丈夫な灰色の布の服は多少の傷で穴が空いたり、ほつれたりすることはない。その上に茶色の革のベストを着ていた。背丈は平均ほど。顔は美男子という風ではないが、がっしりした顎や精悍な黒い瞳、それに日に焼けて浅黒い肌は、活発的で人当たりの良さそうな印象だ。


 今、露店商から行き帰りの道中3日分の携帯食を買い込んで、背嚢に積めていた。海風に彼の短く切られた茶色の髪が撫でられた。またそれは肉が焼ける香ばしい香りを運んできた。


「よし、こんなところか。お、この匂いは……」


 荷物を背中に負い、鼻をクンクンさせながらごった返す市場の人の流れを掻き分けるように行くと、匂いの元にたどり着いた。じゅーじゅーと焼ける音はティルの腹を刺激した。口の中に唾液が溢れ、今にも口の端から垂れてしまいそうだった。と、串に肉を満載し、それを焼いていた店主がそれを見つけ、ティルに呼び掛けた。


「よぉ、何でも屋! 一本どうだ? ノルディア大陸の香草を使ったんだぜ。噛めば噛むほど溢れる肉汁はたまらねぇぞ!20ピタだ!」


 想像してしまい、ぐぅと腹をならした。そしてポケットのなかを探って全て取り出したが、小銭の数を数えてがっくりと肩を落とした。


「あぁ、おやっさん、できればそうしたいなぁ! だけどいま少し手持ちが無くてよ。たったの11ピタしかないよ。」

「あぁん? しょうがねぇな! おら、ただで構わん!持っていけや!」


 ずいっと串肉がティルの前につき出され、彼はそれを喜んで受け取った。がぶりとかじりつけば店主が言うとおり、熱々の肉汁が口一杯に溢れる。ピリッとした辛みがさらに旨さを倍増させる。


「っ!……こいつはうまい! 持ってる分全部払うべきかな?」

「構わねぇよ! お前、この前迷子の息子を探し出してくれたそうじゃねぇか! それの礼だよ。」

「ありがたい!」


 旨そうに食べるティルを見て、周りの客も腹を鳴らし、串肉屋台は途端に大盛況になっていった。



 買うべきものを買い、また思いがけず腹を満たした彼は、市場を離れて、海近くの鍛治屋に訪れた。静かな住宅街が並んでいた。そこに何の用かといえば、ティルの新しい剣を受け取りにいくのだった。湿気に錆びることがない、ヨードラス鋼を取り扱う珍しい職人がいるのだった。


 古い木の扉を軽く叩く。返事はない。もう一度叩く。やはり返事はない。今度は大声で叫びながらで。


「おーい! ティルだ! 何でも屋が来たぞ!」


 すると、扉の奥からどたどたと歩く音が響き、ようやく中の住人がその目を擦りながら老鍛治師が姿を現した。長い白髪と白い髭を紐で縛っている。彼はナドムといって、その道であれば少なくとも名は知られているほどの人物であった。


「なぁんじゃ、朝から……」

「朝じゃないですよ、もう昼!」

「ふむ、おかしいのぉ。ほんの一瞬目を閉じただけなんじゃが。まぁよいわ。して何の用じゃったか?何か頼んでおったかの。」

「まだ寝ぼけてるんですか? ほら、俺の新しい剣ですよ!」

「おお、あれか。入れ入れ。」


 得心がいったように手をぽんと叩き、ティルを招き入れた。中は様々な武器や防具、それに包丁や銛まで、様々なものが壁に掛けられたり、あるいは棚に置いてあった。椅子に座って待つように言われたが、ティルは物珍しそうにきょろきょろとしてしまう。が、しかし、どかりと机に置かれた剣に目を奪われた。


「どうじゃ。なかなかの出来じゃろ。」

「ありがとうございます。これがあればどんな魔物だって斬れそうだ!」


 その剣は鋭く研ぎ澄まされ、また光に翳せば虹色の輝きを返した。試し斬りの木材に突き立てれば、軽く深々と刺さった。束の部分には錨の彫刻が施してある。これは、ナドムの手によるものであることを示しているのだ。


