第三話 結局 “可愛いは正義” で全会一致しました
青銀の騎士は、異形を大盾で受け止めていた。
石床は、勢いのままに激突した大質量同士の加重で粉砕され宙を舞う。
足をもつれさせ、二転、三転と転がった僕は、騎士の背後にもう一人居る事に気が付いた。
褐色の肌に銀の長い髪が揺れる女性だ。
女性はしなやかな肢体を弾ませ、騎士の背を足掛かりに跳躍する。
異様に膨らんだ右腕――篭手が、機械的な音を立て後方に滑る。
……パイルバンカーだ!?
異形の頭部に着地するや否や、突き立てた右腕から豪速の杭が射出される。
鈍い音を立て響く破砕音、何の感慨をもたらす間もなく地に崩れる異形、僕はただ呆然と見ている事しか出来なかった。
騎士が盾を下ろす。油断なく警戒は緩めていないようだけど、『これで終わったのだ』とこちらに向いた兜が僕に告げていた。
空中で一転して、危なげなく着地した褐色の女性も魅力的に笑う。
本当に終わったようだ。
助かった……?
地に伏せている僕に、先程手招きをしていた青年が駆け寄って来た。
白金色の鎧に、金の髪は短く刈り上げられ、面差しは優しげで人の良さを表している。それに耳が長い、耳が長く尖っている。
……エルフだ!?
エルフが居た事に若干喜んでしまったけど、これで“異世界転移”が確定してしまった。
手を差し伸べ、何事かを話し掛けて来るエルフ青年。
……ん?
心配そうな表情ではあるけど、左手は腰に下げた剣に油断なく添えられている。
話す言葉はわからない。唐突だったから神様にも会わなかったし、翻訳スキル……ないかな?
とりあえず、何とか意思疎通を図ろうと首を傾げるジェスチャーをする。伝わるだろうか?
怪訝な表情のエルフ青年。僕の全身に視線を巡らせ、一考した後で何かに気が付いたようで奥に居る人物に声を掛けた。
メイン盾さん、褐色美人さんは異形の装甲を剥がしている。素材取り?
後はエルフ青年と、彼等が来た廊下の先にはもう二人居た。
五人パーティのようだ。
その残り二人の内の一人が、呼ばれた事でこちらに向かって走って来る。
身長は妙に小さく、足音を例えるなら『テテテテッ』に違いない。
フードを目深に被り、マントと言うよりは光沢のある合羽のような装いなので、どう見ても園児だ。
傍まで来るとやはり小さい。座り込んだ僕とそう変わらない。
おもむろにフードを脱ぐちびっ子。
その下からは、ショートボブの明るい栗色の髪と、ペリドットを思わす鮮やかな瞳の色をした幼女が現れた。しかも目がしいたけだ。瞳孔が十文字になった瞳を僕に向けている。
その特徴的な瞳に吃驚して余程間抜けな顔をしていたのだろう、僕の顔を見てちびっ娘は首を傾げる。
何だかここに来て一番吃驚したのだけど、首を傾げる仕草が凄く可愛いので全て良しとする。うん。
僕が一人で頷いてる姿を見て、ちびっ娘は再び首を傾げた。
ちびっ娘は背負っていた背嚢から、何やら透明な板のようなものを取り出し、僕に『ン!』と渡して来る。
数は三枚、板の中には紙が挟まっているようで、紙には文字らしきものが書いてある。
何だろう、くれるの? まじまじとその板を眺める。
……!?
板には、どこからどう見ても現代地球の言語で文字が書かれていた。
上から英語、中国語、日本語、意外と上の方にある見慣れた文字。
読めないものが多いけど、他の言語も間違いなく地球のものだ。
内容は、
『貴方の話せる言語を指差して下さい』
ほあ? 思わずエルフ青年とちびっ娘を見る。
警戒感はどこにやら、二人共興味津々と言う瞳で僕を見ていた。
各文の左には見慣れない文字。これは恐らくこの世界の彼等の言語で、この板は何らかの確認の為のものかな?
