第十話 大体只者ではないのが親方だと思う
「本当に申し訳ありませんでした」
店を出た所で勢い良く頭を下げるサクラ。
「はは、大丈夫。ゼンジさんはその、面白い人だね。思えば僕を試している風だったから、サクラを大事にしているのも良い人だと言うのも良くわかった」
「ありがとう御座います。でも、あれはその……少し困ってしまいます」
頬を両手で包み、もじもじと顔を赤くするサクラ。うん、眼福です。
そう言う意味ではゼンジさんグッジョブとも言える。
ともあれ、ゼンジさんによる誤解を追々解いて行かないといけない。何て事をしてくれたのか。
それよりも、どうもサクラのスペックが地球人の規格を遥かに上回っている気がする。
動体視力にはそこそこ自信があったんだけどな……。
歩き出した僕達は、監視塔から見えた湖の方へと進んでいた。
「カイトさん、今度は日本コミュニティの長に会っていただきます」
「日本コミュニティ……これは国ごとに存在すると思って良いのかな」
「はい、そうですね。正確には言語ごとでしょうか。単純に、国ごとに分けるには来訪者は多くないと言うのが理由です。まだ翻訳されていない地球言語もあると言う話なので、意思疎通可能な言語を選択していただくと言う理由でもあります」
迷宮でトゥーチャに見せられた板には十の言語が書かれていた。それが三枚。
第二言語話者までを含めた、総数が最も多い英語と中国語が真っ先にあったのはそう言う理由か。
日本語が三番目だったのは……割合の問題かな?
確認されている来訪者の総数に比べて、日本人は随分多いなと最初に感じた。
「なるほど……日本人の割合が多いのは偶然?」
「それはどうでしょうか……詳しくはわかってはいませんが、“神脈”、地球では“霊脈”や“龍脈”と呼ばれるものの影響だとされています」
……んー? どう言う事?
“入口が開き易い地域”があるとかそう言う事かな?
「うん、考えてもわからない事だらけだ。先にこの世界の事を知らないと駄目だろうから、そう言うのは今は置いておこう」
「ふふっ、カイトさんは勤勉なのですね」
そう言うのとは違うと思うのだけどね……。
風が湿り気を帯びて行く、空には鳥達が滞空し、歩きながら暫く視線を送っていると建物の向こうへと消えて行く。
辺りの建物は工房区と言う事からか、無骨で角ばったものが多い。
聞こえて来るのは機械音と槌を打つ響きだけで、擦れ違って行くのは如何にもな職人風の人ばかり。
路地を抜けると大きな湖を一望出来る高台の上に出て、そこから大小様々な船が行き交っているのを眺める事が出来た。
「カイトさん、これがルテリア湖です。ラトレイアを横切る大運河と、大断崖の亀裂に流れる河が交わっている場所です」
「へえー、大きいね。安直な感想だけど、本当に大きい」
対岸が霞む程に大きいその湖は、接している大断崖が異様過ぎて『大きい』以外の感想が出て来ない。
別に大きいもの恐怖症とかではないのだけど、大断崖と湖の境が街よりもはっきりとしていて崖に近付くのが怖いとすら思える。
下を見ると湖岸は大きな港になっていて、所狭しと接岸した船が忙しなく荷のやりとりをしていた。
「カイトさん、この下が日本コミュニティ長、通称親方さんの工房です」
傍にある階段を下りて行くと、直ぐ脇に地下道への入口があった。
中に入ると内部は涼しく、湖から吹き込んで来る風が少し肌寒い。
そもそもラトレイアは北にあると言う事からなのか、陽気の割には日本の春先程に涼しい。
気温の低さから無意識に肌を擦っていると、そんな様子に気付いたサクラが身を寄せて来てくれた。
……ありがたいのだけど、密着されるとハートブレイクショットされるのです。困った。
「カイトさん、大丈夫ですか? 上着を持って来ておくべきでしたね」
「ああ、寒い分には大丈夫。慣れているから」
精密機械的な理由で、冷房の効いた空間に居る事が多かったから慣れていると言う意味だ。
身体に良いか悪いかと言う意味で言うと、多分宜しくない。
しばらく薄暗い地下道を行くと、大きく開けた場所に出た。天井や壁、至る所に備え付けられた電灯が燦々と明るい。
僕達が出たのは大きな倉庫を思わせる場所で、その天井に近いキャットウォークだ。
