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春風

 ファリントン王国国王エルヴィスは、グロスハイムの元貴族ディートリヒによって討ち取られた。


 彼らがどのような戦闘を繰り広げたのか、知るものは少ない。

 その場に居合わせたグロスハイムの騎士も、多くは語らなかったという。


 君主とそれに付き従っていた筆頭聖奏師が戦死したことによりファリントン王国軍は戦う意味を失い、グロスハイム軍に投降した。


 その後、各国の君主を交えた会談の末、グロスハイム王子であるコンラートがグロスハイム王国の国王に就任し、戴冠の儀を執り行った。


 また、元ファリントン王国領の統治もコンラートが担うことになった。

 他国家からは「ファリントン国土を分割して近隣諸国で統治すべきだ」という意見も挙がったのだが、ファリントン国民からの猛反対にあったため却下されたのだと言われている。


 ファリントン領は荒れ果てており、民の貧困だけでなく、戦争前に逃亡した貴族や将軍たちの始末など、解決すべき課題はたくさんある。

 それでも多くの国民はコンラート王の温情に感謝し、反発していた者もしばらくすれば王の意向に従うようになった。


 ちなみに、「ファリントン領の統治は、ディートリヒに任せてはどうか」という意見も出た。これには国民も大賛成だったのだが、ディートリヒ本人が固辞した。

 ディートリヒは集まった国民たちを前に「国が生まれ変わるきっかけを与えてくれたのは自分ではなく、セリアだ」と告げ、また己がファリントン陥落のために犯した罪を打ち明けた。

 国民たちは噂に踊らされ、セリア・ランズベリーを傾国の悪女と囁いていたことを深く反省し、せめて一言彼女に謝りたいと願った。


 だが、戦後処理の終わったある日から彼らは王都から忽然と姿を消し、それ以降王国内で二人の姿を見た者はいなかったという。


 ファリントン領にはコンラート王が信頼する官僚や将軍たちが派遣され、生き残った聖奏師たちの協力を得ながら統治してゆくこととなる。
















 ファリントン王国の滅亡から、約一年。


「兄ちゃん、おさんぽ、おさんぽのじかんー!」

「はやくじゅんび! はやく!」

「はいはい。すぐ行くから、椅子を出して下で待っていてくれ」


 子どもたちにせかされ、デニスは苦笑しつつ上着を纏った。


 今日は春真っ盛りで、ぽかぽかと暖かい。

 グリンヒルの子どもたちはお出かけが大好きなので、今日の散歩を昨日からずっと楽しみにしていた。中には楽しみすぎて夜眠れなくなり、今もちょっと眠そうな子がいるくらいらしい。


 仕度を終えたデニスが三階に下りると、廊下でフィリパと鉢合わせした。


「フィリパ、セリアの仕度は?」

「さっき私とエイミーで済ませておいたわ。今日の天気にぴったりな、お花畑風パッチワークのスカートにしてみたのよ」


 そう言ってフィリパは、「ささ、迎えに行ってあげて!」とデニスの背を押した。

 一仕事を終えて満足そうなフィリパに促されたデニスは、セリアの部屋に向かう。


「セリア、入るよ」


 ノックをして呼びかける。

 部屋の主の許可を取ることはできないので、そのまま入室した。


 セリアの部屋は、春の陽気で満たされていた。

 棚には彼女愛用の楽器の他、ぬいぐるみや花、子どもたちが描いた絵などが所狭しと飾られている。窓は半分開いており、草原の香りを孕んだ春風が吹き込みカーテンを揺らしていた。

 毎日フィリパたちが掃除している部屋の床には塵ひとつなくて、清潔に保たれている。


 そして、部屋の奥に据えられたベッド。

 そこには、美しい娘が横たわっていた。


 デニスは床板を軋ませながら、ベッドに横たわるセリアのもとに行く。

 フィリパが言っていたとおり、今日の彼女は白のブラウスに花柄のスカートという出で立ちだった。ほんのりと頬が赤く、唇も潤っているのは化粧もしてもらったからだろう。


「セリア、今日もとても可愛いよ」


 デニスはそう言って身をかがめ、セリアの額に掛かる前髪を払ってやった。


 デニスが何を言っても、セリアは身動きひとつしない。

 彼女はもう一年近く、その瞼を開いてくれないのだ。


「今日も天気がいいから、皆で散歩に行くんだ。セリアも一緒に行くからね」


 そう言ってデニスはセリアの背中と膝の裏に腕を回し、その体を抱き上げた。

 抱き上げたセリアの体はほんのりと温かい。心臓が動いておらず、呼吸の音がしないことを除けばただ単に眠っているように感じられた。

 眠るセリアにとって苦しい姿勢にならないよう気を付けつつ、デニスは彼女の体を丁寧に階下まで運んだ。


 玄関では、本日のお散歩組である子どもたちが勢揃いしていた。

 彼らの脇には、車輪の付いたロッキングチェアが鎮座している。子どもたちが用意したのか、座面にはふかふかのクッションが置かれていた。


「遅いぞ、デニス兄ちゃん!」

「今日は私も椅子を押すからね!」

「分かった分かった。順番だからな」


 デニスは子どもたちをあしらいつつ、セリアを椅子に座らせた。傍らにいた女の子が持っていたショールをセリアの膝に掛け、別の男の子が日除けの帽子を被せてやる。


「よし、準備はいいか?」

「はーい!」

「それじゃあ、セリアと一緒に散歩に行くぞ!」


 デニスは椅子の背面に付いた持ち手を握り、車輪を転がした。

 館の傭兵たちが知恵を出し合って発明したこの椅子は、少々扱いが難しいものの、セリアを連れて出かけることができた。改良を重ねて作ったおかげで見た目のわりに少ない力で押すことができるため、子どもたちも自分が椅子を動かしたくてうずうずしているのだ。


