第18項:魚か結婚か
朧の里に太陽が顔を覗かせようとする頃に不意にシグレは目を覚ました。
布団の中に体を埋めながら辺りを見渡しても、周りには襖や畳くらいしか見当たらない。
(そっか。昨日はイグサの家に泊まったんだったな)
王都で迎える朝とは違い、この里で迎える朝は少しばかりひんやりしている。
頬に触れる冷気が冷たかった。
まだ誰も起きてはいないだろうとシグレは思い、再び布団の中へ頭を埋める。
それから暫くするとドタドタと騒がしい音が近づいてくる事に気づいた。
そして襖を開ける音と共に高音が響く。
「シグレ君〜。朝だぞ!」
声からしてサクヤだと判断したシグレは一瞬、起きるかどうか迷ったがサクヤが何をしでかすか分からないので、ゆっくりと掛け布団を持ち上げて体を起こす。
「おはようございます」
「はい、おはよう」
目の前にサクヤさんの顔があった。
***
身支度を整え、サクヤに案内されるがままに着いていくと、既に食卓の上には美味しそうな朝食が並べられてカムイさんと着物姿のイグサが座っている。
いつも忍び装束を纏っているので、着物姿のイグサは少しばかり新鮮だった。
サクヤさんが手早くカムイさんの隣に腰を下ろしたので、俺もイグサの隣に腰を下ろす。
それと同時にイグサがこちらを向いた。
「おはよ、シグレ」
「ああ、おはよう」
その後でカムイさんにも一礼して挨拶をしておく。
鳥が囀り、飛立つ音は王都や元の世界にはなかったが、どうしてか落ち着く。
これが風流というべきものなのだろうか。
シグレがそんな事を考えているとサクヤが全員を見渡してから静かに手を合わせてお決まりの言葉を言った。
「いただきます」
「………」
「シグレ、醤油とって」
「えと、いただきます。………ほら、醤油」
サクヤの言葉に続いてお決まりの言葉を言ったのはシグレだけだった。
カムイは黙ったまま手を合わせた後に食べ始め、イグサは手すら合わせないままにシグレに醤油を取るように要求していた。
一瞬だけサクヤさんの額に青筋が入ったのはきっと見間違いだろう…うん。
自分で自分を納得させながら、目の前にあるお漬物を一切れ箸で取って口へと運ぶ。
「あ、美味い……」
「そうでしょそうでしょ!? 美味しいでしょ!」
シグレの感想にサクヤが嬉しそうに笑顔を向けてくる。
「これ、サクヤさんが作ったんですか?」
「違うよシグレ。母さんが作ったらこんなに美味しいものはできな―――」
「何か言ったかな?」
「別に」
サクヤの恐ろしいほどに冷たく鋭い視線からイグサは目を逸らす。
今のサクヤさんの視線に効果音をつけるとしたらギュピーンだろう。
「ところで、シグレ君はこれからどうするつもりなの?」
一転していつもどおりの顔をシグレに向け、サクヤは箸でお漬物を取りながらシグレに尋ねる。
「……父のところへ行こうかと思っています。父が治める、グラスノアへ」
「そっか。うん、そうだよね。この里を護ってくれるって宣言してくれたもんね」
そう言ってサクヤがはにかみ、手にあるお椀の中の味噌汁を啜る。
カムイやイグサもどこか嬉しそうにしているが、態度には出ていなかった。
「ところで……」
言葉を続けながら、サクヤは箸とお椀をゆっくりと食卓の上に置いた。
「シグレ君って月の使者だよね?」
「ぶっ!!」
サクヤさんの発言に驚いた俺は思わず啜っていた味噌汁を噴出してしまった。
一旦俺の口の中に含まれ、そして再び外へと飛び出た味噌汁はカムイさんに向かって飛んでいくがカムイさんはそれをサッと横へ避ける。
「げほっげほ!! な、なんでそれを知ってるんですか。誰にも言った覚え、ありませんよ」
「えっへん。私達忍者の情報網を甘く見てもらっちゃ困るよ。シグレ君がグラスノアの王子様だって事も知ってるんだから当然でしょ?」
ちなみに俺がグラスノアの王子ということはサクヤさんに頼み込んで極秘事項にしてもらった。
マタタビ酒を一升瓶で一気飲みしていたサクヤさんにその事を了承させるのは至極簡単な事だった。
理由は言わずもがな。…まぁ、その約束自体を覚えているかどうかは別として。
「その月の使者のことでね……シグレ君、何も知らないでしょ?」
「…そんな事まで分かるんですか」
