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いつわりの優しさ

 ぽつん、とセリアの頬を伝った涙が床に転がり落ちる。

 静かに涙を流すセリアを、デニスは凍てつくような無表情で眺めていた。


「知ってる? 君の実家ランズベリー公爵家はね、十年前のグロスハイム侵略戦争にも積極的に支援したんだ。僕の両親やきょうだいを殺したのは、君の――従兄だったかな。生き残っていた使用人が、そいつが落としたカフスボタンを持っていてね。調べたらそこに彫られている家紋がファリントン王国ランズベリー公爵家のものだってすぐに分かったよ」

「……デニスの、家族」


 声が震える。

 そう、確かにセリアの従兄は十年前、グロスハイム侵略戦争時に手柄を立てたと言っていた。


 当時のことを武勇伝として語る彼によると、「ファリントンに反駁する貴族を殲滅した」そうだ。おかげでランズベリー公爵家は、国王に即位したエルヴィスからいっそうの信頼を寄せられるようになった。その従兄は数年前に病死したが、戦争時のことを鼻高々に語る従兄の顔が今でも鮮明に思い出される。


(ランズベリー公爵家が、デニスの家族を殺した――)


 デニスは感情の読めない顔で頷く。


「そう。両親も、姉も、まだ小さかった弟も全員殺されたよ。僕が急いで屋敷に戻ったときには、全員首と胴体が切り離されていた。……僕はファリントン王国への復讐を誓った。何があっても、絶対にファリントンを許さない。美しきグロスハイムを蹂躙し、無抵抗の民を虐殺し、国民の助命を嘆願した陛下たちの首を刎ねたこと――絶対に、許さない。ファリントンの人間なんて、大嫌いだ。皆、苦しみながら死ねばいい」

「……だから、私を殺そうとしたの?」

「最初はね。君の可愛い顔をズタズタに切り裂いて公爵の元に送りつけたらさぞ愉快なことになるだろうなー、って子どもながら残酷なことを考えていた。まあ、それは無意味だと気づいてやめたんだけどね」


 デニスはセリアの顔を覗き込み、暗い眼差しで続ける。 


「それに君はエルヴィスの周りをちょろちょろしていて、鬱陶しくて鬱陶しくてたまらなかったんだ。今のファリントンの様子を見れば分かるだろう? エルヴィスは、政治的手腕なんて持っていない。無抵抗の人間を虐殺し、あまつさえ呪術に手を染める外道だよ」

「じゅ――エルヴィス様が呪術を!? まさか――」


 思わずセリアは声を上げたが、デニスは暗い眼差しで頷く。


「本当さ。どうしてあいつがグロスハイム王族のうち、末王子だけ生かしたか知っている? あいつは、今後グロスハイムがファリントンに逆らえないよう、『印』を残したんだ」


 デニスの闇色の目の奥に、炎が灯っている。

 おそらくそれは、十年間掛けても消えることのない――むしろいっそう激しく燃えさかっている、憎しみの炎。


「そのおかげで、グロスハイムぼくたちはエルヴィスに刃向かえなかった。――清廉潔白な若き王? 穏やかな名君? ――はっ、ばかばかしい。あんな虚飾に満ちた男でも国王としてやっていけたのは、君がいたからなのに」

「……私?」

「エルヴィスは自分の無能っぷりを分かっていなかったみたいだけどね。身分があり、頭もよく、筆頭聖奏師として立ち回っている君がいてあれこれ口を出していたからこそ、あいつはまともにやっていけた。……だから、ファリントンを滅ぼそうと考えている僕にとっては、君は邪魔でしかなかったんだ」

「……私が、邪魔」


 セリアは力なく復唱する。


 デニスは、祖国を滅ぼし家族を惨殺したファリントン王国を憎んでいる。

 エルヴィスは、グロスハイムの末王子に呪いを施し、グロスハイムが反乱を起こせないようにした。

 それは、ファリントンの民でありランズベリー公爵の姪であるセリアも同じ。

 そして彼にとって、エルヴィスの近くで活動していたセリアが邪魔だった。


 セリアを見つめるデニスは、まるで睦言を囁いているかのように甘い声色で告げる。


「そう。君ときたらさ、聖奏師としての教えをきっちりかっちり守っている。おかげで隙は生まれないし、騎士たちの士気もいっこうに下がらない。おまけに公爵令嬢として身分もあるから、エルヴィスの行動に口を出すことができた。これじゃあまずいと思ったんだ。だから僕は、君の代わりにあの小娘を引っ張り出すことにしたんだよ」

「小娘……ミュリエルのこと?」

「そうそう。ミュリエルみたいな、ぶっ飛んだ正義感だけで動くだけの人形がいいんだよ。彼女、頭は悪いのにやたら発言力と周りへの影響力はあるからね、ちょうどいいときに来てくれたし、これならうまくいくと信じていた」


 デニスにとって、セリアは邪魔だった。

 それは、セリアが優秀だったから。

 セリアが筆頭のままだったら、ファリントンに隙が生まれないから。


 だからデニスはセリアが落ちぶれ、ミュリエルが筆頭になればいいと思った。

 だが、そうなるには避けて通れない過程があったはず。


「……でも私、ミュリエルに負けて――」


 言葉の途中で、セリアは息を呑む。


(まさか)


 ある程度のことを察してしまったセリアを見つめ、デニスは細く長い息を吐き出した。


「……二年前、だね。君があんな中途半端なガキに負けるわけないじゃない。演奏、聖奏の力、座学、どれを取っても君が勝つ。そんなの火を見るよりも明らかだ」

「デニス、あなたまさか……」

「動物は、君の治癒が終わった後に改めて毒を飲ませた。筆記では、前日までに問題と回答欄の番号をずらしたものを作っておいた。即興では、審査員の手元にある楽譜とはよく似ているけれど違う楽譜とすり替えた。そうでもしないと、君は負けないだろう?」


