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筆頭聖奏師の勝負

「セリア様、ひどいです! どうして傷を完治させてあげないのですか!?」


 ミュリエルの声に、セリアはまたか、と嘆息した。

 今彼女が異議を申し立てているのは、先ほど行った治療についてのことである。


 毎度のように、セリアは負傷した騎士に途中までしか聖奏を聞かせなかった。落馬して脚の骨を折ったという騎士だが、聖奏を聞くうちに骨が元に戻り、腫れも引いてきたのだ。そういうわけで途中で聖奏を終わらせたのだが、それについてミュリエルは声高に反論してきた。


「まだ脚の腫れは完全に治まっていません。これじゃあ馬に乗れません! 騎士様がかわいそうです!」

「でも、日常生活を送ることは可能よ。いつも言っているでしょう、ミュリエル。わた――」

「セリア様はひどいです! そうやって精霊の力に頼りすぎたらだめとか精神力が弱まるとか言って、患者を放置しているんですね!」


 ミュリエルの高い声が脳に響き、セリアは顔をしかめる。

 ミュリエルの反論にうんざりしてきたのはもちろんだが、それだけではない。

 ここはまだ、騎士団の詰め所――つまり周りには、騎士たちもいるのだ。


 彼らは真っ向からセリアに反抗するミュリエルを興味津々に――ある者は期待の眼差しを込めて見つめているのだ。


(これじゃあ、皆への説得も難しくなるじゃないの!)


 今まで彼らが文句を言いつつもセリアに従っていたのは、他の聖奏師たちもひっくるめて「それが正しい」という雰囲気を醸し出しているからだ。部外者が騒いでもそれほど効果がないと分かっていたのだろう。


 だが今、新米聖奏師であるミュリエルがセリアの行動理念に異を唱えている。

 ミュリエルの考えは騎士たちと同じ。聖奏の力があるのならば途中でやめたりせず、最後まで聞かせるべきだというのだ。


(それがよくないのだって、何度も言っているのに……)


 ミュリエルも、最初のうちは大人しく話を聞いていた。だがいずれ彼女は年少者たちを邪険に扱うようになり、年長者の言葉にも耳を貸さなくなり、そして最後にはセリアの説教さえ遮るようになった。

 ただ反抗的なだけならまだよかった。問題は、彼女の声があまりにも大きく、しかも部外者のいる場所で騒がれるのだから、セリアの立ち位置がどんどん悪くなることである。


(疲れた……)


 騎士団での仕事を終えたセリアは、フラフラになりながら作業部屋に戻る。

 ミュリエル一人の相手でこれほどまで疲弊するとは思っていなかった。


 ミュリエルはとにかく目立つ。

 容姿はもちろんのこと、可愛らしい声は案外遠くまで聞こえるので、彼女が泣けば皆が「また筆頭が泣かせた」と噂し、彼女がセリアに刃向かえば「新人の方が理に適っている」と同意の声を上げる。


(私だって、好きで聖奏を途中でやめているわけじゃないのに!)


 精霊の力を呼び起こす聖奏は、聞いているだけでも幸せな気持ちになれる。中には「禁書」と呼ばれる禁断の楽譜もあるが、それを読めるのは代々の筆頭だけ。セリアも一応内容を覚えてはいるが、それを使うつもりはない。


 最後まで奏でて、患者を完治させたい。だが、精霊の力はむやみに使うべきではない。

 精霊は人間ではない。だから、精霊たちは加減を知らないし人間の体の限界や可能性が分からないのだ。


 太古、精霊と邪神の戦いで疲弊した人類を救ったのが、最初の聖奏師だと言われている。精霊は、「自分たちだけではどうすれば人間を救えるか分からない。だから、聖奏師が聖奏を通じて自分たちの力を適切に使ってほしい」と聖奏師に頼んだのだ。

 そうして、大陸では聖奏の力を持つ女児が生まれるようになった。適切な教育を受け、精霊に感謝する心を持ち、無尽蔵である精霊の力を適切に使う思慮を持つべきなのだ。


 むやみに聖奏を行えば、人は精霊の力に頼りきってしまう。邪神と精霊の戦いにより、邪神の恩恵と言われた呪術の勢いは衰えている。それでも、人の心が弱くなれば呪術は再び生まれてしまう。そして世が乱れ戦になったときに、戦う意志を失ってしまう。聖奏によって、人の心に隙を作ってはならないのだ。


 ミュリエルにもそう教えてきたし、聖奏師でない者だって基礎教養として精霊のことは学んでいるはずだ。


(このまま皆がミュリエルに同意してしまったら、危ない)


 精霊の力に頼りきれば、人は弱くなる。今は他国ともなんとか渡り合っているファリントンも、隙が生まれれば他国からの侵略を受けてしまうかもしれない。


 ミュリエルの考えを改めなければならない。城中の人間の意識も同じだ。

 分かってはいる。分かってはいるのに。

 どうすればいいのか、セリアには分からなくなってきていた。

















 ある日、セリアとミュリエルはエルヴィスの御前に呼ばれた。


「……ここしばらく城内で噂になっているおまえたちのことも、さすがに国王として看過できなくなってきた」


 エルヴィスは、セリアとの逢瀬の時間に見せる甘い雰囲気を一切ぬぐい去った厳格な眼差しでそう告げた。


「セリア・ランズベリー、そしてミュリエル・バーンビー。おまえたちは聖奏師として切磋琢磨し国のために仕えるはずだろう。それなのになぜ、身内同士で諍いを起こしている?」


 セリアはぐっと唇を噛みしめ、壇上のエルヴィスを見つめた。


「……発言してもよろしいでしょうか、陛下」

「よい」

「私はミュリエル・バーンビーの実力を評価しております。聖奏師としての才能に恵まれた彼女ならば、私が退いた後の筆頭候補としても十分だろうと思って教育して参りました」