「調べ方については企業秘密ね」
腕組みをしながら頷くサクヤに思わずシグレは溜息をつく。
隣ではイグサが話を聞いていないかのように黙々と朝食を食べ続けているが、耳はシグレの方へとピコピコ動き、尻尾は興味津々気にパタパタと揺れている。
「そんなシグレ君のために、なんとこの私が朝早く倉庫から重大な秘密事項が書かれたこの巻物を見つけ出してきました」
フンとふんぞり返って指先で巻物を立てつつクルクルと回す。
サクヤが回す巻物には、よく分からない文字でタイトルらしきものが書かれていてシグレには読めなかった。
それに加えて巻物はボロボロで少し叩けばすぐに折れてしまいそうだ。
「それはありがとうございます」
そう言ってシグレがサクヤの持つ巻物に手を伸ばすと、サッとその手が引っ込められた。
何事かと思って引っ込められた手の上に視線を移してゆくと、そこにあったのはサクヤのにんまりとした顔だった。
「誰もタダで見せるなんて一言も言ってないよね?」
「………」
「この巻物が見たければ、今から私が言う幾つかの取引のどれかに応じなさい!!」
サクヤさんがビシィッと俺のほうへ指差す。
「二択よっ!」
「幾つかじゃないんですね」
「まずは一つ目!」
俺の突込みを華麗にスルーしてサクヤさんは俺へ向けていた指を食卓の上へと移す。
サクヤが指差していたものは―――
「その魚を私に寄付する事!」
俺が少しだけ手をつけただけの岩魚の塩焼きにサクヤの指は向けられていた。
次に、再びサクヤは指先を移動させ、指差したのは―――
「二つ目はイグサと結婚する事! さぁ、選びなさい!」
「ふぇっ!?」
いきなり話題に挙げられたイグサ本人はキョトンとした顔でシグレとサクヤの顔を交互に見ている。
ちなみに、口元にはご飯粒付だ。
「さぁさぁ、選びなさ―――」
「じゃぁ、前者で」
ズズイと俺はサクヤさんの方へと岩魚の塩焼きが乗せられた細長い皿を押し寄せる。
それを見てサクヤは唖然としていた。
「それじゃ、見せてもらいますね」
「な、なぜ!」
サクヤは驚愕した声でシグレを見続けた。
「カムイの焼き魚を食べた者がそれを人に譲るなんて………」
手を口に当てて信じられないといった様子でサクヤは立ち尽くした。
一方シグレはボロボロの巻物を破らないようにゆっくりと紐を解き、広げた。
巻物は所々が虫に喰われていたり、破れていたりして読める箇所はほんの僅かだったが、それでもなんとか月の使者、太陽の巫女、星の巫女の部分だけは読むことができた。
中の文字はタイトルとは違って普通に書かれていた。
*月詠〜ツクヨミ〜
古来より世界の危機が訪れる時に現れる者を指す。
その者は体の何処かに月の文様が刻まれており、それが月詠としての証となる。
月詠は運命の鍵を持つ者として人々に丁重に扱われる。
*天照〜アマテラス〜
古来より月詠の出現と同時に現れる者を指す。
その者は体の何処かに太陽の文様が刻まれており、それが天照としての証となる。
天照は月詠が持つ鍵と干渉する事によって月詠と共に未来を変える者である。
*星詩〜ホシウタ〜
古来より月詠の出現と同時に現れる者を指す。
その者は体の何処かに星の文様が刻まれており、それが星詩としての証となる。
星詩は天照と同様に、月詠が持つ鍵と干渉する事によって月詠と共に未来を変える者である。
*///げ〜/も//〜
古//り/詠////同////る///す。
その者//の//かに///様が刻///お//そ/が//と///////。
/////////////////////////。
/////////////////////////////////////。
月詠、天照、星詩と続いてもう一つ何かが書いてあるようだったが、虫喰いや破れが酷くて読むに読めなかった。
ふと、肩に重さを感じて後ろを振り向くと、イグサが俺の両肩に両手を乗せて巻物を頭越しに覗き込んでいた。
その頬は何処となく赤い。
「ふっふ〜ん。イグサもやるわね…」
サクヤさんがよく分からない事を言っていたが、俺は気にしない事にした。
それよりも気になる事があった。
「この月詠とか天照の字って何か意味があるんですか」
今まで口頭では月詠や天照を何度か口にした事はあったが、実際にそれに当てはまる字がある事自体は知らなかった。
