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筆頭聖奏師の結末

 その日から、セリアは猛勉強を始めた。

 筆頭聖奏師としての仕事の手は抜かない。ただ、ミュリエルの指導は難しいだろうということで別の年長聖奏師に世話係を任せることにした。


 日中は仕事をし、日が暮れたら図書館で勉強をする。


 ミュリエルとの勝負内容には聖奏はもちろんのこと、筆記、聖弦の即興なども含まれている。

 聖奏師や騎士では不平等だろうということで、判定はセリアとミュリエルの諍いには無関係の官僚たちに任せることにした。国王も巻き込んでの勝負なので、かなり大がかりである。


(でも、負けてはいられない)


 今日もセリアは夜になるまで図書館に籠もっていた。司書の官僚の許可を取って鍵を借りて、通常の閉館時間を過ぎても本を読みまくる。


 負けられない。

 負けてはいけない。


「……セリア?」


 遠慮がちな声に、セリアははっとして顔を上げて掛け時計を見上げた。

 いつの間にか、夕食の時間すら過ぎていた。


「その声は……デニス?」

「そうだよ。遅くまでお疲れ、セリア」


 そう言って歩いてきたデニスは、手に紙包みを持っていた。

 彼は一言断ってからセリアの隣に座り、セリアの鞄の中に紙包みを押し込んでくる。


「……これは?」

「今日の夕食からかっぱらってきた。セリア、チーズを練り込んだパンが好きだろう?」

「……あ、ありがとう。でも、司書に見つかったら叱られちゃうわ」

「ここで食べなけりゃ大丈夫だよ。部屋に戻ったらちゃんと食べて、それから寝るんだよ」


 そう言ったデニスは、テーブルに積まれた本を眺めて嘆息した。


「……騎士団でも噂になっている。本当に、どうしてこうなったんだろうね」

「仕方ないわ。でも、もともと私の評判は低かったのだし、名誉挽回のチャンスだと思って臨むことにしたのよ」


 デニスには努めて強気に言い返したが、まったくの虚言でもない。

 今のセリアは、後に退けない状況だ。

 負ければ全ての名誉を失い、勝てば全てを取り戻せる。


「そっか。……そういえば、僕も君たちの勝負の判定に協力することになったんだよ」

「えっ、でも騎士は判定員にはなれないって……」

「うん、だから僕ができるのはテスト問題の運搬とか、配布だけ。もちろん、試験内容は知らないよ」


 デニスはそう言い、藍色の目に憂いを浮かべてセリアを見つめてくる。


「……セリア。僕は信じているからね」

「えっ?」

「君なら大丈夫。僕は七年前から、君が影でどれほどの努力をしてきているのかを見てきている」


 静かにデニスの左手が伸び、ペンを握っているセリアの右手に重なった。


 熱くて、大きくて、硬い手のひら。

 エルヴィスとは少しだけ違う、男性の手。


「……幸運を祈っているよ。頑張って、セリア」

「……ええ。ありがとう、デニス。あなたの応援に応えられるよう、頑張るわね」


 重なった手のひらから、彼の熱が伝わってくる。

 セリアは微笑み、右手の上に重ねられたデニスの手に、そっと左手を乗せるのだった。












 自分はできる。大丈夫。


 勝負の日。

 聖奏の試験では、毒物を飲まされた動物の治癒を指示された。

 仕方ないとはいえ、人間の勝負事のためだけに毒を飲まされた動物に対して申し訳なくて、セリアは全力で聖奏を行った。


(毒が癒えますように。元気に野を走れますように)


 毒の治療は中途半端なところで終わらせられないので、きちんと最後まで奏でてあげた。隣では、ミュリエルが毒を飲んで暴れている動物相手に難儀しているのがちらと見えた。


 筆記試験。

 どれも、見たことのある問題ばかりだ。

 出題者の好みなのか、問題の並びが独特で最初手間取ったものの、時間内に全部解けきれた。隣の席では、ミュリエルがうんうん唸っていた。


 聖弦の即興試験。

 雇われた楽師が作ったという楽譜が配られたので、皆の前で即興演奏を行う。

 自分用の聖弦を使ったが、精霊の力が発揮されるのは聖奏として残された曲を演奏したときのみ。なかなかリズムを取るのが難しい曲だが、最後まで間違えずに弾ききれた。

 セリアの次に演奏したミュリエルを見ると、楽譜を読むのにかなり時間が掛かり、何音か明らかに外しているのが分かった。


 勝てる。

 絶対に勝てる。


 聖弦を片付けたセリアは、西の空の彼方に沈もうとしている夕日を晴れ晴れとした思いで見つめた。

 ミュリエルの様子を見る限り、彼女がセリアに勝てる要素はほぼないだろう。筆記内容までは見えないが、聖奏や即興はセリアの方が格段に上だった。


 結果発表は明日の朝。


(エルヴィス様、ちゃんとご期待に添えました)


 聖弦のケースを胸に抱き、セリアは夕日に背を向けた。
















 どうして。


 なんで。


 体中から力が抜ける。


 体温がすうっと下がり、部屋を出る前に水を飲んできたはずなのに喉はからからで。


 セリアの深緑色の目は、輝きを失っていた。


 機械的に動く眼球が、目の前に掲示された結果一覧の文字を追っていく。


「……見ろよ、あの点数」

「何、あんだけ偉そうに言っていたのに、この様かよ」

「ひどい結果だな……これで筆頭を名乗っていたのか?」


 廊下に集まっていた者たちが掲示を見てひそひそ囁きあっている声も、セリアの耳にはうまく届いてこない。


 昨日行われた、筆頭聖奏師と新人聖奏師の勝負の結果。


 聖奏――セリア・ランズベリーが聖奏を行った動物は夜になって苦しみ始め、あっという間に体内に毒が回って死亡。ミュリエル・バーンビーが聖奏を行った動物は、現在も元気に走っている。


 筆記――セリア・ランズベリーの回答はことごとく外れている。ミュリエル・バーンビーの回答は間違いもあったものの、正解数はセリア・ランズベリーよりも多い。


 即興――セリア・ランズベリーの演奏は、リズムが全く合っていない。音楽に精通していない者であれば分からないだろうが、楽譜を読み違えたのだろうと判定員は語っている。ミュリエル・バーンビーは音の間違いはあったが、かなり正確に弾ききることができた。


 結果――ミュリエル・バーンビーの勝利。


(嘘だ――!)


 声には出せない絶叫が、セリアの胸の中で荒れ狂う。


 嘘だ、嘘だ。

 こんなの、何かの間違いだ。


 自分がミュリエルよりも劣っているはずがない。

 昨日の勝負だって、全てにおいてミュリエルよりもうまくこなしていた。


 聖奏では、毒素を完全に取り除いた。

 筆記では、何度も見直しをした。

 即興では、弾く前にリズムも拍子も記号も全て確認した。


「――陛下がいらっしゃった」


 誰かの囁きが、今になってはっきりとセリアの耳に届いた。


 セリアは壊れかけたおもちゃのようにぎこちなく、振り返る。


 そこには、騎士たちを連れてこちらにやってくるエルヴィスの姿があった。

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