当然、迷う必要はなく“日本語”で書かれた文を指し示す。
途端、弾けるような笑顔になるエルフ青年とちびっ娘。何だろう、喜んでいる。
エルフ青年が他のパーティメンバーに声を掛ける。『ニホン』と言う単語だけ聞き取れた。
ちびっ娘は、今度は赤い小冊子を取り出すと、ページを開きたどたどしく話し始めた。
「ハジメ、マシテ? ワタシ ハ トゥーチャ イマス。アナタ ホゴ スマシ。ツイテ テ?」
最初にペコリと頭を下げ、次に自分を指差し、今度は僕を指差し、最後にコクリと首を傾げた。
日本語……だ……な? 仕草が本当可愛い。
今のジェスチャーを含めると、
『初めまして。私はトゥーチャと言います。貴方を保護します。付いて来て』
……かな。
コクコクと二度頷く僕に、トゥーチャと名乗ったチビっ娘は安堵からかふんわりと笑った。
「日本語、ハナセル?」
何だか僕まで片言になってしまったけど、聞いてみた。
途端に困った顔を浮かべるトゥーチャ。慌てて手に持つ赤い小冊子をこちらに向けて指で差す。
ふむ? どうやら例文集のようなもので、これに従ったと言う事かな。
『了解』と神妙に頷いたら表情を崩したので、伝わったみたいだ。
何だろうか?
明らかに“地球人に会った時の対応”のようなものがある。
彼等を信頼して良いのか少し不安だけど、こんな状況では頼るしかないので大人しく付いて行く事にしよう。
……正直な話、“可愛いは正義”に逆らうのは無理だ。
何が嬉しいのか、傍ではトゥーチャが笑っている。
少し移動した先で手当てを受け、飯時と言う事もあってか食料を分けてくれた。
「ありがとう御座います」
伝わらないまでも、多くの意味を込め、精一杯のお礼の言葉を口にする。
遠慮がちに食料を受け取った僕を見て、破顔してうんうんと頷く面々。
おや、伝わってる? ただ相槌を打っているだけかな?
食料は硬いパンと干し肉、パンは何故か干し柿の味がするけど何だろう? 異世界なりの菓子パンと言う事にして噛み締めた。
干し肉は塩と胡椒が効いていて、腹減りで極限の運動後には身体に沁みる。凄く硬いのだけど、硬いフランスパンとか好きなんだよね僕。
後は戦闘糧食にしか見えない、レトルトパックに入ったスープだ。木のコップに注いでくれた。
どう見ても、どう味わっても、間違いなくコーンスープだ。
「うん、美味しい」
「オイシ?」
「うん、美味しいよ。わかる? 美味しい」
「オイシ……オイシ! オイシー!」
……ん、んん? 伝わってる?
トゥーチャが『オイシ』言ったのを皮切りに、何故か他のメンバーもニコニコしながら『オイシオイシ』言ってる。
全く状況がわからない。
まあ、今は一息つけた事が何より嬉しい。
水を飲める事がとても幸せだ。
一段落した後は、また歩く。ひたすらに歩く。
メイン盾さんと褐色美人さんを先頭に、トゥーチャと白髭のお爺さん(!)が僕の脇を堅め、エルフ青年が最後尾と言う布陣。
もう足が棒のようで、上手く膝を曲げる事も出来ない。
それでも我慢して歩いていると、察したのだろうトゥーチャが僕に寄って来て肩を貸すとジェスチャーをする。
「ありがとう、でも身長差がね」
結局、エルフ青年が肩を貸してくれたのだけど、何が不満なのか膨れっ面になっているトゥーチャに凄くほっこりする。
◆◆◆◆
幾度かの休憩を挟んで、二、三時間は歩いただろうか。
いつの間にか、寒々とした青白い景観は暖色の明かりに変わっていた。
どこから――と言うのは、意識が朦朧としていたせいかあまり覚えてはいない。“境界”と言うものはなかったようにも思える。
気が付いたらいつの間にか既に人類の領域、と言うのが正しいのか。曖昧だけど何かそんな感じだ。
またしても狭くなった――と言っても最初の地下街程の幅はある通路を進むと、奥に広い空間が見えた所で手前にある部屋に通された。
他のメンバーはお礼を言う間もなく奥に行ってしまい、肩を貸してくれているエルフ青年と、どう言う訳か僕の腰にしがみついているトゥーチャだけになってしまった。
