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真実と亀裂

 保存用にいぶされた肉のように、縄でぐるぐる巻きにされる。口には布を噛まされ、喋ることはもちろん、舌を噛んで自害できないようにさせられた。


 セリアを縛り上げた男とデニスは、何も言わずに夜の丘を下っていく。男に担がれているセリアは、丘の上の館の明かりがどんどん遠くなっていくのを、うつろな目で見送っていた。


(どうして、一体……なんで、デニスが――?)


 混乱した頭のまま、セリアは麓町のはずれにある小屋に連れて行かれた。小屋があることは知っていたが、町の人からは「あそこはずっと空き家だ」と教えてもらったのに。


 先に男が入り、続いてデニスも入室する。その時セリアとデニスの視線がぶつかったが、彼はさめた眼差しでセリアを一瞥するだけで、さっさと奥に進んでしまった。


 小さな物置小屋だと思っていた室内は思いの外広く、デニスが薄暗い中手探りでドアを開けると、ほんのりとした明かりが溢れてきたようだ。


「お帰りなさいませ、ディートリヒ様……そ、その女は!?」


 部屋に集まっていた男たちはデニスを見て挨拶した後、担がれてきたセリアを見て一斉に腰を上げた――ようだ。セリアは後ろ向きに担がれているので、声と音で判断するしかなかった。


「途中で捕まえてきた。グリンヒルの館の女性だ。どうやら僕たちの話を聞いていたらしい」


 感情のこもっていないデニスの説明に、室内にどよめきが広がる。


「聞かれていた、って……どうするんですか!?」

「いっそ殺すしか……」

「おい、聞かれたといっても一般人だろう! 戦闘員以外に手を掛けるなと言われている!」

「そうでもない。このひとはこう見えて、元王城関係者だ」


 デニスの言葉に、再びどよめきが走る。

 一方、いまだ彼らに尻を向けている状態のセリアは混乱の渦の中にいた。


(デニス……私の正体をばらすつもり!?)


「ん、んー!」

「おい、黙っていろ女」

「なかなか元気があるだろう? ……彼女は、今噂になっているエルヴィスの元恋人。二年前に城を出た公爵令嬢で、元筆頭聖奏師だ」

「聖奏師だと!?」

「まさか、前にディートリヒ様が言っていた……!?」


 聖奏師、の名に男たちが驚きの声を上げる。彼らもまさか、ハムのようにぐるぐる巻きになって担がれてきた女が元とはいえ公爵家の姫で、筆頭聖奏師だなんて思っていなかっただろう。


(何がしたいの、デニス……?)


 セリアは限られた視界の中、目だけを動かして辺りを窺う。だがあいにく、セリアの前方には部屋の暗がりが広がるだけだった。男たちの様子を見ることもできない。

 先ほどから、デニスは「ディートリヒ様」と呼ばれている。最初は別人を差しているのかと思ったが、会話の流れからしてデニスを示しているので間違いなさそうだ。


(ディートリヒは、グロスハイム風の名前――! まさか、この人たちは――)


 先ほどデニスと男の会話に出てきた、「ファリントンなんて敵ではない」「エルヴィス王の首を取る」「亡き陛下方の敵を取る」「十年長かった」という言葉。

 そしてデニスの――おそらく本当の名前。


(この人たちは――デニスは、グロスハイムの人間――!?)













 今から十年前。

 当時第三王子で王太子の座から遠かったエルヴィスは、グロスハイム王国侵略戦において見事な戦績を立てた。

 彼は国王夫妻と王太子、王女たちを処刑して唯一生き残った幼い末王子のみを生かし、グロスハイム軍の投降を命じた。


 ファリントンとグロスハイムは長らく戦争を続けており、打倒グロスハイムはファリントンの永年の悲願であった。セリアも、「グロスハイムは滅びるべくして滅びたのだ」と教わってきた。

 セリアの従兄はグロスハイム侵略戦争で手柄を立てたらしく、おかげで公爵家はいっそう栄えた。彼は既に亡くなっているが、セリアは彼の武勇伝を何度も何度も聞かされてきた。


 大人になってからも、エルヴィスの行いが間違いだと思ったことはなかった。

 それが正義、それが真実だと国全体で唱えていたから。

 そして、エルヴィスの行いを信じたかったから。


 おそらくこの場に集まっているのは、グロスハイムの人間。デニスが「ディートリヒ様」と呼ばれていることからして、デニスはきっと元々グロスハイム生まれ。しかも、かなり身分が高かったのではないか。


