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宣言

 グロスハイム王国の西の国境を越えると、最大規模の国土面積を誇るファリントン王国に足を踏み入れる。


 ディートリヒは腕を組み、駐屯地を見回した。

 彼がグリンヒルの館で過ごしている間にグロスハイム軍は国境戦に見事勝利し、敗走するファリントン軍を追いかけるような形でファリントン王国内に軍を進めたのだ。


 ディートリヒは、国境戦がもう少し長引くと思っていた。だがグロスハイム軍にとってはあっけないくらい決着は早く着き、軍の消耗も最小限に抑えられた――と、国境戦を指揮した将軍がディートリヒに報告した。


(十年前のグロスハイム侵略時とは比べものにならないくらいの弱体ぶり、か。エルヴィスの実力不足はもちろん、ミュリエルたちに頼りきっていたというのも敗因のひとつだろうな)


 藍色の目を細めて駐屯地を見渡していたディートリヒの元に、グロスハイム王国の紋章入りマントを纏った騎士がやってきた。


「ディートリヒ様。コンラート様のご準備が整いましたので、天幕までご案内します」

「頼む。……コンラート様はお元気か?」

「はい。コンラート様も、ディートリヒ様にお会いできることを楽しみにしてらっしゃいます」

「それは嬉しいことだな」


 敬愛する主君の名を聞き、ディートリヒの強ばっていた頬がほんの少し緩まる。彼は騎士について駐屯地を歩き、コンラートの天幕まで向かった。

 道中、野営の準備をしている者たちの脇を通った。彼らはディートリヒを見ると作業の手を止め、「お帰りなさいませ、ディートリヒ様」「お帰りをお待ちしておりました!」と元気よく挨拶をする。


(グリンヒルの館と、どことなく似ているな)


 そう思ったディートリヒは、はっと息を呑んだ。そして、胸の奥から沸き上がってきた暖かい記憶を振り払うように首を振った後、騎士が手で示した天幕の垂れ布をめくった。


 天幕の中は薄暗いが、中央に座る青年の周りだけ微かな光が溢れているようにディートリヒには感じられる。それくらい、彼の主君は神々しいのだ。


「ディートリヒ、ただ今戻りました」

「お帰り、ディートリヒ。君が無事なようで何よりだよ」


 天幕の主はそう言って立ち上がり、ディートリヒと固い握手を交わした。

 子どもの頃は、「コンラート様とディートリヒはよく似ていて、兄弟みたいね」と言われたものだが、成長すると差ははっきりしていた。


 どちらも金色の髪に青系統の目を持っているが、全体的にディートリヒよりもコンラートの方が色彩が薄めだった。肌の色も、十年間ファリントンに潜り込んでいたディートリヒと違って、なかなか外出できない身であるコンラートは青白い。そんな彼が心おきなく太陽の下を歩ける時代が、間もなく訪れるはずだ。


「国境戦におきましては、コンラート様のご指示があってこその大勝利だと伺っております」


 コンラートに勧められて背もたれのないローチェアに腰掛けたディートリヒがそう言うと、コンラートは照れたように笑った。


「何を言うか。確かに私や将軍が指揮官を務めたが、実際に戦ったのは騎士たちだ。それに――ファリントンの弱体ぶりは、私たちの予想以上だった」

「はい。その原因は、エルヴィス王だけではないと思っております」

「筆頭聖奏師のことだね」


 そこでコンラートはふっと表情を暗くし、気遣わしげにディートリヒの顔を見つめた。


「……君が十年間、ファリントンでどのように生活してきたのかは私も聞いている。二年前に、それまで懇意にしていた筆頭聖奏師を城から追い出したのだろう」

「……はい。彼女はあまりにも優秀で、しかも――後に分かったことですが、筆頭の座を退いた後はエルヴィスの妃になる予定だったそうです」

「なるほど……もしそうなれば、もっと厄介になっていたな」

「私もそう思いました。ですから、彼女を何としてでも筆頭から引きずり下ろさなくてはならなかったのです」

「そうして優秀な聖奏師が去り、私たちにとっては都合のいい聖奏師が筆頭になったことで、ファリントン軍の士気も落ちたということだね」


 グロスハイムにとっては喜ばしい傾向ではあるものの、晴れない表情でコンラートは言う。


「……君のもとにこの情報が行っているかは分からないが、国境戦の敵軍には、聖奏師の姿があった」

「……やはり、駆り出されたのですね。彼女らはどうなりましたか?」

「密偵の報告によれば、自軍が劣勢になるとファリントン軍の生き残りは無理矢理聖奏師たちに傷を癒させた後、彼女らを殺害して自分たちはさっさと逃げてしまったそうだ」

「……な、んということを――!」


 ディートリヒはうめいてしまう。


 祖国のため、密偵としてファリントンに潜入して十年。

 王城はまさに魔の巣窟で、平民のディートリヒは貴族たちにこれでもかというほど虐められた。祖国のため、という目標がなかったなら早々に逃げ出していただろう。


 だが、そんな汚れきった世界にも清純な花は咲いていた。

 筆頭率いる聖奏師の乙女たちは、様々な権力から離れた場所に立っている。古くからの教えを守り、力に屈せず、己の役目を果たすべく教育を受けてきた彼女らは、ディートリヒから見ても好ましい女性たちが多かった。


 とりわけ、セリアだ。

 二年前のセリアは物言いこそ子どもの頃の面影が残っておりやや尊大で、けっこう頻繁に後輩を叱り飛ばしていた。騎士たちの治療の際も、最後まで聖奏を行わないことで有名で、かなりの反感を買っていたようだ。


 それでも、彼女は美しかった。

 どんな攻撃にも屈さず部下を守り育て、どうしても辛いときにはひっそりと泣いて翌日には立ち直る。


 そんなセリアは、残してきた元部下たちのことを案じていた。彼女にとっても頼れる仲間であり、可愛い後輩だったのだから。


(助けてやれなかったか……)


 ファリントンの騎士たちは、逃走するために聖奏師たちに聖奏をさせた。そして用が済んだ後は、ためらいなく彼女らを殺害した。生かしたためにグロスハイム軍に投降し、寝返られたら困ると思ったからだろう。


 これが、エルヴィスの――そしてミュリエルの方針なのだろうか。

 ミュリエルは、自分の部下が戦場で味方に殺害されても何とも思わないのか。


 黙ってしまったディートリヒを見、コンラートは静かに告げた。


「君が責任に感じることではない」

「……しかし」

「確かに、筆頭が代替わりしたのは先代の女性が勝負事で敗北したから。彼女が負けるように仕組んだのは君だ。だが、そうでなくてもファリントンは弱っていた。それに、準備が整った以上これ以上グロスハイムの民を困窮させるわけにはいかない」

「はい、もちろんです」


 ディートリヒは顔を上げ、重々しい口調で告げた。


「コンラート様、私は必ずお役目を果たして参ります。コンラート様は予定通り、王都進軍まで同行ください。その後は、本陣にて吉報を待ってくだされば嬉しいです」

「……ああ。君が提案したとおりの作戦で行くことになっている。だが、そうすれば君は――」

「私がどうなっても、殿下がグロスハイム国のみならず崩壊したファリントンもよく治めてくださるでしょう」


 無礼を承知で、ディートリヒはコンラートの言葉を遮った。

 そして、いつもグリンヒルの館の子どもたちに向けていた笑顔を浮かべる。


「そのために十年間堪え忍んだのです。必ずや、お役目を果たします。……この命に代えてでも」

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