これで支えているつもりなのかも知れない。くっ……萌え殺す気なのかこの娘は……。
部屋の中はちょっとした待合室と言った趣で、それなりに広いけどピクニックテーブルが六つあるだけの簡素な作りだ。
その内の一つに疲れも相まって促されるままに座った。
「ココ デ マテテテ?」
首をコクリと傾げながらトゥーチャが言う。
赤い冊子を見ながらではあるのに、『テ』が一つ多い。可愛い。癒しだ。
困難を乗り越えた先にある報いがこれなら、まだ僕は頑張れそうだ。頑張る。
……あ、二人共行ってしまった。
取り残され、手持ち無沙汰に辺りを見回す。
室内は木の枠と相変わらずの石造り、両開きの扉は閉められ、窓もなく、他に人も居ないので状況が全くわからない。
壁で揺れている松明は数も少なく、思った程明るくはないけど、その暖色の炎に心なしか警戒が緩んでしまう。
トゥーチャが『待ってて』と言ったのだから安全なのだとは思う。
それでも見知らぬ場所に一人、と言うのはやはりとても不安だ。
小路を抜けてから電源を落としていたスマートフォンで時間を確認すると、もう十八時を過ぎていた。
家に居た時から十二時間以上……一日ってこんなに長かったっけ。
どうなるんだろうな、この先……もしこの世界の言葉を学べる機会があるのなら、まず最初にトゥーチャ達にお礼を言いたい。
多分、自分一人だったのなら、あそこから脱出出来ていなかっただろうから。
疲れた……まだ休めないとは思うけど、ここで良いから少し眠りたい……眠い……
◆◆◆◆
――浅い眠りの中、人の声が聞こえる。
「……はぁっ!? 寝てた!?」
頭を振るい、霞がかる意識を払う。
部屋の入口に視線を向けるとトゥーチャと女性が何か話……し……て……大正メイドだ。
意味がわからないかも知れないからもう一度言う。
大正メイド、だ。
あまりの衝撃に、疲労と眠気が第三宇宙速度を突破して宇宙の彼方に消し飛んで行った。
……え? どう言う事?
失礼を承知で、じっくりと大正メイドさんの全身に視線を送る。
上品な桜色の上衣に紫紺の袴、白いフリルの付いたエプロンと足元には細身のブーツ。そのシルエットは紛うことなく大正メイドだ。
しかし、良く良く見ていると、ファンタジー的な意匠も目に付く。当たり前だけど、やはり純粋な大正メイドと言う訳でもないようだ。
何より、意図して冷静に観察をしてはいたけど、もう一つ衝撃的な特徴にも気が付いていた。
頭の上には三角の造形がぴこぴこと二つ、腰の少し下のあたりからは大きく艶のあるふっさふさが落ち着かなさそうに揺れている。
……獣耳娘……だと!?
今の僕は、自身が劇画調になっているのではないかと心配になる程の衝撃を受けていた。
それは、俗に獣耳娘もしくは獣人等と言われる、創作物の中で可愛い可愛いされる存在だ。
そんなある種の憧れが、大正メイド然とした姿で直ぐそこに居るのだ。エルフが居た事からも期待はしていたけど……天は我を決して見放しはしなかった。
ばんざーい! ばんざーい! ばんざー……
話が終わったのだろう、こちらに向かい歩き出した獣耳大正メイドさんと、心の中で万歳三唱をしていた僕は目が合う。
隣では、トゥーチャがペコリとお辞儀をした後『テテテテッ』と行ってしまった。あっ、お礼言ってない。
仕方ない、その内どこかで……と、視線を戻す。
そこには、柔らかな微笑を浮かべ、こちらを見詰める獣耳大正メイドさんが居た。
なっ!? その微笑に一瞬で赤面してしまった僕は、何となく条件反射で、起立、気を付け、礼、を淀みない速度で実行し、我に返る。
……照れ隠しでもこれはない。何をやっているんだ僕は。
別に悪い事をした訳ではないのだけど、どことなく居た堪れなくなった僕は渋々と身体を起こす。
……!?
目が点になる。それまで不浄に湧いていた思考が、神気に当てられ余す事もなく浄化される。
……ほぁーっ!?
そこには、すわ女神でも降臨したのかと見紛うが如く陽光が降り注ぎ、悠久に決して散る事がない大輪の桜が暗い室内に花を添えていた。




