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大罪人の告白

 謁見の間の扉は、大きく開け放たれていた。

 セリアは謁見の間の前に騎士を待たせ、聖弦を抱え直して部屋に飛び込んだ。


「デニス!」


 全力でその名を呼んだセリアだが、声は剣戟の音でかき消されてしまった。


 エルヴィスの部屋とも言える、謁見の間。

 黄金で縁取られた豪奢な玉座の前には真紅の絨毯が敷かれ、壁から垂れ下がっている旗にはファリントン王国の紋章が刺繍されている。


 そんな荘厳な広間は今、一騎打ちの戦場と化していた。


 玉座の前の壇上で剣を振るう男が二人。

 片方は癖のある灰色の髪に空色の目を持つ、長身の男。

 片方は鈍い金髪に藍色の目の、細身の青年。


 エルヴィスの剣をはねのけたデニスが弾かれたように振り返り、入り口に立つセリアを見て目を丸くした。


「セリア!? どうして君が――」

「おや、私のかつての恋人と知り合いか、コンラート王子?」


 エルヴィスが馬鹿にしたように笑い、デニスに斬りかかった。

 デニスよりもエルヴィスの方が身長も高く、体格も大きい。

 歯を食いしばりつつもエルヴィスの剣を弾いたデニスは距離を取り、はっと鼻で笑い飛ばした。


「まだ僕のことをコンラートだと思っているのか?」

「……何?」

「それもそうか。おまえは騎士団の練習風景なんて、一度も見ていないだろうからな」


 エルヴィスの瞳が揺れた。

 彼はデニスを見、セリアを見、もう一度デニスを見て――ははっ、と高らかに笑う。


「……ああ、そういうことか。そういえば、私のセリアにちょこまか付きまとう虫けらがいたな!」

「セリアはおまえのものじゃない!」


 デニスが唸り、剣を突き出した。

 彼が狙うのは、エルヴィスの心臓。


 エルヴィスはデニスの突きをかわし、唇の端を吊り上げて笑う。


「ははっ……セリアは自分のものだから、手を出すなと?」

「……セリアはセリアだ。誰のものでもない!」

「……ということだが、セリアは私の元に帰ってきてくれたのかな?」

「……違います」


 セリアの声が、剣を交わす二人の男性の元に届く。


 ギン! と刃が火花を散らせ、二人は距離を取った。

 ゆっくりと、エルヴィスがセリアを見下ろす。


「……私がここに来たのは、あなたのためじゃない」

「何?」

「私が助けたいのは――あなたなんかじゃない!」


 二年間、長かった。

 だが、もうセリアにはこの国の真実が分かっている。


 一瞬だけ、エルヴィスが不快を示すように目を細めた。だがセリアは彼には構わず、その場に跪いて聖弦をケースから取り出す。 


「……セリア。おまえは私の臣下だろう?」

「元、を付けてください。あなたは、私を棄てました」


 勝負に負けたセリアをあっさりと手放して、ミュリエルを選んだ。

 彼が一言でも声を掛けてくれたら、話は違ったかもしれないのに。


「今になって自分の元に戻れと仰せになるのですか? 私を棄てた挙げ句、吟遊詩人の方に嘘の歌を歌わせまでして私を貶めたというのに? ……お戯れを。そんなの都合がよすぎます」

「……生意気な」


 エルヴィスは顔を歪め、ふっと笑った。

 今までセリアが一度も見たことのない顔だ――しかし、きっとこれが彼の本当の顔なのだろう。


 それまで眉間に皺を刻んでエルヴィスを睨んでいたデニスだが、脚の筋肉をバネにしてエルヴィスに飛びかかった。


「っ……待って、デニス!」


 聖弦を取り出したセリアは木枠を膝の上に乗せて、弦を張るべく手のひらを聖弦に向ける。


 いくらセリアが駆けつけても、呪いを解く前にデニスがエルヴィスを討ってしまっては意味がない。

 それなのに。


 両手が震え、なかなか思うように弦が張れない。

 一本張れたと思うと、すぐにかき消える。その繰り返しだ。


(焦らない、落ち着いて、セリア! デニスが死んで――)