パクパクと俺が寄付した岩魚を食べていたサクヤさんは顔を上げて、箸を閉じたり開いたりする。
「なんでも昔、月詠や天照がしたと言われる例えを文字に充てたとか」
「…………」
「シグレが月詠なら、天照とか星詩って誰なの?」
今まで口を閉じていたイグサが不意に尋ねる。
それに答えようとしたサクヤの口を慌ててシグレが押さえる。
急に口を押さえられたサクヤはモガモガと言いながら暴れるが、如何せん体格の差によって抜け出すことは不可能だった。
「…どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「…そう」
どうにも腑に落ちない様子だったが、イグサは再び巻物に視線を落とす。
俺はそれを見てからサクヤさんの口に被せた手を離す。
サクヤさんが恨めしそうな眼で睨んできたが、ここはあえて無視だ。
無視した俺に腹を立てたのか、サクヤさんはスススッとイグサに近づき、そっと耳打ちする。
少ししてから、イグサの顔がボンと音を立てたかと思うと、みるみるうちに紅く染まっていった。
「シグレ……そんなとこにあるの…?」
「…は?」
「そうだよね。あるものは仕方ないよね…」
無理に自分を納得させたかのように何度も頷いているイグサは、突如立ち上がり、自分の食器を持ってパタパタと駆けて行った。
ムフフと笑うサクヤを見てシグレは少し冷や汗をかく。
「なに言ったんですか」
「ちょっとね……月の文様がシグレ君のピーの部分にあるって事を…」
「イグサに嘘教えないでください!!」
こうして穏やかな朝の時間は瞬く間に過ぎていった。
***
やがて日が昇り、里が賑わってきた頃にシグレは里の外れにいた。
目に映るのは微かな風に揺れる木の葉や時折姿を見せる小動物たち。
耳に入ってくるのは里の者達の会話や何かを焼くような音。
「のどかだな…」
不意に里の菓子か何かだろうか、良い匂いが風に乗って流れてきてシグレの鼻腔をそっとくすぐった。
あまりに美味しそうな匂いに思わず買いにでも行こうかと思った矢先に、里のほうから此方へ向かってくる人影を見つけ、踏み出そうとしていた足を戻す。
歩いてきたのはシグレが待っていたサクヤ達だった。
先頭をサクヤが歩き、それにカムイ、カグヤ、イグサが続く。
「遅かったですね」
「ええ、ちょっと準備に時間が…」
「準備?」
「あ、こっちの話なの。気にしないで」
「はぁ…」
慌てるサクヤの事を少し変だと思いながらもシグレは追求はしなかった。
サッと顔に真剣さを戻し、サクヤは森のほうを見やった。
「ここから真っ直ぐに進んでいけばグラスノアへとたどり着くわ」
「真っ直ぐ…」
サクヤが指し示した方向にあるのは、黒い闇を作りだす不気味な木々が奥深くへと連なっていた。
「……本当に一人で行く気なの?」
サクヤが心配そうな目でシグレを見つめた。
「はい。この先に俺の故郷があって、父さんがいると言うのなら、俺には行くという選択肢しかありませんから」
「この先は私達忍びの者でも険しく危険な道。それでも?」
「くどいですよ」
少し笑いながら、ポリポリとシグレは頬をかいた。
一方、サクヤは依然として心配そうな目をしていた。
「そう。そうね。シグレ君なら大丈夫よね。でも、やっぱり心配なの。だから…」
子供の旅立ちを見送る親のような目をしたサクヤはどこか優しげであり儚げだった。
俺はそんなサクヤさんの姿に母さんの姿を見たような気がした。
「だから……イグサを連れて行きなさい」
「…は?」
「だーかーらー。シグレ君なら大丈夫だと思うけど、やっぱり心配だからイグサも連れて行きなさい」
素っ頓狂な声をあげて唖然としている俺にサクヤさんは片手でイグサの肩を抱き寄せ、もう片方の手で俺を指差しながらもう一度、今度は少し丁寧に事細かく説明した。
「いやでも、危ないですし…」
「そう、そこなの! 薄暗い危険な森の中、男と女がお互いを助け合いながら進んでいく。何かが芽生えそうなシチュエーションでしょ!?」
「シグレ」
サクヤが頬を押さえながらキャーキャー言ってるのを他所に、イグサが真剣な顔つきでシグレの名を呼んだ。