 ふいにセリアの体が回転して、それまで尻を向けていた男たちに顔を向けることになった。

 その場にいたのは二十代後半くらいの男性がほとんどで、その数十名ほど。部屋の中央にランプを置いており、その周りに飲み物や非常食があることから、夜食を食べつつ皆でデニスが帰ってくるのを待っていたというところだろうか。


 セリアの体が床に着地し、脚以外の縄が解かれる。最後に口に噛まされていた布も取り払われ、セリアは大きく息をついた後、自分の正面に座っているデニスをおそるおそる見上げた。


「……デニス」

「……本当に、君には困らせられる。大人しくしていたなら、こんなことにはならなかったのに」


 デニスの言葉には、一切の温かさが感じられない。

 反射的にびくっと身を震わせて俯いたセリアを見、デニスの瞳が一瞬だけ揺れた。だが俯いていたセリアは気づかなかったし、デニスもすぐに調子を取り戻した。

 彼はセリアを見下ろすような半眼で、気だるげに言う。


「……まあ、どうせこの後で君が騒いだって意味はないからね。さすがに旧知の仲である君は殺したくない」


 セリアは言葉もないまま、ほろりと涙をこぼした。

 それを見たデニスは一瞬目を見開くが、すぐに元の半眼になって嘆息する。


「賢い君はもう分かっているよね? 僕の名はデニスじゃない。グロスハイム王国のディートリヒだ」

「ディート、リヒ……」

「そうそう、ちゃんと言えたね。で、こっちにいる皆は僕の信頼する部下たち。正確に言うと、グロスハイムの騎士だ。皆、十年前に祖国を滅ぼしたファリントンが憎くて憎くて仕方がないんだよ」

「ひっ……!」

「ディートリヒ様、脅したいのか安心させたいのか分かりませんよ」


 セリアを縛っていた男が呆れたように言う。彼はセリアが逃げ出さないようにするためか、セリアの後ろを陣取っていた。


(どうしてデニスが……いえ、とにかく状況を把握しないと)


 何度も深呼吸した後なけなしの勇気を振り絞り、努めて冷静に問いかけた。


「……一体どうしてこんなことをしているの、デニ――いえ、ディートリヒ」

「それ、言わなくちゃだめ?」

「だめよ。……つまり、私には言えないことなのね?」

「いや、言ってもいいんだけど、君にはそれを聞く覚悟があるの?」


 まるで「明日は晴れるの?」と言わんばかりの口調に、セリアは眉根を寄せた。

 彼が「覚悟があるの?」と問うてくるからには、彼が抱える事情はセリアにとってショックが大きいものになるのだろう。


(でも――このまま黙って縛られていたくはない)


 知りたい。

 知るのは怖い。

 だが、知らなければならない。


 セリアがこっくり頷くと、デニスは至極残念そうな顔になった。


「……やっぱやめた、って言ってくれればよかったのに。強情」

「誰のせいだと思っているの」

「そりゃあ間違いなく僕のせいだね」


 デニスはあぐらを掻いた膝の上に肘を載せ、頬杖をついた格好でセリアを見つめてきた。


「……じゃ、教えてあげる。僕たちはね、ずっとずっと祖国奪還の機会を狙っていたんだよ。十年間、あの糞野郎のもとで媚びへつらい、ファリントンの腐った貴族どもにごまをする日々――今思い出しただけでもおぞましい」


 これまでのことを思い出したのか、デニスは顔をしかめて吐き捨てるように言う。


「時は満ちた。僕たちはこれからファリントン王都へ向けて進軍し、エルヴィスの首を刎ねる。そのためだけに十年間、平民としてファリントンで立ち回ってきたんだよ。知ってた?」


 セリアの喉から、瀕死の小動物のようにか細い声が上がる。

 粘っこい唾液が口内で絡まって、咳き込みそうになる。


 嘘、そんなの嘘。

 デニスがエルヴィスの首を刎ねるなんて、そんなの――


「……そんなの、信じられない。あなたはいつだって私に優しかったし、真面目な人だった。偉そうなお子様だった私を変えてくれたのはあなたなのよ。それなのに、あなたがエルヴィス様を討つなんて――」

「そりゃあ、最初は目的があって君に近づいたんだからね」

「目的……?」

「そう」


 甘く囁くデニスだが、その眼差しには一切の優しさが残っていない。


「ねえ、知ってた? 僕が君に近づいた理由は――」


 ――君の笑顔が好きだよ。

 ――笑顔でいてね。


 ゆっくりと芽吹き、膨らんだ想いが揺れ――


「――君を殺そうと思ったからなんだよ」


 そして、

 ひびが入った。

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