 当たってほしくない予想が、確信へと変わった。


 デニスはにっこりと笑う。

 その笑顔は、セリアが大好きな彼の表情と全く同じで――


「もう分かった? 二年前の勝負で不正をしたのは、僕。君が負けるように仕向けたのは、僕だよ」


















 話を聞く、と宣言したからには覚悟していた。

 それでも、信じていたデニスがセリアを殺したいほど憎んでいたこと、彼の行動には裏があったことなどを明かされ、胸が痛んでいた。


 これ以上痛み、壊れることなんてないと思ったのに。


「君に勝たれたら困る一心でいろいろ細工したんだけど、こうもうまくいくとはね。セリアとミュリエルが勝負すればいい、みたいな空気を作り、試験道具の部屋に侵入して、問題のすり替えをして――大変だったな。誰も結果を疑わなくて、本当に助かったよ」


 頑張って、と応援してくれたのに。

 信じているよ、と励ましてくれたのに。

 何かの間違いだ、と力強く言ってくれたのに。


(全部、嘘だったの?)


 悲しみが、薄れてゆく。

 代わりに胸の奥から沸々と溢れてくるのは――


「君の聖弦をすり替えたときだってさ、疑問に思わなかったのかい? 偽物とはいえ、あんな短時間で聖弦を作れるわけないじゃないか。僕は、君がミュリエルの軍門に下ることを拒否し、聖奏師としての身分を失うことだってちゃんと想定していた。だから前々から偽物を作って持っていたんだよ」

「……デニスは」

「うん?」

「私を、騙していたの――?」


 セリアはそう言って顔を上げた。

 デニスの双眸に映る自分の顔は、恐ろしいほどの無表情だった。


 勉強するセリアを応援してくれたことも。

 落ちぶれ城を追い出されるセリアを慰めてくれたことも。

 二年ぶりに再会して、グリンヒルの館で見せてくれたいろいろな表情も。

 そして、セリアの胸を温めてくれた微笑みや甘い言葉も。


(全部全部、嘘だったの――!?)


 デニスはセリアの声色に一瞬だけひるんだように目を見開き、視線を彷徨わせる。

 だがそれも数秒のことで、彼はセリアと視線の高さを合わせるように腰をかがめると、こっくりと頷いた。


「そうだよ。たくさんたくさん……君を欺いてきたね」

「……そう。分かった」

「へえ、やっぱり君は物分かりがい――」


 デニスの声は、そこで途切れた。

 それまで険悪な眼差しでデニスを見上げていたセリアが、渾身の頭突きを彼の顔面にお見舞いしたからだった。


 後ろ手に縛られた状態で脚の筋肉だけを使って放った頭突きは、思いの外うまく決まったようだ。

 まさかセリアが物理的攻撃を放ってくるとは思っていなかったらしく、鍛えられた体を持つデニスも低い呻き声を上げてふらつき、周りにいた男たちがさっと気色ばんで立ち上がる。


「ディートリヒ様!?」

「女、ディートリヒ様に何を!?」

「こっ、これくらいで済むのなら可愛いものだと思ってよ!」


 すぐさま背後にいた男に引きずり倒されたセリアだが、周りの男たちの放つ殺気に負けじと声を張り上げ、涙の浮かぶ目をつり上げて皆を睨み上げた。


 デニスの顔面に頭突きを食らわした頭頂部がじんじん痛む。

 だがそれ以上に――心が、痛い。

 怒りに燃える目が、痛みを訴えるほど熱い。


「ずっとずっと、私を騙していたのね!? 勝ち目のない勝負に挑む私をあざ笑って、馬鹿にして! グリンヒルの皆も欺いて――!」

「……グリンヒルの皆は関係ない」


 男たちの手を振り払って立ち上がったデニスはそう言って、口元を拳で拭った。

 頭突きの衝撃で唇の端が切れたらしく、彼の手の甲が掠れた血で染まっている。


「僕にとって、グリンヒルで過ごした日々は……いや、これはもういい。とはいえ、君の怒りももっともだ。二年間でずいぶん垢抜けたと思ったけれど、頭突きまで食らわしてくるほどお転婆になったとはね」


 そしてデニスは懐から時計を取り出し、「……もうこんな時間か」とぼやいた。


「皆は早朝出発に向けて準備を進めろ。僕は予定通り、一旦館に戻って早朝にこっちに合流する」

「かしこまりました」

「ディートリヒ様、この女はどうしますか?」


 セリアを押さえつけていた男が問うと、デニスは一瞬だけセリアに視線を向けた後、ふいっと背を向けた。


「……全てが終わるまで、どこかに閉じこめておけ。僕に頭突きをするようなじゃじゃ馬でも年頃の女性だからな。丁重に扱ってやれ」

「……デニスっ!」

「さよならだね、セリア。どうか、幸せにね」


 渾身の力で叫んだセリアを振り返り見たデニス。

 もう一度罵声でもぶつけてやろうと息を吸ったセリアだが――


(……え?)


 セリアは目を見開き、吸ったばかりの息をそのまま吐き出した。

 そうしていると、ふいに口元にタオルのようなものを宛われ、反射的に息を吸ってしまう。

 とたん口内いっぱいに広がるのは、甘ったるい薬の香り。


(こ、これは確か、なかなか寝付けない夜にエイミーたちが使っているっていう――薬と、同じ、におい……)


「効果覿面てきめんなの!」と薬の瓶片手に言うエイミーの顔が脳裏に蘇る。

 だがやがてその顔もぐるぐる渦巻く闇の中に溶け、セリアの意識は黒く塗りつぶされていった。

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