 鋼と鋼がかみ合う音が、セリアを焦らせる。


 早く、早く、早く十八本の弦を。

 早くしないと、デニスが、呪いが。


 そうしてセリアがやっと十五本の弦を張り終えた、その時――


「……もらった!」


 デニスの剣がエルヴィスの剣をかいくぐり、その胸に深々と突き立てられていた。













 ぴたん、ぱたん、と血が滴る。

 エルヴィスの手から剣が滑り落ち、カラン、と乾いた音を立てて大理石の床に転がる。


 エルヴィスの懐に飛び込んだデニスは、歯を食いしばって剣を引き抜いた。

 とたん、血が溢れ、デニスの纏う白銀の鎧を汚していく。


「デニス」


 セリアは、その名を呼んだ。

 デニスは振り返り、返り血を浴びた顔を緩めてにっこり笑う。


 エルヴィスが血の塊を吐き出し、その場に倒れ伏した。


 デニスは笑顔のままゆっくりと、階段を下りてくる。

 手にした剣の先から赤黒い血が滴り、床のカーペットを黒く染めていく。


 デニスは、床に座っていたセリアの正面にしゃがんだ。

 彼は小首を傾げて微笑み、血の付いていない方の手でそっとセリアの髪を撫でる。


「こんな場面を見せちゃって、ごめん」

「デニス」


 セリアは、デニスの胸元を見ていた。

 先ほどの剣戟で鎧を留める革が切れたらしく、下に着込んでいた服が見えている。


 セリアはそっと手を伸ばし、彼の胸元を広げた。デニスは何も言わず、セリアのなすがままに身を委ねている。


 そうしてはだけられた彼の左胸から現れたのは――赤く腫れ上がった醜い紋章。


(これが、呪い――)


 彼が服を脱ぐことを嫌がっていた理由。

 彼がセリアに別れを告げた理由。

 彼が、もう長くは生きられない理由。


 デニスはセリアの震える手にそっと己の手を重ね、優しく撫でてきた。


「一撃で殺すつもりだったけど、ちょっと狙いを外しちゃったみたいだね。……あいつが死ぬと同時に僕も死ぬなんて、信じられないや」

「デニス――」

「いいんだ、これでいいんだよ、セリア」


 デニスは中途半端な状態の聖弦を一瞥した後、ふふっと笑った。


「僕は、あまりにも多くの罪を負いすぎた。君を嵌めたから、ファリントンは一気に零落した。そのせいで死んだ人もいる」

「そんな、こと――」

「君が城から出るきっかけを作らなかったら、ミュリエルは筆頭にならなかった。そうすれば、君の可愛い後輩たちは生き延びていたかもしれない。……ペネロペたちを殺したのは、僕だ」

「……っ!」

「そうだろう? 僕は世界一の犯罪者で、君の愛情を踏みにじった最低の裏切り者なんだ。だから、血にまみれ、罵声を浴び、惨めったらしく死ぬべきなんだ。十年間、そのつもりでずっと生きてきたんだよ」


 デニスは悲しそうに笑った後、ふいに顔を歪めて自分の左胸を押さえた。ぐうっ、と彼の喉から声が漏れ、額を汗が伝う。

 彼の背後では、エルヴィスが同じようにむせていた。二人の心臓が連動しているのは本当なのだろう。


「……ねえ、セリア」

「いやっ、聞かない!」

「お願いだから聞いてよ。……僕ね、君と一緒に過ごした日々がとても幸せだったんだ」


 セリアが震える手でデニスの体を抱き寄せると、彼はセリアの肩に自分の額を預けて荒い呼吸をしつつ言った。


「グリンヒルで、一緒に過ごした一ヶ月間……それは、とても眩しくて、暖かくて、幸せな時間だった。僕はどうしても、呪いで死ぬ前に君に会いたかったんだ。君の笑顔が見たかった。その声が聞きたかった……」