 子どもたちを連れて、デニスは館を出発した。

 椅子を押しやすい平地は子どもたちに任せ、斜面はデニスが担当する。


 春のグリンヒルは、美しい。

 丘陵地帯の草原は青く茂り、花の蜜を求めて蝶が舞い踊る。赤や黄色、ピンクなどの様々な花が咲き、グリンヒルの丘を見事に彩っていた。


 誰がセリアの椅子を動かすかで喧嘩になりつつ、デニスたちは丘の麓の木立にたどり着いた。


「よし、じゃあ僕がここでセリアと一緒に待っているから、存分に遊んできなよ」


 木の下で椅子を止めて転倒防止のストッパーを掛け、デニスは子どもたちに言った。


「セリアは花が好きだからね、きれいな花があったらプレゼントしてあげよう」

「分かった! あたしがいちばんきれいな花を見つけるから!」

「ぼくも!」


 子どもたちは元気いっぱい、野を駆け回り始めた。

 デニスはそんな光景を目を細めて眺めた後、持ってきていたマットを足元の草地に敷いた。


「セリア、こっちに来ようか。寝転がると、気持ちよさそうだよ」


 そう囁き、デニスはセリアの体を抱き上げてマットの上に寝かせた。椅子に乗せていたクッションを背中の後ろに重ね、楽な姿勢にしてあげる。


 春の野を子どもたちが駆け回っている。

 春風がセリアとデニスの頬を撫で、さわさわと草が鳴っている。


「……セリア、君はいつ目を覚ましてくれるのかな」


 デニスは静かに眠るセリアの髪を撫でつつ、そう問うた。


「みんな、君が目を覚ますのを待っているんだ。もちろん……僕も」











 セリアは、ずっと静かな眠りに就いていた。


 医者にも診せたのだが、「異常なし」「ただ眠っているだけ」と言われるだけだった。

 眠っているだけにしてはおかしい。鼓動もないし呼吸もしていない。それなのに体は温かいし、腕や脚も曲げればちゃんと動く。死んでいるわけでもないのだ。


 デニスはセリアのことを、ミュリエルの跡を継いで筆頭になった聖奏師ヴェロニカに相談してみた。

 だがヴェロニカは沈痛な面持ちで首を横に振った。


「……セリア様はきっと、とてもお疲れなのです」

「疲れ……か」

「はい。禁断の聖奏によってセリア様が差し出した『代償』がいったい何だったのか私には分かりませんが、セリア様の体力を著しく消耗するものだったのは確かです」

「セリアは……このまま目覚めないのだろうか」

「……分かりません。しかし、セリア様の健康状態には問題がなさそうですし、いずれ目を覚まされるときが来ると信じるしかないでしょう」


 つまるところ、聖奏師でも打つ手なしなのだ。


 セリアはあれから一年、何の変化もなく眠り続けている。

 これほどの長時間眠っていれば命の危険があるのではないかと思ったが、髪も爪も伸びた様子がない。フィリパたちに確認してもらったところ、口内が乾いているというわけでもなかったらしい。


 セリアの周りだけ、時間が止まっている。

 それがいつ解消されるのかは、誰にも分からない。

 分からないが、いつかきっと目覚めると信じるしかなかった。


 セリアを連れて帰ったデニスを、グリンヒルの皆は温かく迎え入れてくれた。ただ、傭兵の皆にはボコボコに叩きのめされた。それも当然だと思って甘んじて殴られたのだが、結果全治一ヶ月の重傷となったのも今では懐かしい。


 デニスも、マザー――ベアトリクスだけには事情を話した。マザーはデニスの話を聞いても落ち着いており、「何があったとしても、あなたとセリアが戻ってきただけで十分です」と言ってくれたのだ。


 そうして、セリアが目覚めるのを皆で待っている。


 デニスやフィリパたちでまめに様子を見るようにしているが、もしかすると誰もいないときに目が覚めるかもしれない。


 目が覚めたときに独りぼっちだったら寂しいだろうといって、子どもたちはセリアの部屋に花やぬいぐるみ、手紙を飾っている。


 目が覚めたときに味気ない部屋着姿だったら恥ずかしいだろうといって、フィリパたちは季節の変化に応じた可愛らしい服をセリアに着せてやっている。


 目が覚めたときに空腹だったらいけないといって、料理人たちは早朝だろうと夜中だろうと軽食の準備ができるように心構えをしている。


 皆が、セリアを待っている。

 セリアを迎える準備をして、待っているのだ。

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[良い点] まさかのナレ死で草過ぎるwww
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