 自分が退く――つまりエルヴィスの妃になるということだが、それは口にすることができない。


「その過程で、彼女と意見の食い違いが生じてしまったのです。わた――」

「陛下、発言してもいいでしょうか!」


 セリアはぎょっとして、隣に跪くミュリエルを凝視した。

 ミュリエルがセリアの言葉を遮るのはもはや日常茶飯事になっていたが、まさか国王の御前でも同じことをするとは。


 エルヴィスは難しい顔でミュリエルを見下ろした後、「……よい」と言った。

 ミュリエルはローブの裾をちょちょっと払い、いつものようによく通る声で話し始める。


「私は、セリア様のお考えに完全同意することができません。私たち聖奏師の力は、人のために使うべきです。しかし、セリア様は聖奏師としての力を十二分に活用していないと思います」

「……それが代々の筆頭の考えであると、私は聞いているが?」


 さすがにエルヴィスはミュリエルの言葉に簡単に落ちたりはしないようだ。

 内心安堵するセリアだが、ミュリエルは肩を落として首を横に振った。


「……私は、生まれも育ちも田舎です。だから、難しいことはよく分かりません。でも……今までずっと続けてきたことが必ずしも善であるとは限らないと思うのです」

「何をっ――!」

「静かにせよ、セリア・ランズベリー」


 思わず声を上げてしまったので、エルヴィスに制された。それが悔しく、セリアは唇を噛んで横目にミュリエルを窺う。

 ミュリエルはセリアの反応には気を留めず、すらすらと述べていく。


「時代は移ろい変わってゆきます。ですから陛下の御代においても、昔ながらの思考を踏襲することが正解だとは言い切れません。聖奏師の力を十分に発揮し、国民が不自由なく暮らせる国――それを目指すのにも価値があると思うのです」


(……何、この子――?)


 ミュリエルの話を聞いていたセリアは、得体の知れない恐怖感に胸が苦しくなった。

 今、セリアの隣で流暢に喋っているのは、果たしてあの癇癪持ちのミュリエルなのだろうか。


(いや、それよりもこのままだとまずいわ)


 ミュリエルはいつもの彼女とは別人のように理路整然と話をしている。このままだと、セリアが「時代遅れの固定概念に囚われた者」で、ミュリエルが「斬新な思考で国の改善に取り組もうとしている者」だと周りにも認識されてしまう。


 エルヴィスは難しい顔のまま、ふーむと唸る。


「……どちらの意見も、一理あると言える。古代から伝わってきた思考にはそれなりの理由があるが、あえて斬新な方法をとることで道が開けるかもしれない、ということか」


 どくん、どくん、とセリアの心臓が今までにないほど大きく脈打つ。


 怖い。


 セリアの考えを、セリアの存在を否定されるかもしれないと思うと、怖い。


 ふいに、ミュリエルが発言する。


「陛下、ご提案がありますが発言してもよろしいでしょうか」

「よい、何だ?」

「筆頭の座をかけて、私とセリア様で勝負をさせてくれませんか」


 謁見の間に響き渡る、ミュリエルの声。

 弾かれたように顔を上げたセリアは、自分の隣で真っ直ぐ前を見つめるミュリエルを目にすると、何も言えなくなった。












「セリア・ランズベリー。残れ」


 話し合いの後、セリアはエルヴィスに呼ばれた。

 立ち去ろうとしたミュリエルは振り返ってこちらを見てきたが、エルヴィスはそんな彼女には「ミュリエル・バーンビーは去れ」と命じたため、ミュリエルはやや不満そうな顔をしつつも出ていった。


 さらにエルヴィスは側近たちも一時人払いをさせ、セリアに向かって手招きをしてきた。


「来い、セリア・ランズベリー」

「……はい」


 セリアはなんとか声を絞り出し、フラフラする足取りでエルヴィスのもとまで行き頭を垂れた。


「……そなたとミュリエル・バーンビーの勝負が決まった」


 重々しいエルヴィスの言葉に、セリアは唇を噛んで頷く。

 ミュリエルの発言の後、側近たちを含めてあれこれ議論になったものの、ここははっきりと決着を付けるべきだろうということで二者が勝負することになったのだ。


「セリア、私はおまえが勝つと信じている」

「えっ……」


 セリアは顔を上げる。

 エルヴィスはそれまで引き締めていた顔を緩め、しっかりと頷いてみせた。


「ミュリエル・バーンビーの発言の意図も分からなくもない。そして彼女の発言が城の者たちの共感を得ており、無下にはできないこともな」

「っ……はい」

「であるからこそ、ここで決めてみせよ。そなたが勝てば、ミュリエル・バーンビーもそなたに従うだろう。逆にミュリエル・バーンビーが勝てば、そなたには筆頭としての能力がなかったということになる。皆の前で白黒つけることで、今後そなたが城内で活躍しやすくもなるのではないか?」

「……仰せの通りでございます」


 エルヴィスはそれ以上言わなかったが、セリアの立場が危ういと、エルヴィスとの結婚も難しくなるだろう。

 ただでさえ今、セリアの評判は右肩下がりになっている。そんな中エルヴィスとの婚姻を発表しても、皆の理解と祝福を得ることは難しいだろう。


 セリアの未来のために、そして二人の結婚のためにも、セリアの筆頭としての地位を皆に知らしめなければならないのだ。


「かしこまりました。筆頭聖奏師の誇りと陛下への忠誠にかけて、必ずや勝利して参ります」

「ああ。……期待している、セリア」


 そう言ってエルヴィスが微笑む。

 それだけで、セリアは頑張れるのだ。

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