地方都市の一行
準備を整えたセリアは、デニスよりも約八日遅れてグリンヒルを出発した。
「ディートリヒ様はコンラート様と一緒に先に王都に向かっているけれど、あっちはおれたちと違ってファリントン兵と戦いながらの進軍になる。王都に着く頃にはほぼ足並みが揃うはずだ」
馬車の向かいの席で、パウロがそう言った。
セリアと共に王都に行くのは、パウロとグロスハイムの騎士三人。狭い馬車の中にいるのはセリアとパウロだけで、騎士の一人は御者を務め、もう二人は騎乗して馬車の両脇を走っていた。
「それにしても、本当に聖奏で呪いを解けるわけ?」
「そのために今、練習しているのよ」
そう答えるセリアは馬車の旅の間ずっと、竪琴で聖奏の練習をしていた。
呪いを解くための聖奏の楽譜は頭の中に入っているが、実際に演奏するのは久しぶりだ。禁書に記された聖奏はかなりややこしく、失敗が許されない。そのため、ノーミスで弾けるように何度も練習しなければならなかった。
パウロは既に同じ曲を何度も聞いているので飽きてきたらしく、体をぐらぐら揺らせながらぼやいている。
「でもさ、コンラート様……じゃないや、ディートリヒ様は呪いを解いてもらおうと思って、引退した筆頭聖奏師のところに相談に行ったんだよ? でも、無理だったって言われたらしいんだ。なんでその人は、解呪の聖奏のことを教えてくれなかったんだ?」
「それは――まあ、とても難しい聖奏だからよ」
パウロに指摘されたセリアは、ついつい言葉に詰まってしまった。
難しい曲だというのは本当だ。
それに、禁書の聖奏は一音でも間違えるととんでもない反動を起こしてしまうことがある。
さらには、元筆頭ということは既に聖奏師としての力は衰えているのだ。だから解呪できなかったのだろう、とパウロには言っておいた。
(……でも、そうじゃない)
その元筆頭聖奏師が禁書の聖奏を提案しなかった――もしくは提案しても彼女には実行することができなかったのには、別の理由がある。
「……パウロ、セリア。町が見えてきた」
物思いにふけっていたセリアは、馬車の外から騎士に呼ばれて顔を上げた。
「やっと最初の町ね」
「そうだな。野宿続きだったし、おれ、今日は宿のベッドで寝たいなぁ」
背伸びをしつつパウロが言うが、それは難しいだろう。
(ここは、デニスたちの通り道。ということは、グロスハイム軍が一度通っているはずだわ)
セリアはともかく、表にいる騎士たちはグロスハイムの紋章入りの鎧姿だ。これでは、「侵略者」として町人から排除されても仕方がない。
食糧だけでももらえたら御の字だろう。
……そう思っていたのだが。
「グロスハイム軍だって!?」
「ああ。これからコンラート様たちの助太刀に参る」
「それは有り難い!」
「コンラート王子は、戦争が終わったらファリントンの面倒も見てくれるんだろう?」
「だったら、さっさと今の王様を倒してくれよ! 生活が楽になるなら、王様が誰になろうと何だっていいさ!」
出迎えてきた町人たちの歓待ぶりに、セリアは唖然とした。
侵略者として排除されると思いきや、町は歓待ムード一色に染まっていた。
騎士たちが何か言う前に宿に通され、「女の子もいるじゃないか!」とセリアは風呂場に連れて行かれ、着替え用の普段着ドレスまで提供してもらった。
「……私、門前払いされると思っていたわ」
どうぞどうぞと通された宿の居間でセリアが呟くと、ソファの上で跳ねて遊んでいたパウロがにやりと笑った。
「ふふん、これもコンラート様とディートリヒ様のおかげだね」
「先行していた二人が、皆の心を解きほぐしていたのね」
「どうやらそのようだ」
居間に騎士たちが入ってきた。彼らはどうぞどうぞと風呂に入れられたらしく、先ほどまでは埃っぽかった髪も洗い、清潔な服を着ていた。
「コンラート様たちは、エルヴィス王を討った後はファリントンの統治権を手に入れるつもりだと宣言されたようだ。もちろん各国の承認も必要だろうが、ファリントンの国民が熱烈に歓待しているのならば、首脳たちもコンラート様がグロスハイムだけでなくファリントンも統治することに頷かざるを得ないだろう」
「戦後厚遇するから、グロスハイム軍に協力してほしいということなのね」
セリアは唸った。
ファリントン王国は、荒れている。
二年前、王都からヴェステ地方に行く際に見たときよりも更にやせ衰え、人々は困窮している。
そんな中現れた侵略者たちは、「国王討伐に協力してくれたら戦後、今以上の水準の生活を保証する」と宣言した。彼らに協力することで現状打破の可能性が高まるのならば、彼らだってグロスハイムを快く受け入れるだろう。今の生活に不満を抱く者にとって、コンラート王子たちはまさに救世主なのだ。
(そういえば……デニスは、元々エルヴィス様には政治的手腕がないと言っていたわ)
彼の統治がうまくいっていたのは、セリアを始めとした周りの者たちがいたからこそだと。
だがセリアは城を去り、筆頭聖奏師の座にはあのミュリエルが就いた。
「聖奏師の力を存分に使う」ことが自分たちの使命だと信じて疑わないミュリエルは、来る者拒まず状態で聖奏を披露しまくった。当然部下たちにもそれを強い、人々は聖奏に縋り、頼るようになってしまう。
「先ほど町人から聞いた。ファリントン軍とグロスハイム軍はこの近辺でも衝突したのだが、一度グロスハイム軍が優勢に立つと、ファリントン軍はさっさと逃げてしまったのだという」
「……騎士団の闘志も士気も落ちてしまったのね」
聖奏さえあれば。
聖奏師がいれば。
その思いは騎士たちの精神を緩くし、「命を賭けてでも国を守る」という使命感を崩れさせ、臆病にしてしまった。
(これが真実なのよ、ミュリエル)
今王都にいるだろうかつての部下は、どんな思いでこの戦況を見つめているのだろうか。