 あからさまにはしゃぐことはしなかったが、ティルの心は浮わついていた。ナドムの瞳が堅い光を帯びた。


「気を付けるのじゃぞ、剣は扱いを誤れば、自らを殺すことになるのじゃ。」

「……はい、わかっていますよ。」

「なら、よろしい。」


 ティルは受け取った剣を背嚢から取り出した鞘に収め、腰のベルトに取り付けた。


「代金の話じゃが……」

「おっと、お爺さん。それなら先にはらったでしょう。あんた、受け取り忘れたら悔しいからって言ってさ。」

「そうじゃったかのぉ?」

「待て待て、都合良くボケないでくれ。全く油断も隙もありゃしない。」


 老鍛治師は無邪気に笑った。



 鍛治屋を後にして、ティルが寝床としている宿である、"潮騒亭"に戻ろうとしていた。日は傾いて西の空が橙に染まりはじめていた。


 ティルは海辺を歩いてたとき、ふと、浜辺に見慣れぬ同じ小型の船が二隻止まっているのが目に留まった。そして同じ黒い船体には赤い胴の長い龍が描かれている。どちらも乗り上げてしまっていて、片方は横腹にぶつかられたような凹みがあり、片方の先端は潰れていた。


(見たことがない船だ。しかも随分と速そうだ。事故だろうか?試作品には見えないが。)


 気になって近寄ってみると、船から飛び降りたと見える跡があった。浅く小さい足跡があり、それを追うように深い足跡が2つあるように思えた。


 何かただならぬ予感がして、ティルはそれを追いかけることにした。この選択が彼を、その否応なしに冒険に連れ出すとは、彼にはつゆ知らないことであった。



 足跡は浜辺を抜け、街外れのマツ林まで続いていた。そこまで行くと、足跡はもう追うことは出来なかったが、代わりに怒鳴り声が聞こえてきた。


「……のガキめ! 手こずらせやがって!」

「おい、あまり傷つけんじゃないぞ。逃亡者とはいえ、子どもであることには変わりないからな。」


 ティルは木陰に隠れて様子を窺う。薄暗い林の奥から、鎧に身を包んだ兵士たちが2人姿を現した。兜には細いスリットだけがあって、表情を窺い知ることはできなかった。彼らは手に剣を持ち、片方は円形の盾を背中に背負っている。彼らの鎧は暗闇に鈍色に輝き、胸の部分に船にあったものと同じ龍のマークがある。声を荒げている兵士はもう一方の腕で何かを引っ張っているのがわかった。


 それは白銀の髪の毛だった。少女が、まるでただの荷物のようにその長い髪を掴まれ引きずられていた。


 ティルは木陰から飛び出した。考えるよりも先に体が動いた。腹の底に火が点り、それは一瞬にして燃え盛る地獄の炎となった。一息に距離を詰めて拳を、岩のように固く握りしめる。


 突然の闖入者に前にいた兵士は慌てて剣で対応しようとするが、既に時は遅すぎた。ティルの裸の拳が兜ごと殴り飛ばし、兵士は宙を舞い無様に地面に転がった。


「何だ貴様……!」


 もう1人は剣を振りかざしたが、ティルはそれよりも早く剣を抜き放ち、兜のスリットに突き立てた。くぐもった小さな悲鳴があがる。


「即座にこの場を去れ。さもなくば、この剣がお前の脳髄をかき混ぜることになるぞ。」


 重く強く、腹から迸る炎をゆっくりと吐き出すように声を出す。兵士は呻き声をあげ、剣を落として脱兎のごとく逃げ出した。途中で倒れている相方の襟首を掴み、引き摺りつつ林の出口に走っていった。


 ティルは体の熱りを冷ますように深く息をついた。冷静になってみると、武装をした兵2人に対して盾も無しに挑むのは無謀なことであった。殺すことも殺されることもなかったのは幸運なことだった。ただ、子どもに乱暴を働くような大悪は殺しても構わないという、暗く冷酷な部分は無いというわけではなかった。ずきりと拳が痛んだが、今は気にしていられない。


「おい! 大丈夫か!?」


 ティルは倒れ伏す少女を助け起こした。白銀の髪には土や落ち葉がくっついていて、その顔はぐったりとして血の気が少なく、苦しげに瞼を閉じていた。ワンピースからのびる細い腕には、手の跡が赤く残っていて、ところどころに軽い擦り傷があった。首には円盤型のペンダントを下げていた。近くには小さな鞄が落ちていて、肩紐は途中で切られていた。


 ティルは少女の胸が微かに上下しているのを確認し、両腕で軽く抱えあげた。鞄も拾い、マツ林を出て今度こそ帰路についた。途中、浜辺には何か硬いものを引き摺った跡があり、2隻あった船の片方はなくなっていた。また赤い太陽が海に溶けて、橙に染め上げていた。


