第一話 幸いな事に今の所死にゲーではないようです
僕はゲームが好きだ。
ゲームをする事は、僕にとって“ライフワーク”と言っても良い。
いつから――だったのかは覚えていない。物心付いた時にはもうコントローラーが“第三の腕”になっていた。
興味があるものはジャンルを選ばずにプレイして来たけど、あえて一番好きなもの選ぶなら、日本では若干主流を外れたスペースシミュレーターやストラテジーと答える。
勿論オンラインゲームも散々プレイして来た。国産有名MMOから、忍者なら無料でプレイ出来るものまで。
歳を取っても仲間内でわいわいゲームが出来れば良い、何て思っていた事もある。
一生楽しくゲームが出来れば良い、本当にただそれだけを思っていた。
だけど世の中はままならない。
新作ゲームは毎月出るし、満足出来るプレイ環境の構築だってタダではない。
無料を謳うソーシャルゲームもあるけど、何故か利き腕が自分の意志とは無関係に動いて課金するのだ。本当に不思議。
そう、身も蓋もないし、元も子もないけど、妥協なくゲームをするにはお金が必要で、ゲームをするお金を稼ぐ為に僕は働いた。
――結局は良くある話で、ままならないものはままならないままに唐突に終わった。
気付いて最初に目にしたのは真っ白な天井だ。
気の利いた台詞なんて言える筈もなく、『何かが終わったのだ』と自覚出来るまで、胡乱とした思考はただ白いだけの病院の天井を見上げている事しか出来なかった。
過労――仕事は朝から晩まで椅子に座りっぱなし、深夜を回って家に辿り着き、動かない身体と精神疲労から意識は急速にシャットダウン、そして迎えた翌朝にゾンビのように家を這い出る。
それはもうご近所の奥様方に怪しまれる以上に心配された。普段そんなに接点がないにも関わらずだ。
本当にね、ゲームをしたかっただけなのに、どうしてこうなった?
病院から退院した後は、仕事を辞めて後はヘブン。ゲーム、やりまくりました。
◆◆◆◆
それから半年、人目も憚らず自宅に引き篭もり、昼夜問わずディスプレイの前で目を輝かせて今に至る。
時刻は早朝五時。
本日はかつて“青春”と言う時間を捧げに捧げた、国産アクションRPGのリマスター版の発売日。早ければ午前中には届けられるだろうそれに、僕の胸の早鳴りは時間と共に勢いを増すばかりだ。
「とりあえず一週間……いや、二週間分は食料を補充しておかないと」
引き篭もると一ヶ月と経たず外に出るのも億劫になるのだけど、こう言う時ばかりは足取りも軽やかに、パーカーにジーンズと言う無難な格好に着替えて玄関に向かう。
まだ早朝、今確認しても仕方がないとはわかっていても、急いた気は宅配サービスを確認してしまう。
「うん、まだ宅配便は動いていないよな」
玄関を開け、スマートフォンでブラウザも開き、いつものゲーム情報サイトに視線を落としながら階段を下りる。
一段……二段……三段……
待って、玄関開けたら階段って何だ!?