今のイグサは朝の時の着物姿ではなく、いつもの忍び装束に加えてポーチやホルスターなどをつけている。
「母さんの変な妄想は関係ないけど……アタシも行く」
「…危険なんだろ、グラスノアまでの道」
「大切な奴…仲間がそんな場所へ行くって言うのに、黙ったままでいるなんて仲間じゃないとアタシは思うの。だから」
イグサはグッと拳を握り締めて、シグレの前に突き出す。
それを見てシグレはやれやれといった感じでイグサと同じように拳を前に突き出して、イグサの拳に当てる。
「分かった。よろしく頼む」
「任しときなさい」
「ええなぁ…」
俺とイグサが拳を合わせ、少しばかり微笑んでいる中でヌッと顔を覗かせてカグヤが羨望の眼差しを浮かべていた。
「カグヤさん?」
「私もその輪の中に入りたいわぁ…。なぁ、サクヤはん〜…」
「駄目よ」
カグヤが全てを言い終える前にサクヤはピシャリと言葉を断ち切った。
「殺生やわぁ…。しゃあないわ、イグサ。色々と頑張りや」
「う、うん」
「それじゃぁ、行くか」
俺は改めて持ち物を確認し、準備ができた事を確認すると、イグサに出発を促した。
「シグレ君」
出発しようとした所に俺を呼び止めたのは今まで一言も喋らずに静観していカムイさんだった。
相変わらず凛とした雰囲気を辺りに漂わせ、ジッと此方を見つめていた。
「私は、私達は君の『里を救う』という言葉を信じた。だからこそ、君に対してそれ以上何もしなかった。出来る限りで良い。里の者達を裏切らないでやって欲しい」
カムイさんは静かに頭を下げた。
皆を纏めて統率する者、里の頭領として頭を下げたのだろう。
この里の未来のために。俺はそれに対してハッキリと応えた。
「絶対に、護りますから。だって、俺。この里やカムイさん達が好きですから」
この里に来るまで、この里に来てから色々あったが心から思ったことだった。
俺の言葉にカムイさんが少しだけ微笑んだ気がした。
「じゃぁ、俺達。行きます」
「行ってくるね」
「気ぃつけてな〜」
カグヤさんがひらひらとハンカチを振るのを見てから、俺達は真っ暗な森のほうへと向かって歩き出した。
そこへ、サクヤがイグサを引きとめてシグレから少し離れた場所に移動してヒソヒソと耳打ちした。
「どうしたの? 母さん」
「今だから言っとくけど、あなた。昔、シグレ君と会ってるのよ」
「えっ?」
イグサが目を丸くしながらも耳を傾けるのを忘れていない事を確認すると、サクヤは話を続ける。
「あなた達、ずっと一緒に遊んでてね。傍から見てとても仲が良かったわ。まぁ、アンタとシグレ君の他に後二人いたけどね」
「じゃぁ、アタシとシグレとその二人で昔遊んでたの?」
「そ。あなた、いつもいつもシグレ君、シグレ君って言ってたわね。ツバサがいなくなってからシグレ君を含めてあなたと遊んでいた三人が来る事もなくなったの。よっぽど寂しかったのか、毎日あなた泣きじゃくってて最後には忘れたみたいだけどね」
「………」
「でも、あなた達は再びであったし、あなたはまたシグレ君の事を好きになった。その恋、成就させなさい。どんな手を使ってでもね」
サクヤが人差し指を立てながらウインクすると、イグサは少しだけ頬を紅く染めて小さく頷く。
そして、小走りでシグレの元へ走っていった。
「頑張りなさい…後の二人は…強敵なんだからね」
サクヤの独り言はイグサには届く事はなく、儚く散った。
「何話してたんだ?」
「な、なんでもない!!」
「…?」
イグサがサクヤさんと何を話していたかが少し気になったが、あえてそれ以上は触れずにイグサの前を歩いて森へと俺達は進み出した。
「また出れなかったが、作者はどういう了見なのだ…」(カノン)
「まぁまぁ…それよりもシグレは…もとい朧の里は一体何処なんだ?」(サン)
「シグレ兄様……」(アニー)
「最近俺たちの扱いぞんざいだよな」(ウェイバー)
「ストーリー的に仕方ないから諦めなよ」(カディウス)
キミレキ豆知識:イグサのモデルはシャイニングシリーズの某獣人忍者。
どうも、秋月です。
なんかやたらと長い間更新できなくてスイマセン。
学校やら部活やら塾やらで忙しいです。もしかしたらこれからの更新が不定期になる可能性も…。
できるだけ定期的に出来るように頑張ります。
それでは。