「デニス――」


 デニスは微笑んでいた。

 彼はゆっくりと、口を動かした。


「     」


 それは、声にならない言葉。

 間もなく死ぬ彼が口にしてはならない告白だった。


「君を戦いに巻き込みたくなかったから、王都から離れさせたんだ。僕が死んでも君には生きてほしかったから嘘をついて、君をわざと負けさせた。……君の誇りに傷をつけたとしても、それでも……生きてほしかった」

「っ……分かった、分かったから、待って、デニス――」

「たくさん傷つけて、ごめん。僕のエゴや個人的な事情に君を巻き込んで、辛い思いをさせて、酷いことを言って――ごめん、セリア」

「デニスっ!」


 離れたところで、エルヴィスの体が小刻みに痙攣している。

 デニスは微笑んで体を起こし、こつんとセリアの額に自分の額をぶつけてきた。


「……僕のことは、許さないでいい。僕のことを信じられなくてもいい。一生恨んでくれてもいい。でも……僕はずっと、君だけを…………。子どもの頃から、ずっと――」

「デニス……」


 げほっ、とデニスは咳き込み、そのまま体の力を失ってずるずるとセリアの膝の上に倒れ込んだ。

 エルヴィスの死が近くなり、デニスの体ももうじき呪いによって死を迎えようとしている。


(デニス)


 セリアの膝の上で目を閉じているデニス。

 ぽつん、と彼の頬に、涙の粒が落ちて弾ける。


(酷い。言うだけ言って死んでしまうなんて、ずるい)


 セリアは彼に、何一つ伝えられていないのに。

 やることだけやり、言いたいことだけ言って死んでしまうなんて、卑怯だ。


「あなたのことが好き。大好きよ」


 セリアはデニスの頬を撫でた後、床に転がっていた聖弦を手に取って迷いない手つきで最後の三本の弦を張った。


(あなたを死なせはしない)


 数度深呼吸し、聖弦に指を走らせる。

 奏でるのは、馬車で何度も練習した曲――禁書に記された聖奏。


 禁書に封印されるレベルの聖奏になると、生半可な覚悟ではうまくいかなくなる。下手すれば、中途半端な聖奏をされたことで怒った精霊によって、とんでもない反動を受けることにもなりかねない。


(デニス、生きて。自分が罪人だと思うのなら、生きて償って!)


 セリアは奏でる。

 不思議な音色が謁見の間に満ち、苦しそうに眉間に皺を寄せていたデニスの顔が徐々に和らぎ、彼の左胸を蝕んでいた赤い紋章が徐々に輪郭を薄くしてゆく。















 いつしかセリアは、真っ白な空間に座っていた。

 ここはどこだろうかと思いつつも、聖弦を引く手を止めることはない。


 ――聖奏師の娘よ。その曲を奏でる覚悟はあるのか?


 声がする。

 セリアは顔を上げ、どこにいるか分からない声の主に向かってしっかり頷いてみせた。


「はい。ですので、どうかデニスの呪いを解いてください」


 ――おまえが持つ大切なものを失ってでも、その男を生かしたいのか?


 確認を重ねるような声に、セリアは微笑みかけた。

 そんなの、今さらだ。

 もう既に、セリアはたくさんのものを失っている。

 これ以上、失うものがあっても怖くはない。


「……はい。私の大切なものを失ってでも、デニスを生かしたいのです」


 この聖奏がなぜ禁書に記されているのか。

 そして、過去にデニスが相談しに行ったという元筆頭聖奏師が、なぜこの曲を提案しなかったのか。


 その理由は、セリアも知っている。


 禁書の聖奏に必要とされるのは――「代償」と「愛情」。


 あなたのためなら、私は何でも差し出します。

 私は、あなたを愛しています。


 その想いが、強力すぎるゆえ封印されている聖奏の力を引き出し、精霊の奇跡を呼び起こす。


 デニスを生かすために、セリアは「何か」を代償として差し出されなければならない。


 それでも――


(デニス、生きて)


 セリアは最後の一音を弾き終わった。

 その直後、セリアの意識は真っ白な世界から真っ黒な世界へと叩き落とされていた。


 手元の聖弦から弦が消滅し、膝の上にあったはずのデニスのぬくもりが遠のいていく。


 暗い暗い世界。


 セリアは静かに目を閉じ、全てを手放した。

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