ここは日本ではそう珍しくはない、どこにでもある普通のアパートの二階だ。
確かに階段は下りるけど、玄関を開けたら階段なんて構造はしていない。
なのに確かに、今僕は自宅の玄関を開けた傍から階段を下りた。
スマートフォンのディスプレイ越しに、焦点の定まらないぼやけた地面が見える。アパートで普段目にする、コンクリートの灰色の廊下ではない。
黒く……いや、暗く沈んだ色合いの石畳、だろうか。
春も半ばだと言うのに、ひんやりとした大気は身震いさせようと頬を撫でて行き、苔生した匂いは馴染んだ生活臭と混じり幻想と現実の境界を曖昧にする。
嫌な予感がする。生涯二度と感じたくはない、そう思わせる類の嫌な予感だ。
状況を認識しようと極限まで思考を巡らせるも、視線を下げたまま、どこか不快な心持ちに強張った身体は指先一つ動かせない。
そうだ、これは多分ゲームのやり過ぎで現実が少し頭の中でズレただけで、一歩踏み出せばほらいつも通りのアパートの廊下……の筈だ。
不意に時間を置いたスマートフォンが消灯する、それと同時に背後で扉の閉まる音、誰でもないものに急かされ現実に引き戻された僕は頭を上げる。
……うん、上げてしまったのだ。
アパートの廊下、当たり前にあるそんな日常はなかった。
石畳と同じく暗く沈んだ石造りの街並みが、視線が通る限り左右にどこまでも続いている。
当然、家の回りにこんな場所はない。
車が一台通れる程の幅の街路には、簡易バロック調とでも言えば良いのか、現代のモダンさとは掛け離れた建造物が間断なく並ぶ。
空は見えない。街路にも丁度二階分の高さに天井があって、地下街の様相を示しているからだ。
街灯はあるけど、ぼんやりと青白く揺れる炎は薄気味悪さだけを強調していた。
「これ……確実にやばい奴だ」
怖気付いた意気を晴らすように声を上げる。
冷たく乾燥した空気は居心地は悪くないけど、既に冷汗で背は濡れていた。
背後を確認する。
玄関がある筈の場所には、ただ無機質な壁だけが当然のようにそこにはあった。
押しても駄目、取っ掛かりがないから、手が張り付きでもしない限り引っ張る事も出来ない。
いくら調べてみても、“帰れない”事実が胸に沁み込むだけで何も進展はない。
足元には、三段の階段が壁に寄る事を無駄に邪魔をしている。
以前どこかで見た、『歩きスマホダメ絶対!』と描いてあったポスターを思い出す。半ばゾンビと化していた当事の自分では心に留まる事もなく、日常の風景の中に溶け込んでしまっていた。
今になってその意味を痛感するとは……警告してくれた人本当にごめん。
「さて、くよくよする前に頭を切り替えないと」
いきなりの非現実に最初こそ少し怖気付いたけど、こう言うのは得意だ。
別に普段から非日常に遭遇していると言う訳ではなく、非現実、異世界、そう言った類のものは飽きる事無く散々旅をして来た。
そう、ゲームの中で。
どんな荒野も、どんな迷宮も、どんな強敵も、ありとあらゆる困難をプレイしたゲームの数だけ踏破して来た。
それは準備としては充分でないけど、心構えとしては今の自分に充分ではある。
「うーん、まずは生存を考えないとダメだろうな。第一村人は居そうにないし……」
そう、人気が無いのだ。
静まり返る地下街は、不気味な程自分以外の存在を主張してくれない。
持ち物はスマートフォン、家の鍵、律儀に持って来たハンカチとティッシュ。
最悪なのは食料も水もない事だ。
視線を巡らせても、食べられるようなものは何一つ見当たらない。
「せめてコンビニに行った後なら、暫くは何とかなったんだけど……最悪ティッシュ食べるとか」
頭を抱える、生存可能な時間はそう長くなさそうだ。
今はまだ冷静で居られるけど、時間が経つとどうなるかはわからない。
せめてここがどこか、と言うのがわかれば良いのだけど、居場所を判断出来るようなものも何もない。
わかるのは、“どこかに転移した”と言う事実だけ。
無理やり現実に当て嵌めて考えると、“遭難”と言う事になる。
当然助けなんてものは望めないだろう。こんな状況誰が探しようがあると言うのか。
だから、ここから自力で脱出する事しか、今の僕に選択の余地はない。
「まずは進む方向の指針が欲しい、この地下街の構造を推察出来れば……」
ルールを決める。
街路は、玄関……だった所から左右に真っ直ぐ伸びている。
まずは片路十五分、往復で三十分。路なりに何があっても直進する。
時間と体力は現在最も貴重とは言え、何らかの目星を見付ける必要があると考え計一時間を初動探索に割く。
