ショートショート「通信障害」
友達とのLINEを元にして書いてみました。宜しくお願いします。
俺はコンビニで働いている。働いている時間帯は深夜だ。ある夜のこと――それがどんな夜だったのかも今では朧気なのだが――とにかくある夜のことだ。俺は諸々の雑誌を運送するのが仕事の男のドライバーと少し、いや、結構険悪な雰囲気になってしまった。
初めて会った時に抱いた俺の彼への印象は繊細だった。臆病ではなく、でも、やはり強くはなさそう。これが彼にに対して持った第一印象だった。
彼は野球をやっていたらしく(話によると今も選手として野球に携わっているらしい。……いや、野球ではなくてソフトボールだったか? ポジションはファースト。お、俺も昔ファーストを守っていたなあと、その時はのんきにそう思っていた)、会うたびにその話題で一息ついていた。俺にとってのその人との会話というのは何も考えなくても良いもの、つまりまるで煙草みたいなものに違いなかった。
彼の応援している球団はソフトバンクだと聞いた感じがしている(でも時々広島の話もしたりしていたから、要するに今強い球団が好きなんだろうなあと、俺は心の中で軽く笑った)。
その人は面白いことが好きみたいだった。でも俺は別に日常に面白さを求めてはいないし、仕事で疲れているし、彼とノリを合わせるってだけで、時間が実際よりも多く(まあ、根刮ぎとまではいかないけど)奪われているような気がしていて、正直、だんだん言葉を交わすのが面倒になってきていた。俺にとっての日常っていうのはつまり、お笑いで言うところの「スベる」という状態を指しているんだと考えている。でも俺は別にそれで全然良かったし、真面目に、実直に仕事をしている方が、話をするよりもずっと楽だったし、その仕事のリズムというか、流れというか、進行というかが、そのちょっとしたやりとりによって乱れてしまうことの方が俺を随分と苦しませていたのは確かな事実だった。でもそのドライバーは俺のそういう気持ちには気付けず、また俺も嫌なら嫌と言えば良かったのだけど、彼の方が年上(四十代くらい)だし、生意気に何か言うのも気が引けて、俺は結局、本来嫌いで仕方のない部類の人間関係をずるずるといつまでも、まるで引き回すみたいにして続けてしまっていた。
ある日、そのドライバーは俺に「面白いことやってなきゃやってらんねー!」みたいなことを言った。でも俺にはその言葉が全然響かなかった。亀裂が増した出来事だったと今になって思う。すると、もはや彼とのコミュニケーションが苦痛になった俺の中には大層悪い何かが顔をちらつかせ始めた。それで俺はものの試しに、「ハライチ」が開発した「ノリボケ」を、彼によって抱かされた鬱憤を晴らすためと、瞬間的に話をふられた時(意思疎通のない場合は特に)に、人はどれほどの気苦労を背負わされたり怯えたりするのかを示してやろうとしたために、利用しようと思い付いてしまった。
それを行ったのは二回だった。考えるのも面倒だったので、適当に視線を外して「あ。後ろにいますよ」って言ってから「嘘です」っていうのと、納品書のバーコードをわざと読み込まないっていうのをした。彼のノリはいつでも「今日は三個納品しまーす!」といった声を高くするだけのものだったが、俺はそれに対してそういったボケ(うーん、ボケというにはあまりに粗末なのかもしれないけど)をしたのだ。
二回目に行った、バーコードリーダーをわざとバーコード以外のところにあてがうという試みに対して、彼は俺に「分かりにくい」と言った。……正直、本当に苛ついた。ノリを強いておきながら素で返すとは言語道断と、俺は内心で巻き起こる激昂を静めるのに必死だった。俺は強く思った。「俺は別に仕事中に面白いことを求めてねーんだよ!」と、反射よりも速く、そう思わずにはいられなかったのだ。
後日そのドライバーは、しんとしているけれど月が綺麗に出ていた晴れた夜に、「運転している時、雨で滑りそうになったー! 危ない危ない。……もしも俺が事故にあったら見舞いにきてくれるか?」というボケを俺に言ってきてくれていた。なのに、俺の怒りはまだ糸を引くように収まってはいず、だから突発的に、本当に乾いた声で、俺は「あ、はい」とだけを言った。俺はその時、「いいともー!」と答えるべきだったのかもしれない。
後日、彼は俺に「どうしたー? 真面目だなー」とぼそりと言った。俺はそれに対して「別に普通ですよ?」と答えた。でも俺は普通ではなかった。俺の内側は醜く「良いか? 世の中には真面目に働くことでむしろ楽になれるような人だったり、真面目に働くことで喜びや快感を得られる人だっているんだ。つまり真面目に働くことのどこがどう悪いのかってのを、俺はまだ分かっていないということだ。そして中にはふざけて働きたくてもそう働けない、真面目に働かざるを得ない人だってたくさんいるんだ。医者は一歩間違えれば人を殺めてしまう危険と常に隣り合わせだ。パイロットはあのような金属の塊を空中で操作し、かつ乗客の命をも背負わなければならない。フリーターは稼ぎが少ないだろう。だから職を失うわけにはいかんと、懸命に、過酷な環境下で、へこへこしながら、必死で堪え忍びながら働くしかない。……良いか? お前の今おかれている環境っていうのは本当に稀有だってことなんだよ! それを分かることが出来たのなら、お前だって、そうそうふざける気も起きなくなってくるのではないか? この世に無駄な仕事っていうのはないのかもしれない。お前だってちゃんと社会を回しているんだ。だからまずは頑張れ。お前には俺にはいない娘がいる。頑張れ。お前には家族を養っていくという責任がある。頑張れ。お前のそのハンドルを切る腕が、お前の腰が、足が、家族っていうとても重いものを支えている。支えているんだ! ……で、事故のないように頑張って、頑張って、そして頑張る必要がなくなってきたなあって頃に、周りを見てみると良い。仕事場の風景。車窓から見える景色。職場の人達。とにかく何でも良い。色々なものを見てみると良い。そしてその見たものを、お前のその目で見たものをただ、お前の子供に話してやると良い。……なかなか食卓を共に囲む時間だったりがないのかもしれない。年頃の娘とどうやって接したら良いのかが分からずに少し躊躇してしまっているのかもしれない。上手く話せるか不安。面白くない。……でも、話してみてくれ。父であるお前が、我が子に見たものをただ話す。その行為はもうそれだけで十分に面白い。良いか? これが「スベらない」ってことなんだ!」と叫んでいたが、やはり俺が咄嗟に口にしたのは「別に普通ですよ?」という言葉以外にはなかった。
俺はふと、そのドライバーの名前を未だに知らないのを思った。別に知る必要はないと思ったが、俺は少しだけ「清さ」が表に出ないことを憂いて、その後途中だった作業を再開した。