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グロスハイムの呪い

 気持ちを切り替え、ベッドから起きあがったセリアはパウロから差し出されたバゲットからパンを取り、一口サイズに千切りつつ問う。


「……そもそもデニス――いえ、本当の名前はディートリヒね。彼はどういう人なの?」

「ディートリヒ様は、グロスハイム王国名家の公子様なんだ。コンラート様と同い年で、一緒に勉強したり特訓したりして育ったそうだよ」

「コンラート様?」

「……ファリントンは十年前、グロスハイムうちを襲撃しただろう? そして、国王陛下や王妃様、王太子殿下や王女様たちを見せしめのように惨殺した。当時のおれはチビだったから覚えてないけれど、当時の悲劇が蘇ってきてうなされる人も多いんだって」

「……そう、なのね」

「それで、唯一生き残った王族が末子のコンラート様なんだ」

「……そういえば、エルヴィス様はコンラート王子に呪いを掛けたってデニスも言っていたわ」

「……ああ、ディートリヒ様が言ったんだね。その呪いで、グロスハイムが絶対にファリントンに逆らえないようにさせられたんだよ」


 あの時はたくさんの情報を与えられすぎて感情が追いつかなかったが、改めてパウロの口からそのことを聞くと、朝食で満腹になった胃がきりきりと痛みだした。


 呪い――呪術は、精霊と邪神が戦っていた太古から存在する。

 邪神は、人間の欲望や醜い感情が生み出す邪念を好物としていて、そういった負の感情に反応し呪術という形で人に力を与えている――と、書物には記されている。

 精霊が、聖弦を通して聖奏師に自分たちの力を発揮するのと同じような理屈らしい。


 目には見えないが、邪神は存在する。

 そして人がねじ曲がった欲望を抱いたとき、邪神は呪術を貸し与えるのだ。


 呪術がどういうものなのかまで詳細に記している書物は一般には出回っていない。だが、ファリントン王国の筆頭聖奏師だけが閲覧できる聖奏の禁書と同じように、呪術について書かれた禁書もまた、王城に存在するのだ。


(確かに、エルヴィス様なら国王の権限で禁書を読むことができる――)


 セリアは冷静を心懸けて尋ねる。


「コンラート王子に掛けられた呪いって……どういうものなの? もしかしたら、私の聖奏で解呪できるかもしれないわ」

「んんー……コンラート様は、元筆頭聖奏師だったっていう女の人に相談したけど解けなかったらしいんだ。その人で無理だったなら、お姉さんでも無理でしょ」

「……そうなのね。呪いの特徴とかはある?」

「左胸に赤い痣があるんだ。どういう種類なのかは教えられないけどね」


 セリアは目を細め、パウロを見つめた。


 パウロは知らないようだが、セリアは筆頭時代、呪術に関する書物を読んでいる。

 邪神の恵みとも言われる呪術のほとんどは、聖奏で癒すことができる。いざ呪われた患者が現れたときに、適切な聖奏を行えるようにするためだ。


 それらの書物を読んだのは二年前。だが、セリアの脳みそには各ページに書かれた内容がしっかりと刻み込まれていた。


(左胸――心臓の上ね。ということは、王子の心臓に直接ダメージを与える系統のものだわ)


 今までのパウロとのやり取りで得た情報を元に、セリアは脳内の資料を素早くめくっていく。

 心臓の動きを止めたり寿命を早めたりといった効果のある呪術も存在する。だが、エルヴィスは王子に施した呪術により「グロスハイムが絶対にファリントンに逆らえないように」したという。


(王子が今も生きているのであれば、時限式のものかしら。……でも、それならコンラート王子が死亡した後も、グロスハイムを抑圧できるとは限らないし、時限式にする理由がない。それくらいなら、王子を生かして人質状態にした方がいい。普通、呪術は術者が死亡すれば効果が消えるけれど、グロスハイムの刺客がファリントンに忍び込むことはなかった――)


 もしかすると、グロスハイムはエルヴィスを「殺せない」のではないか。

 だからこそ、ファリントンは十年間グロスハイムを抑圧できたのではないか。


(……筆頭聖奏師でも解呪が難しいということは、もしかして『禁書』関連の呪術――?)


 セリアの脳内資料が、あるページを開く。

 そのページは他と違って紙が薄紫色に染められており、おどろおどろしい雰囲気が漂っていた。

 そこに記されていたのは――


「……『禁書』呪術・第十三項」


 それまで沈黙していたセリアが喋り始めたからか、パウロが怪訝な顔で見つめてきた。

 セリアはパウロの杏色の目をしっかり見つめ、続けた。


「術者は被術者の心臓に、赤褐色の紋章を施す。これにより、被術者の心臓の活動は術者のそれと共鳴する。……つまり、コンラート王子の心臓はエルヴィス様の心臓と直結している」


 パウロは身動きしない。

 だが、その瞳孔が限界まで見開かれたのをセリアは確認した。


「――エルヴィス様が何らかの理由で死ねば、コンラート王子も死亡する。……だからグロスハイムはファリントンに逆らえなかったのでしょう? 刺客を送り込んでエルヴィス様を殺害しても、グロスハイム王家唯一の生き残りであるコンラート王子を救うことはできない。国民がコンラート王子の助命を願う限りは、エルヴィス様を討つことができない――そうじゃない?」

「……おれは、知らない」


 パウロは小声で吐き捨てるが、その顔は青い。図星のようだ。

 年若い少年に酷なことをしてしまったことに罪悪感を抱きつつ、セリアは確信を持つ。


(もし呪いがこれなら、資料に書かれていた特徴とデニスやパウロの話が一致する)


 だが、それが真実ならばひとつ食い違いが発生してしまう。


(コンラート王子を生かしたいのなら、エルヴィス様を討ってはならない。それなのに今、デニスはグロスハイム軍と合流して王都に進軍している――)


「十年長かった」ということは、この機会をずっと待っていたのだろう。


(私の記憶が間違っているのかしら。だとすれば、コンラート王子が施されたのは別の呪術だけど、筆頭聖奏師でも癒せないものなんて、そうそうないはず――)


 パウロは居心地が悪くなったのか、セリアに背を向けてしまった。

 セリアはパウロの小さな背中を見つめつつ、眉間に皺を寄せて考え込む。

 今こうしている間も、デニスは王都に向かって進軍しているのだ。


(考えないと。このまま、全てが終わるまで軟禁されるなんて嫌だ――あれ?)


 またひとつ、疑問が増えた。


(デニスは、「全てが終わるまで」は私をここに閉じこめるようにと命じていた。つまり、目標を達成したら私を解放しても構わないの?)


 普通なら、エルヴィスを討った後に自分の立場が悪くなるような事情を知っている女を生かしたりはしないはずなのに。


 そこでふと、セリアはある可能性に気づいた。


 十年前、デニス――ディートリヒはコンラート王子と仲がよく、一緒に遊んでいた。

 十年前、エルヴィスはコンラート王子に呪いを掛けた。呪いを解く方法は現在のところない。

 エルヴィスが死ねばコンラートも死んでしまうはずなのに、デニスはエルヴィスを討ちに行っている。

 デニスは「鬱陶しい」と言っていたセリアに、様々なことを教えた。

 デニスはセリアを軟禁し、「全てが終わったら」解放するつもりでいる可能性が高い。


 ……まさか。










 ――僕、騎士になる前はけっこう大変な生活をしていてね。肌、あまり子どもたちに見せられる状態じゃないんだ。


 記憶の中のデニスが、笑った。

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