そして、中に入って真っ先に視界に飛び込んで来る、鎖で吊り下げられた巨大な胴体。
意識せずとも、記憶に刻まれたそのメカメカしさに視線は釘付けになってしまう。
間違いなく【鉄棺種】だ。
「あれは三年程前に迷宮より現出した“正騎士”と呼ばれる【鉄棺種】の一部です。全長が三十メートルもあり、十体もの“従騎士”を従え第一壁を破壊し、被害が工房区まで及んだ所で倒され
ました」
「三十メートル……? そんな大きな入口が?」
「はい、大断崖に流れる河の奥地に巨大な開口部があるのですが、そこまで行くと流れが急で塞ぐ事は出来ていません」
正騎士と呼ばれたそれは腕と脚がなく、胴体だけで太い鎖によって宙吊りにされている。
騎士と言うよりも、日本のアニメや漫画に出て来る人型兵器のようなデザインで、今はあの不快な肉はない。
ただ、どうやったのか装甲の所々が酷く押し潰されていて、潰された中心は高温にさらされたように黒く炭化し、その悉くが容赦なく破断され原型を留めていない。
……んー? サクラの顔を見る。
僕がじっくり正騎士を観察している事に思う事があるのか、あからさまに頭の上に汗エモを出していた。垂れる奴じゃなくてピュピュピューと飛び散ってるタイプの奴。
……うーむ? 聞かない事も紳士の嗜みかな。
「僕が遭遇した奴とは全然大きさが違うんだね。こいつじゃなくて良かった」
「はい、私も心からカイトさんが無事で良かったと思っています。ですが、正騎士はラトレイア史上でもまだこの一体しか確認されていないので、遭遇したとしても七メートルの従騎士になると思います」
そっちも十分に嫌だ。
階段を下りて行くと、何やら下で忙しそうに作業をしている人達が目に入る。
恐らく【鉄棺種】の装甲だろうものを叩いたり溶接したりしていて、そこまではわかるのだけど、謎の緑色の液体に浸けているのは何をしているのかさっぱりわからない。
人が浸かるとミュータント化するアレじゃない事を祈るばかりだ。
「あ、親方さん。今宜しいですか?」
「うん? サクラか、久しぶりだな。今日はどうしたんだ?」
長く伸ばした灰色の髪を後ろで結わっていて、口髭が何とも渋い高年のナイスガイにサクラが声を掛けた。
「はい、昨日保護されたばかりの方をお連れしました。カイトさん、こちらが日本コミュニティ長で日本人の親方さんです。」
「あ、久坂 灰人です。よろしくお願いします、親方さん」
「サクラ、“親方さん”て紹介の仕方はどうなんだ? 先方も親方になっちまったじゃないか」
「あ、ああ、すみません! いつもの癖で……」
「まあいい、クサカか。俺は兵藤 勝衛。ご覧の通り、ここでは“親方”と呼ばれている。宜しく頼む」
そう言って差し出された手を握り返す。
油が染み込みゴツゴツとした手は、その全身が纏った只者ではない雰囲気と共に僕に畏敬の念を抱かせた。
何だろうこの人、滲み出ている気迫が常人のそれじゃない。
「ここに連れて来たって事は職探しか、ちょっと待ってろ」
ツールエプロンに大量に吊るされた工具を鳴らし、扉から足早に奥に消えて行く親方。
「ん? 職?」
「はい、今はまだ紹介に来ただけだったのですが……来訪者の方には最初に職業体験をしていただく事になっていて、それを早合点してしまったようですね」
「はは、まあ今は動いてる方が気も楽になるから、時期が早いに越した事はないかな」
「はい、それもそうですね。でも、来訪者の方の権利は必要以上に保障もされているので、働かなくても生活に困る事はないんですよ。私がお世話をしますので!」
何でヒモを推奨されているのかは良くはわからないけど、それは駄目です。
「いや、お世話になるばかりはさすがに駄目だよ。出来るなら、僕にも何かやらせて?」
今はまだ儚い夢だとは思っているけど、“探索者”もその“何か”に含まれている。
あくまで自分のスペックを考えたら、本当に儚いのだけど。
「そうですか……それは残念です」
本当に残念そうだ。獣耳大正メイドさんのヒモとか夢のまた夢で魅力的な提案ではあるけど、力尽くで辞退させて欲しい。
サクラの前で格好付けたい、と言うのも無きにしも非ずなのだけど……異世界にまで来て駄目人間になると言うのは、何か駄目だな?