 街中に入ると、住民は好奇や不審の目を向けたが、彼が"何でも屋"ティルだと気づくとあからさまに態度に出すことはしなかった。何事もなく、酔っ払いに絡まれることはあったが、"潮騒亭"に着いた。ランプがたくさんついている縦長の両扉を開けると、暖かな空気と食欲を刺激する良い匂いがティルを迎えた。柔らかな灯りが木でできた3階建ての建物を良く照らしていた。。受付の机にある小鐘を鳴らす。


「女将さーん! ちょいと助けておくれよ!」


 すると、「はーい!」という元気な返事がして、とっとっとと軽い足音とともに奥から、背丈の小さいふっくらした中年の女性がでできた。うねった髪は後ろでまとめられ、額が光を反射させていた。白いエプロンと鍋掴みをしていることから、ちょうど夕食の準備をしていたのだろう。彼女はティルの腕の中の少女に気付いた。


「あれまぁ! 今度は一体何があったのかしら!?」

「ごめん! 説明は後でするから、俺の部屋に水と布巾を持ってきてくれないか。きれいな毛布と暖かい飯も頼む。」

「はいよ! まったく今日も忙しくなりそうだわ!」


 ぺちゃくちゃと独り言を言いつつ、忙しなくまた奥の厨房に戻っていった。


 ティルは二階にある自分の部屋に向かった。器用に片手で鍵を開けて部屋に入り、少女をベッドに優しく寝かせた。壁のランプに灯りを点すと部屋が照らされた。ごわごわになった髪についた葉っぱを取ってやる。と、その時少女の瞼がピクリと動いてゆっくりと開かれた。金色の瞳はぼんやりとしていて、右往左往した。そして心配そうにのぞき込むティルと目が合った。少女はベッドから飛び起きて、ティルから小動物のように逃げだした。部屋はそんなに広くはなかったので背中を壁にぶつけた。


「ちょっ! おちつけ!」

「くるな! 近づくな!」


 制止しようとするが、少女は手近にある本やら瓶やらを投げつけきて近寄ることもできない。床に落ちた瓶はガシャンと粉々に割れて散らばり、綴じが緩い本はバラバラになってしまった。壁にかけてあるランプに当たらなかったのは幸運か、それとも疲弊した少女の力では届かなかったからか。その時、扉が開いた。


「あれあれ! 一体どうしたんだろうね!?」


 部屋の惨状を目にした女主人が叫ぶ。片手には料理の載った皿がいくつかあるお盆を持ち、片手には水の入った桶と布巾があった。投げられるものが無くなって部屋の隅で小さくなっている少女と、突然の事態に驚き固まっているティルを交互に見た。そしてじろりとティルを見た。


「ティル……あんた。」

「いやいや! 俺はこの子を助けただけなんだ! 街はずれの林で兵士に連れていかれそうになってたんだよ!」

「そうかい? まぁ、あんたがそんなことをするような奴じゃないことは知っているさ。お嬢ちゃん、何かわけがあるようだね。」


 いたずらっぽくにやりと笑うと桶をティルに押し付けた。女将はゆっくりと少女に近くに歩み寄る。それから少しでも離れようと少女はさらに小さくなった。その鼻先に魚介のスープをつきだした。


「ほら! これでも食べな! お腹が一杯になれば落ち着くから!」

「……い……いらない……」


 口ではそういいつつも、彼女の腹の虫が盛大に鳴き始めた。顔を伏せたが、耳の先まで赤くなったのを見て女将はにこにこした。少女の手元にやると、恐る恐るといった様子で受け取った。


 ティルからしても女将の料理はよだれを垂らさずにはいられなかった。赤い野菜をベースにしたスープは、取れたての新鮮な魚の赤い切り身とぷりぷりした肉厚のエビがこれでもかという程に入れられていて、さらにジリーという香草が食欲をかきたてる香りを放っていた。またくたくたに煮られた野菜はよく味を吸っているようだ。腹を空かした漁師や若者にとって、潮騒亭はおふくろの味だった。


 少女は、女将が渡したスプーンを絶えず動かして、口にぱんぱんに詰め込んでいた。盛り沢山だった皿はみるみるうちに減っていき、一滴たりとも残さずにあっという間に空になった。長く味わって飲み込むと、今度は余韻を味わうように深く息をついた。


 あんまりに旨そうに食べるのでティルの腹も鳴り出した。女将はケラケラと笑った。


「ペドが下にいるから、あんたも何か食べてきな。こっちはあたしに任せなさい! しばらくしたら戻ってきな。」


 ドンと胸を叩いてそう言うので、ティルは安心して、彼女に任せることにした。世話焼きの女将ならば、冷え固まった心も溶かしてしまうだろうから。



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