階段には念の為起点として鍵で×印を付けておく。
スマートフォンのタイマーを十五分に設定し、歩き始めた。
心許ない青白い光源しかないバロック調の街並みとか本当に止めて欲しい。
自分の靴音しか響かない人気の無い隔絶された空間と、先を見通す事もままならない薄暗い街路に、止まらない冷汗が脇を濡らす。
ふと、目に留まったガラス窓から室内を覗き見る。
一瞬干からびたミイラがそこに在る事を幻視してしまったものの、実際には青白い光が部屋の手前まで照らしているだけで、そこには家具以外何もない。
積もった埃は、誰も足を踏み入れていない雪原を思わせる程に白く、何の跡も残してはいなかった。
安堵する。心臓は早鐘のように鳴ってはいるけど、一応どこかで確認はしておくべきだと思っていたので、目に付くままに覗いたのだ。
何となく、室内の家具からして住宅だったのではと推察する。
「うーん、住宅街……かなあ。地下に街を作る理由なんて、嫌な予感しかしないよなあ……」
他の建物も同じだろう。そう結論付けたのはもう覗きたくないからだったけど。
建物の中はまだ調べない。ルールにないと言う以上に、最初に下手に道を反れると碌な事にならないのはゲームで体験済みだ。
何かあってもセーブポイントに戻れば良いゲームと違って、今は致命傷にもなりかねない。
……正直な話、奥に進めば進む程に心細い。
一定に配された街灯は周囲を薄ぼんやりと照らしてはいる、それが余計に街灯の下に佇む何かを連想させ、もう今直ぐ家に帰りたい。
そうなんだ、ここって嫌な連想の宝庫なんだ、人って自分の妄想だけでSAN値を削れるんだな……。
――油断していた。
悪魔とは、人の他愛無い隙に忍び寄っているものなのだ。
何もかもを失念し、その時が必ず来るのだと言う事を、僕は心の片隅にすら留めていなかった。
地下街の暗がりに意識を向けている隙を、奴は見逃す筈なんてなかったんだ。
それは、悪魔の悪戯だ。
唐突だった。暗く沈んだ地下街に、前触れもなくけたたましい電子音が響いた。
「ひゃああああああああぁぁぁぁっ!?」
……ほんと、油断していた。
誰だよアラーム仕掛けたの。僕だ。もう十五分経ったのか。
多分恥ずかしくて顔は赤くなっているから、人気のない事が今だけは救いだ。
これだけ騒いでしまっても、この地下街には全く動きがない。本当に人っ子一人居ないのだろう。それがわかっただけでも、まあ、良し。
とりあえず敵対的な何かが居ないとも限らないので、アラームは切ってバイブだけにしておこう……。
僕は元来た道を足早に戻り始めた。
◆◆◆◆
――ああ、これはない。
「……誰か、神様的な人、見ているなら帰らせてくれ」
再び頭を抱えている。
逆の路も往復三十分歩いて来て、今は階段に腰掛けて頭を抱えている。
果たして、僕はまだ正気なのだろうか。
探索の結果から言うと、十五分程度進んだだけでは、今の状況の突破口になるものは見付けられなかった。
街路に沿って整然と並ぶ建物には隙間がなく、横道が一本もない。
それに、左右どちらの路も同じ方向に曲がっている為、下手をすると大きな円を描いて無限ループしているまである。今それをされると終わる。
まあ、あくまで希望的観測だけど、まだ諦める段階ではない。
頭を抱えている理由はそこではない。
ゆるりと頭を上げる。
目の前に、玄関だった壁の正面、路を挟んだ向かいの壁だった筈の場所に、深淵に誘うかの如く真っ暗な入口がぽっかりと口を開けていた。
いやあ、そこはこの地下街に来て真っ先に目に入った場所だ。見逃す筈はない。
初動探索から戻って来たらあるとか、常識的に考えてもうダメだこれ。
誘われている、間違いなく。
その壁にいつの間にか開いていた小路は、今居る薄暗い街路でさえ安心出来る場所なのだと思わせる程に暗く明かりがない。文字通りの“闇”だ。
光すら入るのを拒んでいるかのような小路からは、湿り気を帯び、一段と冷えた風が吹いて来る。
水でもあるのだろうか……けど、僕の意思は全力で進む事を拒否している。
「ああ……でも、行かないといけないんだろうな」
ここまで段取りされたら、状況的に入るよう仕向けられるのが“お約束”なのだろう。
ならば仕方ない。早くもお腹が空いて来たし、ややこしくなる前に覚悟を決めて行こうか。
ゆるゆると立ち上がり、“闇”に向かって歩き始める。
「作戦は『いのちをだいじに』だ」
一度だけ、確認するように、玄関だった壁と階段を振り返る。
僕は小路へと踏み込んだ。




