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筆頭聖奏師と知り合いの騎士

 夕方、仕事を終えたセリアは城の図書館を訪れた。


(初級編の数学参考書があったはず)


 ミュリエルは非常に理解度が低い。だが、根気強く教えれば少しずつ進歩するはずだ。むしろ、してもらわなくては困る。

 そういうわけでセリアは空き時間に図書館でミュリエル用の参考書を探すことにしたのだ。


「……あら、筆頭聖奏師よ」

「わたくし、今日見てしまったのよ。新人聖奏師の子が、泣きながら部屋から出て行って――」


 書架の影から、そのような話し声が聞こえる。

 セリアは一旦足を止め、声のする方に耳を澄ませてみた。


「きっと、筆頭がきつく当たったのよ。ほら、あの性格じゃない?」

「かわいそうに、まだ入って十日足らずでしょう? もっと優しくしてあげればいいのに」

「公爵令嬢だからって、平民にきつく当たっているのよ。もしかすると自分を蹴落として筆頭になるかもしれないって警戒しているのでは?」


(ばかばかしいわ)


 話し声が遠のいてから、セリアは書架にもたれかかって天井を仰いだ。


 以前回廊でペネロペを叱ったときもそうだった。

 周りの者たちは、セリアと聖奏師たちのほんの一部分のやり取りを見ただけなのに、あたかも自分が全てを見てきたかのように語る。


 今日ミュリエルが泣きながら部屋を飛び出したのは、癇癪を起こしたからだった。それに、ミュリエルの態度に我慢ならず最後に声を上げたのは例の年長聖奏師であって、セリアではない。


 セリアは、ミュリエルに自覚と才能が身につけられれば次期筆頭になってもいいと考えている。自分を蹴落とすかもしれないと警戒するなんて、とんでもない。後輩が育てばセリアだって嬉しいのに。


(叔父様に、何と言われるかしら)


 ついついため息が漏れてしまう。

 叔父公爵は筆頭聖奏師になったセリアを一族の誇りだと言ってくれるが、騎士や使用人たちからの評判がよくないことについてはしばしば言い聞かされてきた。


 もともと叔父は姉であるセリアの母を快く思っていなかったそうで、セリアに聖奏師の能力がなかったらこっそり捨てていたのでは――と公爵家の使用人たちも噂している。もしセリアが落ちぶれることがあれば、叔父は一族の恥だと間違いなくセリアを捨てるだろう。


(……でも、エルヴィス様がいらっしゃるもの。大丈夫よ)


 エルヴィスとは、夜の書類確認作業をするうちに親密な間柄になった。

 彼の秘密の恋人であり二人の間では婚約の話も上がっているものの、書類上の契約ではない。彼は最近即位したばかりで、城内を掌握しきるには至っていない。十年前、グロスハイムを陥落させたことで王太子位を確立させた彼だが、全国民の信頼を得るにはまだまだ時間が掛かりそうだと語っていた。


 エルヴィスの立ち位置が確固たるものになってから、改めて求婚すると彼は言った。国王と公爵令嬢の結婚は、周りの理解さえ得られれば理想的なものだろう。そうなればきっと叔父も、セリアのことを認めてくれるはずだ。


 だから、それまでの間に零落することがあってはならない。

 何があっても。


「……あ、セリアだ」


 いつの間にかきつく目を閉ざしていたセリアは、明るい声を耳にしてはっと顔を上げた。

 書架の間から、ひょっこりと顔を覗かせている青年。彼はセリアと目が合うと陽気に笑い、歩み寄ってきた。


「お疲れ、セリア。捜しものかい?」

「あら……久しぶりね、デニス」


 青年の姿を目にして、セリアは肩にこもっていた力を抜いてふっと微笑んだ。


 手を振ってにこやかに微笑む男は、デニス・カータレット。ファリントン王国騎士団に所属している青年騎士だ。

 首筋で結わえたくすんだ金色の髪が、窓から差し込む控えめな夕日を受けて赤っぽく輝いている。騎士団の普段着である藍色の隊服がよく似合う、笑顔の眩しい好青年だ。


「そうだね。セリアが筆頭になってからはめっきり会う機会が減ったかも」


 デニスはそう言い、辺りの書架を見回した。


「……この辺は、参考書? セリア、今以上に勉強するのか?」

「いいえ、今日はこの前入ってきた新人用の参考書を見繕いに来たの」

「ああ、僕も噂は聞いたよ。可愛い子なんだって?」


 おどけたようにデニスが言うので、セリアは少しだけ疲れた顔で微笑んだ。


「ええ……といっても、なかなか手強そうな子だけれどね」

「そうだね。騎士団の仲間もあれこれ言っているけれど。……あのさ、僕は、セリアがどれほど一生懸命なのかよく知っているからね」


 真面目な顔になってデニスが言う。

 セリアよりひとつ年上のデニスとは、学生時代に知り合った。

 セリアは貴族女子のみが通う学校に八歳から十二歳まで通い、その後は引退した中年女性聖奏師のもとに弟子入りした。一方のデニスは平民男子なので、少し離れたところにあった寄宿学校に通っていたという。


 そもそもの交流はほとんどないが、両学校の中間地点にある図書館は女子学校の生徒も寄宿学校の生徒も利用していた。デニスとは七年ほど前、その図書館で出会ってから親しくなったのだ。


 デニスはいつもおっとりと優しそうに笑っており、知識も豊富だった。とりわけ、ファリントン王国含む各国の情勢や地理歴史に堪能で、セリアは彼の蘊蓄うんちくのおかげで社会科の成績を上位で保てたのだ。


 そんなデニスは、セリアの性格もよく知っている。だから、騎士団などで流れている噂が真実ではないと分かってくれているのだ。

 そんな彼の心遣いが有り難く、セリアは微笑んだ。


「ありがとう、デニス。……正直、ちょっとだけ苦しく感じていたのよ」

「うん、そうだろうと思った。僕も昔よりは昇格したし、きっとセリアの相談に乗れると思う。何かあったら遠慮なく話してくれよ」


 自分の胸をどんと叩いてそう宣言するデニスの笑顔が眩しくて、嬉しくて、申し訳なくて、無性に泣きたくなった。


(うん、大丈夫。仲間も、陛下も、デニスもいるから)


 きっと、大丈夫。

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