暫くすると、親方が紙の束を持って戻って来た。
「ほら名簿だ。ある程度日本語が通じる所で見繕ってある。気になった所があったらまず俺に言ってくれ、話を通しておく」
「わかりました、ありがとう御座います」
「他に相談があったら俺が受ける。同じ日本人同士、気軽に来てくれ」
「はい、その時は宜しくお願いします」
失礼な言い方だけど、見掛けによらず良い人だ。“親方”と呼ばれる所以と言う訳かな、頼りになる。
「ところでクサカ。お前さん何か持ち込んだものはないか?」
「持ち込んだもの?」
「ああ、地球から持ち込んだものだ。この世界にとってオーバーテクノロジーになるものが、来訪者によって度々持ち込まれる。その辺だ」
思い当たるものは一つしかない、電源をオフにしたままポケット入っているスマートフォンを取り出す。
「何だこりゃあ」
「スマートフォンです。現代の携帯電話、と言えばわかりますか?」
「話には聞いてたが、こいつがそうか。画面をなぞるだけで操作出来るとは妙なもんだな」
親方は今まで見た事もないと言うスマートフォンをしきりに弄っている。
隣ではサクラがソワソワと覗き込んでいるけど、多分桜の写真が見たいのだ。
「クサカ、こいつを借り受けて良いか? 下手したら壊すなんて事もあるが、俺達は地球から持ち込まれた物品の技術を解析し、どうにかこの世界に反映出来ないかって事もやっている。携帯電話ならそれなりの数が既にあるが、このスマートフォンて奴はうちには初めて持ち込まれた。解析出来たらその恩恵は計り知れないやも知れん」
「それは構わないですけど、一つ条件があります」
「何だ?」
「その中に入っている写真を外部に記録、もしくは印刷出来ませんか? それが可能なら差し上げます」
僕の言わんとした事を理解したらしいサクラがこちらに視線を向ける。瞳には既に涙が滲み、何かを言おうとしている。
その様子に親方も察したのか、一度スマートフォンに視線を落とした後、僕に向かい頷いた。
「そう言う事か、それならお安い御用だ。記録って言うのは情報で、そいつは他の何よりも重要なものだ。条件に出されなくても大切に扱う。それにコンピューターと印刷機はもうある。後はケーブルだが……サクラ、この十年程で一番多く来訪者が保護されてるのは英語圏だったか?」
「……あ、はい、二ヶ月程前に保護された方も英語圏で、確かアメリカ人の少女だったと聞いています」
「ふむ、なら英語コミュニティの倉庫を探せばあるかもな。最悪は深層行きの探索者に頼むしかない。そうなって来ると年単位は掛かっちまうが」
「あの、深層行きの探索者に頼むとは、どう言う事ですか?」
「クサカ、お前さん、転移して来るのが人間だけだと思うか?」
「え? ……あ、そうか。ひょっとして船ごと、飛行機ごとと言う事も?」
「ああ、そうだ。迷宮深層には巨大な空間があってな、今も貨物船や航空機がいくつも残ってる。深層だけに大規模な回収隊も送れずに、その多くが手付かずだ」
なるほど、“入口が開き易い地域”があるってのは、あながち的を外した推測ではないのかも知れない。
例えば有名なバミューダトライアングル。
あそこでは多くの船舶や航空機がその行方をくらましている。全部が全部ではないにしても、その一部がこの世界に来ていてもおかしくはない。
「クサカ、この中に入ってる記録は全て大切に扱い、恒久的な記録の保存と、デジタルではないアナログの印刷物とする事、これを約束する」
正直な所、先程『壊すこともある』と言っていたので少し不安ではあるけど、いずれバッテリーも切れてしまう事を考えると、その筋の専門家に任せた方が良い。
出来れば、サクラがいつでも、いつまでも桜の写真を見られるなら、それが一番良い。
それに親方の目はとても静かな湖面を思わせるけど、その内は熱く滾る信頼出来る男の目って奴をしている。
ならば迷う事はないだろう。
「はい、お願いします」
◆◆◆◆
その後、西日が赤く色付くまで買い物をした僕達は、足を棒にして帰宅していた。
「ふぅー、昨日今日とこんなに歩いたのは久しぶりだ」
「ふふ、お疲れでしょうから、後でマッサージしますね」
至れり尽くせりか……ここはひょっとして異世界風スパリゾートなんじゃないだろうか。
そう言えば、昨日ここに来た時から目に入っていた、やけにもっふりとしたソファーが気になっていたんだ。
荷物を降ろした後、ソファーにゆっくりと身体を沈める。
……!?
…………!?!!?
ふぁー!? なにこれ!?
身体を包み込む感触はとても柔らかいのに、しっかりしっとりと支える弾力は全身に均等に分散され圧迫が一箇所たりとてない。そして毛足の長い真っ白な生地は、一本一本の毛がビロードを思わす滑らかさと艶で肌を優しく撫で、極上の夢見心地を座る人に与えてくれる。
あかーん!? 一度座ったら立てなくなる! 生物兵器だこれ!?
「なに……これ……」
「ふふっ、お気に召しましたか? それは“ぽむぽむうさぎ”の毛皮で作られたソファーです」
「なにそれ、撫で回したい」
名前の印象から凄い真ん丸い可愛らしい兎を連想する。きっとモフリストが生涯を懸けて愛し続けるに違いない。
「えっ」
「えっ?」
え? 何その表情。
サクラが凄い複雑な表情で考え込んでる。
「……でしたら、衛士隊二個小隊は必要でしょうか……いえ、安全を考慮するなら中隊で囲んで……私が……必要……探索者の……旧式で良いので火砲を……」
……“ぽむぽむうさぎ”って翻訳間違えていない?